第二十話 最終決戦開幕
出雲市に入った百鬼夜行の真ん中で、下漬は年甲斐もなく浮かれた表情で隣の金羽矢榛春を見た。
「わくわくしてきました。わくわくしますね!」
「そう? もう大勢は決し、あとは流れ作業だよ。さっさと終わらせたい」
戦力差が歴然としている。金羽矢家得意の占星術でも下漬勢の勝ちで結果が出ている。
下漬はやれやれと小馬鹿にしたような顔で首を振る。
「勝ち負けは関係ないでしょう? あ、雷獣、狙撃銃で狙っている男を殺しなさい」
どうやって察知したのか隣にいる金羽矢にも分からない。しかし、下漬が指さした先に雷が落ちる。
空を行く雷獣が放った雷撃は人を殺すのに十分な威力だ。死体を確認せずとも死んだと分かる。
まして、雷が落ちた地点で百鬼夜行を見物に来た野次馬の一角で悲鳴が上がったのだから、間違いないだろう。
下漬は満足そうに微笑み、傍らの目々連を見た。
「報告をありがとう。引き続き、銃を持つ者がいれば報告しなさい」
目々連はあからさまに嫌そうに目を細める。
そんな目々連の反応などお構いなしに、下漬は騒いでいる野次馬を見回す。
興が乗ったように楽しそうな笑みを浮かべ、下漬は雷獣を空から呼び寄せてその背にまたがり、宙に浮く。狙撃銃の餌食になりそうな単独行動だが、すでに排除してあるため強気だ。
「お越しの皆様、ようこそ!」
まるでアイドルのように溌溂と野次馬を歓迎する下漬だったが、身にまとうおぞましい妖力に気付いた勘のいい人々が怖気づいて後退りする。
しかし、霊感のない野次馬はこの百鬼夜行を未だにただのイベントとしか捉えていない。ファンサービスにも映る下漬の歓迎に拍手まで聞こえてきた。
百鬼夜行をなす妖怪たちの表情を見れば、これが明るいイベントではないことなど誰の目にも明らかだ。だが、妖怪の表情を読み取れる一般人がこの場にいないようだ。
気を良くした下漬は動画を撮っている配信者や取材班に手を振る。
「必ず、その動画を拡散してください。カメらもスマーとフぉンも下ろさないでください。下ろしたら殺します」
あまりにも軽い口調で発せられた物騒な宣言を軽口ととらえた野次馬が笑い出すより早く、雷が降り注いだ。
両手で数えきれない数の人間が死んだ。炭化して倒れ込む遺体を前に、誰もが言葉を失う中、下漬は笑顔を絶やさない。
「私という悪徳を後世に伝えてください。私はこれから、人間に不幸をもたらします。ここに集ったあなた方の何割かが死ぬでしょう。妖怪の世が訪れるからです」
パンっと下漬が手を打ち鳴らす。
悲鳴を上げることも許さない絶対的な存在感。纏う妖力からくるおぞましさとは別に、霊感のない一般人にも異常を知らしめる下漬の微笑みが場に静寂をもたらす。
「妖怪ども、実体化を解け」
下漬の命令が下ると同時に、調伏された妖怪たちがその姿を消す。一般人の目には見えないが、霊感のある一部の人間には百鬼夜行の姿がそのまま見えている。
だが、霊感のあるものはすでに下漬が纏うおぞましい妖力を前にたじろいでいる。この場に来てしまったことを後悔している。
そして、妖怪の仮装をしているだけと思っていた一般人も、目の前で百鬼夜行が丸ごと消えるのを見て、これがただのイベントではないことを理解した。
場に恐怖が蔓延する。だが、パニックは起こらない。
目の前の異常を、常識外れを認識したからこそ野次馬は自分の間近に死があることを理解した。
騒げば殺される。いま殺されないのは、見せしめに選ばれなかった偶然と、後世にこれを伝える役目を押し付けられたからだ。
静寂の中で、下漬は笑う。
「今日から、見えない妖怪に怯えて暮らしなさい。子々孫々、見えない者と戦いなさい。陰陽師、金羽矢家に縋りなさい。そして、そんな世界を私が! 下漬あきゑが! 人間にもたらしたと語り継ぎなさい!」
堂々と宣言した後、下漬はさっと周囲を見回しつつ、百鬼夜行の進行を止めた。
そして、野次馬の最前、スマホを構えて硬直している女性に心配そうな顔で声をかける。
