26.淡紅の花は水面に沈む
「翠ちゃん、さすがに根詰めすぎじゃない?」
蔽膝のデザインを完成させ、試作を作り始めたわたしに声がかかる。
いつの間にか、浩宇先輩と沐辰先輩がロウソクを持って、宝飾殿の扉にもたれかかっていた。
「先輩たちこそ。先ほどお帰りになられたはずでは?」
どうして、とわたしが首をかしげると、ふたりは顔を見合わせた。
「最近、皇宮内で妙な騒ぎが多いから早く帰れと言っただろう」
浩宇先輩が話を聞いていなかったのかと、わたしに鋭いまなざしを向ける。
「見回りの武官から、宝飾殿にまだ明かりがついていると言われてな。まさかと思って様子を見に来たんだ」
「そしたら、びっくり。翠ちゃんがまだ残ってるんだもん」
沐辰先輩も、浩宇先輩に負けず劣らずの、じとりと責めるようなまなざしでわたしを見た。
「え、と……」
そうだった、とわたしは視線を泳がせた。
三日ほど前から、皇宮内では不可解な事故が増えている。昨日は、文官さまのひとりが何者かに襲われていたらしい。だから、早く帰るようにと言われていたのに。
「二度は言わない」
浩宇先輩の圧が増す。
でも……。部屋に戻って、また桃姉さまの香りをさせた暁さまがやってきたら? そう思うと、無性に胸が痛くて、集中できなくて、だから、ここにいるんです。仕事をしていれば、自然と忘れられるから。
なんて、素直に言えるはずもなく、わたしは言い訳を考える。
「成人の儀まで、後、少しですし……。ぼくのせいで、成人の儀に服飾が間に合わなかったらいけませんから」
ゆっくりと言葉を選びながら話せば、浩宇先輩がズカズカと中に入ってきて、わたしの前にドカリと腰をおろした。
「なにを隠している?」
「え」
「以前のお前は、俺たちには黙って仕事を部屋へ持ち帰っていただろう? 隠れてコソコソ、宝飾殿から帰って仕事をしていたことは知っている。それはもうとがめん。だからこそ、最近やけに帰りが遅いのはなぜだ?」
「それは……」
わたしが言葉に詰まると、沐辰先輩も浩宇先輩の隣に座った。沐辰先輩はわたしの作業机にもたれて頬杖をつく。
「もしかして、暁さまと関係してる?」
「なっ⁉」
瞳孔が開いている気がする、と驚きを声に出してから気づいた。だが、もう遅い。わたしの反応に、
「あたり、みたいだねえ」
と沐辰先輩が苦笑した。浩宇先輩も心当たりがあるとでも言うように、額に手をあてて深いため息をつく。
「暁さまが最近、翠に避けられている気がするとうるさいのはそのせいか……」
「そうだよ~。翠ちゃんのせいで、暁さまはまた採寸もさせてくれなくなってさあ。試着だってひと苦労なんだから」
「ひと言目には、翠はどこだ、だからな」
「え……」
思いを自覚して、そのせいで暁さまと会うのがなんとなく気まずくて、宝飾殿にこもりはじめてもうすぐ一週間。その間に、どうやらふたりはいろいろと言われていたらしい。
「翠ちゃんは忙しいってごまかしてるんだけどさあ。ケンカでもしたの?」
子供じゃないんだから、さっさと仲直りしてくれ。沐辰先輩の口調にはそんなニュアンスが含まれていると思う。
けれど、そんなに簡単な話でもないのです。ケンカなら、どれほどよかったか。
「……すみません」
わたしが謝ると、浩宇先輩が諦めたように「わかったならいい」と呟く。反対に、沐辰先輩は諦めきれないと言わんばかりに「それにしてもさあ」と切り出した。
「こんなに暁さまが誰かに入れこむなんて、ほんと珍しいよねえ」
ひとりごとのようにも聞こえるし、話しかけられているようにも聞こえる。わたしが黙っていると、沐辰先輩はその無言を受け流して続ける。
「ま、翠ちゃんの気持ちもわかるよ。なんてったって、相手は皇族だからねえ。特定の人と仲よくしすぎるとやっかみを受けるし、派閥だなんだってうるさいし」
沐辰先輩はあくびをひとつして、チラとわたしを横目に見る。まるでそれは、わたしが暁さまを避けている理由にでもしてくれればいい、と言わんばかりだった。
そう、そうなのです。暁さまは、第一皇子で、元よりわたしのような人が簡単に関わっていいような人ではないのです。水面下では後継者争いだって起こっているんだなんて、桃姉さまからも以前聞いたではありませんか。このまま、暁さまを思っていてもしかたのないこと。それこそ、派閥だなんだと面倒くさいことには巻きこまれずにすみますし……。
けれど。
「……ごめんなさい、ぼく……」
言い訳を並べれば並べるほど、それほどまでに暁さまのことを考えてしまう自分が浮き彫りになっていくのです。
――暁さまが好き。
どれほど美しい宝飾をまとっても、一番に輝く暁さまが。桃姉さまの香りをまとう暁さまと、お会いしたくないと思うほどに。皇宮を抜け出して民のもとへと走る暁さまが。不真面目に見えて、民のために誰よりも躊躇なく頭をさげられる暁さまが。
やっぱり、好きなのです。
思いがこぼれそうになって、ぐっと飲みこむ。気づいた瞬間に終わる恋だなんて、あまりにも滑稽だ。笑いたかったのに、こぼれてきたのは涙だった。わたしの頬を涙がひとつ滑り落ちていく。
「ど、どうした⁉ 暁さまになにかされたのか⁉」
「え、ボク、なにかまずいこと言った⁉」
慌てふためくふたりに、わたしはただ一生懸命、首を横に振る。
こんなことなら、女になんて生まれてこなければよかった。服飾になんて、興味を持たなければよかった。男装してまで宝飾殿に勤めなければよかったし、暁さまと出会わなければよかったのです。
……でも。でも、でも。夢だけは失いたくない。一度決めたのだから。
いまだ、わたしの様子を窺ってオロオロとするふたりに、これ以上迷惑をかけるわけにもいかない。
わたしは自覚してしまった恋心に、もう一度強くフタをする。わたしはもう、この恋を失ったのだ。夢のかわりに。
「……実は、失恋をしてしまいまして。少し、気分が落ちこんでいて」
暁さまとは関係がない、とは言えなかった。けれど、言葉にしたことで不思議と自らの心がスッと落ち着く。
そう、ただ、失恋しただけです。ただ、それだけのこと。
わたしが笑みを作ると、先輩たちは一層眉間にしわを寄せて、けれど、それ以上は言及しなかった。
わたしもこれ以上は試作を進める気にはなれず、素直に先輩たちの後に続く。
宝飾殿の明かりを消す瞬間、作業机の上に置かれた蔽膝が目に入った。暁さまの顔が浮かんだけれど、わたしはそれを闇の中へと追い払う。
これでよいのです。これで……よいの、ですよね?




