第四六話「陣風と川西航空機の執念」
久しぶりの更新です。
-日本は1944年以後、「撃砲計画」と称される防空網整備計画のもと、緊急的に防空網を整備していた。将来訪れるであろうB-29の戦略爆撃から防衛するべく、一万mの高高度でも戦闘可能な雷電二一型及び閃電、三式戦闘機などを優先的に重要拠点に配備したほか、三式12cm高射砲、更には五式15cm高射砲を制式採用、緊急生産し、B-29とその後継機「B-36」に備えた。
遥は戦後、旧史戦後の人間でありながら何故戦前の大日本帝国の国体を維持する事を選択したのかの理由を自伝に書き残した。それは米国の事実上の政治的植民地として周囲に怯えながら年月を費やすよりは軍事大国としての姿を維持したままアジアに君臨させた方がある意味では正しいと判断したのと、戦後の価値観や感覚はこの時代では通じないので、戦前の人間になりきった方が生き残れるという現実的な理由もあると記した。
実際、遥の政治的努力により日本は航空機関連の開発に関しては順調に進行させることに成功し、陣風、疾風の生産を1944年中に開始させていた。(疾風に関しては当初の予定より速い)彼女はその人脈を生かし、新型機が生産されると必ず自分に一機回すように各航空メーカーに要請し、実戦テストも兼ねて搭乗していた。今回は陣風の量産第10号機を受領し、寒冷地での実働テストを兼ねて制空任務に使っていた。
「さて、幻の陣風がどの程度か……造らせた身としちゃ興味あるんだよな」
ハ43エンジンを唸らせ、陣風は零戦を遥かに凌ぐ上昇力で舞い上がった。1944年にようやく生産段階にこぎ着けた2500馬力エンジンは零戦とは段違いのパワーと速力を陣風に与えていた。それでいて高速域でも低速度域の零戦並みの機動性が発揮できるというのは旧世代機に比べての最大のアドバンテージである。軍当局は既に疾風と陣風を鍾馗と零戦を代換する制空戦闘機として急ぎ配備する方針を固めている。陣風は重戦闘機的な性格が強く、武装も20mm機銃6門以上と大火力を誇る。
「敵はYak-9を本格的に投入しだしてる。鍾馗もそろそろ限界か……」
零戦以上に日本を支えてきた名機「鍾馗」ではあるが、1944年には性能の限界が見え始めた。より次世代機が敵側にも登場してきた以上、落ち目になり始めた機体はそろそろ引退させるべきである。旧史の新世代機開発が迷走し、時期を逸したと揶揄される機体を多数生み出してしまった状況を考えれば、今の日本軍は思い切り恵まれていた。
陣風にしても、ハ43にしても、旧史ではモックアップしか製作されなかったり、試作でエンジンが造られる段階にしかこぎつけられなかった。それを思えば、陣風を史実の5割以上増しの品質で作れるようになったのは良い成果であった。遥がもう一つ憂慮していたのは、戦後の人間から「戦前の馬鹿の象徴」、「万里の長城」とも揶揄された大和型の事。戦後に於ける技術的評判が芳しくない事に腹を立てた技術陣(造船関係者は戦艦を作れなくなった戦後の人間達が自分たちの苦労も知らないで無用の長物呼ばわりするのを我慢出来なかった)が大和型を新規建造分、既存艦問わず改造しているという報は彼女の耳にも入っていた。
「造船関係の奴らは躍起になってるんだよな。大和型を心血を注いで造ったのに後の世から無用の長物扱いされるのに怒り狂るのはわからんでもないが」
陣風を操縦しながら、日本海軍史上最高傑作と造船関係者が豪語する大和型が後の世によって「欠陥あり」の烙印を押された事への造船関係者達の怒りに同情をみせた。そのため超大和型戦艦は56cm砲を積んだ関係と、当初は集中防御式で建造される予定が、全体を厚く守る「全体防御式」に変更されたので排水量が100000トンを有に超える見込みだ。その為修理保守のために日本各地の造船ドックを拡充する必要が生じ、それが完了次第、建造開始という事だが……。
「ん……来たな」
イギリス・ドイツの技術協力で造り上げられた機上レーダー(1944年以後の新型機には当初より搭載)と視力を合わせた索敵にソ連軍機の姿が確認された。見てみると、旧型のYak-1の姿は見えず、後継機のYak-3とYak-9に全面的に統一されている。ソ連軍の生産力には毎度ながらあっけらかんとさせられる。
