16 弱き者の戦い
雲間から一筋、陽光が差した。
城市の中央通りを進む騎乗列を、天の輝きが照らす。先頭で葦毛馬に乗る年若き女が、光に浮かび上がった。
「おお、アンナロッテ様……!」
「聖騎士様の勝利を、天の神々も祝福しておられる!」
道の脇に集った民が、口々に歓声をあげる。若き鎧の女――聖騎士アンナロッテは、豊かな黄金の三つ編みを揺らしつつ、手を挙げて微笑んだ。
「まこと、たいしたものよ」
横で、騎士団長が感嘆を漏らす。
「叙任からわずか三年、なのに此度も功の第一は貴君。まこと、ロンダリアの男どもは軟弱で情けないな」
「勝利は独りでは得られぬもの。皆様のお力がなければ、邪教兵団の壊滅は叶わなかったでしょう」
「驕らぬのも良い心がけだ」
列は、中央広場にさしかかった。頭を軽く下げ、女騎士は言う。
「少し、寄り道してもよろしいでしょうか」
「陛下への謁見は六の刻。鐘が鳴ったら戻れよ」
馬首を巡らせ、女騎士は一騎、西の道へ入る。
灰色の雲の間、いまや大きく青空が覗く。降り注ぐ陽光を一身に受けつつ、女騎士は馬を進めた。
◆
道なりに進めば、石畳の街路の先に古びた教会がある。
玄関を掃除していた少年が、女騎士に気付き目を見開いた。
「リリアン様! アンナロッテ様が来たよ!」
少年が大声で呼べば、やわらかな女声が中から応えた。
「『いらっしゃった』、でしょう? 命賭けで民草をお守りくださる御方を、きちんと敬いましょうね」
軽やかな足音と共に、木の正面扉が開かれた。現れた黒服の尼僧は、眩しそうに目を細めつつ微笑んだ。首や手に覗く滑らかな肌が、日の光に白く輝く。
二人、とろける笑顔で頷き合う。
女騎士が馬から降りると、子供たちが四方から集まってきた。掃除をしていた者、中から出てきた者……たちまち女騎士はもみくちゃにされる。
「アンナロッテ様! 今回は化物を何匹やっつけたんですか?」
「戦場のお話、してください!」
集まる子らの肩を、女騎士は革手袋に包まれた手で軽く撫でた。
「話は、あとでゆっくりしてあげるよ。今はシスターに相談があるんだ」
子らの輪が解かれる。
尼僧が一礼し、女騎士の手を引く。二人は共に、薄暗い教会の奥へ歩を進めた。
◆
古びたステンドグラスが、外界からの光を着彩する。鮮やかな斑の明かりの下、尼僧はあらためて周りを確かめ、重い口を開いた。
「ほんとうの状況は、いかがですの」
「ぎりぎりだ。民の前では大勝利を演出しているが、邪教の手は近郊まで迫っている」
互いの表情が曇る。
破壊神「無貌の女」を崇める邪教団が、ロンダリア城塞都市を狙い始めて既に二年。かつて聖王国が封印した「無貌の女」が、この地に眠っていると邪教徒は信じ、配下の魔物と妖術とを用いて奪取を目論んでいる。今は聖騎士団が陰謀を阻止しているが、形勢は徐々に悪化していた。
「だからシスター・リリアン、今のうちに考えておいてほしい。万一城壁が突破され、敵が教会に迫った時、どのように貴女の安全を確保するか」
「……聖騎士様は、アンナロッテ様は、決して負けません」
「負けるつもりはない。だが戦略的な後退はありうる。何が起きるかわからない以上、備えだけはしておいてほしい……この教会は強い魔法障壁に守られているが、長期の籠城は無理だ」
言葉を失う尼僧の肩を、女騎士はそっと抱いた。
