76話 そろそろ夏も終わり
「……シェフを、いや」
「え?」
「この魚を焼いた料理人を呼んでくれ給え!」
綺麗にカールした髭をもつ紳士が少し声を荒げてウエイターに伝えた。
びっくりして、少し慌てた若い使用人が厨房の方向へと駆け込んでいく。
彼が慌てているのも無理はない。
髭カールおじさんは、今来ている客の中でもVIP中のVIP。今花崎リゾートにて、早瀬家の面々と並ぶほど優遇されているのがこの髭カールおじさんだ。
早瀬家は立場もありお忍びで来ているので、ひっそりと過ごしてはいるが、髭カールおじさんは別。
目立つことを嫌わず、可能な限りの豪華なサービスを要求する豪胆な人物である。
10人がかりでマッサージさせたり、大浴場を貸切ったり、今も最高ランクのスイートルームにコース料理を運ばせて食事を楽しんでいた。一応、従業員への態度も礼儀がある人物だ。
その人が突如声を荒げるとは、いったい何事かとウエイターがおののいたわけだ。
金払いが良く、花崎リゾートの上客である髭カールおじさん。
花崎リゾートに嵐が訪れようとしていた。
外は嵐だった。
台風が直撃した花崎リゾートは、暴風雨にさらされながらも、建物内は全く別世界のように静かで快適だ。
それはもちろんお客目線の話であり、俺たち料理人は今日も死線をくぐっている。
「はい、67番テーブルさんの鮭のムニエル!!」
俺の作り上げた料理をウエイターが素早く持っていき、花崎リゾート内のレストランホールへと運んでいく。
「ふうー」
一旦手を止めて、天井を見上げた。
流れる汗が火照った頬を冷ましてくれる。
熱い、熱いけど、まだまだやれる。
頭の中で、この後の料理の段取りを考えていく。
「……いや」
何やってんだ俺。花崎リゾートの厨房で着実に出世している!
鬼の料理長に見初められて以来飛ぶ鳥を落とす勢いでの出世だ。
最近では厨房内で嫉妬のようなものも受けている。
今朝なんて俺のコック帽を隠されていたからな。
いや、嫉妬されてもって感じだ。
「魚料理担当様は随分と身分が高いようだ。もう手を休めてやがる」
ほら、一瞬休んだだけでこれだ。ひがみの言葉がそこらから飛んでくる。
たまったものじゃない。
これなら花崎姉妹と野菜の皮むきをしていた方がまだよかった。
疲れてはいたけど、あの優しい時間が夏かい。
「見ろよ、美知留。もやっし子が休んでるぞ」
「休むんじゃないよ!もやし!」
花崎姉妹、お前たちもか!
味方はいないのか!?
いや、味方ならいたはずだ。
鬼の料理長がいた。俺をどんどん出世させるあの人は味方だったはず。
しかし、あの鬼の料理長風邪をひいて寝込んでやがる。
台風のなかランニングしていたらしい。
精神が鍛えられるとか言って喜んで走っていたな。頭をもう少し鍛えた方がいいと思うぞ。
唯一の味方が消え、魚料理担当まで上り詰めてしまった俺は厨房でほとんど孤立している。
仕事こそこなせる状態でいるが、やはり気は重いよなー。
それでも任された仕事はコツコツとこなす必要がある。
注文が止まらないなら、今はただ仕事するだけだ。
そんな折、若いウエイターが厨房に駆け込んできた。
「す、すみません!あの、カールさんの魚料理って料理長が作ったんじゃないんですか?」
厨房を見渡す彼。
一瞬厨房が静まり返る。
「あれ?料理長がいない……」
身長の高い鬼の料理長がいないことにすぐ気づいたみたいだ。
「魚料理なら俺が」
手を挙げて答えた。
そういえば、つい先ほどのことだが、なんか特別な料理を一品頼まれたのだ。
しっかり作れよと言われたので、しっかり作ったが、何だったんだろうという違和感はあった。
「料理長が作ったんじゃないのか?」
「いや、今日は体調不良でな。魚料理は俺がやっているよ」
「ま、まずいよー」
ほとんど涙目になりながら、ウエイターがすがりついてきた。
その時、俺は辺りの悪意に満ちたニヤニヤした笑い顔を見てしまった。
泣きそうなウエイターと、戸惑う俺。それを見てニヤニヤとする他の料理人たち。
はめられた?
