新入部員勧誘(3)
◆登場人物◆
・岡本千夏:高校三年生、文芸部部長。一人称は「わたし」。ちょっと舌足らずな喋り方の小柄な女の子。入学式を前に新入生の勧誘を計画している。
・那智しずる:文芸部所属の三年生。一人称は「あたし」。人嫌いで有名だが、学業優秀の上、長身でスタイルも申し分のない美少女。学園のアイドル的存在。実は「清水なちる」の筆名で活躍する売れっ子小説家。クラス分けで千夏とは別クラスとなった。
・里見大作:大ちゃん。高校二年生。文芸部にただ一人の男子で、千夏の彼氏。一人称は「僕」。2mを越す巨漢だが、根は優しいのんびり屋さん。その見かけに反して、手先が器用。新歓ではポスター制作担当。
・高橋舞衣:舞衣ちゃん。文芸部の二年生。一人称は「あっし」。身長138cmの幼児体型。変態ヲタク少女にして守銭奴。毎度毎度、しずるをダシにしては金儲けを企んできた。今回は、新歓の取りまとめを買って出たのだが……、何か裏の目的があるのかも知れない。
・西条久美:久美ちゃん。高校二年生、双子の姉。一人称は「私」。おっとりした喋り方の可愛らしい女の子。髪の毛は左で結んでいる。かつて、大作に自分の気持ちを告白したことがある。
・西条美久:美久ちゃん。二年生、双子の妹。一人称は「私」。おっとりした喋り方の可愛らしい女の子。髪の毛は右で結んでいる。
・藤岡淑子:国語教師で文芸部の顧問。喋らずにじっとしていさえすれば、超のつく美人。しずるの事情を知っている数少ない人物の一人。
新学期が始まった。今日は、始業式の日だ。
今朝、わたしは学校に到着してすぐに、グランド脇の仮設掲示板を見に行こうと思った。新しいクラス分けの表が、張り出されている筈だからだ。
校舎の角を曲がると、ベニヤ板と木材を組み付けた掲示板の前に、もう人だかりが出来ていた。それぞれに、自分のクラスを確認しているようだ。わたしも、早く見に行かなきゃ。
小走りで駆けて行ったものの、背の低いわたしは、人垣のために掲示内容をなかなか見る事が出来なかった。
(ううー、全然見えないや)
人垣に遮られて、わたしは一歩も目標に近づけない。かと言って背伸びをしたところで、掲示板の白い紙は、わたしの視界には入ってこようとしなかった。
(どーしよ。希望通りなら、四組か五組の筈なんだけどな。出席番号の確認もあるから、見とかないと。でも、これじゃ、……ううう)
わたしが困っていると、突然、頭上から低い声が降って来た。
「千夏さん。どーしたんですかぁー」
聞き覚えのある、そののほほんとした喋り口。彼は、
「大ちゃん」
わたしが後ろを振り向いて見上げると、眩しい青空を背景に、黒い詰め襟が影を作っていた。
「大ちゃん、良いところに来た。ああと、あ、あのね、クラス分けを見たいんだけど、皆が集まってて、全然見えないの。ちょっと、何とかしてくれないかな」
わたしが、今の窮状を彼に伝えると、大ちゃんは、
「千夏さんを困らせるなんて、許せないんだなぁ。僕が蹴散らしちゃいましょうかぁ」
と言って、少し険しい顔をした。
え? 今、何てった? 蹴散らすって……、大ちゃん、今、アングリーモード入ってる?
(マズイ。大ちゃんが、アングリーモードになったら、冗談じゃなく死人が出ちゃう。何とか、納めないと)
わたしは、ちょっと慌てて、大ちゃんにこう頼み直した。
「あ、あのね。前に連れて行ってもらわなくてもいから。……あっと、……そだっ。あ、あのね、わたしを持ち上げて、掲示板を見せてもらえないかな?」
わたしがそう言うと、大ちゃんは、その細い眼を更に細くした。
「えっと、僕が、千夏さんを持ち上げれば良いんですかぁー。本当に? それで良いんですかぁー」
逆光になって、ちょっと分かり難かったけれど、彼は困った顔をしていたような気がする。少し、耳が赤かったかな?
「え? 良いよ。……あ、でも、わたし、重いよね。えと、いいよ大ちゃん。自分で何とかするから」
そんな彼の態度に、わたしは思い直して、そう言った。
「でも、さっきよりも人が集まっているんだなぁー。こ、ここは、ぼ、僕に任せて、ほ、欲しいんだなぁー」
(あれ? わたし、何か変な事言った?)
大ちゃんをアングリーモードにスイッチさせるのは防いだけど、何だか別のボタンを押したような気がした。
「じゃ、じゃあ、僕が、だ、だ、だ、抱っこするんだ、だ、だなぁー」
彼は少しドギマギしていたようだった。
(え? 抱っこ? 抱っこって、抱っこって、……えええっ、抱っこ!)
