26 奢宵国弓腰伝 〜嚆矢、異界の知恵の実に至る事〜
弓を引き絞る。
鉄の鳥が落とす異界の知恵の実を射抜く。
目論見通り、それは空中で弾けた。
尚香は都で一番高い屋根の上で瓦を踏みしめ、爆風に長い黒髪を靡かせた。彼女の眼下ではバクダンの餌食となった民家が火を噴き、瓦礫にまみれている。
まだ、というべきか。もう、というべきか。
五割。
たった三羽の鉄の鳥が、大陸最大といわれるこの奢宵国を侵略にきて、半刻もしないうちに都を半壊させた。
尚香はもう一度、大弓に矢をつがえる。
鉄の鳥は矢を弾くけれど、あの異界の知恵の実であれば、弓で太刀打ちできる。たった今、尚香がそれを証明した。
また一つ、宮城を狙って――尚香の頭上へと異界の知恵の実が落とされる。
尚香はつがえた矢をめいっぱい引き絞り、射る。
宮城の上空で、異界の知恵の実が弾けた。
「守られた分、守ってあげないと」
尚香を育てたのはこの国であり、この国の太子たちだ。彼らが最初に幼い尚香を守ってくれた。
後宮に隠されていた小汚い娘だった自分を見つけてくれた太子妃。自分を妹だと認めてくれた太子。自分に生き方を教えてくれた右羽林軍大将。
ようやく、彼らに報える時が来た。
西の砂漠を越えて飛来した、最果てガルーダ帝国の軍。
周辺の国々をその傘下に治め、悠々と奢宵国にその手を伸ばしてこれたのは、まさしくあの三羽の鉄鳥とバクダンなるもののおかげ。
ガルーダ帝国には奇しい噂がつきまとっていた。
その一つが、異界の来訪者。たった一人の知識によって、ガルーダ帝国の軍事力は一足飛びに進んだという。
その噂を甘く見た国からガルーダ帝国に攻め落とされた。今、誇張なく大陸の八割は、ガルーダ帝国の版図になっている。
奢宵国も選択を迫られた。
ガルーダ帝国の傘下に入るか、対立するか。
奢宵帝は選べなかった。
選ぶよりも早く、蹂躙が始まった。
尚香は奢宵帝が悪いと思わない。思わないけれど、国運を決することができないほど耄碌したのなら、さっさと太子に玉座を譲るべきだとは思っている。
「それも、皆で生き延びれば、だけど……!」
また一矢、弓につがえる。
鉄の鳥もそろそろ気がついてきたようだ。頭上で煩く鳴いている。
都の五割。
半分も、なのか。半分しか、なのか。
それ以上のバクダン被害が、広がらなくなってきた。
あちこちの民家や楼閣の屋根で、弓の名手たちが矢をつがえている。一番目立つ宮城の楼閣の上から、バクダンを尚香が迎撃した。当然、左右羽林軍の大将たちがこの弱点をつかないはずがない。
三羽の鉄鳥が落とす異界の知恵の実。
次々と羽林軍の弓の射手たちが、バクダンを撃ち落とし始めた。空中で弾けさせることはできずとも、矢で落下地点を変えることくらいはできる。
これが奢宵国の武人たちによる巧みの業。
その筆頭に、尚香が立つ。
都でもっとも天に近い場所で瓦を踏みしめ、矢を放つ。
都民は羽林軍の守備範囲内に避難しただろう。都全てを守ることはできないと判断した太子による、局地的防衛の布陣。尚香の嚆矢が無駄となれば羽林軍も全力で撤退する手筈だったが。
まずは一手。通すことのできた嚆矢に、尚香も安堵する。
安堵しながらも油断なく灰色の空を見上げていれば、ふと尚香の名前が風に乗って聞こえてきた。
鉄の鳥が少し距離をとる。尚香が視線だけをちらりと下に向ければ、楼閣からひょっこりと顔を覗かせる二つの頭。
「首尾はどうだ」
「上々でしょう? だって私たちの尚香だもの!」
兄である権太子と、妃の飛燕太子妃が、楼閣へとよじ登ってきた。
一番見晴らしの良い、一番危険な場所。そんなところに揃ってやってきた太子夫妻に、さすがの尚香もぎょっとする。
「お二人とも、どうして逃げていないんですか!?」
「どうしてって。尚香がここにいるのに、私たちだけ逃げてはいられないだろう」
「民を守るためなら、わたくしたちも身体を張りましてよ」
尚香は天を仰いだ。
そういえば太子夫妻はこういう人たちだった。
誰かが傷つくくらいなら、自分が傷つく。
自分の命一つで百万の民が救われるのなら安いものだと、平気で言うような人たち。
だからこそ尚香も、羽林軍の兵士たちも、彼らを支える文官たちも。この人たちに仕えたいと思う。
その二人が、尚香と同じこの国で一番高い楼閣の屋根まで這い上がってきて。
――当然、敵の鉄鳥はそれを見逃さない。
異界の知恵の実が頭上に落とされる。
「尚香」
名前を呼ばれなくとも。
尚香は弓をかまえ、バクダンを射抜く。
頭上で破裂し、爆風が飛燕の裳裾を大きく翻す。
「妃殿下、日傘は太子妃の嗜みですよ」
「ふふっ。尚香も女の子らしくなったわね」
尚香は足元に置いていた傘を飛燕に差し伸べる。飛燕は笑って傘を広げると、頭上に掲げた。
楼閣の天辺で開花する一輪の傘。
