第31話 思い出の女の子
「あ、あそこの席空いたから座ろうよ」
隣駅で降りる人が思いの他多く、僕と美咲はボックス席に足早に移動した。他に座る人もいないようで、昨夜に引き続き二人きりの小さな空間が出来上がる。
「はー。やっぱこっちの席の方が落ち着く〜」
電車が駅を出てすぐに美咲が脚を伸ばす。昨夜海で無くした靴の代役は、紺色のスリッパは担っていた。ホテルを出る際に事情を話して譲ってもらったのだ。あの格安ホテルには何から何まで感謝しかない。
「ホテルの人優しくて助かったな」
「それなー。陽也くんのおんぶ乗り心地最悪だし」
「あんなに暴れられたら揺れるに決まってるだろ。雨だって降ってたし、あの道足場も結構悪いんだぞ? それに僕も体力的にかなりギリギリだったの知ってるだろ?」
「うぁ〜……言い訳すっご」
「靴無くした人がなんか言ってる」
「陽也くんって頼りになるようでちょっと情けないとこあるんだよな〜」
「そこまで文句言われるならおぶらなきゃよかったよ……あ、そのスリッパホテルの人に返してくる」
「ちょっと! 何取ってんの! 変態! イジワルしないでよ!」
「な……! 変態は違うだろ。一晩中ノー……」
言いかけたところで記憶が蘇り、奪ったスリッパを落としてしまう。
「ん〜? なになに?」
「いや……何でもない。次があったらもう少し頑張ってみるよ」
「へ? あ、ああ……まあいいんじゃない?」
美咲はさっぱり意味がわからないと言いたげだが、知られてしまったらそれこそ僕が完全にクロになってしまう。美咲の文句に耐えかねて、危うく一晩中バスローブ一枚だったのを指摘するとこだった。実際のところ正しいのか正しくないのかは今の僕には知る方法はないのだけど、間違いなく中学生同士で起きちゃいけない状況だったのは確かだ。
「……」
「……」
気まずい沈黙が訪れる。美咲は取り返したスリッパを爪先でプラプラと遊ばせていた。
「昨日の話の続きしたいんだけど、陽也くんいい?」
「続き? えーっと……」
昨日あれだけ言い争ったのに、こうして向き合ってマジマジと目を見られるのはまだ慣れない。改まった態度を取られると尚更、真剣な雰囲気を出されるともっとだ。
「陽也くんが昔好きだった人の話」
「いやでもそれは好きとは違うって——」
「いいから。教えて」
「この前話したのがほとんどだけど……そこまで知りたいなら」
一呼吸を入れてから両手を温める時みたいにして重ねた。特に意味はないのだけど、体が勝手に動いていた。
もう随分と昔の話、埃をかぶっているような思い出だから、人に打ち明けるのに今更緊張はしないんだけど。
「じゃあ、出会った経緯とかから?」
「いいよ。陽也くんが話しやすいようにして」
普段は主導権を握りっぱなしのくせに、こうも違うと調子が狂う。
「……僕さ、小学校に入ってから男子の友達が出来なかったんだ」
「女の子とばっか遊んでたの?」
「遊んでたっていうか……引っ張り回されてたって感じ?」
「はあ……そんな悪い奴小学生の頃からいるんだね」
「美咲もかなり振り回してるような……」
「はぁ?」
「すみません」
「今ガチで真面目な話してんだからそういうのいいから。マジで」
睨んでくる美咲に色々と物申したいのを抑え、喉の調子を一度整えた。
「唯一話せる相手が近所の女の子でさ、その子と一緒にいるから自然と女の子ばっかりになってたんだよ。僕と違ってその子は人気者だったし」
「ふーん……その子が好きだったの?」
「ううん。全然。当時はどっちかっていうと兄妹みたいな感覚だったよ」
「今はどうなの? 会ったりするの?」
「もう何年も喋ってすらないよ。僕が毎日部活と勉強ばっかなのが証拠だよ」
家が近いから昔はよく遊んでいたけど、それこそ中学に上がった頃には会話すらしなくなった。でもそれも当然のことなのかもしれない。
「僕のそんな境遇を面白く思わなかったのかな……楠は女子とばっか遊んでる女男だってよく言われたよ。当然仲間になんか入れてもらえなかった」
「でも女の子とは仲良かったんじゃないの?」
「表面上はね。でも僕はあくまで近所の女の子のおまけって認識だったから、ほとんど相手にされてなかったよ。当時友達と言えたのは近所の子だけだった」
今となってはその子とも関わりがないけど。
美咲の反応を窺うと、難しい顔をしてこっちを見ている。
「んで? 好きだった女の子は?」
「ああそうそう。ちゃんとこれから話すよ」