わたしが、その言葉の意味を理解した時、大きな両腕が、ヌッと、わたしの方に伸びてきた。そして、フワッと身体が持ち上がる感覚。
「ひ、ひゃ」
両の脇の下に手を回されたと思ったら、わたしの足は地面から離れていた。
「ひゃ。大ちゃん、くすぐったいよ。そこ、弱いんだ」
わたしが、ちょっと恥ずかしくなってそう言った時、すぐ目の前には彼の顔があった。
彼の荒い吐息が、わたしの鼻の先をくすぐる。
「だ、だ、だ、抱っこしたんだなぁー。こ、こ、こ、これで良いですかぁー。掲示板、見えますかぁー」
そう言われて、わたしは赤面してしまった。何故なら、彼も赤面していたからだ。
「あら、千夏。こんな往来で、ラブシーン? あたしの思っていたよりも、二人の関係は、進んでいたのね」
その時、足元から鈴のような──いや、涼やかな声が聞こえた。
「千夏。あなたも、女子高生なんだから、少しは恥じらいを持ったら? 下着が覗いてるわよ」
そう言ったのは、
「しずるちゃん!」
そう。わたしの親友にして、我が校のアイドル。そして、新進気鋭の若手小説家『清水なちる』こと、那智しずる嬢であった。
女子の中でも比較的長身の彼女を、ちっさいわたしが見下ろすのは、今までに無い体験だった。
早春の眩しい陽の光の下、僅かに流れる空気に、ツーサイドアップにまとめた髪の毛の小さな房が揺れていた。
グラビアの一コマを切り取ってきたような彼女の立ち姿からは、サクラの香りが漂って来るようだった。そんな不思議な感覚が、わたしの鼻腔をくすぐっていて、束の間、時が止ったかのような錯覚を感じた。
「千夏? どうしたの、千夏」
その言葉で、わたしは我に返った。
「え? あ? し、しずるちゃん? ……えーっとお、お早う。良い天気だね」
わたしは、苦笑いを浮かべると、そんな呑気な返事をして仕舞っていた。
「お早う。でも、千夏。少し、はしたなくてよ。白のレースは大人っぽくて、良い選択と思うわ。けれど、それを見せるのは、『彼』だけにしておきなさい」
彼女の声は、少し刺を含んでいた。そして、そこには、一匙の『あきれ』が混ざっていた。
「え? へ?」
しかし、わたしが彼女の言葉の意味を完全に理解するには、更に二秒を必要とした。
「え? えええええええー」
わたしは、思わず悲鳴を上げると、スカートの裾を押さえた。
そんなわたしの声に、掲示板を見ようと集まっていた学生達が、一斉にこちらを振り向いていた。
い、今のわたし、皆にどう見えてるんだろう。
大ちゃんに抱え上げられて、高い高いをされている。スカートの裾が翻ってから、気が付いて押さえる迄に、何秒かかったんだろう。
は、恥ずかしい! きっと、わたし、真っ赤な顔してる。きっと、変な娘だと思われた。
高校三年生のデビューが、こんな失態で始まるなんて……。これは、いったい何の呪いだ? わたし、何か悪い事した?
(ううう、どーしよ。恥ずかしいよー)
わたしが、空中で悶えていると、鶴の一声があがった。
「はいはい、見せもんじゃ無いんだから。それより、少し隙間を空けてもらえるかしら。あたしも、掲示板を確認したいのだけれど」
パンパンと両手を叩く彼女は、キュートな声でそう言った。
「そこの彼。……ええ、そう、アナタ。ちょっと案内してもらってよろしい?」
しずるちゃんは、左手で眼鏡の位置を整えると、涼し気な微笑みを浮かべた。そして、手近な男子に、そう声をかけたのだ。
「え? あ、オレ……、いや、ボクですかっ。光栄です。しずる先輩ですよね。どうぞ、こちらへ。おい、キミ達、道を空けたまえ。しずる先輩が通れないじゃないか」
声をかけられた男子は、背筋をピンと伸ばすと、群がっている学生達にそう言った。
人並みが、モーセの前の紅海のように左右に割れる。
まるで、映画か劇場のような場面に、その場の誰もが我を忘れた。
一見、尊大に見える彼女の言動だったが、しずるちゃんのそれは、嫉妬や中傷を超えたモノだった。
男子は、皆、高貴な気品を放つ彼女の姿に見惚れていた。
女子達の眼は、宝塚の女優を見つめるような妖しい光を帯びていた。
──わたしの失態など、一気に吹き飛んでしまう程の
しずるちゃんは、誇りに胸を張る彼にエスコートされ、掲示板前に広がった空間へ優雅に歩みを進めた。そして、掲示板で自分のクラスと出席番号を、ゆっくりと時間をかけて確認していた。
しばらくして彼女は、両手を腰の後ろで組んで、軽くシナを作った。そして、
「あたしのクラスは、……うん、三組ね。同じクラスになった方々、これから一年間、宜しくお願いしますね」
と、振り返ってニッコリと微笑むと、大物女優とも、デビューしたばかりの初々しい新人ともとれる『舞台挨拶』をしたのだ。
