ゴワちゃんママの涙
今回は1話です
ジンニーナは、走った。
紫に血走る眼をした猪の子供。
鉄爪猪で間違いない。
ゴワちゃんは、猪魔獣・鉄爪猪だったのだ。
鉄爪猪は、小さな頃に見分ける事が難しい。眼はくりくりと黒く、短い四肢に蹴爪も無い。まるで犬の仔かと見紛うような、柔らかい肉球を持つ。
肉球に挟まれた、灰色がかった爪も、小さく愛らしい。
ただその体毛だけは、瓜坊のようなのだ。育つにつれて、体毛は堅くなり、眼が紫に充血してゆく。やがて肉球が消える。爪は蹴爪に変化する。
目の色が変わる辺りで、突然凶暴化する。それを、『魔獣の目覚め』と言う。ゴワちゃんには、この時期が来たのだろう。
「ゴワちゃんは、仔犬ですっ」
おばさんは、怒りのあまり、眼に涙を貯めている。
「おばちゃん、つれぇだろうが、解れや」
討伐拒否して、魔獣を庇ったりしたら、犯罪者になってしまう。魔獣討伐は、城塞都市国家ナーゲヤリに住む国民の義務である。
それに、このままゴワちゃんが、大人の鉄爪猪にまで育ってしまったら、おばさんだって危ない。
「そんなこと言ったって!」
敵意を露にしたおばさんを置いて、ジンニーナは走る。真っ直ぐ南広場まで駆けて行く。
(おばさんが襲われなくて良かった)
街はまだ、騒ぎになっていない。今、退治すれば、被害は起きないかも知れない。
ジンニーナは、食堂の親父さんに、騎士団への通報を頼んだ。そして、自分は、1人で南広場へと向かったのである。
「きゃー」
広場から、悲鳴が上がる。
(間に合わなかった?)
赤毛を振り立て、ジンニーナはスピードを上げる。
南広場では、片付けかけた朝市の荷物が散乱している。ゴワちゃんが、暴れまわっているのだ。
足先はまだ仔犬のようだが、体当たりは強烈だ。小柄ながらに、ぎっしりと詰まった筋肉である。スピードを乗せて、全身を使い、あらゆる物を撥ね飛ばして行く。
「ジンニーナさんっ」
「おお」
広場に居た人々は、『鉄壁の魔女』の登場に沸き立つ。皆、一様に安堵の表情を浮かべている。
赤毛の魔女は、守りの壁を繰り出した。全力で使ったならば、不運すら弾く。それ故、完全版は、世界魔法連盟監督局から使用制限を受けている。
今回は、単純に体当たりの衝撃を防ぐ目的だ。有害なものを防ぐ、簡易版を展開する。ジルベルトが、植物園で紫色の血に染まった時のバージョンだ。
「はあ、助かった」
目先の損害は、それ以上拡大しないと決まったら、人々は意識を切り替える。
「加勢します」
「囲いこむぞ」
ジンニーナが、魔力を解放する。鉄爪猪の瓜坊を誘き寄せるのだ。これがあれば、実際には囲い込みの必要が無い。だが、街の人々からの好意を、無下にはできなかった。魔女は、黙って協力を受け入れるのだった。
誘因の魔力を解放しながら、ジンニーナは、開けた場所を探す。鉄爪猪は、素早く駆け回り、守りの壁を目指す。魔女が、脚に風を纏わせて躱す為、上手く連れ回されている形だ。
広場の隅の方は、朝市では使われていなかった。置かれている荷物は、全く無い。
ジンニーナは、徐に足を止める。鉄爪猪は、真っ直ぐに突っ込んでくる。
「あっ」
「うっ」
「ぎゃっ」
人々は、暫く肉が食べられなくなった。
次回、ハインツ団長の行動原理
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