第27話 僕がいる
死に物狂いという言葉はこういう時にだけ使っていいのだと僕は思った。駅に戻っているはずの美咲が海に身体の半分を浸からせていた。
何度も何度も名前を叫んで、砂に足を取られながら不恰好に走った。言葉にならない声を発して、メチャクチャな走り方で。それこそ獣のように一心不乱だった。
「美咲!!」
海に入ってみたかったなんて好奇心じゃないのは一目で察した。美咲の目からは完全に光が消えていて、魂が抜けて人形みたいになっていた。
どうして僕は気づかなかったのだろう。帰りの時間を全然気にしていなかったのは、もう帰る必要がなかったからだ。
美咲はこのために来たのだ。
このために僕に海に行きたかったのだ。
美咲が最後に僕に告げたのは、『最後』ではなく、『最期』だったのだ。
——あんまりじゃないか。最初からこうするつもりで僕とここまで来たっていうのか。最後に僕だけに別れを告げて、誰にも知られないままいなくなるなんて……。
どうしてそんな勝手なことをするんだよ。
「やめろ! 美咲!」
「陽也くん……なんで……」
間一髪のところで美咲を捕まえた。肩まで海に入っていて、あと数秒遅かったら取り返しのつかないところだった。僕は永遠に美咲を見失ったままだった。
「いいからとにかくこっちに来い! なに考えてんだ!」
「やめてよ……邪魔しないでよ」
「ふざけんな! こんなの僕が許すわけないだろ!」
抵抗する美咲を押さえつけて強引に浜辺に戻った。女子とはいえ、身長差のあまりない相手を引っ張りながら水の中を移動するのはかなり体力を消耗した。抵抗していた美咲も同じように息が上がっていて、掴んだまま離さない僕の手を引き剥がそうと必死になっている。
「離して! 離してよ!」
「離したらまた馬鹿な真似するだろ!」
「なんで戻ってきたの!? 誰にも邪魔されないはずだったのに!」
「いい加減にしろよ! あんな言葉を僕に残してから死ぬつもりだったのか!? 僕に一生後悔しろってか!?」
「違う! あたしはただ……あたしがいなくなれば全部良くなると思っただけ!」
「いいわけないだろ! そんな馬鹿な思いつきで軽々しく命を投げ捨てるな! 僕や家族の気持ちを考えろ!」
「うるさい! 考えてこうしたの!」
「なんだと……?」
一瞬の隙をついて美咲が僕の手を振り払う。
「栞から聞いてる? あたし、栞の本当のお母さんに似てるんだって。声とか性格とか。だからあたしといると昔のこと思い出すんだって。そんな奴があんなふざけたプレゼント渡してくるんだもん。消えた方いいよね」
「……やめろよ」
「お父さんもあたしと話す時絶対に無理してる。お母さんはあたしのこと一人で育ててる時にたくさん無理して身体が悪くなった」
「もうやめてくれ……」
「ほらね。あたしがいない方がみんな幸せなんだよ。ふふっ!あはははははっ!」
真っ暗な瞳で美咲が壊れたように笑い出す。
「違うだろ……!」
「は? 何か言った?」
「僕がいるだろ! 僕は美咲がいなくなったら絶対に嫌だ」
「……よくそんなこと言えるね」
「なに……?」
「栞と抱き合ってたくせに」
「どういうことだ?」
「栞から送られてきたんだよ。陽也くん随分と仲良かったんだね。あたしとしては複雑な気持ちだけど、二人が幸せならどうでもいいや」
「待てよ! そんなのいつ……!」
一つだけ心当たりが浮かんだ。教室で倒れそうになった栞を支えた時だ。
まさかあの時耳元でなった電子音は、スマホのカメラ機能なのか?
