75話 仕事かご褒美か
ジュルリ。
スプーンからスープを一口掬った鬼の料理長が、その味を確かめる。
「……うまい」
渋い顔で渋い声。言葉は単純なものだった。
「新人。今日からスープはおめーの担当だ!」
「はあ」
ひと夏だけの存在と覚えていてくれているのだろうか?
望んでもいないのに、俺は厨房で日に日に出世しつつあった。
ちなみに、雪美先輩はまだ内臓部門。金髪さんと美知留は野菜の皮むきから卒業していなかった。
俺の手際に感心した料理長が日々課題を与えて来て、それを突破していたら料理スキルがとうとうAにまで上がった。一般的に独り立ちできるどころか、プロと呼ばれるレベルのスキル帯である。
ランクが上がったときに美知留たちが騒ぐから、聞き耳立てていた鬼の料理長に聞かれてしまった。
「Aか……。スープだな」
と呟いていたのを思い出す。というわけで、今朝からさっそくレシピ通りに作る条件付きでスープを任された訳だ。
普通に作っただけなのに、料理長は随分と満足していた。
流石はスキルA。そして驚異的な成長を遂げる春鷹の器用さの高さである。
「スープから先は一気に華のある世界だ。ふふ、楽しみにしてな」
ふはははと豪快に笑った鬼の料理長がそのまま去っていく。
やはり俺がひと夏限定だという認識は、その頭にないらしい。
とはいえ、スープ担当になって仕事の量はかなり減った。
創造的なので楽しいし、本当に楽になった。
恨めしそうな顔でこちらを覗いてくる美知留と金髪さんに申し訳なくもある。
いや、そもそも修行に来ただけで彼女らには感謝して欲しい。
しかし、顔を見る限り感謝の念は抱いてくれていないらしい。
「もやっし子が裏切ったぞ、美知留」
「おねえ、あいつどうする?本マグロの刑に処す?」
「処してやろう」
「処そう、処そう」
恨み節ばかり言っている。
あれらは放っておこう。黙って山のように積まれたニンジンを処理し給え。
スープがコトコト煮詰まるのを俺はただ眺めている。
しばらくは眺めているだけでも勉強になると言われているので、合法的にさぼれている訳だ。
そうしていると、厨房を忙しく動き回っていた鬼の料理長がまた戻って来た。
またもスープの味見をしていく。
「うむ、また深くなった。しばらく見ていて、何か気づいたことはあるか?」
サボってボーっとしていたので、気づきも何も無い。
「……水分が飛んで味が濃くなった。しかし、その分旨味が凝縮されている。どれくらい煮詰めればいいのか、一体どこがこのスープのベストなのか、レシピ通りに作っていた段階ではわからないことが見えてきました」
「天才か!?」
適当にそれっぽいこと言ったら、凄く褒められた。
鬼の料理長がまじまじと顔を覗き込んでくる。
「新人、一つ相談がある」
「なんでしょう?」
「ワシはこの花崎リゾートが大好きだ。愛していると言ってもいい。花崎家当主とも旧知の仲で、恩もある。それ故に、毎年三姉妹を預かって愛のあるしごきをしている訳だ」
愛が重過ぎると思います!俺にも!
「三人を立派に育て上げたいという熱い思いがあるにもかかわらず、あの三姉妹は……!雪美は要領こそいいが、あの通り自由人だ。とても御しきれん。朱里もあの通り少し間の抜けたタイプだ。とてもトップには据えておけん。三女の美知留はしっかり者のようだが、まだまだ自律出来ていない。ワシは花崎グループが心配だ」
腕を組んで真剣に語りだす料理長。一体何を聞かされているんだ、俺は。
そして人参の山と戦っている金髪さんと美知留からヤジも飛んできた。
「うっせーぞ!鬼!」
「自律とか言ってカッコつけてるし!鬼!」
「さっさと皮むき!」
鬼の声が飛んで、二人はまたせっせと仕事に戻った。
「ワシは不安だ。花崎グループの将来が。しかし、今一つ良いことを思いついた。ワシにしてはいいアイデアだ」
「なっ、なんでしょう?」
嫌な予感がする。
「新人。三姉妹の一人を嫁に貰ってくれんか?これだけのスープが作れる男だ、是非花崎家に婿として来て欲しい」
「はあ」
予感的中だ。とんでもない提案だった。
「うっせーぞ!こっちだって自由に選ぶ権利があるわ!鬼!」
「うちに至ってはまだ小学生だ!今どき婚約者とか古いわ!鬼!」
人参組の二人から猛烈な反発がある。
「その通りですよ。しかも、スープだけで婿入りって、それで良いんですか?」
「いい。結局こういった旅館業ってのは、料理、接客が基本になってくる。その後に施設の豪華さ、清潔さ、場所の利便さなどが付いてくる。新人の料理の腕は間違いがないし、それにここ数日真面目に働いていただろう?こういった人間は接客に回ってもしっかりとやるものだ。年齢も鍛え上げるにちょうどいい。新人、婿に来ないか?当主にはワシから相談してみる」
スープで随分と評価されてしまったのものだ。
花崎家の三姉妹は美人ぞろいなので、申し出自体は非常に嬉しい。
しかし、反発があったようにそう簡単には進まない話だ。
しかも、こちらは水琴家の跡取りと来ている。やはり難しい話だよなと思った。
「料理長は花崎グループが本当にお好きなんですね。けれど、猛反発が起きてますし、その話はまた今度にしましょう」
「それもそうか」
残念そうにしながら、料理長が引き下がっていく。
なんだか悪いことしたみたいだ。
もしも本当にお嫁さんを選ぶとしら誰だろうか?