全校生徒の注目を一身に受けた彼女は、ふと、エスコートに選んだ『彼』を一瞥すると、
「ありがとう、アナタ。助かったわ。……あら、こんなところにホコリが」
と言って、懐から取り出したレースのハンカチーフで──そう、決してハンカチではなく、『ハンカチーフ』で、それとなく彼の肩を軽く拭いた。
そんなしずるちゃんの行為で硬直してしまった彼に気付いたのか、彼女は、
「あら、ごめんなさい。少し、汚して仕舞ったかしら。お詫びと言っては申し訳ないけれど、『コレ』もらってもらえるかしら」
と、自然な態度で彼の左手を取ると、そのハンカチーフを握らせたのだ。
「あっ、はっ、はい! 光栄です。一生の宝物にしますっ」
未だ冷たさが残る四月の微風に、リンゴのように頬を赤らめた少年は、手を振りながら去ってゆく美少女を、いつまでも見つめていた……。
そして、彼女が校舎の角を曲がって姿を消した途端、
『はぁわぁぁぁ』
と言う溜息が、残された大勢の男女の口から漏れていた……。
「あー、ドキドキした。千夏、大作くん、大丈夫?」
わたしと大ちゃんは、校舎の影で、しずるちゃんから声をかけられていた。
「だーいじょーぶっす。あっしが、しっかりと誘導しといたっすから」
わたしに代わって応えたのは、ボブカットの快活な少女──高橋舞衣ちゃんだった。
「千夏部長、なーんも心配いらないっすよ。さっきのは、しずる先輩ので吹き飛んだっすよ。もー、誰も覚えて無いっす。二人の黒歴史は、ここに消え去り、代わりにしずる先輩の伝説が、また一つ生まれたっすよ。あー、スマホで動画を撮っとかなかったのが悔やまれるっす。本当に、惜しかったっす」
そんな舞衣ちゃんに、しずるちゃんは、一言釘を刺した。
「動画なんて、まっぴらだわ。思い出のワンシーンは、ここに残しておきなさい」
そう言う彼女は、左手の人差し指を伸ばすと、ツンと舞衣ちゃんの平らな胸を突いた。
「アン。しずる先輩の、エッチ」
思わず舞衣ちゃんが、彼女らしからぬ恥じらいを見せた。いつもは江戸っ子の彼女の頬は、ほのかに上気して、中性的な色気を帯びているように見えた。
「はわぁー」
思わず、わたしの口からも溜息が漏れる。まだ、『しずる劇場』は続いていたのだ。
そんな、わたし達に気が付いたしずるちゃんは、耳を赤くしていた。
「ん、もう、千夏。あたしだって、とっても恥ずかしかったのよ。それより、ちゃんと確認したわよね」
丸渕の眼鏡のレンズの奥から、キッとした鋭い視線がわたしを貫いた。
「へ? 何を」
わたしが、ホケッとしてトボケた返事をすると、しずるちゃんは、
「ク・ラ・ス。クラスと出席番号よ。何のために、あたしが一芝居したと思ってんの」
と、少し語気を強めて、わたしに詰め寄った。
彼女の体温も、恥じらいで上昇したのだろうか? わたしの鼻は、さっきとは少し異なった香りを察知していた。
──フェロモン?
しずるちゃんの色香が、再びわたしを桃源郷に誘いかけた。
「チ・ナ・ツ。どうしたの? ボウッとして。それより、クラスはどこ? ちゃんと確認したんでしょうね」
彼女の言葉で、わたしは現実に戻ると、
「ああ、勿論だよ。よ、四組。文系Ⅱのコース。ちゃんと確認したから」
と、ちょっと申し訳無さそうに応えた。
「僕は、二組。舞衣ちゃんも同じクラスなんだなぁー」
大ちゃんの緊張感の無い声が、続いて聞こえた。
「久美ちゃんや美久ちゃんも、同じ二組っすよ。藤岡先生のサシガネっすかね。顔と名前、覚えなくて済むっすよね」
(そっか。大ちゃん、舞衣ちゃん達と一緒のクラスかぁ。ちょっと、羨ましいな)
わたしが、そんな黒い事を考えて仕舞ったからだろう、しずるちゃんは、
「千夏、分かってる。今日の貸しは大きいからね。また、浴びたくも無い注目を浴びたんだから。せめて、文化祭が終わるまでは、部長としてしっかり働いてね。それから、受験勉強もちゃんとする事。分からないところは、あたしも手伝うから。絶対、二人揃って現役合格しましょう」
と、わたしを指差しながら、厳しい口調でそう言った。
「分かってる。分かってるよ、しずるちゃん」
わたしは、照れ隠しもあって、彼女に平伏していた。
「本当に分かってるんでしょうね。今日みたいな事は、懲り懲りなんだから。千夏、本当に分かってるの」
尚も追求するしずるちゃんに、
「分かった、分かったよ。あはは、本当だよ。分かったから」
と、わたしは、いつまでも平謝りを続けていた。
さて、今日から新しい学年、新しいクラスだ。
しずるちゃんとは、別のクラスになっちゃったけれど、今まで以上に頑張らなくっちゃ。
そして、放課後になったら、新歓の作戦会議だ。
来週は入学式。新入生が入ってくる。今年も、頑張って部員獲得だぁ。




