27 剣の女神と才能ゼロの陽気な押しかけ弟子
倒されても倒されても、なお立ち上がってくる。見込みの無い弟子ミカが何故そこまでするのか。それがエリザには未だに分からなかった。
はじめは弟子を取るつもりなどなかった。自分の剣を極めるのに集中したかったからだ。
魔王を倒した英傑の一人として、剣の女神とまで謳われる彼女であったが、彼女はそう呼ばれる事が嫌いだった。
神など烏滸がましい。勇者にすら及んでいない。いくら鍛錬しても、剣の頂は見えてこない。果たして、そんなものがあるかすら疑わしい。とエリザは最近思い始めている。
少し停滞感を覚えていた事に加え、ミカがひと月以上弟子入りを嘆願し続けたため、折れてしまったのだ。
他人に教えることで、新たな道が見えるかもしれないと尤もらしい理屈はあったが。
しかし、その判断は誤りだったと気づく。
少女には、剣を扱う才覚がまるでなかった。そもそも、一番軽い類の剣ですら持ち上げることができない。
天才である彼女は、普通の少女がいかに非力であるかを知らなかったのだ。
エリザは頭を抱えた。
なぜなら、エリザの誠実さは度を越していて、他人と交わした約束は絶対に反故にしないからだ。
行き過ぎた清廉潔白さは俗世で生きていく上での枷となる。経験から彼女はそれを痛感していて、こんな辺境の地の森の中に1人静かに暮らしていたのだ。
その枷がまた自分の首を締めるのをひしひしと感じていた。
ただ彼女は魔王を倒した仲間と共に過ごすことで、剣の技術以外も少しだけ成長していた。まだ自分が約束を違える事を許すことはできないが、相手が勝手に破る事に対しては寛容になれた。
だから、この極めて凡庸な少女が到底耐える事ができないような鍛錬を徹底的に課して、自分の元から逃げ出すように仕向けたのだ。
当初は、1日、どんなにもっても3日だろうと高を括っていた。
しかし、何日経っても彼女は逃げなかった。
鍛錬の後倒れるように眠り、翌朝、壮絶な痛みで起き上がれなくような事があっても這うようにしてエリザの前に現れた。
それだけでもエリザは驚いていたが、何より彼女の心をざわつかせたのは、尋常ではない苦痛を伴っているのにミカが楽しそうに鍛錬をすることだった。
エリザは基本的に他人を詮索しない。魔王討伐の旅でほんの幾許か興味の対象は増えたが、基本は剣以外にあまり興味がないからだ。
そんなエリザが、ミカの動機が気になるほどに彼女の精神力は常軌を逸していた。
エリザは確かめずにはいられなかった。
「率直に言って、お前に剣は向いていない」
「なんと!? はっきり言われるとちょっとショックですね〜」
「それはお前も理解しているだろう」
「まあ……なんとなくは。ただ向いてるとか向いてないとか関係ないですかね。師匠みたいになるって自分で決めたから、ならないわけにはいかないんですよ。才能なんかに負けられないんです!」
「……どうして、そこまで剣にこだわる?」
ミカは満面の笑みで答えた。
「そんなの決まってるじゃないですか! カッコいいからですよ」
意味が分からなかった。いや、それは正確ではない。他人の感情に疎いエリザにも言葉の意味は分かった。
実際、剣士が華やかなものだと勘違いして目指す者も一定数いる。
ただ、そういう者はすぐに諦めるか、死ぬかどちらかだ。そんな軽薄な理由でこんな半死半生の状態にずっと耐えられるわけがないのだ。
エリザは混乱したが、得体の知れないものと対峙するのは己の修練となると自分を無理やり納得させて、二度とミカの動機を確認することはなかった。
ミカが剣を人並みに振れるようになってからは、実戦形式で鍛錬するようにした。
ミカを殺さないように手加減するのは、エリザは非常に苦労した。ただ、その脱力が新たな剣技に繋がる予兆があったのは僥倖だった。
そして、実戦形式に移ってふた月ほど経った今日。自分の100分の1にも満たないスピードでしか上達しない弟子が、剣を杖にしてヨロヨロと立ち上がる姿を見て、エリザはつくづく思ったのだ。
何故立ち上がれるのか、と。
木製の剣で相当手加減しているとはいえ、常人なら気絶するほどの激痛を何度も与えているはずだった。事実、何度か気絶しているのだが、意識が戻るとすぐに鍛錬を始める。
それを完全に気を失って動けなくなるまで、毎日続けるのだ。正気ではない。
鍛錬としては効率が悪いとエリザは思うが、他に教える方法が分からない。
自分がどのように剣を振るっているのかを言葉にすることができないのだ。だから、見て盗んでもらうしかないのだが、そもそも見えているか怪しい。
そうして、ミカの打たれ強さだけがどんどん鍛えられていった。
ある日、ミカが鍛錬を受けにこなかった。どんなに満身創痍でも、例え嵐の日でも、毎日やってきていたミカが来ないことは不思議であり、一抹の寂しさを感じないことも無かったが、ようやく訪れた束の間の静寂をエリザは噛み締めていた。
◆