美貌の持ち主、雪美先輩か?
意外と優しく、女性的な金髪さんか?
それとも守ってやりたい可愛らしさがある美知留か?
ふむ、贅沢な悩みだ。
考えても仕方ないことなので、今はスープに集中しようか。
そうして仕事をしていると、あっという間に時間は過ぎていった。
「あの、水琴春鷹さんっていますか?」
昼過ぎの少し落ち着いた時間帯。
仲居さんが一人厨房に入ってきて、俺の名前を口にした。
すぐに手を挙げてそれに応えた。
「ああっ、良かったです。すみません。少し顔を出してもらいたいのですが、よろしいでしょうか?」
「いいですけど、何用でしょうか?」
「VIPのお客様が直々に水琴春鷹さんを呼んでいらっしゃいまして」
「俺を?」
「はい、そうです」
仲居さんが困ったような顔をしているので、仕方ないく了承した。
一応鬼の料理長にも断りを入れておく。
「料理長、少し行ってきます。スープ空けるので、カバーお願いします」
「おう、行ってこい!」
意外にもすんなり行かせてくれた。
「ふふふ、早速仲居の仕事にも手を出すか。これは婿入り、あるな!」
そういう訳か。料理長の魂胆が見え隠れしているが、もう行くことが決まったので仲居さんに付いていった。
VIPエリアへと向かって歩いていく。
他とは隔離されたエリアで、静かで落ち着いた場所だった。
要人がお忍びで来ることが多いので、こういった離れた場所になるらしい。
一体、誰が俺を呼んでいるのだろう。
「こちらです」
部屋をノックすると、中から聞き覚えのある声がしてきた。
「どうぞー」
扉を開ける。そこにいたのは……。
「あや!?なんでここに?」
「あっ、本当に春鷹だ!」
俺たちが知り合いだと見届けて、仲居さんは一旦下がっていった。
俺はあやに無理やり部屋へと引っ張り込まれた。
「うちは毎年夏は花崎リゾートって決まってるんだ。来てみてね、お父さんが水琴家のご子息が修行中らしい、とか言うから呼び出して見たんだよ」
「なるほど。俺に用のあるVIP客ってだれだよって不安だったぞ」
「ふふふ、私で嬉しい?」
「まあ、変な人よりはね」
「素直じゃないなー」
一旦話しの区切りがついて、あやの手招きでベッドに座らされた。
良く見ると、あやは薄手の浴衣を着ていて、髪が少し湿っている。どうやら風呂上りみたいだ。
いい香りが少し漂ってくる。
あやがグイっと近づいてくる。
胸元が少し緩く、肌が少し見えていた。思わず顔が熱くなる。
「ねえ、私が何して欲しいかわかる?」
「えっ、ええ、ええと。本気?」
「本気だよ。もちろん。さあ、やってよ。思いっきりとね」
「はっはい!」
ごくりと唾を飲み込んだ。
「あっ、そこー。あ、ああっ!」
……マッサージさせられています。健全なマッサージです。
「ふうー、従業員殿、私はお客様なんだからねー。しっかりその調子で頼むよー」
「は、はい……」
思っていたのとは違うが、薄手の浴衣だけを羽織ったあやに、かなり接近してマッサージするのは果たして仕事というのだろうか?
これはご褒美というやつではなかろうか。
今日の分の給料が出なくても、俺はとしては一向に文句ありません。
「ああっ、そこをもっと!気持ちいいー」
文句ありません!




