第30話 解呪-カースアウト-
ブリューナクが一言呟くと、彼の身に纏う白い鎧はガタガタと揺れる大地の如く震え始める。
「何を企んでおるのだ?」
「本気を出すだけだ」
瞬間――部屋一帯を包み込むようにピカッと光が走る。
自己強化魔法のようなものを使用するならばと追撃を試みていたアノマーノはこれに視界を奪われ、ブリューナクに距離を取られてしまう。
「な!?」
しかも…………光が消え、視力を取り戻したとき、ブリューナクの姿が大きく変質し始めていた。
まず、両腕がボンッと爆発するかのように膨張する。そこに脂肪は含まれず、ただ筋肉だけが拡大していっているようだ。続けて脚が、腹筋が、第胸筋が、首筋が、身体を構成するあらゆるタンパク質が変異し巨大化していく。
そうしている内に身長は10mに達し、王座室には筋肉だけの巨人が悠然と立っていた。
それだけなら巨人への変質魔法――〈タイタンフォーム〉という魔法。厳密には使用者の体格をそのまま指定のサイズに巨大化させるだけの魔法であり筋肉そのものが膨張はしない――でも使用したのだろうと飲み込む事が出来るのだが、そうはいかない。
その状態に加えて、背中から更に左右揃えて4本腕が生えたッ! 腰から2本ずつ足が生えたッ! 首筋から頭部が増殖しふたつ首となってッ! 胴体の前後から刺々しくも真っ黒な触手が何千本と生えていくッ!
もはや人ではない。人間という存在のあり方も、この世界の種族の多様性も、全てを否定する冒涜的存在。化け物と一言で言い切ってしまうには人道に反している。
いや、これこそが魔を総べる王たる〈魔王〉に相応しい真の姿なのかもしれない。
「ガーハッハッハッ! これこそ我の新たなる力だァッ!」
外観だけでも、先程まで牽制し続けていたブリューナクとは力量が全く持って違うことは誰にだってわかる。
アノマーノは劣勢に立たされたと言っても過言ではないだろう。
なお、〈巨人種〉を招き入れることを想定してか王座室の天井が20mはあるため、ブリューナクが異形と化した程度でこの部屋は崩れないようである。
「うぐ……これは受け入れ難いモノを見せられてしまったであるな……」
8歳の頃から約107年間も自身を呪い続けてきた〈呪魂具〉の正体は、人を冒涜的な異形へと変える最悪の存在であった。
この事実を前に、アノマーノは少し狼狽える。
それでもこの力を使うべきか……。
いや、今は悩んでいる場合ではない。ハッキリ言って魔法が使えない以上こちらも〈呪魂具〉に頼らなければ勝てる術だって存在しないのだ。
現実を見て割り切りきろう。使えるモノはすべて使う。それが“世界の覇者”になるための道だと信じているから。
「お前も察していると思うが、さっきまでの我は魔法を使用できなかった。この呪われし大剣の代償によってな。我はその代わりに名を挙げることで纏うことのできる鎧のことを〈呪鎧〉と呼んでいるのだが、それだけではただ人生にハンデを負うだけであろう」
そんなアノマーノを前に、ブリューナクは自身の現状について訥々《とつとつ》と述べ始めた。これは明らかな攻撃のチャンスに見えるが、おそらく何かしらのカウンターを狙った誘導なのだろう。だったら聞いてやるのが今の最善手だ。
「そして〈解呪〉はその名の通り自身にまとわりつく呪いを全て祓う行為だ。理性という枷によって封じられた自分自身が最も意識している欲求や本能、そして自我を強く心の中で押し出すことによって到達する真の力だ。例えば我ならば……『誰よりも強者として世界に君臨したい』という感情を顕にすると言えばよいか」
解説されるは、アノマーノの人生を大きく狂わせた呪いの性質。
彼女は今まで『家族に認められたい』、『強くなりたい』といった欲求を持ちながら人生を歩んでいき、『“あの人と同じ世界の覇者”になりたい』という大それた目的を叶えるためセレデリナに100年間殺され続けてでもこの場に立つ資格を得てきた。そこには『父を倒して自分の中にある邪念を打ち消したい』という欲望だってある。
このどれを心の中で強く押し出しても、ブリューナクの言う自我には至っておらず、その結果解呪も行うことができなかったようだ。
少なくともアノマーノは呪いを取り扱う面において、ブリューナクには大きく差をつけられている事実が突きつけられる。
(うぐ……どうやら余は自分自身と向き合えていなかったようであるな……“あの人”もセレデリナも、この呪いを持たずして自我を真摯に押し出しているというのに。余はどうやら自分のことを世界最強だと自惚れているだけの弱者なのかも知れぬ)
だがそんな心傷に浸る時間を許すほどブリューナクは甘くはない。
「一度〈解呪〉すれば、我が身の全てを変えながらも魔法の使用が解禁される。呪いを受ける前に使用できたあらゆる魔法を凌駕する形でなッ! 『我が魔の力よ』……などという詠唱もいらん。行け、〈サード・メテオ〉!」
地に落ちた大剣を片方の右手で握り、縦に振り下ろしながら地面に叩きつけ魔法を唱える。彼の発言の通り、詠唱もなくそれは行われた。
「まて、サード級だと、それはイカンのだ!?」
「では、死ぬが良い小童よ」
空から、天井を突き破り何かが落ちてくる。
石だ。1mはある岩石、逆に小粒で拳ほどであったり、と思えば民家一台分の大きさはある巨大なモノまで、まばらなサイズの石だ。
それが、雨のように降り注ぐ。
一石一石が煌びやかな天井を崩してゆき、あっという間に〈魔王城〉の一室に太陽の日差しが射し込んでくる。
つまりこれは隕石だ。
隕石の雨だ。
太陽を背にしながら、大量の隕石が降下する。
そう、ブリューナクは魔力で重力を操り、宇宙を浮遊する粉々の石を引っ張ってきたのだッ!