何となく察しが付いた。
あの特別に頼まれた一品、おそらくどこかのお偉いさんに出されたんじゃなかろうか。
お偉いさんがまた早瀬家ならいいのだが、先ほどカールさんとか言っていたから違うだろう。
「カールさん怒ってたよ。カールさんいつも穏やかな人なのに、あんなに声を荒げたの初めてだよ!どうしよう、魚料理担当を連れてこいって!」
「……至らぬ点があったなら、俺が謝罪する。あんたはここで待っていなよ」
涙目の彼を連れていけないし、ここは一人で行くとしよう。
何か粗相があったなら、頭を下げよう。真摯に謝れば、怒りを鎮めてくれるだろう。
「ったく、コネで出世した奴は料理が雑だから困る。いい気味だ」
どこからか、そんな嫌味が飛んできた。
コック棒を脱いだ。
別に掴みかかってやりあうつもりはない。
謝りに行くからな、コック棒はいらないだろう。
さっきの言葉は聞き流してやるよ。
俺が厨房を立とうとしたとき、バンと大きな音が響き渡った。
誰かがアルミのトレイで壁を叩きつけたみたいだった。
「情けない、情けないね」
厨房の入り口に、何かの内臓を肩にかけた雪美先輩がいた。
そう言えば内臓部門に飛ばされたんだったな、あの人。
「今のやり取りで大体内容が見えた。あんた達!花崎リゾート料理人のプライドはどこ行ったのさ」
雪美先輩の言葉に、厨房が更に静まり返った。
「花崎リゾートの料理人たちは日本中から選び抜かれた料理人たちよね。死ぬほど努力して、死ぬほど料理作って、それが楽しくもあり、でも毎日苦労しながらそれでも進んでいく。私はね、そんな料理人たちを誇りに思っていたわ。それが何?」
雪美先輩の肩に乗っていた内臓が落ちた。ほんと、何の内臓か気になって仕方ない。
「たった一人の若い料理人に追い抜かれて、女々しく嫉妬の嵐とはね。嫉妬する前に、まずは自分を見つめたらどうなの?どうやったら彼を追い抜けるか、どうやったら一矢報いることが出来るか。こんな足の引っ張り合いが答え?花崎リゾートに夢と情熱を持って入って来ていたあの頃のあなたたちなら、こんな情けないことしてないはずよ」
雪美先輩の熱い言葉に、料理人の何名かが思わず涙を流していた。
熱く良い話なはずなのに、内臓がやっぱり気になる。
「いずれあなたたちをまとめる立場になる料理人よ。一緒に仲良くやりましょう。はい!じゃあ、話はここまで。料理に戻って」
「「「はい!!」」」
厨房のいたるところから返事がした。
なんだよ、内臓持っているけど、雪美先輩人望あるじゃん。
それと、俺はひと夏の料理人だから。忘れずに頼みます!
涙と熱い気持ちでフライパンを勢いよく振り出す料理人たち。
もうそこにはつまらない嫉妬心はないみたいだ。
やっぱり、いい料理人たちじゃないか。
「ほら、泣くんじゃねーよ。鼻かみな」
金髪さんはその高いコミュニケーション能力を活かして、泣いている料理人たちを気遣っている。
みんな何だか金髪さんには話しやすいようで、気軽にティッシュを頼んだり、感謝を述べたりしている。心の距離の近さ、それが金髪さんのいいところだよなと思う。
美知留はポンポンを持って、厨房の隅で踊って応援していた。
……可愛い。
いいトリオじゃないか、花崎姉妹。
鬼の料理長が心配するまでもない。
花崎リゾートはまだまだ輝かしい先があるよ。人を見れば、それは大体わかる。
とりあえず、俺は今やれることをしないと。
怒っているというカールさんに謝罪しに急いだ。
スイートルームまで足を運び、部屋の扉をノックした。
「入り給え」
静かに扉を開けた。
あまり感情を刺激しないようにしないと。
「遅くなりました。魚料理を作ったのは私です」
「!?若い……!!」
「まあ、ほどほどには」
一応濁しておいた。バイトを隠れてやっているせいで、こっそりする癖がついたな。
「君、今日あの鯛に何をかけた?」
はい?