この古教会の周囲には、強力な守護魔法陣がいくつも備え付けられている。一部は城館周辺より強いほどだ。ゆえに悪霊への防御は固いが、ただ守るだけでは食糧も水も得られない。
「強き者と弱き者。戦い方は違う」
諭すように女騎士が続ける。
「私は剣を取れるから、剣で戦う。だが、剣を交えるばかりが戦いではない。机上の戦術も、交渉の弁舌も……そして市民の安全確保も、すべて戦いのうち」
かすかに震える尼僧の背を、女騎士はゆっくり撫でる。
「シスター・リリアン。弱き者の戦いも、名誉ある戦いだ。私たちが後顧の憂いなく力を振るうための、ね」
「……私は」
決然とした瞳で、尼僧は入口の扉を見た。子供の声がかすかに聞こえる。
「あの子らの命を、そしてあなたの心を、背負っているのですね」
「そう。だから、退避の算段は常にしておいてほしい。そしてもし、どうにもならなくなったら」
女騎士は、ひとつの紙片を尼僧に渡した。日常では用いられない、古代の魔道語が書かれている。
「その言葉を唱えてほしい。貴女が使えば、私に絶大な力をもたらす。ただ、使えるのは一度きり……使い所はくれぐれも慎重に」
尼僧が頷いたのと、ほとんど同時だった。
勢いよく扉が開け放たれた。逆光の中、伝令兵が駆け込んでくる。
「アンナロッテ様、至急救援を。中央通りに魔物が出現」
「そちらには本隊がいるはずでは?」
「帰還騎士の何人かが、密かに取り憑かれていた模様。完全な奇襲でした。現在交戦中ですが、状況は芳しくなく――」
「リリアン!」
兵の言葉が終わるのを待たず、女騎士は叫んだ。
「貴女と子供たちを安全なところへ。ここは危ない」
「え、しかし――」
「私は貴女を守る。貴女も貴女を守ってくれ!」
物言いたげな尼僧を残し、女騎士は教会を飛び出した。
◆
騎乗で駆けつけた女騎士は、中央通りの惨状に言葉を失った。
血で汚れた石畳に、動かぬ市民が幾人も転がる。戦地と同種の瘴気が、濃く漂う。すぐさま鼻と口を押さえつつ、女騎士は辺りを探った。
左手側遠方に、見知った姿があった。マントに縫い取られたロンダリアの紋章が、いくつも翻っている。
女騎士は安堵の息を吐き、馬を降りた。抜剣しつつ大声で呼ばわる。
「アンナロッテだ! 教えてほしい、今の状況は――」
女騎士の声が途切れる。
声に反応したマントの者たちが、彼女を振り向いていた。
が、兜の中に人の顔がない。目鼻があるべき所は漆黒の闇だ。
「冥界の影……!」
女騎士がうめく。邪教団の妖魔、擬態能力を持つ厄介な相手だ。
黒い瘴気が敵の身から湧きあがる。影は見る間に固まり、黒い投槍の形をとった。
「来、イ」
痛いほどの邪気を纏い、投槍が一斉に飛んだ。
五筋の黒が、女騎士を狙う。
「はぁ……っ!」
銀の刃がひらめく。
甲高い金属音と共に、槍が弾かれた。
三本は軌道を逸らし、残る二本は躱され地に突き立つ。
石畳に刺さった槍は、見る間にほどけて黒煙に戻る。煤のごとき瘴気は、妖魔の手中に再び吸い込まれた。
「我ラノ仲間ト、ナレ」
黒の槍が再び飛ぶ。
幾筋かは躱され、幾筋かは剣で払われた。
ひらめく剣と靴の音が、楽の音にも似た調子を刻む。
槍の軌跡は、意図なき無闇な投擲だった。修練を積んだ者なら容易に見切れる。繰り返される投槍の攻撃は、女騎士の踊るような動きで回避されていった。
