第二十八話 エピローグ、あるいは
ミーシェが目覚めて一ヶ月後、大陸西部を支配する風とワインと神秘の国──シルフィード帝国の端に広がる通称『大森林』にて。
ざっザザザッ!! と森の中を複数の人影が駆け抜けていた。狙いは一人。プラチナのような長い髪に夜空に浮かぶ一等星のように輝く瞳、十代後半の気が強そうでゾッとするほど美しい顔立ちの女である。
「はぁ、はあっ」
ただし彼女のその耳は鋭利にとがっていた。
エルフ。人間ではないからと魔獣に分類されている種族ではあるが、長らくその存在が確認されていなかったので絶滅したのではというのが定説だった。
「……我らが風神の御使様、どうか救いの祝福を与えたまえ」
実際には広大な『大森林』の一角に隠蔽魔法を施して隠れ住んでいた。遥か昔、まだ魔族の存在さえも確認されていないほどの過去においてはエルフの美しさに目が眩んだ人間によって捕らえられ、奴隷のように飼育されていたから。
彼女たちの先祖は魔族が人間を滅ぼしかけた混乱で逃げ出し、この森で隠れ住むようになった。
が、どこかからエルフの情報を得たようで最近の人間たちは『大森林』で大規模な捜索を行っている。このままでは隠蔽魔法を破られるのも時間の問題。そうなればかつての歴史のように人間の欲望を満たすために使われる末路が待っている。
それだけは許せなかった。
だから彼女はエルフのみんなで『大森林』から逃げる計画を立てた上で、その途中でわざと自分が囮になって人間の目をこちらに集中させた。
隠蔽魔法はあくまでエルフの村を隠すために先祖たちが時間をかけてその場所に強固に染み込ませたものだ。今現在生き残っているエルフたちは簡易的な隠蔽魔法しか使えないので一定以上の魔法使いには即座に見抜かれてしまう。
だからこその囮。
最低でも彼女一人の犠牲で終わらせようと飛び出したのだ。
もちろん死ぬつもりは毛頭ないが、予想以上に人間たちの実力が高く、このまま追いつかれたら勝てそうになかった。
だから。
だから。
だから。
人間の一人が彼女の前に回り込み、何かしらの魔法を発動しようとしたその瞬間の出来事だった。
どこかから刃のような朱色の光が飛んできて、目の前の人間を薙ぎ払ったのだ。
「よかった、間に合ったみたいだね」
女の声だった。
木々を縫うように現れたのは黒髪の少女だった。
漆黒のマントにレザーアーマー。右手には朱色の魔力の光を放つ魔剣のようなもの。
そして眼帯で覆われた左の目の奥からはどことなく威圧感がある。
人間……のはずだ。
彼女は口の端を不敵につりあげて、
「お困りなら助けるけど」
「どう、して……人間が私様を助けやがるので?」
「うーん。私のような思いを誰かにさせたくないとか、ストーリーの通りに悲劇が起きるのは気に食わないとか、単純に助けたいからとか、まあ色々と理由はあるけど、それじゃだめ?」
「助けたい? 人間がエルフを? ふざけるのも大概にしやがれですよ」
「だよね、うんうん。ゲームでも他のエルフがそんな感じだったし」
だったら、と。
意味不明な言動が目立つ少女は軽くこう続けた。
「強くなるための経験値稼ぎにそこの野郎どもが都合がいいからってのはどう? あくまで私のためにそこの連中を譲って欲しい」
「……、好きにしやがれです。人間同士が勝手に争いやがるのを止める理由なんてないですから」
「うん、ありがと」
そう言っていつのまにか彼女を取り囲んでいた人間たちに立ち向かおうとする少女に向けて、なぜかエルフの彼女はこう問いかけていた。
「貴女、名前は?」
「ミーシェ=フェイ」
黒髪に眼帯の少女は言う。
まるで世界に喧嘩を売るように高らかと。
「幸せに生き抜くためにちょっくらこの世界の最強になる女よ、どうぞよろしくっ!!」
ーーー第一部 完ーーー
そういえば『赤ノ極地』を奪われてから放置されていたスカーレット=フィブリテッドはどうなった?
『ひい、はあっ』
それは一ヶ月以上前、ミーシェが因縁の悪魔との決着をつけてすぐのことだった。
ルドガーはウンディーネから聞いていたが、目覚めたミーシェには伝えられなかった悪魔と決着をつけたその後の出来事である。
山岳地帯、その中でも一際大きな山の中腹から上がミーシェの魔刃抜剣によって消し飛んだ。そのどさくさに紛れてスカーレットは逃げ出していたのだ。
『赤ノ極地』を奪われたら十倍に増やした命が元に戻り、その前に何度か死んでいるからそのまま死ぬかもしれない、という話だったが、どうやら命の数が一つに戻っただけで済んだようだった。
どうにかミーシェたちに見つからないよう下山して近くの森の中に身を隠したスカーレットはその場に膝をつく。
ドレスという形をしていた決戦兵器『赤ノ極地』は奪われた。つまり何の衣服も纏っていない彼女は屈辱に魂が張り裂けそうだった。
『あら……。あらあら、まあまあ!! こんな屈辱、決して許容できないのでございますわあ!!』
悪魔だけでは足りない。
ミーシェやルドガー、そもそもあいつらが逆らったせいであんなことになったのだ、大人しく殺されていればあんな醜態は晒さずに済んだのだ、まだスカーレットは特別でいられたのだ。
だから。
だから!!