「そこの娘、動画を確認して。いまの宣言がきちんと撮れました? 音も含めてですよ? 撮れてないならやり直しますから事実を報告してくださいね? ほら、早くしチぇっクしなさい」
これが一番大事だと言わんばかりに、下漬は心配そうに女性に確認する。次は自分の番ではないかと焦った他の配信者や取材クルーが映像を確認し始めるのを見て、下漬は満足そうに満面の笑みを見せた。
「よい心掛け! 私を語り継ぎなさい。あなた達の不幸をもたらす切っ掛けとなった怨霊を下漬あきゑを! 語り継ぎなさい!」
「――さっきから聞いてればさぁ!」
下漬の放つおぞましい怨霊、祟り神の気配に気圧されて作り出された静寂が切り裂かれる。
遥か高空から圧し潰すような祟り神の気配を遮り下にいる者を守る、安心感をもたらす声。
「忘れられたくないけど、何も為せなかったから、迷惑行為で歴史に残ろうっていうんだろ? ただの老害じゃねぇか!」
下漬をバッサリと言葉で切り捨て、出雲大社一の鳥居の下に唐傘を携えた一団が現れる。
一団の先頭、対い蝶の紋を染め抜いた赤い大唐傘を差す青年、折笠直仁は野次馬の頭上に無数の唐傘を作り出した。
――すべてを守るように。
「下漬さんさぁ。八百比丘尼っていうなら、無常の概念くらい肌感覚で理解したらどうだよ? 常と不変は違うだろ?」
八百比丘尼、その言葉も知らない一般人でも、折笠の口調から煽り言葉だと分かる。
その証拠に、下漬は笑みを消し、能面のような顔で折笠を見下ろしていた。
おぞましい祟り神の妖力を向けられても、折笠は平然としている。
折笠の横に立つ優美な少女、黒蝶が上品に笑い、いたずらっぽく言葉を転がす。
「八百比丘尼の下漬さん、あなたに良い話と悪い話をもってきたよ」
下漬は無表情を崩さない。それを見て黒蝶は悠然として美麗に微笑みかけた。
「私たちは前世、戦国の世にあなたに謀殺されたの。それを転生した今まで覚えていてあげたよ」
おぼえていて――あげた。そう恩着せがましく言っても黒蝶の笑みは優雅で、あらゆる否定を許さない。
そこに折笠が続けた。
「だから今日、因縁を断ち斬れば、後腐れなく綺麗さっぱりと――」
折笠と黒蝶は示し合わせることもなく、自分の意思で言葉を紡ぎ合わせる。
「――忘れられる」
……あとは流れ作業だと、金羽矢榛春は言った。
下漬あきゑは、金羽矢の言葉を否定しなかった。
勝ち負けは関係ないと、下漬あきゑはそう言った。
――事情が変わった。
「忘れられてなるものか」
能面のような顔が歪む。
明確な怒り。演技ではなく、無理やり呼び起こしたモノでもない。心の底からの怒りが、下漬の顔に現れる。
幾年月を経て摩耗した感情が呼び起こされる。
そんな下漬が何か言葉を発する前に、折笠が大唐傘を開いて虚空を薙ぐ。
「――で、老害さんの名前は何だっけ?」
下漬あきゑの名前を有象無象に埋没させる言い回し。
怒りに染まった下漬の機先を制したのは、金羽矢榛春だった。
乗せられるのは不味いと、咄嗟に金羽矢は秘伝の調伏妖怪を呼び出す。
ここ数日で神性を得た巨大な狼の妖怪だ。鉄鍋を頭に被る特徴的なその狼の妖怪の名は、鍛冶ガかかあ。
高知県に伝わる、無数の狼を引き付けれて人を襲う狼の妖怪。
金羽矢が声を張り上げ、祝詞を唱える。鍛冶ガかかあの神性を解放する短い祝詞はそれだけで神聖な響きをもち、周囲の野次馬でさえ空気が変わったのを理解させる。
『――夜天に響かせ。遠く古より神と祀らるる我らの月は満ちた』
地面から頭までの高さが五メートルはある鍛冶ガかかあの周りに三メートルほど巨狼の妖怪が群れをなす。十、五十、百、五百、無数に増えるかに思われたその巨狼の群れへ、大群の狐と狸が突貫する。
先陣を切る墨衛門が威勢よく啖呵を切った。
「祀ろわぬ神を下せ。先陣切る誉を我ら左二枚柏巴のモノとせい!」
後方から狐の群れを仕切る白狩が吼える。
「今宵は狸との共演だ。化けて化かして、我ら葛の葉、尾扇こそが主演を張れ!」
正面からの激突――にはならなかった。
鍛冶ガかかあの周囲に生まれた巨狼は狸にも狐にも興味を示さず、すぐさま野次馬へ牙を剥いた。




