24 静謐メイドと呪われ騎士~秘密のお茶会は真夜中に~
セリーヌは静かな時間を好む。
特に夜が好きで、深夜の静まり返った王宮がお気に入りだった。
王宮メイドであるセリーヌは、朝から晩まで働き通し。
仕事について文句はないが、人が多く行き交う日中はとかく騒がしく、落ち着かない。
だからこそ、夜が好きなのだ。
たとえ次の日も朝早くから仕事があろうが、この時間を楽しむことだけはやめられなかった。
ろうそくの明かりを頼りに、セリーヌは廊下を歩く。
ひたひたという音だけが静かに響いていた。
メイドたちの寝室から出て真っ直ぐ行くと食堂に突き当たる。
その二つ手前の応接間を抜けた先に、小さな厨房があった。
こじんまりとした厨房だが、客人へのお茶や軽食を準備するのにちょうど良い。
食事を用意する大きな厨房とは違ってごちゃごちゃしていないのも良かった。
客人がいない時は、ここで使用人たちが軽い休憩を取ることを許可されている。
各々が好きな茶葉やお菓子を持ち込み、思い思いに利用していた。
おかげで日中はメイドたちのお喋りの場となることが多い。
セリーヌも時々参加するが、やはりあのやかましさは苦手だった。
(その点、夜中は邪魔が入らなくていいわ)
キィと小さな音を立てて扉を開く。
セリーヌは一歩厨房内に足を踏み入れて立ち止まり、目を閉じた。
聞こえてくるのは彼女の息遣いだけ。
昼間の賑やかさが脳裏に浮かび、スッと消えていく静かで不思議な感覚。
それらを数秒ほど堪能した後、セリーヌは誰にともなく呟いた。
「今日はローズヒップとマローブルーのブレンドにしましょう」
仕事を終え、皆が寝静まった頃に静寂の中で一人お茶を飲む。
ほんの数十分程度の、至福の時間。
わずかな音が妙に響いて聞こえる緊張感。
その程度の音で王宮の人たちが起きてくることなどあり得ないというのに、静かな空間にいるというだけで極力音をたてないようにと気遣ってしまうのも不思議だ。
そのスリルも、また一興。
茶器を用意する際のカチャリという音や戸棚を開け閉めするパタパタ音、湯を沸かすために火を点けるポッという音。
セリーヌにはそれらの物音が「静かにしなきゃダメだよ」と互いにヒソヒソ内緒話をしているかのように思えた。
口元に小さな笑みを浮かべながらポットにハーブを入れ、茶葉をよくかき混ぜる。
沸騰してひと呼吸おいたお湯を静かに注ぐ、とぽとぽという音が耳に心地好い。
フタをして砂時計をひっくり返し、蒸らす時間もセリーヌの心を落ち着かせてくれる。
最後にカップへ注ぐ頃、その人はやって来た。
「こんばんは。良い夜ですわね、ロワイ様」
「……こんばんは」
「貴方はいつも躊躇うのですね。どうぞお入りくださいませ」
「だが……やはり、心苦しい」
ひと月ほど前、初めて彼は真夜中の厨房に姿を現わした。
鼻の効く彼はある夜、見回りの際にセリーヌの淹れたお茶の香りに誘われてフラッとやって来たのだ。
以降、ロワイは夜番ではない時にセリーヌとお茶の時間を過ごすようになった。
セリーヌに押し切られる形で。
本来ならば、セリーヌはこの一人の時間を邪魔されるのを何より嫌う。
だが、彼なら良いと思った。
ロワイは背も高く身体も鍛えられており、パッと見て騎士だとわかる。
しかし猫背で俯き気味の彼は見るからに陰気だった。
黒く長い前髪で目が隠れていることもあって、とにかく近寄りがたい雰囲気が漂っている。
それが意図的なものだと、セリーヌは知っていた。
(今日も呪いを撒き散らしているかのようなお姿ね)
実際、彼は呪われている。
王宮内でそれを知らぬ者はいない。
彼の近くにいると小さな不幸が降りかかる。
ささいな呪いであるし、命に関わるようなものではないが、積み重なれば心を病みかねない。
だからこそ彼はわざと近寄りがたい雰囲気を纏い、人を避けているのだ。
その一方で、ならず者には遠慮なく近付ける騎士団の実動部隊に身を置いていた。
「これ以上、貴女の負担になりたくない。今日はそれを伝えに……」
「ちょうどお茶が入ったところですわ。冷めないうちにどうぞ」
「あ、あの」
「黙っていてくださいませんか? わたくしは静かな時間を楽しみたいのです」
「……」
一方でロワイは、自分が近くにいることで度々小さな不幸に見舞われるセリーヌに対し罪悪感を覚えている様子だった。
最初にお茶に誘った時も、彼は呪いを理由に断っている。
『俺には近付かぬ方がいい。申し出はありがたいが、遠慮させていただく』
