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闇が動き出す


 愛莉は身支度を済ませ玄関へ向かった。朝七時前のことである。不運にも担任に指名されて任されてしまった仕事を済ませるために特別、登校するつもりだった。授業が始まる前にすべて完了させるための計画を脳内で練り上げる。

 玄関に到着すると、先客に声をかけた。


「さえ、もう行くの?」


「うん。図書室行く」


「早すぎない?」


「平松先生がいいよって言ってくれた」


 自分が通学していたころから図書室の先生が未だ変わっていないことが愛莉は少し嬉しくなった。

 それから、別の思考へと移す。

 高校と小学校は施設を挟んで反対側にある。また、小さな子どもが一人で登校するには、人通りが少なく信号も多いため不安が残る通学路である。いくら同年代の中でもしっかりとした子だといえども、普段は集団で登校するこの子を一人で行かせるのは気が咎めた。


「あい姉も今日は早いね」


「ちょっとね。本当にひとりで行ける? 心配だから、送ろうか?」


「大丈夫だよ。もう道、わかるもん」


「そう。じゃあ、行ってらっしゃい」


「いってきまーす。あい姉も、いってらっしゃーい!」


 二人は施設の前で反対方向へと分かれた。






 どのように行動することが最善か。結局、答えが見つけられないまま朝を迎えた。

 最も意味を図りかねたのは三文目。鑑定の意味を考えろ。この一文の意味を図るために一夜を費やしたといっても過言では無い。

 一文目の、我々は本気だ。これは、脅迫者が複数か、複数に見せようとしている単数か判断しかねるが、前回の脅迫と合わせて考えると必ず後悔させてみせると意味を取れる。久保田に意見を求めて頼ろうにも二文目が障害となる。

 他人には知らせるな。これは、つまり、高科に単独で問題解決に努めさせるために綴られたのだろう。これを無視しようにもし難いのは、あの五枚の画像が原因だった。直接どのように後悔させるか指定されていないが、最初に脳裏に浮かんだ可能性を否定するには材料があまりにも少ない。

 第二の脅迫文に対し、どうするべきか頭を悩ませつつ、出勤、職務に取り組んだ。一日のうちに鑑定する資料は複数の事件が該当する。先日、久保田から受け取ったDNAサンプルの鑑定結果は明日までには出る。おそらく、その頃にタイミングよく久保田がわざわざオフィスまで足を運ぶのだろう。

 結果が出るまで他の鑑定資料に関する報告書を作成していたり、昨夜か今朝に思いついた可能性を事実か確かめたりしていると、その日の勤務時間が終了する。

 DNA鑑定の結果は明日に持ち越された。


 帰り支度を済ませ、建物の外へ出た。すっかり日が沈んでいるが、街灯が闇を和らげる。駅へ歩みを進める。その最中、ある場所で忙しなくライトが動いていることに気が付いた。

 職場からその最寄り駅までの短い道のりだ。先日さえと邂逅を果たした公園の他にあれほど動き回れるスペースは無い。

 高科は興味に導かれるまま光源へ近寄った。


「ど、どちら様ですか?」


 足音に気が付いたのか、不意に懐中電灯の光を向けられる。腕でかばいながら顔をしかめると、謝罪とともに光の位置が下げられた。

 ようやく相手が誰なのか認識できた。門瀬愛莉である。彼女も、近づいてきたのが高科だったことを認識する。


「何をしているんだ?」


「高科さんっ、あの、すみません。彩重、どこに行ったか知りませんか?」


 裏返ってしまいそうな声を抑えているものの、今にも泣きだしてしまうのではないかと高科でさえ不安を覚えるほど動揺している。


「一体」


「あの子、まだ帰ってきていないんです。探してるのに、全然いなくて、見つからないんです」


「施設には」


「探しました。施設の方々にも手伝ってもらったのに、みんな知らないって。今朝は図書室行くからって早めに出たはずなんですけど、学校に確認したら来てないって。何かあったんですよ! でも、あまり施設になじめていなかったから帰りたくないだけかもしれないからって警察に相談する前にしっかり探してからじゃないとダメだって。あの子にかぎってそんなわけなのに」


「わかった。わかったよ」


 動揺を抑えられない愛莉をベンチに座らせる。街灯が優しく少女の濡れた瞳を光らせる。ハンカチを差し出そうとしたが、その前に彼女は顔を覆って俯いてしまった。

 高科は居心地が悪くなってあからさまに視線を逸らす。

 そのとき、ベンチの陰に夜の闇に解けてしまいそうな寒色のランドセルが放置されていることに気が付いた。とっさになるべく自然に頬に手を添え愛莉がそちらに視線を向けるのを妨害する。