その瞬間、王都から水の一撃、つまりはウンディーネの魔法が放たれた。
スカーレットは王国に敵対する聖国の女王だ。
そうでなくてもルドガーたちを殺そうとしていたのだから逆に向こうが始末しようとするのも当然だろう。
回避も防御も不可能。
そのままスカーレットは殺される……はずだった。
着弾。その後もスカーレットは生きていた。
なぜなら──木々の間からふらりと現れた『少女』が水の一撃を手で払ったからだ。
『……は……?』
水滴でも払うような気安さだった。
水ではあっても、スカーレットを確実に殺すだけの魔力が込められた一撃をいとも簡単に散らしてしまったのだ。
『少女』は黒髪黒目の十五、六くらいの人間の女のような見た目をしていた。
『少女』はボロ布をそのまま巻きつけた浮浪者のような格好をしていた。
『少女』はバリベキぐしゃっと咀嚼しながら、口の端に何かを咥えていた。
紅い蛇。
『四つの災厄』の一角たる悪魔の尻尾が口の端から飛び出ている。
ずるり、とその尻尾も麺でもすするように口の中に消えて、咀嚼、『ぺっ』と雑に禍々しい冠だけを吐き出す。
『チョイ辛で癖になる味。お酒のおつまみ的な? 一掃される前にもうちょっと摘んでおけばよかったかも』
『な、なに、何が……?』
『それより支配の魔法かあ。喰らったもんを取り込んで自分の力に変えちゃうチートのおかげで面白いもん手に入っちゃった☆』
そこで、『少女』はスカーレットのほうに目をやった。
ウンディーネの一撃を払いのけ、悪魔を喰らうほどの力があるはずなのにこうして対面していても一切の力の波動を感じない怪物が。
『わあっ、ズタボロの美人さんが転がっているだなんて定番っしょー。ハーレムつくっちゃえって世界がお膳立てしているのかな。しかも初手全裸とかど直球にお色気担当なんだから。しっかし私は女の子なのにお構いなしなのは元ネタが男主人公だからかも? いやまあこの世界の元ネタさっぱりというか、元ネタがあるタイプの異世界かどうかもわからないんだけど』
どちらにしても、と。
怪物はくつくつと肩を揺らして、
『この異世界が転生チート主人公サマである私のために回っているのは間違いないかなっ☆』
理解不能な言動だった。
異物。そんな言葉がこれほど似合う人間もいないだろう。
いいや、そもそも本当に『少女』はスカーレットと同じ人間なのか、そこから疑ってしまうほどだった。
『で、さあ。まあ中々にそそる顔しちゃってくれているし、世界が私にくれるってんならもらうわけだけど、どうするのかな?』
『は、え?』
『いやだから、美人さんに私のものになるかならないか聞いているっしょー』
『っ!? わらわを誰だと──ッ!!』
『あ、ちなみに嫌なら喰べるだけだけど。ここで支配の魔法ってのはなんか違うし。そんなつまらないことするくらいなら経験値稼ぎとして喰べるほうがまだいいっしょー』
『た、喰べ、え?』
『もちろんいやらしい比喩じゃなくて、そのままの意味でね、こう、頭からむしゃっといっちゃおーって感じ。最初は経験値稼ぎのためだったんだけど、顔がいい女って結構美味しいからハマり気味でね。私としては本当にどっちでもいいんだよね。で、どうするのかな?』
目の前の『少女』は悪魔を喰らっていた。
ウンディーネの一撃を簡単に散らすような怪物が相手ではいかにスカーレットでもなすすべなく、それこそ脅しでも冗談でもなく文字通り喰べられてしまうかもしれない。
『あ、あの』
『早く決めて』
『なります、貴女様のものにならせてほしいのですわあ!!』
スカーレットの全力の懇願に『少女』は満足そうに笑い、『ヒロインその一ならそれくらい素直でないと。顔よしリアクションよし、いいもの拾ったっしょー』と呟いていた。
その間にも遠くから放たれる(一発一発が『赤ノ極地』を装備したスカーレットでも防御すらできそうにない)ウンディーネの攻撃の数々を雑に手で払っていた。
『さあて。これから何して遊ぼっかなー?』
直後、スカーレットの首根っこを掴んだ『少女』の姿は転移の魔法で消えた。
クルミのように数十メートル程度の距離ではない。ウンディーネの感知能力でも見失うほど──それこそ国外まで飛んでいった。
そして王都の一角、ルドガーの屋敷の中庭から『少女』に攻撃を仕掛けていたウンディーネは一つ息を吐く。
一切の力の波動が感じられない『少女』。