三羽の鉄鳥が集まってバクダンを落としてくるけれど、その全てを尚香が撃ち落とす。
「四十……四十四。そろそろか。尚香、これを」
権太子が落とされた異界の知恵の実を数え、袖口から一本の鏑矢を取り出す。
その鏑矢を、尚香へ差し出した。
「何をするつもりですか?」
「あの鉄鳥を落とす。狩りは得意だろう?」
権太子の挑発に、尚香は肩を竦める。
あの鉄鳥を落とすなんて聞いたことがない。
前代未聞の権太子の策。それでも尚香は請われるまま、矢をつがえる。だって、信じているから。
「まだ打つな。まだだ……四十九……五十一。……装填の様子はないな」
権太子の囁きと同時、鉄鳥が高度を下げてくる。
これまで異界の知恵の実に巻き込まれないように、高度を一定距離保っていた鉄鳥。
その巨躯が地上へ近づいてくる。
狙いは恐らく、楼閣の天辺にいる太子夫妻。
このために、二人は見晴らしのいい舞台へと上がってきた。
「よし、尚香放て!」
権太子の合図で矢を放つ。
甲高い音を立てながら、鏑矢は天高く飛翔した。瞬間、ドシュッと鈍く重い音が四方八方から上がる。
各所の屋根にはいつの間にか床弩が設置されていた。そこから発射された鉄の矢は、矢羽の代わりに網のようなものをたなびかせている。
その網は隣接する床弩が放つ矢の尻にも繋がっていた。投網のように天高く放たれた床弩の網は、鉄鳥の上から覆いかぶさった。
投網が絡まった鉄鳥の推進力が消える。
鉄鳥が落ちる。
一体は市街地へ、一体は宮城の堀へ墜落していく。
そして最後の一体は、この国で一番高い建物へ――尚香たちの居る場所へ墜落してくる。
尚香は叫んだ。
「殿下、飛んで!」
「飛燕、しっかり掴んでいろ!」
権太子が飛燕を抱き上げ、助走をつけて楼閣の屋根から飛び降りた。
飛燕は傘を広げたまま、真っ直ぐに掲げる。
鉄布の傘は風をはらみ、二人の身体を優しく地上へ運んでいった。
尚香の便利道具として開発していた、滑空する鉄傘。こんなところで役に立って良かった。
その様子を見てから、尚香は視線を鉄鳥へと向ける。
――鉄鳥の中に棲む人間と目があった。
高度が下がったことで、接近する鉄鳥の頭部がよく見えた。ずっと腹しか見せなかった鉄鳥の頭。そこに人間が住んでいた。
鉄鳥の中の人間は死を覚悟しているようで、尚香をものすごい形相で睨みつけている。
「鳥の中の住心地はどうかしら? 私はそんな狭いところ、御免だけれど」
弓も、矢もしまう。
丸腰のまま、呼吸だけを整える。
機会は一回。
狙うは鉄鳥の頭部のみ。
投網が絡まった鉄鳥が楼閣に突っ込んだ。
その、寸前。
尚香は墜落するより早く、鉄鳥の頭部に飛び移り、透明な窓を拳で粉砕していた。網が邪魔だったけれど、その膂力で引き裂き、鉄鳥の頭に住んでいた男を引きずり出した。
「くそっ、俺を助けてどうするつもりだ! 何も吐かねぇぞ!」
「馬鹿言わないで。異世界人の知識なんて、すぐに越えてみせるわ。私はただ、捨てられた命を拾っただけ。お前の命は今、私が拾った。私の言うことを聞きなさい!」
喚く男の胸ぐらを掴む。
そのまま、崩れかけた楼閣の上から投げ飛ばす。自分も数歩助走をつけて、楼閣から大跳躍する。
瞬間、楼閣が瓦解した。
「尚香、無事か!」
「尚香!」
先に着地している権太子と飛燕が、楼閣から離れた場所で尚香の名を叫ぶ。
もうもうと上がる土煙。
ぱちぱちと燃える鉄鳥。
太子夫妻の表情が変わる。火はバクダンのものか。権太子の読みが外れて、まだ鉄鳥に積まれていたのか。
緊張が走る。
やがて、もうもうと立ち上っていた土煙が薄れていくと、二つの影が姿を表した。
「殿下、ご無事ですか」
「尚香!」
ちょっとボロっとした尚香が、一人の男の首根っこを引きずりながら歩いてきた。
飛燕が駆け寄ろうとしたのを権太子が引き止め、尚香の引きずる男へと視線を向ける。
「それは?」
「鉄鳥の脳ですよ。殺すよりも生かすほうがいいと思いまして」
「よくまぁ、あの状況で助けられたな……」
「御者部分の防御が玻璃だったので。鉄なら諦めていましたよ」
しれっと言えば、権太子は呆れたように肩をすくめた。
「さすがの怪力だな」
「まぁ、これのせいで隠されていましたから」
尚香が後宮の隅に隠されていた理由。
それがこの怪力のせいだった。
女の手に余るほどの大弓を引けるのも、人の倍の距離まで矢を届かせられるのも、この怪力のおかげ。
「この男の処遇はどうする。お前に任せてもいいか」
普通なら権太子が率先して引き取るべきだが、あえて尚香に任せられる。任して、もらえる。
尚香は屈託なく笑った。
「私が拾ってきた命ですから。私が面倒見ますよ」
まずは一つ。
ガルーダ帝国が内包する異界の知識に対し、反撃の狼煙はあがった。
奢宵国の弓腰姫・尚香。
彼女の武勇伝はここから始まる。




