42. あの日のこと
「――君、なにが目的でこの学園に忍び込んだのかな?」
三カ月前、ビジャット組の初授業後、別の空き教室。
「ちょ……せ、先生……?」
自身に突きつけられたベーグルを、ライナーは怯える子どもの顔で見つめた。
「忍び込んだって、なんの話ですか? 僕は――」
「あはは、そんな表情は似合わないよ。さっき僕が光弾魔法撃ったとき、一瞬だけど到底カタギの子とは思えない殺気を返してくれたよね。それに気づかないほどボンクラベーグルじゃないよ、僕は」
「そんな、ボンクラベーグルって――」
「っ!?」
グルソンが振り返るのと同時に、
「そこまでだ、おやすみ」
水飴のような魔力がとぷんっとグルソンの頭を覆うと、彼はふつりと気を失って倒れた。
「ふふ……運がよかったな、ライナー。私のようなできる上司がたまたま通りかかって」
「……すいません……」
上司だった。
「……なんてな。実はお前の初授業を見張っていたのさ。可愛い部下がうまくやれているかどうか……を心配したわけじゃない。この男がどう出るかを見定めておきたくてな」
「グルソン先生、を……?」
「ああ、なかなか尻尾を掴ませてくれなかったが……どれ、いい機会だ。記憶を覗かせてもらおう」
上司はグルソン先生の頭を膝に乗せ、もう一度魔力を流し込んでいく。
「うっ、あっあっ……」
魔力がぐるんぐるんと渦巻き、グルソン先生が高速で瞬きをしはじめた。ガクガクと身体が震え、口には泡が滲んでいる。
「……なんだこいつ、思考の八割くらいベーグルだぞ。これが精神操作系魔法への対抗策だとしたら、こいつの組織はなかなかイカれた思考制御訓練を施したものだ」
「ベ、ベベ、ベー、グルグル……グリュリュ……」
「いや違うな、これはこいつのパーソナリティーだ。まったくイカれている」
「だいじょぶですか?」
「あまり覗いていると昼食にベーグルサンドを注文してしまいそうだが……ふむ、ふむ……なるほど……」
上司が手を離すと、グルソン先生はガクッと動かなくなった。記憶の盗掘が終わったようだ。
「なかなか面白いことがわかったよ。私の勘は当たっていたようだ……この男、〝崇高なる私〟の工作員だ」
「……〝崇高なる私〟……!」
「ああ、人身売買の業界では最大手の組織さ。道理でなかなか隙を見せなかったわけだ」
この大陸のほとんどの国では奴隷制度が廃止されて久しく、人身売買は非合法な生業となっている。
そんな中で〝崇高なる私〟は各国のマフィアなどの非合法組織とパイプを持ち、大陸を股にかけて暗躍しているという噂だ。
要は、同じ穴の狢か。〝夜明けの子〟と。
「……ビンゴだ。こいつの他にも二人ほどお仲間がいるようだぞ、当校の職員室にな」
「先生の中に、三人も……!?」
「どうやら教育省の貴族官僚を抱き込んで無理やりねじ込ませたみたいだ。ふふ、あのボンクラ校長の苦労が偲ばれるな」
教職の人事権については「校長に一任されている」というのは表向きにすぎず、内外のいろんな政治的力学が作用しているという話だ。
それにしてもまさか、非合法組織の工作員を紛れ込ませるとは。その官僚、売国奴という言葉では足りないほどのクズだ。
「いくら〝崇高なる私〟でも……学園内で誘拐なんてできないですよね? こいつらはなにが目的で……?」
ライナーが尋ねると、上司は「甘いな」と鼻で笑う。
「卒業生、あるいは落第や退学……学園を去った者の中で一人や二人行方がわからなくなったとて、どれだけの者が気にかけるか。それが平民や孤児などだったらなおさらさ」
「…………」
「さながらやつらにとってここは、青い実の成る果樹園ってことだ。じっと息を潜め、あるいは甘言で信頼を築き、無防備な背後から獲物を狩る……そんなことを何年も繰り返してきたわけだ」
なかなかに胸糞の悪くなる話だ。そんなやつが子どもたちの前で教師のふりをしているだなんて。
「それに、この記憶は……いや、お前は知らないほうがいいか」
「なにがですか?」
「いや、こいつらもそろそろ潮時と悟って、近々ちょっとした悪だくみを仕掛けるつもりのようだ。トンズラ前の荒稼ぎってところか」
「悪だくみって……」
嫌な予感しかしない。
「放っておけ。我々の任務とはまったく無関係だし、むしろお前が下手に知っていると墓穴を掘りそうだからな、さっきみたいに」
「いいんですか、放っておいて? こいつらが生徒に悪さをするつもりなら……」
「なら、誰になんと説明する? 他の教師に『僕はこの学園に侵入した秘密結社の工作員なんですが、別組織の悪事の計画を偶然知っちゃったんです』とでも言うつもりか?」
「…………」
「学園の生徒になったからって性根まで善良なふりはしなくていい。お前もこいつも、しょせんは同じ穴の狢だからな」
「…………」
ぐっと唇を嚙みしめるライナー。
「お前は当初の予定どおり、平凡な生徒の一人として学園に溶け込んでいればいい。いずれそのときが来ればわかるさ、お前をここに入れた理由がな。はは、秘密主義の上司を持つと苦労するかい?」
この上司に逆らえるはずもない。「了解です」と答えるしかない。
「それにしても……今まで自重していて正解だったな。このベーグルカス、思った以上の使い手のようだ。正面からぶつかっていたら、私とて痛い目に遭っていただろう」
「それほどですか」
「ああ、完全な戦闘タイプの魔法使いだな。単純な殺傷能力という点では私より上だ」
秘密結社〝夜明けの子〟の最高幹部が認めるほどの強者か。改めて命拾いしたと胸を撫で下ろすライナー。
「だが問題ない。ここで起こったことの記憶を、お前に対して違和感を抱いたその認識ごととり除いた。おとなしくしていれば再び目をつけられることもないだろう。次はヘマをしてくれるなよ、問題児め」
「……はい、すいません」
この男も怖いが、この上司も怖い。
精神操作系の魔法を使わせたら彼女の右に出る者はいない。ライナーとしても絶対に敵に回したくない一人だ。
「先ほども言ったが、こいつらの目的は我々とは無関係だ。こいつらがいざ事を起こしたとしても、お前はお前のなすべきことだけをしていればいい」
「……了解です」
「よろしい。あとは私に任せてお前は教室に戻れ。次の授業が始まるぞ」
「はい、先生」
部屋を出るときにちらりと振り返ると、グルソンは相変わらず「ベーグル……ベーグル……」と不気味な寝言を続けていた。
(ベーグル魔法、とか言ってたっけ……)
授業以外では絶対に近づかないことを、ライナーは心に誓った。
今日たぶんもう一話更新できるかも。