「一度、落ち着いてくれるかい?」


 愛莉は涙を制服の袖口で拭ってからゆっくり顔を上げた。口を固く結び、制服のスカートにしわを作っている。「目を閉じて」という高科の言葉にもゆっくり従った。

 その隙に高科は頬から手を放し、ランドセルを引き寄せる。無機質な封筒が零れ、それを手に取った。


「深呼吸するんだ。ゆっくり」


 ランドセルをベンチの下へと滑り込ませ、封筒を通勤カバンに押し込んだ。


「目を開けて、私を見てくれ。心配はいらない。私も協力する」


「でも」


「いいね? あの子は必ず助ける。だから、君はもう帰るんだ。警察には知らせなくていい。私が何とかする。施設の大人には、そうだな。あの子が直近でお試しの日に訪れたのは?」


「え? あの……白石家です」


「そこにいた、今日は帰りたくないと言った。と、彼らには告げてくれ」


「違っ、だって、私すぐに確認しました。でも、あの子は来てないって」


「頼む」


 愛莉の目を真っすぐ見据え、一言、そう告げた。うるんだ瞳が揺れる。


「本当に、あの子は大丈夫なんですか?」


 否定することも首肯することも、高科にはできなかった。




 何とかして「時間が遅いから」とお札を渡し愛莉をタクシーで帰らせた。

 ベンチに腰を下ろし、深く息を吐いた。高科自身も愛莉ほどではないにしても、動揺していた。これまでの脅迫状の内容から考えて、相手が強硬手段へとこれほど早く行動に出ることは想定していなかった。ひとまず、ランドセルと白い封筒を自宅へ持ち帰った。

 封筒は、以前、脅迫状として使用されたものと同じ種類だった。珍しいものではなく、コンビニエンスストアでも購入できるような代物である。慎重に開封すると、中には印刷された写真が三枚あった。画質は良くも悪くもない。どこかの室内らしく、外から光は入ってきているが薄暗く、どこか不気味さが漂っている。写真の中央では、少女がソファーに横たわり眠っている。似たようなアングルの写真が、三枚である。

 一度、写真を封筒に戻し、水色のランドセルに視線を移す。ランドセル内のノートに記された名前から確かにあの子のものであることを改めて確認した。一縷の望みをかけて他に手がかりを求めたが、異変は見当たらない。否、ランドセルを残して持ち主が姿を消していること自体が異変である。

 これまでに受け取った二通の手紙。


 調査をやめろ。

 でなければ、後悔する。


 我々は本気だ。

 他人には知らせるな。

 鑑定の意味を考えろ。


 タイミングが良すぎる。

 今日、職務の合間に検証した可能性。それは、二年前の大学教授の殺害事件と先日の養護施設長の殺害事件の繋がりについてだ。

 どちらの事件でも、現場から身元不明のDNAが採取され、凶器に刃物が使用されている。

 刃物は全く……刃型、長さ、その他の特徴……一致しなかった。かけられた力も異なっていた。さらに言えば、唯野教授は何度も刺されていたが、施設長はろっ骨を避け心臓を一突き、殺害方法も異なると言える。

 一方、DNAは八五パーセント以上の一致だった。大学教授の事件で採取された資料がわずかに汚染されていたことを考慮すると、同一人物である可能性があると言って差し支えのない一致率だ。

 この二つの鑑定によって、二つの事件にはいまだ明らかにされていない人物が関わっている可能性が高いとわかる。

 この鑑定の報告書は、まだ作成していない。結果は、まだ誰にも伝えていない。知っているのは、高科ただ一人だけ。結果が出たのは日が沈んでからだった。

 ここで、二つ目の脅迫の三行目。鑑定の意味を考えろ。

 普通に考察すれば、二つの事件の現場に残された身元不明DNAの人物と脅迫状の差出人は共通しているか非常に近しい人物か。脅迫状を出してまで鑑定を妨害しようとしているということは、不明DNAの人物は事件に深くかかわっているのだろう。もしくは、犯人であるとも考えられる。通常、この結果から不明DNAの人物を探すことに集中することを久保田に提案するだろう。

 しかし、写真を、少女が失踪したことを考慮すると、意味は一変する。これは、鑑定結果について言及していないのだ。

 鑑定は通常、一人の担当者によって迅速でありながら丁寧に行われる。鑑定結果が出ると、担当者はその結果を報告書にまとめ、上司に提出。その後、依頼した刑事によって事件解決へと繋がる。再鑑定にはコストも時間も大幅に費やされるために、よほどのことがない限り行われることは無い。

 しかし、今回の鑑定は、高科の独断である。鑑定したことも鑑定結果を知っているのも、いずれも高科しかいない。

 そう、タイミングが良すぎる。

 もし、この鑑定結果を無かったことにすれば……。

 この推測が正しく、脅迫者を信用するならば、鑑定を偽造するのも少女を救えるのも、高科の匙加減次第だといっても過言では無いのである。



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