「絶対に嫌だなんて嘘だよ。陽也くんだってあたしが消えればいいって思ってる」
「それは間違いだ! 僕はそんなこと一度も思ってない! 美咲!」
再び沖の方へと歩き出した美咲を後ろから押さえつける。
「……っ!。いい加減しつこい」
「どうして! どうしてわかってくれないんだ!」
美咲掴む腕に力が入る。
「親がそんなこと思うはずないだろ! 美咲を嫌ってたら、これから一緒に暮らすなんて嘘でも言わないだろ!」
「じゃあなんでやめたの!?」
「美咲も栞もバカだ!」
「はあ!? 勝手に話変えないでよ!」
美咲が腕を振り回した際に肘がモロに入り、またしても距離を取られてしまう。しかし今度は沖の方ではなかった。
美咲は背を向けるでもなく僕を睨みつけた。
それでも怯むわけにはいかない。
「美咲も栞も悪くないじゃないか!」
「〜〜っ!」
「悪いのは全部、栞達を裏切った奴だろ! 何もかもそいつのせいじゃないか! どうして美咲と栞が傷つけ合わなきゃいけないんだ!」
僕は息を深く吸って目一杯次の言葉に気持ちを込めた。
「美咲も栞もお互いに大切に思ってるんだよ! なのにいなくなろうなんてするな!」
「……今更どうにもできないじゃん。頑張っても全然ダメじゃん」
「諦めるなよ! そんな奴にいつまでも滅茶苦茶にされたらダメなんだよ! ……また頑張ればいいだろ」
「無理だよ……」
「無理じゃない。僕は二人のことを見てきたんだ」
過去はもう変えられない。諸悪の根源の人間も、とっくに栞達に何をしたかも忘れている。それなのにいつまでも過去に囚われて苦しむのは絶対に間違っている。
「いいよ……。時間が経てば普通に戻ってるよ」
「……っ」
『時間が解決してくれる』と美咲の口から聞いてようやく気づけた。
僕はずっと恐れていたんだ。美咲達にこれ以上関わることを、踏み込むことを、気持ちを入れ込んでしまったら美咲達のために頑張ってしまったら、失った時に傷つくから。傷つくのが怖くて、無意識に遠ざけていた。
『きっかけがあれば』『話す時間があれば』『僕にできることなんかと』並べてきた言い訳は全部自分を守るためのものだった。自分可愛さ故に僕も美咲達を傷つけるのに加担していた。
僕がもっと勇気を持って、自分の過去を引き摺っていなければこんなことにはならなかった。結局僕も過去に囚われたままだったんだ。
「……美咲、違うんだよ。時間は何も解決してくれない。壊されたものは壊されたままなんだよ。何かを変えるには自分たちでなんとかしないといけないんだよ。いなくなってからじゃもう取り返せないんだよ」
「……さっきからなんなの? まるであたしが何も頑張ってないみたいな言い方」
「そんなことない。僕は美咲に諦めてほしくないって思って——」
「頑張っても意味ないって言ってんじゃん! 陽也くんだって全然のくせに!」
突然水飛沫が上がり、僕は頭から海水をかけられた。
「自分だってあんなに野球頑張ってたくせにさあ!」
「……はぁ!? 急に水かけてきて逆ギレってなんだよ! 今は僕のことは関係ないだろ!」
「関係あるから! 全然報われないのに何いつまでもしがみついてんの!?」
「しがみつかなきゃ皆についていけないんだよ!」
「それが意味ないって言ってんの!」
「美咲! 言っていいことと悪いことが——」
「あんな苦しい顔して野球すんなバカぁ!!」
美咲の目から大粒の涙が溢れ出した。
「痛いの! 苦しいの! 悲しいの! 嫌なの! 陽也くんがボロボロになってるのあたしが嫌なの! なんでわかってくれないの!?」
「は……? まさか……今までずっとそれを……?」
「あんなに苦しむんなら野球なんてさっさと辞めちゃえ!」
「美咲……」
「辞めてあたしと一緒にいればいいんだよ! カラオケだってあの日に一緒に行きたかったのに! 練習があるとか平日は無理とかいつも突き放してばっかり!」
「突き放したって……僕だって頑張って時間作ったんだぞ!」
「うるさい! 全然足りてないんだよ!」
「そんなに遊びたかったらそれこそ勇気出して栞を誘えばよかっただろ!」
「よくない! 気安く栞って呼ばないでよバカ!」
「僕だってなあ! 三年間やってきたのを今更捨てられるはずない!」
「他に楽しいこといっぱいあるのにバカじゃないの!?」
「美咲! いい加減にしろよ!」
「分からず屋!」
「自己中我儘!」
「バカ!」
僕と美咲は次第に全く意味のないことにまで喧嘩の火が回っていた。水をかけあって、引っ掻かれて押し倒されて叩かれてと。もみくちゃになってずぶ濡れになって、溜め込んでいたものを全部吐き出した。
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「重い……美咲どいて」
「はあ?」
長い言い争いの末、僕と美咲はすっかり力尽き、砂浜で両者引き分けという感じに倒れ込んでいた。
「……ほら、帰りの電車が来るぞ。美咲だけでも先に帰れって」
「いやだ」
「もういい……勝手にしろ」
「絶対離れてやるもんか」
意地をお互いにぶつけ合うだけの大喧嘩は実に幼稚なものだった。
一番伝えたかったことが美咲に届いてくれたのか自信がない。
『僕がいる』
もう一度はっきりと言えばいいのに、今になって恥ずかしさが出しゃばっている。




