第1話 一方的な再会
おもむろに外の景色を眺めていた。先週まで校庭を埋め尽くしていた鮮やかな桜の花びらは、知らないうちにどこかに飛んでいってしまったようだ。
三年生になったのだから、見えてくる景色も何かしら変わりがありそうだけど、目に映るのは変わらない退屈な光景。
「やっほ。楠クン、委員会行かないの?」
「ん〜……」
大きく背伸びをすると自然と声が出てくる。声変わりを終えたか微妙なラインの自分の声。来年には高校生になっているのだから、もう少し分かりやすい変化でもあれば三年になった実感も持てそうなのに。
「もしもーし」
こんなぼんやりした調子じゃ時間だけがあっという間に過ぎて、クラスメイトや同級生にも置いていかれそうだ。
「ねえってば〜」
「やめろ。頭を撫でるな」
「おー。やっと気づいた」
頭に乗せられていた手を払い退け、スラリとした長身男子と向き合う。
「何回も言ってるけど、そうやって僕の頭を撫でるのやめてよ。野上君」
「ごめんごめん。野球部がいくら声かけても全く反応しないんだもん。ちょっと刺激をと思ってね」
「何言ってんだよ。話しかけられたら流石に気づくよ。寝てるわけじゃあるまいし」
「いやいや、完全に自分の世界に陶酔して現実逃避してたよ」
「現実逃避なんかしてどうすんのさ。ていうか、僕を置いて部活に行くなんてみんなひどいな」
「あはは……やれやれこれは重症だ」
「僕は至って正常だ。勝手に深刻化させるな」
「まあまあ、そうツンケンしないでさ、ボクは心配してるんだから」
「どさくさに紛れて頭に手を乗せるな。絶対馬鹿にしてるだろ」
再び手を払い退け、今度は脇腹を小突いてやる。
「そんな気はこれっぽっちもないよ。ボクは楠クンに同じ目線になってほしいだけ。大きくな〜れって」
「うわあ……嫌味にしか聞こえない」
この男、微塵も思ってないくせに。よくもまあペラペラと軽口を叩けたものだ。
「さて、楠クン。ボクらの楽しいお喋りはこの辺にして、現実逃避もそろそろやめようか。委員会の時間だよ
「……行きたくない」
「自分が背負った使命は全うしないとね」
「誰のせいだと思ってんだ」
黒板に大きく『環境委員 楠陽也』と書き殴られている。今だけは認めたくないが、楠陽也は僕の名前だ。
「誰も悪くないよ。そんなに自分を責めちゃダメだよ」
「そっちのせいだって言ってんだよ!」
さっきからつまらない冗談を続ける長身の男子生徒が『野上真斗』これでも一応僕の友人だ。
物腰柔らかな性格と、人当たりの良さもあって陸上部の部長を任せられている。落ち着きがあってどこか余裕がある。そして爽やかな微笑をいつも絶やさない。男子女子問わず慕われている。
「そっか……ごめんね。ボクの力が及ばなかったばっかりに」
「それ推薦した奴が言うセリフじゃないから」
簡潔に纏めると、ホームルームで環境委員を決める話し合いをしていたのだが、誰一人としてやりたがらないグダグタの展開になってしまったのだ。そこでこの野上真斗が僕の名前を挙げた。僕も抵抗してみたものの、多数決によってこの有り様。来月には最後の中総体がある忙しい時期だってのに、とんだ面倒事を押し付けられてしまったものだ。
「ほらほら楠クン! 時間だ時間だ! 急がないと!」
「おい待て。話はまだ終わってないぞ」
「ボクも部活に行かないと!」
野上君の視線の先にはジャージやユニフォーム姿の女子がちらほら。そのうちの何人かがこちらを見ながら何やら盛り上がっているが、これは間違いなく野上君に向けられたものだろう。
「部長〜早く部活いこー」
「まさとくーん、ま〜だ〜?」
ほらね。
「待っててね。もう少しで終わらせるから」
「今僕がここで全てを終わらせてやろうか?」
「いいからいいから。みんな楠クンを頼りにして任命したんだから期待に応えなきゃ」
「面倒事を押し付けるのを頼りにしてるとは言わない」
「はいはい。後でいくらでも聞いてあげるからさ」
「くそぅ……後で絶対仕返ししてやる」
言うも虚しく、僕は荷物と一緒に教室から追い出されてしまった。
******
環境委員が集まっている第二学習室は、選択教科の授業でも頻繁に使う馴染みのある場所だ。
中に入ると既に結構な人数が集まっていて、空席の少なさからして僕が最後なのは一目で分かった。