だが。
「っく……は」
女騎士の呼吸が、荒くなる。動きも目に見えて鈍っていく。
疲労ではないはずだ。戦地で彼女は、はるかに長時間の死闘を幾度もくぐり抜けている。
では、なぜ。
足元で黒煙に還る槍を見ながら、彼女は不意に目を見開いた。
「これは、瘴気の影響――」
女騎士が呟いたとき、背後で高い嘶きが響いた。
彼女の馬が、前足を高く上げて興奮していた。馬具は外れ落ち、葦毛だったはずの身体は瘴気の黒に染まっていた。
青ざめる彼女を残し、馬は走りだす。
尼僧のいる教会へ向けて。
◆
愛馬を追う。妖魔たちは追撃してこない。
教会の手前で、葦毛に戻った愛馬が倒れていた。介抱する余裕はなかった。教会の周りを、幽鬼の黒い影が取り巻いている。いまや邪悪な者どもを阻むのは、見えざる魔法障壁だけであった。
「ソノ馬ガ、教エテクレタ……我ラガ『女王』ノ居場所ヲ」
幽鬼たちが哄笑する。
「オマエト馬ニ『女王』ノ匂イガ、シタ。ダカラ案内サセタガ」
女騎士の背後に、黒い影が回り込む。退路は断たれた。
「『女王』ノ所ニ、行ケナイ。道ヲ開ケロ」
「断る」
周囲の瘴気が膨れ上がる。
「オマエ、苦シムゾ」
「望むところ!」
幽鬼の返答を待たず、女騎士は前方めがけて斬り込んだ。
銀の刃が一閃し、すさまじい絶叫があがる。
返す刀でさらに一閃。黒い影が溶け、宙に散る。
「ソレガ答エカ」
またも無言で、剣が幽鬼を貫く。
回答を承知したのか、幽鬼たちは一斉に女騎士へと襲い掛かった。
◆
おぞましい叫びが、教会周辺に満ちる。
舞踏めいた足取りで女騎士は戦った。流麗な剣閃にはわずかの無駄もなく、振るう切っ先と返す刀は、常に一体以上の幽鬼を薙いでいく。さきほどまで瘴気にあてられ、息を荒げていたとは思えぬ動きであった。雲霞のごとき幽鬼が、輝く剣に次々散っていく。
だが彼女の心臓は、次の瞬間凍りついた。
教会の扉が開いていた。
怯えた目つきの尼僧が、隙間から外を覗いている。
「『女王』! 我ラガ『女王』!」
幽鬼たちが色めき立つ。
一瞬の動揺が、女騎士の動きに隙を生んだ。黒い影に足を取られ、白銀の鎧をまとった身体が地面に倒される。
「アンナロッテ様!」
「シスター・リリアン」
尼僧の叫びに、女騎士は不敵な笑いを返す。
「今こそ、あの言葉を」
尼僧は、一瞬目を見開き、頷く。
「……――」
古の魔道語が紡がれる。
女騎士の身の内に、膨大な力が宿り膨れ上がる。
ああ、これは神にしか扱えぬ術だ。例えば、かの破壊神のような。
「破壊神『無貌の女』は、ロンダリアの古い教会に封印されている」……王族と聖騎士団だけが知る事実だ。
破壊神はいち尼僧の身に封じられ、聖魔法で力と記憶を奪われている。封印を守るのが、ロンダリア聖騎士団の第一の使命なのだ。
女騎士は思う。
強くなりたかった。彼女を守り抜けるほど強く。
でももし強さが足りないなら、弱き者の戦い方でもいい。
ただ彼女を守りたかった。どんな形でもいい、彼女の騎士でさえあれば。
かっこよくて強い騎士でありたかった。
けど、かっこよくて弱い騎士でも、それはそれでいい。
魔導語の詠唱が終わった。
力の渦が、爆発する。女騎士の身体を焼き尽くしながら。
浄化の力が、城市のすべてを押し流す。
すべての終わりを、尼僧は涙を流しつつ、ただ茫然と見つめていた