ミカは天井がやけに高い洞窟の中にいた。その高さは今から対峙するモノの強大さを物語っていて、彼女の決心が少しだけ揺るぎそうになったが、唇を噛み締めてその迷いを断ち切った。
彼女は贄だ。
彼女の住む集落には古くからの風習があった。かつて集落を襲った邪悪な竜との契約だ。
毎年生娘を一人、贄として竜に差し出すことで集落の平穏を約束するのだ。
その贄にミカは立候補した。前例の無いことに一時集落は騒然となったが、毎年揉めに揉める贄の選考がすんなり決まる事は喜ばしいことであったので騒ぎはすぐに収まった。
ミカが両親を病で亡くしていて身寄りが無かった事も少なからず影響している。彼女が自暴自棄になったのではないかと噂する者が少なからずいたが、真相は真逆だった。
ミカは自分の過酷な運命を受け入れ、必ず打ち勝つと自分自身に誓っていた。ついでに悲しみしか産まない集落の古い慣習も打破しようと考えたのだった。
彼女が行商で王国近くの街に行った時、魔王を討伐した冒険者一向の話を聞き、運命は変えられると信じるようになっていたのだ。
勇者と謳われたリーダーが、何故あんなに凶悪な魔王を倒せたのかと質問された時に飄々と答えたとされる回答が、何よりミカの背中を強く押した。
『自分がやると決めたから。たまたま勝てたけど、結果はまあどっちでも良かったかな。決めたことやらないのはカッコ悪いからね』
自分が自分に誇れる生き様を刻む。それがミカの至上命題になった瞬間だった。
集落の近くに、その一向のうちの一人、同性であるため一番憧れを抱いていた剣の女神が隠居していると聞いた時には、運命に感謝した。
弟子入りした理由についても本心だった。カッコよく誇り高くミカは生き、そして死にたかった。 エリザに贄のことを伝えないのは、同情されるのはカッコ悪いと感じたからだ。
自分の運命つまり誇りの源泉は、誰にも渡したくなかった。己の力だけで磨くから、その魂が輝くとミカは信じていた。
希死念慮があるわけではない。だから、死ぬほど鍛え、必死で抗うのだ。勇者が言うように、その結果は最早あまり重要ではなかった。
竜と雌雄を決するのには、時間はかからなかった。いかんせん、ミカの鍛錬がまだまだ不十分であった。
異様に鍛えられた打たれ強さにより、竜の苛烈な攻撃に数回は耐える事ができたが、金属のように硬い肌に守られた竜にダメージを与える術が無かった。
心は折れていないが、剣は最早折れている。
体にはダメージが蓄積している。
いよいよ次の一撃が最後になろうかという時、竜の攻撃が止む。
「余計に腹は減ったが、なかなか面白い余興であったぞ、小娘。褒美として、我を問答で楽しませている間は生かしてやる。心して答えよ」
竜は人間よりも遥かに知能が高い生物であるため、人間の言語程度であれば容易く操る。
洞窟中に響き渡る重低音でその言葉は放たれた。
情けをかけられるのはミカの誇りが傷ついたが、まだ生存する可能性があるならば、それに賭けなければ自分で決めた事を曲げることになる。
歯を食いしばって竜の問いかけを待った。
「万に一つも勝ち目の無い戦い、何故挑んだ?」
ミカは迷うことなく即答する。
「可能性の問題じゃない……そんなのゼロだって構わない。運命がすっごい嫌な奴だったから、一発ぶん殴ってやろうかと思っただけ。失敗しちゃいそうだけど、私がやるって決めてやり切ったからそれでいい!」
竜はミカの顔ほどの大きさがある瞳で、彼女をじっと睨みつける。
「そうか。人間にしては誇り高いな。であれば、やはりここで喰らう必要があるだろう。惰性で生きて魂が穢れる前に、な」
ミカの頬を涙が一筋伝う。
恐怖からではない。人々から畏怖される竜に自分の誇りを認められたことに感激したのだ。
「それ、最高に嬉しい褒め言葉だね。食べてもいいよ。特別だからね!」
そうミカが言い終わり目を瞑るや否や、竜の顎が彼女に襲いかかってきた。
しかし、いつまで経ってもミカの脳に痛みが伝わってこない。
死とはこんなものなのか? と呆気なさを感じながらミカは恐る恐る目を開けた。
敬愛する師がそこには居た。背後には首と胴体が別れた竜の骸があった。
「ようやく分かった。どうやらお前がそうらしい」
師の言うことは、いつもほとんど分からなかったが今回が一番かもしれないとミカは思った。
「ど、どういうことですか?」
状況から判断してエリザが竜を倒して助けてくれたと分かるので、お礼を言うのが筋ではあったが混乱したミカはそう聞いてしまう。
「お前の精神性、勇者に似ている。だから、お前なら頂に辿り着けるだろう。技術の問題ではなかったのだ。だから鍛えるぞ、私を越えるまで。それまで死ぬことは許さん。こんな取るに足らない竜に取り込まれるなど、もってのほかだ」
どこまでも剣にこだわるエリザが、ミカにはとても眩しかった。
これまで以上の鍛錬が待ち受けているのが明白であっても、ミカは太陽のような笑顔で頷いたのだった。