「よ、よろしく」
「どうも」
どうやら座る場所は決まっているらしく、学年で一ヶ所に集められていた。横並びに三つくっ付けられている机の左側に座る。
とりあえず隣の子に軽く挨拶をしたが、緊張を隠しきれない僕とは対照的に、向こうはお手本のように淡々としている。右側も喋ったことのない女子ときた。
居心地が悪いとまではいかないが、男子が一人転がり込んでなんだか申し訳ない気持ちになる。
「よろしくね。楠君」
「え? あ、うん」
右側の女子から声をかけられた。名前を呼ばれると思ってなかったから若干声が裏返ってしまった。
「よし、全員揃っているな? 始めるぞ」
先生が教室に入ると、話し声がまだ残っていながらも委員会活動は始まった。
各々が名前とクラスを言うだけの簡単な自己紹介をした後、活動内容が手短に説明された。先生が早口なせいで、旧校舎の清掃と同学年の女子二人の名前しか頭に入ってこなかった。
よっぽど時間が押しているのか、説明が終わってすぐに旧校舎の掃除に取り掛かることになった。当面の間は旧校舎の掃除が主な活動になるそうだ。
「楠君、一年の時以来だね。私あまり話せる人いないから少し安心しちゃった」
「へー。二人は仲良かったり?」
全く記憶に無いのだけど、どうやら僕はこの七海綾香という女子と一年の時に同じクラスだったらしい。人の名前を覚えるのはそこそこ自信があるのだが、いくら思い出そうとしても全然出て来ない。
もう一人の女子は平山なつき。フランクで大人っぽい印象だ。
どちらにせよ今のままだとまずいのは確かだ。活動初日からいきなりピンチだ。
「七海さん」
「楠君? どうしたの?」
一度七海さんの姿をじっくりと眺める。
「え……な、なにかな?」
なにやら良くないことをしている気分になるが、これも七海さんを思い出すためだ。
一言で言うと、七海綾香は地味で大人しい生徒って感じだ。髪は二つのおさげにしていて、制服の着こなしも校則通り。スカート丈なんか基準よりも長いくらいだ。それでいて身につけている眼鏡や黒いタイツ、長い前髪が大人しそうな印象を更に引き立てている。
「私に何か付いてる?」
「いや……その……」
「あら〜? もしかして、わたし邪魔?」
平山が何やら勝手に盛り上がっているが、生憎僕はそれどころではない。
これだけ時間をかけても思い出せないのなら、七海さんの勘違いの可能性も考えられる。
「七海さん、もしかして僕を誰かと間違えてないかな?」
「え? 楠君だよね?」
「えーっと……そうじゃなくて、一年の時の話。僕と七海さんって本当に同じクラスだった? 僕全然思い出せなくてさ。もしかして他の人と間違えてない?」
「「……」」
気まずい空気が流れる。だがこれも今後を考えれば仕方ない。適当に合わせてチグハグな関係を続けて後でバレるくらいなら、今のうちに誤解を解いておくべきだろう。
「勘違いは誰にでもあるさ。でもこれから委員会を通して仲良くなれたらなって、僕は本当に思ってるよ」
「……」
「七海さん?」
あれ? もしかして七海さんは仲良くなりたくないのか? だとしたらこれは相当気まずいし、この上なく恥ずかしいぞ……。
「ええ……入学式の時に『よろしくね』って声かけてくれたの覚えてないの?」
「え!? 僕が!? なんで七海さんに!?」
怒涛の疑問形三連発。七海さんの目の端も三連続でピクリと動いたのは気のせいだと思いたい。
「うっわ……最悪だこいつ」
平山が床に散らかってる埃でも見るような目を向けてくる。
「楠君最低」
七海さんの声のトーンがガクンと落ちる。
「でも同じクラスになったことはないよね?」
「楠はもう喋んない方いいんじゃない?」
「ひどっ!」
「……そっか。じゃあ楠君……いえ、楠さんは入学式に私に声をかけたのを忘れていて? しかも自分から七海綾香に声をかけるなんてありえない。なんの意味もないと。同じ委員会になれたのも嬉しくないと」
「いや、そこまでは言ってない」
「言ってないだけで思ってはいるんでしょうね」
七海さんがクルリと背を向け、背後から刺々しいオーラが立ち昇る。
「平山ぁ、ちょっといいか〜?」
「はーい。なんすかー?」
先生に呼ばれるや否や、平山はそそくさと教室を出ていってしまう。
