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続編は「私」  作者: 稲葉千紗
朱金の果実は異界の記憶をもたらす
6/6

あらがう心

『穏やかな顔つき、柔らかな物腰、だけどお腹はまっくろだなんて、素敵。まさに理想じゃない! 黒髪に碧眼って言うのもポイント高いし、おにいさま属性もたまらない。さいっこう! ああ、萌える』


 声がはしゃいでいた。

 実を食した日から、脳裏に現れるようになった例の声だ。

 まるでセレナの思考を上書くように繰り返し刷り込まれる彼女の価値観は少しずつ、けれど着実にセレナの考え方を変えていく。


 そう、お義兄様は最高。セレナの頭の中がリアン讃美で染まりきった頃、声は突然方向性をかえた。


『こういうタイプ、物語には欠かせないのよね。ヒロインを大切にして、大切にして、でも最終的に手放して背中を押す係っていうか、ヒーローにはなれないけどおいしい役どころ?』


「……え?」


 どうして急にそんな事を言うのだろう。

 全く同意できないその内容にセレナは戸惑いの声を上げる。

 けれど、声は止まらなかった。


『って考えるとヒロインのお相手はやっぱり王道にそって皇子サマがいいのよね』


 声が何を言っているのか、セレナにはわからなかった。いや、わかりたくなかったともいえる。


 声は、セレナの価値観を、考え方を変えてきた。

 少しずつ、けれど確実にセレナを侵食していた知識や思考。その声は今、なんといった?


 ――義兄は、ヒーローには向いていなくて。ヒロインには皇子があっている。


 セレナには到底受け入れられない事だ。

 彼女のヒーローはいつだって義兄で、その他なんて考えられない。

 けれど、声がそれは違うと言う。

 それはつまり、セレナの価値観もやがてはそうなるという事だろうか。


 なんて、恐ろしい。


 神話の教えでは、知識の実は決して手を伸ばしてはいけない禁断の果実だった。

 悪魔にそそのかされて実を口にした始まりの娘は、楽園を追放されたという。

 けれど、真実は違うのかもしれない。

 もしも彼女が食べた知識の実がセレナと同じならば、彼女は追放されたのではなく、自ら楽園を去った可能性が高いとセレナは考える。


 彼女が、今のセレナと同じ状況に陥っていたとしたら。

 植えつけられた違う価値観に苦しんだとしたら。

 きっと、何も知らない顔をして楽園で暮らすなんてできなかっただろう。


『やっぱり続編は国を移すかなー』


 のんきな声は、セレナの心情なんてちっとも考慮してくれない。

 こちらの混乱なんて知らないと言わんばかりに、いろいろと垂れ流してくる。


 セレナはぎゅっと、腕に力を込めた。

 オオカミが小さく鳴き声を上げたが、気にかける余裕はない。

 いまはただ、何かにしがみついていたかった。そうしなければ押し流されて、自分が自分ではなくなってしまいそうだったから。




「……セレナ?」


 腕の中、カタカタと震え始めたセレナの異変にリアンが気付かないわけがない。

 肩をたたかれ、俯いた状態の顔を覗き込まれ、そうしてセレナの視界に映るリアンは大きく目を見開いた。

 きっと彼が見たセレナの顔は、真っ青だったに違いない。


「セレナ!? 誰か、誰かいな――っ」


 リアンは声を張り上げる。

 それを、セレナが止めた。


「だいじょうぶ」


 きっと、とてもへたくそな笑顔だったはずだ。

 声だって、みっともないくらいに震えて、擦れている。

 きちんと言葉として発音できているかどうかも怪しいくらいだ。


 けれど、いま、人を呼ばれるのは避けたかった。

 人を呼べば、セレナの状態が広まってしまえば、理由を言わなければいけなくなる。

 本当の事なんて言えるはずもないから、適当なウソを。


 そんなものを考える余裕はないし、今の精神状態では上手に周りを言いくるめるなんてできそうにない。

 リシュリア家の主治医は、とても鋭くて頭が良いから。


「セレナ、そんな顔をして、どこが大丈夫なの?」


 どこか痛くはないか、熱はないか、とリアンがセレナに触れる。

 昔から変わらない、少し低めの体温が心地よくて、優しい手のひらに頬を寄せた。


「私は、お義兄様が、好き」


 確かめるように、自分に言い聞かせるように、口にした。

 知識を取り込む、と決めたのは自分だ。

 それは、義兄の隣に立つため。決して、義兄から離れる為ではない。


 だから、ここで知識に取り込まれるわけにはいかない。


 流れ込んできた異界の知識。

 声の主が持っていたであろうものの考え方、捉え方。

 それらはすべて、セレナの世界を広げるために必要なものではあるけれど、その為にセレナ自身の在り方を変える必要なんてない。


「お義兄様の隣に立ちたくて、ずっと、それだけを目指してきた。他の人なんて、いらないの」


「……セレナ?」


 気遣わしげなリアンの声が、耳に心地いい。

 心配をかけているのは心苦しいが、彼の声を、体温を心強いと思う。


 リアンがいるから。

 セレナを抱きしめてくれているから。


 だから、だいじょうぶ。


「わたしは、まけたりなんか、しない」



 セレナが真実「世界樹の枝」であるのならば。

「世界の意思」に干渉できる存在であるのならば。

 こんな声に取り込まれるはずがない。



 心を強く持てば、だいじょうぶ。



 深い呼吸をくりかえして、意識を集中させる。

 願うのは、運命の書き換え。




 瞬間、世界から色が消えた。


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