第15話 水の歌声
人間誰しも気づきと学びは大事だと、僕はそう教わってきた。それは例えば周りの大人の所作から学んだり、何気ない日常生活から気づいたりもする。最初に知識として学んで実践して、失敗や成功から再び学び、理解を更に深めていく。何事もただこなすのではなく、こういった繰り返をしていくのが自分のためになるのだと学んできた。
そしてまた一つ、僕はなんとカラオケで大きな学びを得た。
「は〜。やっぱり思いっきり歌うと気持ちいよね〜。おっ! カロリーめっちゃ消費してる!」
「いえーい……」
僕の拍手も声も乾ききっている。歌い過ぎて喉が枯れているわけではない。
「どしたの? テンション低いよ〜?」
「ぶち上がってるよ〜……」
「ならいいけど……あれ? 陽也くん、曲入ってないよ?」
「ちょっと疲れたから続けて入れていいよ」
「じゃあ遠慮なく〜」
鼻歌混じりにタブレットを操作して曲を探す美咲。タッチパネルをペンで叩く度にペコンペコンと可愛らしい音がするが、僕のメンタルはべコンベコンに凹んでいた。そりゃもう潰れたアルミ缶の如く。
美咲とカラオケに来て得た大きな学び。僕は歌が下手。それも相当なレベルで。何回か野球部で来たことはあったけど、みんな似たり寄ったりで、その中でも僕はちょっぴりへたっぴ。そのくらいの認識だったのだ。ところが監督を含め野球部のレベルは思いの外低かったようだ。となればその中でもへたっぴの僕は世間からするとド下手にあたる。音外しまくってたの今日初めて知ったよ……。
「えへへ。これ最近練習してたんだけど、うまく歌えるかな〜」
「あ。これドラマで流れてような……月曜日のやつ? 推理ものの」
「正解!」
美咲は前奏が流れ始めても、マイクを使って会話に応じてくれる。
僕が元々音楽を嗜まないのもあって、聞いたことはあっても、曲名が中々出てこない。だが普段はテレビやコンビニで何気なく聞き流している曲も、実際にこうしてじっくり聴いてみると、歌詞を素敵に思えたりと良い発見もある。
それと美咲が歌っているのも大きく関わっているだろう。
音楽にあまり関心のない僕でも、美咲がとんでもなく上手いのはわかる。歌い方だとか技術方面の知識は僕にはからっきしだが、それ以上に声が良い。普段から綺麗な声をしていると思っていたけど、歌う時になると一気に良さが跳ね上がる。透明感のある声はまるで青空や澄んだ水を連想させる。歌う時と普段の声とでかなり変わるから、一曲目は驚き過ぎて美咲から目が離せなかった。これだけ上手いと歌手やアイドルのスカウトもありそうなものだけど、美咲本人からその類の話は聞かない。
「いやすごいな……」
それしか言いようが無い。
しかし美咲の後に歌うハードルの高さよ……。勿論越えられないから情けなく下を潜るんですけど……。
しばらく聴き入っていると、アウトロのピアノが流れ始めて美咲が腰を下ろす。
「歌った歌った」
「ほんとすごいな。どこかで習ってたのか?」
「ううん。昔から歌うのが好きなだけ」
「絶対才能あるって。スカウトとかされたりしないのか?」
「あ〜。スカウトかはわかんないけど、雑誌のモデルとかアイドル事務所みたいなとこからは何回か」
「マジか……なんて返事したの?」
「興味ないって」
「正直過ぎる」
美咲らしいっちゃ美咲らしいが、その手の道を目指している人を敵に回しそうだ。
「そうだ。美咲、ジュースとか軽食とか頼む?」
「ねーねー採点勝負しようよ」
「鬼かな」
気を利かせた僕に凶刃で斬りかからないでくれ。
「嫌だよ。絶対やらない」
「えー! いいじゃん! やろうよ勝負」
「やらないやらない絶対やらない」
美咲、それは勝負じゃなくて処刑だよ……。
「僕じゃ絶対相手にならないだろ」
「だって敵がいたら倒さなきゃ」
「僕って敵だったんだ……」
おかしいな。初めて会った時からかなり味方側だったのに……それなりに仲良くなれたから友達だと思っていたんだけどなあ……。
「ノリ悪いな〜」
「自分から処刑台に上がる人はいないと思うんだ」
「意味わかんないし。あ、ポテトとりんごジュースね」
「へーい」
美咲のオーダーと一緒に自分用のメロンソーダを注文する。
「やっぱり陽也くん、さっきから元気ないよね?」
