空白の百年間
「リヒト……かなり豪華な食事なんだけど、ボクたち何もしなくて良いのかなぁ」
「俺たちが手伝っても邪魔になるだけだと思う……静かに座っておこう」
客人として、特等席に座らされたリヒトとドロシーは、次から次へと出てくる料理を眺めることしかできなかった。
対面にはロゼの父母が座しており、とても気まずい空間となっている。
味方であるはずのロゼも、ニコニコと笑っているだけで助けてくれる気配はない。
何か会話をしようと頭を悩ませている中で、先に話しかけてきたのは父母の方からであった。
「リヒト君……でしたね?」
「は、はい!」
「私の名はアリウスといいます。こちらは妻のカミラです」
「よろしくお願い致します」
「こ、こちらこそ!」
先程までの親バカ具合とは打って変わって、年季の違いを思い知らされるかのような高貴なヴァンパイアがそこにいた。
気を抜くと、体が勝手に跪いてしまいそうだ。
カミラのお辞儀に対抗するようにして、リヒトはテーブルに叩きつける勢いで頭を下げる。
「娘のロゼがお世話になっているようで……確か魔王様のダンジョンに務めていたはずですが、リヒト君は同僚ということでしょうか?」
「そ、そんなところです……」
「なるほど。日頃のロゼはどうでしょうか……? 上手くやっていると良いのですが」
「お、お父様……こんなところで」
アリウスの親心。
娘の仕事を心配するというのは、ごく普通の感情だった。
その質問に答えるために、リヒトは日頃のロゼを思い出す。
そして、その答えは簡単に出てきた。
「えっと、ですね……」
しかし。
リヒトは言葉を詰まらせる。
このようなお嬢様を、ディストピアでは社畜のように扱ってしまっているという事実。
到底答えられるような内容ではない。
肝心のロゼは――建前として嫌がっているものの、リヒトの方をチラチラと様子を伺っていた。
日頃の頑張りを父母に伝えて欲しいのだろう。
とても分かりやすくて可愛らしかったが、包み隠さず伝えることは不可能だ。
アリウスとカミラの性格を考えると、ディストピアへ殴り込みとまではいかないが、心配させてしまう未来が予想できた。
どのようにして伝えるべきか。
リヒトはここ数日で一番頭を回転させる。
「……小さな仕事から大きな仕事まで、どれもそつなくこなしてくれています。どのような仕事でも引き受けてくれるので、影ではみんなから感謝されていますよ」
どうだ――と、リヒトは三人を見る。
もし不満そうな顔をしていたら、それをフォローするために次の一言を考えなくてはならない。
ならなかった――が。
その必要はなさそうだ。
「本当にロゼは立派です……母は感動しています……」
「私たちが心配する必要はなかったみたいですね。厳しく育てた甲斐がありました」
甘いと思います――とは言えなかった。
アリウスとカミラのどちらとも、我が娘の成長を噛み締めるような表情で聞いている。
その表情に、不満という文字は一つも含まれていない。
別に嘘を言っているというわけでもないため、この場はかなり丸く収まることになった。
「でも、ロゼ。どうして百年間も帰ってきてくれなかったの? みんな心配していたのよ?」
「……実は百年の間、私は死んでいたんです」
ガシャン――と、カミラが持っていたグラスが落ちる。
本来なら傍で控えているメイドが片付けるはずなのだが、そのメイドでさえ驚きで動くことができなかった。
「ど、どういうことなの……? だって、ロゼは生きているじゃない……?」
「百年前。得体の知れない何かに殺された私たちは、ディストピアの奥底で眠っていました。それを復活させてくれたのが、このリヒトさんなのです」
全員の視線がリヒトに向く。
どのような反応をしたら良いのか分からないリヒトは、何故か申し訳なさそうに一礼をすることになった。
「得体の知れない何かって――いえ、それよりも、復活させたって……? ヴァンパイアを蘇生させるなんて、人間の為せる技じゃないわよ」
「リヒトさんならできるんです。私だけじゃなく、魔王様も蘇生させてくれました」
アリウスとカミラの呼吸が止まる。
にわかには信じられないような内容であるが、我が娘が嘘をつくとは思えない。
そう考えると、リヒトをただの同僚として扱えるはずがなかった。
大切な娘を救ったという恩は、簡単に返せるものではないからだ。
「……とにかく。リヒト君がいなければ、ロゼは死んだままだったということなんだね?」
「その通りです、お父様」
「これは……参ったな……」
心を落ち着かせるために、ワイングラスを口につけるアリウス。
娘を傷付けた者は容赦なく殺す。
ではその逆として、娘を助けてくれた者はどうすれば良いのか。
魔王アリア以来のその存在に、アリウスはずっと頭を悩ませていた。
(まるで魔王様と出会った時のようだな。確か魔王様は仲間としてロゼを欲しがった。これをリヒト君に当てはめると、既に仲間になってるわけだし……結婚? いや、流石に早すぎる)
しかし、それでも答えは出てこない。
そもそも今すぐ決めるものとして、この問題は難しすぎる。
熟考に熟考を重ねた上で、厳重に決めるべき問題だ。
「……リヒト君。君には何とお礼を言ったら良いか分からない。少し考える時間が欲しいから――待ってもらっても構わないかな?」
「へ? は、はい。もちろん……」
潰されてしまいそうな重々しい一言一言に、リヒトは了承の意しか示せなかった。
内容に関わらず、アリウスの提案を断れる気がしない。
それほどまでに、重くかけられたプレッシャーである。
「さて。少々難しい話になってしまいましたが――食事にしましょう。お二人とも気にせずに食べてください」
この言葉をきっかけに。
五人の食事は始まることになった。
威厳のあるアリウスも、美しい花のようなカミラも、話を進めるうちに意外な一面がどんどんと浮き出てくる。
特にアリウスは、冗談を好む気さくな性格だった。
真面目になるのは、娘に関係した時だけのようだ。
ロゼの手助けもあり、打ち解けるまでに時間はかからない。
食事の終盤には、マナーを意識するリヒトもドロシーも存在していなかった。
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