詳しく話すとなると、当時の僕の境遇も話さないと伝わりにくいと思ったのだ。
「そんな中、小学生になって初めてのゴールデンウィークがきたんだ。ちょうど今と同じ時期だね」
同じ時期に同じ名前の女の子に当時の話をするとは思わなかった。
「その年から僕の両親は仕事が忙しくなって、家を空けることが多くなった。その年はゴールデンウィークもずっと僕は一人だったんだ」
「近所の子は? 一緒だったんじゃないの?」
「家族と旅行」
「じゃあ一人ぼっちになっちゃたんだ」
「前もって話はされていたんだけどね。だけど初めて一人で何日も過ごすのが思いの外寂しくてさ……」
「泣いちゃったの?」
「覚えてない」
『嘘だー』と茶化してくる美咲を無視して息を整える。真面目な話をしてるって先に言ったのをもう忘れてらっしゃる。
「お爺ちゃんやお婆ちゃんがたまに夜に様子を見には来たけど、やっぱり寂しくなって、僕は一人で出かけたんだ」
「どこに?」
「少し遠い運動公園」
今となっては自転車ですぐだが、当時の僕からしたら大冒険だ。
「僕と同じ歳くらいの子供はたくさんいたんだけど、やっぱりいきなり知らない子達に声をかけて遊ぶのも無理な話だろ?」
「そう? まあちょっと緊張するよね」
さすがは美咲。そういえば出会った時からグイグイ来たもんな。
「その時あたふたしてる僕に声をかけてくれたのがその女の子だよ」
「へえ。じゃあ一目惚れ?」
「……違うよ?」
「今の間は何?」
「いやいやいやいや! 本当だってば! そんなに詰め寄らなくてもいいだろ!」
今のやり取りでなんでそこまで凄んでくるんだよ! 意味わからん!
「んで? なんで好きになったの?」
「美咲なんか怒ってない?」
「早く続き。着いちゃうでしょ」
明らかに機嫌を悪くしている美咲を座らしてから視線を落とした。
「……僕は嬉しかったんだ。その女の子は僕自身と遊びたいって思ってくれたのが。学校では誰も本当は僕のことを必要としていない。家でも一人。今にして思えば大したことじゃないかもしれないけど、その時の僕はすごく救われたんだ」
向こうはただ単に遊び相手が欲しかっただけかもしれないけど、僕からしたらすごく大きなことだった。
「不思議とあっという間に打ち解けられたんだよ。それで僕も学校のこととか家のこととか全部話しちゃってさ」
「個人情報ガバガババカ」
「子供の頃の話! 今いいとこなの!」
「はーい」
息を眺めに吐いて一呼吸を置く。
「『周りの男の子とか女の子がどう思ってるのかも大事だけど、一番はキミ自身の気持ちだよ』て言ってもらったんだ。その子はゴールデンウィークの間、僕とずっと一緒に遊んでくれた。公園には他にも女の子はいたのにね。ウジウジしたた僕とは全然違うって思ったよ。自分の気持ちにちゃんと向き合ってた」
「……」
美咲は黙って二回頷いた。
「その子に会ってから一人でいるのが平気になった。『また明日も待ってる』って毎日言ってくれたから。僕が話すことを楽しそうに聞いてくれたし、僕自身のこともたくさん聞いてくれた。僕に興味を持ってくれた……」
憧れも確かにあったけど、好きじゃなきゃ毎日わざわざ会いに行ったりしないよなあ……。
「でもゴールデンウィークの終わりと共にその子はいなくなった。『また明日』って言ってたのに」
「『また明日』その言葉を最後に僕の前から消えたんだ」
「じゃあ約束破っちゃったんだ……その子」
「結果的にはそうなったけど、その子のことは責められないよ。何か事情があったんだよ。きっと」
しばらくは毎日その公園に行って話を聞いて回った。みんな言ってることがバラバラで、何が真実なのか誰も知らなかった。
「それから陽也くんはどうしたの?」
「もう会えないって知ってからは行かなくなったよ。でもその子と出会ったおかげで僕は男の子の友達もできたし、無理に女の子のグループに入らなくなった。感謝しかないよ」
「本当に?」
美咲が真っ直ぐに僕を見つめて問い詰める。透き通った綺麗な声で。嘘も誤魔化しも全部透過しそうな声音だ。
「本当だよ」
嘘じゃない。何も偽りのないと心の底から僕は答えた。
「そっか……」
短く返事をして美咲は視線を逸らした。
「あ、次みたいだよ」
「ごめん。ちょっと話し過ぎた」
「何謝ってんの? あたしが頼んだのに」
電車が泊まり、ドアが音を立てて開く。
「……」
「美咲?」
「なんでもない」