「……はあ」
「僕達も教室の掃除続けようか」
「私は廊下の掃除をします」
僕の言葉を遮るように七海さんも教室を出ていった。ピシャリと閉められたドアの向こうからは『話しかけないで』と言われてる気がした。
「やってしまった……」
覚えている覚えてないも大きな問題だが、それ以上に僕が取った行動で怒らせてしまったのは明白だ。これから活動の度に顔を合わせるというのに、こんなことでは先が思いやられる。
「気まずいなあ……」
******
僕が通う並風中学校は、去年の四月に新しい校舎が建った。ここ旧校舎は屋外の部活の室内トレーニングや、ちょっとした学校行事にしか使われない。
机や椅子の移動をしなくて済むのは楽なのだが、三十人は入る広さの空っぽ空間に一人となると、なんだか虚しさが込み上げてくる。
「さてと」
掃除用具を壁に立てて軽く手を叩いた。廊下で作業していたはずの七海さんはいつの間にか居なくなっていて、平山も先生に呼ばれたきり戻らない。
黒板の隅に小さな白いチョークが残っていた。何気なく手に取ってみて、真っさらな黒板に音を立てないよう突き立ててみる。
「悪いことしちゃったな…‥」
七海さんとの間にあんなことがあったから、ふと昔を思い出してしまった。
僕が小学校に入ったばかりで、学校に馴染めないでいた頃の話。
ありきたりな話なんだけど、僕には他所の学校に好きな女の子がいた。
もう何年も経っていて、お互い成長もしているだろうし、再会しても気づかないかもしれない。
だけどその時の僕は、確かにその子が好きだった。思い出すのも恥ずかしい話だけど、どうすれば喜んでもらえるか、楽しんでもらえるか、僕を見てくれるか、子供ながらに必死にあれこれやった。
笑ってもらえれば嬉しかったし、喜んでもらえなかったら落ち込んだ。きっとその子も僕のことを特別に思っているんじゃないかって期待までしていた。
でもそれが期待通りになるのは子供の世界……いや、作り物の世界だけだ。
一緒に遊ぶようになって少しもしないうちに、その子はパタリと姿を消してしまった。
遠い街に引っ越したって聞いたけど、当時の僕からしたら本当に消えてしまったように思えた。海外に行ったとか重い病気にかかったとか、交通事故、家庭崩壊、重い病気。良くない噂も耳が痛くなるまで聞いたけど、どれが本当かなんて僕にはどうでもよかった。
僕に何も言わずに消えた。それだけは本当なんだから。
特別だと思っていたのは僕だけで、彼女にとって僕は別れを告げるのにも値しない存在だったんだ。
彼女のためにと思っていた事は、これっぽっちも意味なんか無くて、僕は空回りしているだけだった。
「……まあ、意味ないけどさ」
黒板に書いた文字を見て苦笑する。
思い出の女の子に忘れられていたらと思うと、七海さんにどれだけ酷いことを言ったか……そう思ってかけるべき言葉を書いた。
「……ん? もしかして委員会終わってる?」
あたりの静けさに違和感を覚え教室を出た。
そう、この旧校舎と同じように、いずれはこの思い出もガラクタみたいになってしまうんだ。誰かのために必死になっても、いつか必ずこういう結末が待っている。期待しても叶わない想いがたくさんある。それも含めて人生ってやつで、そんなのは僕だって知っているつもり。
でも一つ心残りがあるとすれば、当時の僕の気持ちだけは伝えたかった。
******
他の教室で掃除をしていたはずの生徒の姿はなく、やはり委員会活動は終わっていたようだ。
「〜〜っ」
誰かが近づいて来るのが目に入った。着ている服や一緒に歩いている人の雰囲気からして、並風中の関係者でないのは確かめるまでもなかった。
「あっ」
解けてしまった靴紐を結ぶ為にしゃがむと、会話の内容が耳に入ってくる。
「お母さんは先に帰っていいよ」
「お願いだから問題だけは起こさないでね」
「へーきへーき!」
「だってこれ普通に不法侵入……」
「あーもういいじゃん! 見つかったら謝ればいいし! 早く行った行った」
「あまり遅くならないでね。美咲」
『みさき』確かにその女の子がその名前で呼ばれたのを聞き逃さなかった。
思い出と同じ名前を。
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