『それは困りましたわね。もう用意してしまいましたのに』
『呪いが降りかかってしまうのだぞ……?』
『ええ、それが何か?』
全く意に介さないセリーヌに驚き、ロワイは返す言葉も思い浮かばぬ様子であった。
そんな彼を無視してお茶を二人分淹れたセリーヌは、そのまま黙ってカップを傾けた。
場は奇妙に静まり返ったが、静謐を好むセリーヌには望むところだ。
居た堪れなくなったのだろう、ロワイはそれ以上断ることもできずお茶を飲むこととなった。
そして去り際になると、セリーヌは彼に毎回同じ言葉を告げる。
またいらしてください、お待ちしていますと。
誰もが気味悪がってロワイに関わろうともしない中、セリーヌの行動は彼に衝撃を与えた。
人と関わらなすぎて、あと少しで人間の言葉を忘れるのではないかというほどロワイは寡黙になっていたのだ。
『わたくしは、静かな時間が好きですわ。けれど、貴方ならいてくださって構いません。余計な会話をしなくて済む関係は、存外心地よいですもの』
セリーヌから漂う静かで穏やかな雰囲気は、ロワイにとっても心地よいものだ。
彼女が良いと言うのなら、ずっとこのまま側にと願ってしまうほど。
──パリンという音で、ロワイはハッとする。
見ればセリーヌが持っていたカップの持ち手がぽっきり折れて、床に落ち無惨にも割れてしまっている。
せっかくのお茶も床に赤いシミを作っていた。
「あぁ、今日はカップが割れてしまいましたわね」
「っ、セリーヌ、手が……!」
彼女の白くて細い右手の人差し指に赤い筋が流れ落ちていく。
ロワイは顔を青褪めさせたが、怪我をした本人であるセリーヌに動じた様子はない。
「この程度、冬のあかぎれに比べればなんてことありませんわ」
「し、しかし……」
「お黙りになって」
血の滴る人差し指をロワイの口元で立てたセリーヌは、口角を少しだけ上げて笑んだ。
「ロワイ様は、わたくしがお嫌いですか」
「そんなはずはないっ!」
「ならばわたくしは、いつの夜もここでお待ちしていますわ」
セリーヌはようやくハンカチで怪我をした指の血を拭う。
ロワイには、彼女の考えがわからなかった。
「……貴女は、嫌ではないのか。俺が近くにいるだけで、いつも小さな不幸に見舞われるというのに」
こういったことは初めてではない。
初めてのお茶会では使おうと思っていた茶葉が悪くなっていたし、湯を沸かすためのポットが見当たらないこともあった。
怪我をしないようなことならまだしも、軽いやけどをすることもあれば、足を滑らせて転んでしまうこともある。
「俺は、貴方を傷付けたくなどない」
拳を震わせ、悔しそうに俯くロワイを一度見やったセリーヌは静かに立ち上がった。
ゆっくりと歩み寄りロワイの目の前までやってくると、テーブルに手をついて彼に顔を近付けた。
たじろぐロワイの長い前髪をセリーヌの左手が掬い上げると、今日淹れたハーブティーと同じ色をした赤い瞳が露わになった。
互いの視線が絡み合い、少しずつ距離が近づいていく。
セリーヌがロワイの頬に手を添えたと同時に、二人の唇も触れた。
「セ、リーヌ……」
「全ての不幸を背負い込んだような顔をされるのは、不快ですわ」
ロワイの前髪を耳にかけ、目が見える状態を保ちながらセリーヌは淡々と告げた。
「君を、不幸にしたくないんだ」
「あら、随分とつまらないことをおっしゃいますのね」
ロワイの首に両腕を回し、セリーヌはクスッと笑う。
椅子に座ったままの大柄な彼を見下ろすのは気分が良かった。
「他の方はどうか知りませんけれど。わたくしは大きな幸せを手に入れられるならば、些細な不幸など気になりませんの」
「大きな、幸せ……?」
暫し不思議そうに呆然としていたロワイは、セリーヌの言う「大きな幸せ」の意味を理解した瞬間、ボンッと音が出る勢いで顔を真っ赤に染めた。
その瞬間、フッとろうそくが消えて厨房内が暗闇に包まれる。
これもロワイの呪いによる小さな不幸なのだろう。
セリーヌは再びロワイの顔が見えるほど顔を近付けた。
真っ暗すぎてよく見えないが、今の彼は驚くほど顔が赤くなっているはず。
それを想像力で補完するのは楽しかった。
「わたくしは、小さな不幸にいちいち怯えるような女ではなくてよ。だから……」
こつんとロワイの額に自身の額をくっつけて、セリーヌは愛おしげに囁く。
「つべこべ言わず明日もここへ。わたくしが、貴方を幸せにして差し上げますわ」
「っ、降参だ……」
静寂が訪れた真っ暗な厨房内には、二人分の吐息だけが静かに響いた。