ウンディーネ自身、その類い稀なる視力でルドガー側に展開されていた紅い蛇の一匹が逃げているのを確認、ミーシェが決着をつける前に追撃を仕掛けようとしたら『少女』が喰らったのを視認したからその異常性が観測できたくらいだ。
『……マーブルちゃんのようにあのクソ野郎のが混ざっているわけではないけど、記憶の初期化にエラーが起きて混ざっているのは同じみたいだよう。しかもマーブルちゃんと違って明らかな悪性だし、むう。これからどうしよっか』
いかに遠距離、『本領』ではなかったとはいえウンディーネの攻撃を弾くほどの怪物である。
本人の性質が善性であればまだしも、あれほどの悪性であればルドガーたちでは対処しきれないだろう。
『わっちは勇者なんかじゃないしにゃー』
ーーー☆ーーー
第一の騎士オリエンス=ファーストバイブルは死んだ。ここから実は、なんて展開はあり得ない。
あの悪魔に利用されていたリルの死体もまたミーシェが消し飛ばした。これ以上友達の死後の尊厳が穢されないように、きちんと殺して終わりにしてあげるためにだ。
ただし。
死体それ自体は悪魔と共に魔刃抜剣で消し飛ばしたかもしれないが、その前は? 最初の最初、紅い蛇はリルの右目を内側から吹き飛ばしていた。その眼球の残骸は地面に飛び散ったまま放置されていたはずだ。
『くっひひ。「四つの災厄」の一角が敗北? 愉快で素敵な結果だけどぉ、二度も三度も奇跡は続かないよねぇ。観測通りならなぁーんか悪魔を喰らうきな臭いのも出てきたし、備えあれば憂いなし、地道に戦力を補充しておいて損はないよねぇ』
『少女』が消え、ウンディーネも召喚の制限時間を使い切って『どこか』に帰ってからのことだ。
その人影は眼球の残骸の前でねじくれた『杖』を振るった。
途端に残骸がびゅるんっ! と渦巻き、膨れ上がり、あっという間に金髪碧眼の少女の肉体が復元された。
リル=スカイリリス。
もちろん肉体『だけ』ではあるが。
『「四つの災厄」に匹敵するほどの素体とかとんだ拾い物よねぇ。とはいえこのままじゃ単なる肉のオブジェだけどぉ、ここからが腕の見せ所よねぇ。劇的に生まれ変わらせて有効活用してあげるからねぇ』
自身の右手を切り取って加工した肉と骨がねじくれた杖、血が染み込んだ複数の人間の皮を剥ぎ取って繋ぎ合わせた赤黒いマント、首元には五個の小ぶりな頭蓋骨を束ねたネックレス。
外側はサイケデリックでありながら、それらを纏う彼女は誰もが目を奪われるほどの美女だった。そのアンバランスさが余計に気味悪さを撒き散らしている。
マントの下、何も着ていないために腹部の古く大きな傷跡を晒しながら、
『なぁーんて建前があれば研究費を搾り取れるよねぇ。くっひひ。本音はあの悪魔と何も変わらない。嫌がらせ以外の何物でもないけどねぇ』
サイケデリックな隻腕の美女は笑う。
その目だけはここではない遠くを見据えて、笑みとは程遠い感情を浮かべながら。
『こんな世界でミーシェだけが幸せになるだなんて許さない』
ーーー☆ーーー
『あー……これでも綺麗に立ち去ったつもりだったんだけどな。あれだけ格好つけて待っているとか言っておいてサラッと再会とかなったらどんな顔すればいいの? こっぱずかしいにもほどがあるじゃん!!』
世界のどこかで『彼女』は頭を抱えていた。
この世界は思った通りには全然進んでくれない。
というわけで第一部完結です!
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!
本作はとにかくバトルを詰め込みまくると決めていたので細かい設定なんかはできるだけ開示せずに進めていたりします。本来の『FBF』のストーリーとか諸々全部説明していたらおそらく分量が倍以上になっていたと思いますし。
とはいえ、ここまで進めてようやくミーシェ=フェイという人物について理解できるという有様なのですが。バトルをメインにしているとはいえ主人公のキャラを掴んでもらうために十万文字以上も費やしてしまいましたが、そのおかげで最後に登場した『彼女たち』が際立つことになるので、ある意味においてここからが本番なのかも?
あくまで第一部が完結しただけなので、いずれは最後にサラッと登場した『彼女たち』との決着も書ければと思っています。……好きな人と若くして死別するなんてのはどれだけ綺麗にまとまったとしてもハッピーエンドとは呼べないですしね。
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これから書き溜めていきますので楽しみにしていただければ!!