「歌ってる時の美咲の声好きだな。上手いだけじゃないっていうか、そりゃ声以外も美咲は可愛いんだけどさ……」
美咲に元気を持ってかれたんだろ。
「え……陽也くん……?」
……ん? なんか頭で思ってたのと口から出たのが逆だったような——。
「ぷっ……あ、あはは! 陽也くんどうしたの?」
「ちょ、待った! 今のはちょっとタイムだ! 僕はただ良い声だなって思っただけで! それに普段も美咲のことは……てなに言ってんだ僕!」
「え〜? なに〜? 聞こえないんですけど〜? ちゃんと聞こえるように言ってくださ〜い」
「揶揄わないでくれ! 頼むから忘れて!」
「いーやーだっ」
「うわあぁ……なにしてんだ僕」
「あはは。まあいいじゃん。あたししかいないんだし」
「そういう問題じゃないだろ……」
「ううん。そういう問題」
美咲は目尻を下げると、前に頼んだ分のオレンジジュースを口にする。ストローを咥えながらも僕から目を離さない。よっぽど僕のミスが面白かったようだ。
「ねえ、陽也くんって野球好き? 楽しい?」
「また随分と話が変わったな」
話の軸がブレブレというよりは違う軸に飛んでった気分だ。
「いいから。教えて?」
美咲が靴を脱いで片膝を抱える。その仕草に特に意図はないんだろうけど、歌うのは一時的に中断にして、この話題に重点を置きたいのだろうと読み取れた。
「……好きとか楽しいとか考える余裕はないかな。目の前のことでいっぱいいっぱいだし」
「……」
最後の大会は絶対に試合に出たい。今の僕にとってはそれだけだ。
小学生の頃は地区の中でも一番上手かった。練習も試合も楽しくて楽しくて仕方がなかった。でも中学に上がって、そんな自信は簡単に打ち砕かれた。よりによってなんで僕の通う学校が強豪校なんだよ。楽しいとか楽しくないとか好きだとか、もうとっくに覚えていない。
「ま、それだけ必死ってことだよ」
こうしてカラオケに来ているけど、気分転換や休息も練習のうちって監督も言ってたっけ。
「……ふーん」
「な、なんだよその何か言いたそうな反応は」
「別に」
美咲はもう片方の膝を抱えると顔を埋めてしまった。
「そうだ美咲」
「なーにー」
顔を埋めたまま返事されるとちょっとシュールなんだよな。
「次に家族と約束がある時はちゃんと守れよ」
「……言われなくてもわかってるってば」
「ほら、妹さんも学校で心配してたし、今日も遅くなり過ぎると——」
「あーもう、うるさいなあ」
「な……うるさいはないだろ。僕だって二人のこと心配してるのに」
「陽也くんこそ自分の心配したら?」
「はぁ? わけわからん。今日は美咲と妹さんが仲良くなるための作戦を立てに来たんだろ?」
「……」
顔を上げた美咲がなにも言わずに僕を見つめる。怒っているようで、何かを訴えているような……、色々な感情が複雑に混ざり合っているようで心境が読み取れない。
「な、なんだよ……」
「バーカ」
「バカってなんだよ。いきなり」
「そっちだって怒ってんじゃん」
「これっぽっちも怒ってない。僕は美咲と妹さんが仲良くなってほしいだけ」
「だけってなに? うざいし」
「あのさ、なんでそんなに噛みついてくるんだよ?」
「はー、マジムカつく……陽也くんさあ、さっきからなに? まるで全部あたしが悪いみたいにさ」
「一人で勝手に飛躍しすぎだろ。僕だって悪かったって何度も言ってる」
「それはもういい。言っとくけどあたしだって叩かれてんだよ? 痛かったし。陽也くん全然その心配してくれないじゃん」
「そ、それは……」
「今はメイクで誤魔化してるけど跡残ってんだからね!?」
「だってそれは約束破って——」
「約束破ったら何されてもいいってわけじゃない!」
「じゃあ僕にどうしてほしいんだよ!?」
「ご注文のお品物お持ちしましたー」
お互いの語気が強まってきたところで、ポテトのプレートを持った従業員が入ってきた。タイミングがいいのか悪いのか、少なくとも言い合いは中断になった。
「……僕、今日はこれ食べて帰るから」
まだ時間はあるが、これ以上続けたら喧嘩になりかねない。そんなことは美咲も望んでいないはずだ。
「バカ……あたしのこと可愛いって言ったくせに」
最後に美咲が何を呟いたのか、宣伝用の音楽番組に遮られて僕には聞き取れなかった。




