正義と悪意の反対
王は高い玉座に座り、王冠を頭に載せ、真紅の生地に黄金の飾りのついたマントを纏っていた。
男の名は、ディアラ・ストークムス。
この国ストークムスの王だ。
隣には、美しく気品ある王妃様もいる。
僕は、王の前に跪いた。
「勇者セカルよ。何故戻ってきたのだ」
王の非難するような声に、たじろぐ。
だけど、勇者として、勇気を出すべきは、今だ。
僕は、意を決して、口を開いた。
「王よ、サンヴァーラ侵攻をやめていただけないでしょうか」
「なぜだ?」
「サンヴァーラはアンデットパニックに襲われ、故郷を追われた人々がストークムスに流入しているだけなのです」
「勝手に、ストークムスに侵入してきたのは事実であろう」
「そうなのですが……」
相手に非があるから、こちらに正義があるという言い方だ。
いや、それは、町を襲った盗賊なら殺していいという昔の僕とかわらないというだけだ。
説得を諦めるわけにはいかない。
「魔王に、ストークムス侵略の意思はないようです」
「ストークムス侵略の意思があろうとなかろうと、魔王が邪悪な存在には違いない」
「ニルナさ……魔王は、確かに邪悪に見えるかもしれません」
僕らの心に正義があったから、魔王は邪悪に見えるだろう。
だけど、それはただの鏡写しに過ぎない。
なぜなら、ニルナさんの心にあるものもまた正義なのだから。
「正義の反対は正義なのです」
酷い目にあったから、相手を悪だというのは簡単だ。
もちろん、時には、完全に悪意そのものの者もいるだろう。
だけど、人は皆懸命に生きている。
相手にもそれなりに理由があるはずだ。
少なくとも、ニルナさんは単なる悪とは違う。
短い期間ではあったけれど、そう信じられるものが確かにあった。
「魔王が正義なわけないだろう。このストークムスが世界平和のために世界を治めなければならない」
それは、正義という名の傲慢だ。
時に人はそれに酔いしれる。
目を醒まさねばならない。
「和平とは、双方に平和を願う心がなければ成り立ちません」
これは、ニルナさんの言葉だ。
僕の中で、言葉を組み直す。
僕は、王をしっかり見つめて、再度口を開いた。
「王と魔王が平和を願わなければ、真の平和は訪れません」
「なにを馬鹿馬鹿しい。魔王が平和を願うわけないだろう」
「そんなことはないんです」
僕を見つめる王の瞳が変わる。
まるで僕を汚いものでも見るように。
「これ以上いうのなら、お前を反逆罪とする」
「つっ」
僕は、二の句が継げなくなった。
さすがに、僕も反逆者になりたいわけではない。
「姫様も、国王の説得を手伝ってください」
僕の言葉は届かなくても、娘である姫の言葉なら、届くかもしれない。
僕は期待して、姫を見ると、姫が口を開いた。
「お父様、あの女を殺してください」
僕は、姫の言葉を疑った。
「姫様、何を……」
「魔王は、盗賊を助け、悪魔を従え、邪神教徒を救い、ストークムス人を容赦なく殺す極悪人です」
「それは……」
確かにそれは、その通りなのだ。
だけど、ニルナさんには、正当な理由があった。
盗賊たちは、アンデットに故郷を追われたサンヴァーラ人で、ストークムスで迫害を受けていた。
邪神教徒たちは、貴族に迫害されたり、戦争の被害にあったストークムス人だった。
悪魔は、意外と話の分かる奴で、邪神教徒たちには慕われていた。
「悪だと決めつけたのは、僕らで」
初めて会った時の、恐ろしい笑顔はどうみても魔王だった。
だけど、子供たちに話しかける顔は、本当に慈愛に満ち溢れていて、聖女のようだった。
「それに、姫様とニルナさんはお友達で」
「勇者ももう演技をしなくて、大丈夫です」
「演技?」
僕はなにも演技なんてした覚えはない。
姫には、僕が演技していたように見えるということだ。
つまり、演技をしていたのは……。
姫だ。
いや、よく考えると、ニルナさんと出会ってから、普段快活だった姫様が、ほとんどしゃべっていない。
緊張しているのだろうぐらいに考えていた。
だけど、心の底にあるものは。
「私を殺そうとしたのよ。許せるわけがないわ」