なに、なんか意味深な顔して聞いてきているが、そのまんま答えていいのだろうか。
口を開きかけたとき、カールさんが手のひらを向けて来て俺を制した。
「いや、ここは私が答えよう。君はあの鯛に、魔法をかけたな」
「は、はあー」
ダークフレイムのことか?いや、ガスがあるからそんなことしないけどな。焦げちゃうし。
「あの味、まさに懐かしき母の味。昔フランスの片田舎で母が誕生日に焼いてくれた魚料理の味だ。もちろん母より腕はあるのだろうが、子供のころに感じたあの美味しいさ、愛情を、君の料理にも感じたのだよ」
「は、はあー」
わけわからん。けれど、なんか怒ってないみたいで安心した。
適当にはぐらかして帰るとするか。料理をまだまだ作らないといけないし。
「まさか、これほどの料理を作る人物がここまで若いとはな。君は本当に大したものだ。まさに魔法をかけたとしか思えないあの味わい。うむ、また明日も同じのを食べたいものだ」
塩だ、塩。かけたの、塩。思い出したよ、レシピにあったから塩かけたんだよ。見たことない高価そうな粗塩。塩がうまいんだよ、塩が。
魔法なんて間違ってもかけていないから。
明日も塩かけてやるよ、仕方ない。高血圧に気を付けなよ。
「明日もまた作ります。じゃあ、私はこれで」
「ああ、その前に君の名を聞いても?」
「はい、水琴春鷹っていいます」
「……水琴と?」
「はい、珍しい苗字でしょう?」
「まさか、あの水琴家の人物か?冬之介の息子なのか?」
「ああ、父をご存じだったんですか。はい、一人息子の春鷹です。花崎リゾートだけでなく、水琴家のほうもよろしくお願いいたします」
一応挨拶しておくか。カールさん、偉い立場の人っぽいし。
「見上げた男だ。水琴家は正直、大嫌いだったけどな」
「え?」
「自分たちこそが一番というあの態度が気に入らんかったが、お主を見ていたら気持ちを変わってくるの」
「私ですか?」
「その通り。まさか若い息子を武者修行に出しているとはな。出向いた先である花崎リゾートでここまでの腕前を築き上げた点も評価したい。水琴家、思っていたのとは違う連中なのかもな」
「まあ、悪い人たちではないです。私から言えるのはそれくらいですね」
「ふむ、評価しなおし、というところかの。水琴家から海外の土地を売って欲しいと言われていたのを断り続けていたが、気分が良い。交渉の席くらいついてやるか」
「おおっ、どうぞお手柔らかにお願いします」
「はっはは、君が頭を下げることか?いや、いずれ君が当主なら当然か。いやはや、どこまでも良い男だ。私の孫娘の、フランソワの婿にしたいくらいだな」
「お、おじい様!!」
「ジョークもわかるようで、これはいい!」
ひとしきり笑ったカールさんが俺に戻るように言った。
渋々戻っていくが、なんで大人たちは縁談を冗談交じりで言うのか。俺の目を見ろ。本気の目ぞ!
まあ、とりあえず家の為に貢献したことだし、あとで田辺にでも自慢しとこう。あいつはすぐ褒めてくれるからな、気分がいいぞ。
「きゃー!!」
カールさんのスイートルームを出たところで、悲鳴が聞こえてきた。
お客さんが、ガラス張りの壁を見て叫んでいた。
俺も見てみると、そこには、あら珍しい。
リゾートに最も相応しくない存在、ダークがいた。
お客様の高級車にしがみついて、ミラーをペロペロしていた。
変態型のダークか。
あれ?そんなのいたっけ。
どちらでもいい。我が花崎リゾートで何してくれとんじゃー!!
やばい、我がって言ってしまった。
何か身内のように感じてしまっているな。
「ちょっと、あなた何を!?」
嵐の中窓を開け放つ。
「ご迷惑をお掛けしています。すぐにダークを始末してきますので、お客様は引き続きスイートルームをご堪能下さい。では、今後も花崎リゾートをよろしくお願いいたします」
「ここ三階ですよ!?」
静止を振り切って飛んだ。
そのまま地面に叩きつけられるつもりはない。
先日新しく覚えた魔法、ダークウイングを発動する。
背中に黒い炎の翼が生える。
翼を羽ばたかせて、変態ダークのもとに降り立った。
この魔法かっこいいから大好き。
「お客様の迷惑になりますので、お立ち退きを!」
花崎リゾートの一日は今日も忙しい。




