20.特別な思い出、銀の冠
「はあ~、本当によかったです……これで一件落着ですね」
花都への馬車を待つわたしは、手の平でコロコロと夜明珠を転がした。
浩宇先輩のお父さまが売ってくださった鉱石は、今朝がた加工を終えたばかりのもので、それはもう美しく磨きあげられていた。たまたま皇宮から別の発注が来ていたから、と言っていたけれど、なんだか今日のためにずっと大切にとっておいてくださったような気がする。
皇宮で仕入れているよりも数倍、いや、数十倍近くの値がしたけれど、暁さまは当たり前のようにそれを受け入れ、わたしもまた、予算ギリギリでそれらを購入した。
ついでに、浩宇先輩のお姉さん、若汐さんからもお水や食べものを購入し、わたしと暁さまは別れを告げた。
「やあ、待たせたね」
暁さまの声に、わたしはハッと顔をあげる。
南城領の土煙ですっかり汚れた暁さまは、それでもなお、美しかった。
「何度も断られてしまったけれど……少しだけ、和解できた工房もあった。今度からは、翠たちもそこを使ってくれ」
暁さまが紙を差し出す。見れば、新しい仕入店のリストだった。
「どこへ行ったのかと思っていたら、謝罪にまわられていたんですか⁉」
「大したことじゃないさ。それに、まだまだだ。これからも続けるよ、少しずつでも」
暁さまはわたしの隣、岩を切り出した長椅子に腰かけてパタパタと顔を仰ぐ。珍しく頭の上でまとめていた髪をほどくと、鮮やかな朱の髪が風になびいた。
陽炎に命があれば、こんな風に見えるのでしょうか。
わたしはその艶めく髪に見惚れてしまう。糸になれば、どれほど上質か。この髪色が布地になれば、どれほど端麗か。
前髪の隙間から、金の瞳がふっとこちらを覗いた。
「翠には、助けられたね」
その言葉に、わたしも「あ!」と思い出す。
「そうでした! 昨晩、ぼくを助けてくださったのって‼」
「さあ、なんのことかな」
「え⁉ だって、若汐さんが……」
「はは、まさか。僕はたまたま南城領に来て、今日、たまたま翠に出会った。それだけだよ」
暁さまはいたずらっ子みたいな笑みを浮かべて肩をすくめる。
「え、え⁉」
困惑するわたしをからかうように、彼は年相応にカラカラと笑って、「なんのことだか」と首を振った。
「それにしても、まさか直接買い付けに行こうだなんて。どうしてそんなことを?」
話題を変えられては、わたしもそれ以上は言及できない。聞かれたことに対して素直に答える。
暁さまが、靴を本当に喜んでくださったこと。民のために、と考えられていること。どうしても、そのふたつを両立させたくて、先輩たちにも協力してもらっていること。
わたしが話し終えると、暁さまはじっとわたしを見つめ、口元へ手を当てて深く考えこんだ。なにか、言葉を探しているようだった。
馬車が遠くからやってくる音が聞こえる。暁さまは立ちあがり、
「少しだけ待っていてくれないか」
とわたしに言い残して、工房の立ち並ぶ方へと駆けていく。
「え、ちょっと! 暁さま⁉」
わたしが引き止めるのも待たず、彼の赤髪はあっという間に遠くへ小さくなっていってしまった。
馬車がわたしの前で止まり、御者がにこにこと笑みを浮かべる。
「お客さん、どちらまで?」
「あ、えっと……ちょっとだけ、待ってていただくことって可能ですか? 実は、今しがた用事を思い出したかたがいて……」
この馬車が行ってしまったら、次はいつになるかわからない。少なくとも、一刻は待つだろう。早く戻ってきてくださいと心の中で暁さまを急かしつつ、わたしはなんとか御者を説得する。
荷物を積みこみ、「そろそろ」と困ったように御者が言ったところで
「待たせてしまったね、行こう」
と戻ってきた暁さまが、わたしをヒョイと抱えて馬車に乗せ、御者に合図を送る。
驚く間もなく、暁さまはわたしの隣に腰をおろすと、動き出した馬車の中でパパっと身なりを整え、ようやく深く息をはいた。
この人はもしかしたら、常に動いていないと死んでしまうのかもしれません。
暁さまに後何度振り回されることになるのだろう、と思いつつ、わたしは後方へと去って行く南城領の景色を目に焼き付ける。
いろいろあったけれど、なんだか、暁さまと少しお近づきになれたような、そんな気がします。それが嬉しいだなんて、変な感じがしますが……。
「翠」
「ひゃいっ⁉」
暁さまを盗み見ようとしていた矢先に呼ばれたものだから、わたしの声が驚きで裏返った。暁さまがクスクスと笑う。恥ずかしさに顔を赤らめると、暁さまは「悪かった」と言いながら、わたしの方へと手を差し出した。
「翠、手を出して」
言われるがまま手を出せば、暁さまのあたたかな手が重なる。相反するように、手のひらにはヒヤリとした感触があった。ゆっくりと開く。
そこには、銀細工の冠があった。
「これは……」
「ずいぶんと世話になったからね、お礼だよ」
銀でつくられた草花の紋様、その上に飾られた青い宝玉。豪華すぎず、かといってシンプルすぎず、高級感のあるデザインだ。特に、青の鉱石は角度によって色を変え、湖のように深い青から、森を抜ける風のように爽やかな碧まで、さまざまな表情を見せた。かんざしにもツタのような模様が入っており、丁寧に作られていることがわかる。
「すごく、綺麗……」
暁さまからの贈り物というだけでも言葉にならないほど嬉しいのに、こんなに素敵な宝飾をいただけるなんて。
わたしがどうお礼を言おうか、と考えているうちに、暁さまが
「喜んでもらえたなら、嬉しいよ」
と笑う。「女性ものだけど」と付け加えられ、わたしはハッと顔をあげた。
「翠になら似合うと思ってね」
もしかして、ばれてるんですか……⁉
だが、慌てふためくわたしと対照的に、プレゼントした張本人はさして気にもとめていないようで、ふあ、とあくびをひとつ。
「さすがの僕も少し疲れたな。花都についたら、おこしてくれるかい?」
「へ?」
わたしの回答を聞く前に、肩にズンと重さを感じる。見れば、暁さまがわたしの肩に頭を預けていた。その目はすっかり閉じていて、長いまつげがフルリと二度揺れる。
「えぇ……」
どうしましょう、と思うものの、暁さまの体温が布を伝ってじわりと内側まで届くころには、わたしのまぶたもすっかり落ちていた。