純然たる憎しみだった。
◇ ◇ ◇
私は、逃げやすいように、城壁の上を走っていました。
迫りくる炎を野生の勘で、回避し続けます。
「逃げ回るばっかりで反撃してこない、腰抜けめ」
私の本能がピクリと反応します。
柄に手がいきそうになるのを、理性で押さえつけました。
我慢、我慢、我慢……なんてできるわけがない。
手ではなく、口ならばいいでしょう。
私は、反論することにしました。
「大体ここは、あなたの城でしょう。こんなに壊してどうするつもりですか」
私が、魔力をぶつけて、消していますが、城のあちこちから燻るように煙が立ち上がっています。
「城など、民に直させればいい」
「なんですか。それは」
サンヴァ―ラ城に住んでいるのは、私とフィルクとルーンさんぐらいです。
老朽化した部分は、自分たちで直しています。
材料は、国民から分けてもらうのすら申し訳ないと思っているのに。
「大体あなたは、昔から気に食わないんですよ。ゼノヴィアお姉様の結婚式でも、女を侍らせて」
「ゼノヴィア? アステーリか」
グララは、魔法を解いて元の人の姿に戻ると、ようやく思い出したといった顔をしました。
「ああ、お前あの時の、サンヴァ―ラの我儘王女か」
「そうですよ。我儘は余計ですが」
「お前こそ、男を侍らせていただろう。あの時の勇者はどうしたんだ?」
「もちろん殺しましたよ。私は魔王ですから」
本当は、そんな一言で済ませられるようなことではない。
私と勇者の思い出を、教えてあげるいわれはない。
「それでどうするんだ? 俺も殺すか? この国の勇者で王子である俺を」
「一応、あなたにも聞いておきましょうか。サンヴァーラは、ストークムスと昔のような国交回復を望みます。兵を引いてはもらえませんか?」
「なにいってやがる。こんな千載一遇のチャンス逃すわけないだろう」
野望に満ちた瞳。
自分の幸せのためならば、何をしてもいいと思う心。
虎視眈々と、世界の覇権を狙っていたストークムスの王族。
「まあ、そうですよね」
幼い頃は、世界は幸せに満ち溢れていると思っていた。
だから、我儘だった。
我儘だったけど、人の不幸を望んだことはなかった。
みんな幸せに生きていると、みんな人の幸せを願っていると思っていたから。
だけど、世界は悪意に満ちている。
私は、かつて自分の国で起きたアンデットパニックを思い返します。
我が子のために、国を生贄にしようとしたネガイラおばあ様。
国のために、我が子を犠牲にしたウーツおじい様。
どちらにも愛はあった。
そして、愛憎になった。
「悪意の反対もまた悪意」
私は、王になるものとして、ウーツ様を信じ、ネガイラおばあ様を殺しました。
「未だに、どっちが正しいかなんてわかんないんですよね」
王になる者としては、ウーツ様が確実に正しかった。
だけど、親として正しかったのは、ネガイラおばあ様だったのではと思ってしまう日もあります。
「私は短絡的な解決策しか持ち合わせていませんから……」
暴力で、どうにかする方法しかしらない。
言葉で、誰かの心を変えたこともない。
「だからこそ……」
勇者セカルの純粋な瞳に希望を見ました。
昔、自分が想像していた勇者像通りの少年に。
昔、魔王でなく、ただの少女だったころ、
好きだった勇者に少しだけ似た彼に。
期待を胸に、待っていますが、未だ知らせは来ない。
私は、地平線に視線を向けます。
「ああ、陽が沈んでしまいます」
心の底から、平和を望んでいます。
これは、嘘じゃない。
だけど……。
「約束は約束ですね」
必ず、国を守ってみせる。
それが、魔王としての矜持。
日が沈む反対側から、月が昇っていた。
「今日は、赤い月の日ですか」
心を逆転させる魔性の赤き月が、自分の心から残虐性を解き放ちます。
柄に手をかけ、聖剣を引き抜きます。
「私は、フィルクと違って、戦いは好きなんですよね」
我慢していた本気をだすことを。
口が愉悦に歪んでいくのを感じる。
聖剣を掲げ、高々と宣言する。
「さあ、魔王の時間の始まりです!」