「クッ、来たか!」
3mにも及ぶ巨大な岩石から手のひら台の小粒な石まで、あらゆる隕石が地面に幾度と叩きつけられ、王座室の地面を揺らしていく。鉄球が埋め込んでいたかのような丸い穴が空いた。
どうやらこの場所は〈サード・メテオ〉を使用することを想定した設計らしく、部屋が床ごと崩壊することはない。
これに対しアノマーノは音を耳で、隕石が落下時に起こす風圧を肌で感じ取り、前後左右に飛び跳ねる形で回避に専念し始める。
様子見して正解だった。セレデリナが〈神化〉を用い似たような手でアノマーノを追い詰めたことが何度かある。その経験を以ってすれば、この程度の攻撃を全てを避けることなど容易だ。
(この類の魔法は使用中は魔法図の構築を維持し続ける必要がある分身動きを奪われるのだ。絶え間なくブリューナクの眼前にすら飛んでくる隕石には法則性がなく、下手に攻めに転じれば父上の眼前から落ちてきた石に捻り潰される可能性がある。しかし、その上でやれる手もあるのだ)
次の一手を思案するアノマーノ。
そして導き出した答えは――
投擲に使用した斧の回収だ。
30m離れた地面に落ちていた己が武器をアノマーノは見事に回収しつつ、その場で前転した。
「おおっと、危ないところだったのだ」
同時に、斧があった位置に隕石が落下し小型の穴が出来上がった。
もしあそこで回収しなけれは斧が1本隕石の熱量で溶解され粉砕。しかもその場を離れる前転を行わなければ直撃は避けられなかっただろう。
(しかし、あれが魔法である以上MRという制約は常に存在するはずなのだ。うまく消耗戦を強いればいくらでも勝ち筋を見出せるのではなかろうか)
また、アノマーノも無策ではなく、すぐに次の戦術を見出した。
魔法はMRという誰しも1日に使用できる制限が存在する。ソレ自体は個人間で差のあるものであるが、すなわち〈魔王〉であっても無尽蔵ではないということ。当然詠唱を破棄したところで消費するMRは据え置きであり、しかもサード級の魔法は1つ唱えるだけでも並の人間なら底を尽きるモノである。
過去に親子としてブリューナクと話した時も、1日に使用できるサード級魔法は3回程度と言っていた。なら、最終的にMRを枯渇させて魔法を使えない状態へと追い込み、異形と化した彼をどうにか斧で攻めつぶす白兵戦に持ち込めば十分勝てるはずだ。
「フハハハハハハッ! 小童よッ、お前は今MRの底が尽きれば勝算があると考えているな?」
————そんな、アノマーノの思惑は、ブリューナクにとって想定の範囲内だったようだが。
「何ぃ!?」
「残念だがそんな希望が叶うことはない。何せ、解呪中はMRが本来の何倍にも膨れ上がり、無尽蔵に魔法を唱えることができるのだからなッ! ほらこのようにッ! 〈サード・フレイム〉ッ!」
〈サード・メテオ〉の効果時間が切れたのか、ブリューナクは流れるように次の魔法を唱える。
まずもってアノマーノは現在ブリューナクの攻撃を避け武器の回収を急いだ関係上、距離を離してしまっている。
そこで、3本ある内の中央の右手を突き出すと魔法を唱えると、掌からは炎が吹き出たッ!
「ぐぬぬ、防戦一方ですら済まないようであるな……」
アノマーノはブリューナクの魔法を前に狼狽えた。
何せ、本来気体である炎というよりは高度な質量を伴った何かが熱気を放っているのだから。
そう、これはマグマだ。
やはり床は特殊な加工のようで特に燃え上がることも崩れることもないが……結果として、ブリューナクは周囲一帯をマグマによる津波を引き起こして焼きつくそうとているッ!
武術においても魔法においても理不尽な力で攻める姿勢こそが、〈魔王〉ブリューナク・マデウスの戦い方である。
もはや陸地は溶岩地帯と化し、ブリューナクに掌握されたも同然。
魔法による空中戦闘が不可能なアノマーノは絶体絶命の危機に立たされたのである!