「こっちはまだ零戦から換えてる途中だってのに……上に疾風と陣風の大量配備を催促しておこう。全機、アカの奴らを出迎えしてやれ!!」
そう。日本は兵器生産力がまだ大きいとは言えず、(それでも史実の数倍だが)新型機への更新ペースは緩やか。制空戦闘機に関しては、酷使された零戦の代わりにようやく陣風が一個中隊分配備された程度。爆撃機への対策で、局地戦闘機が優先されたので、制空戦闘機に関しては遅れが顕著に現れている。新型機の遅れに業を煮やし、部隊によっては鍾馗にイギリス製のグリフォンエンジンを積み込んで改修し、場を凌ぐ例も出ている。
-零戦の時代はもはや終わり、次世代機の時代になりつつある。それは日本軍自身がよく認識していた。だが、日本の兵器生産能力の過半数は空母と海防艦中心に各種艦船と局地戦闘機を含む防空網整備に割り振られ、制空戦闘機に振り分けできる工場は多くはない。残った工場で新型制空戦闘機の全力生産を行なっているが、旧史の反省で、厳格な部品動作チェックなどを経て軍に納入するので、遅れがどうしても生じる。また生産分は普段は本土防空部隊が優先して受け取れるため、前線に送られる機体が月毎に少数しか確保できなかったが、1944年のソ連の攻勢に際し、変更が加えられ、前線へ最新鋭機が最優先で配備されるようになった。その成果が陣風の配備であった。
-空戦が開始され、遥と護衛機を含む陣風を中心にした日本軍は時速700キロ台の高速で一撃離脱を徹底した。この時代の空戦は「速度差が30キロ以上あれば一方的に優位になる」のが当たり前であったので、戦闘マニュアルに旧・陸軍飛行戦隊出身者達の編隊空戦の研究成果を反映させた。その点では現在の日本空軍は陸軍飛行戦隊の後裔であると言えた。
陣風の「`ホ5`20ミリ機関砲」6門が火を吹き、Yak-9を蜂の巣にする。零戦よりも小型であるが、高性能が売りであるYak-9だが、航空技術に於いて遅れを取り戻した日本の努力の象徴ともいえる「`ハ45`」を積み、自動空戦フラップによって機動性も日本機特有の軽やかさを維持している陣風に追いつけず、翻弄されている。
-川西航空機の執念は遂にソ連軍を超えたのだ。
この場に川西清兵衛がいたなら、そう叫んだに違いない。陣風は旧史で紫電改にお株といえる制空任務を奪われ、試作中止の憂き目にあった。技術者達の紫電改が本来の迎撃任務ではなく、制空任務に使われた旧史の嘆きを吹き飛ばす、陣風の活躍。史実で紫電改が日本海軍航空隊の救世主のように崇められたように、陣風は日本空軍の希望であった。
「日本はまた新型を作ったのか。今回は侵攻戦用か……」
「`ゼロ`のモデル寿命が尽き始めたからな。制空任務用もいくらなんでも新型を作らないと……って焦ったんだろう」
「俺らと違って大変だな」
「アイツらは生産能力は我が祖国の半分以下だからさ。新型機への更新にさえヒーヒー言ってんだよ」
ヤク戦闘機のパイロット達は日本新型機にそのような感想を残す。ここのところは戦前登場の「ゼロ」相手に優位に立つことも珍しくなくなったきたソ連軍だが、戦い自体は日本の防空戦闘機群に敗北するばかり。新型機を以てゼロを蹴散らそうと息巻くソ連軍はYak-9などを大量配備。比較的手薄な日本の守備範囲を攻め立てた。だが、遂に日本も戦闘機の制空用の新型を開発した。それを示すように陣風中心に鍾馗や閃電を従える日本側は優速と元々、重装甲の「B-29」を想定した大火力を持つ機体を前面に押し出して、ひたすら一撃離脱に徹し、ソ連軍機を順調に落としていく。日本軍側搭乗員の主要メンバーが旧・陸軍飛行第64戦隊出身者や史実の海軍台南空などに配属されたであろう、軍の至宝レベルの精鋭熟練者の面々だった事も大きく、ソ連軍は手玉にとられ、次々に撃墜される。
「大田、笹井、南郷、首尾はどうだ」
「ハッ。私達はそれぞれ3機撃墜しました。川西航空機の技術者たちも喜びましょう」
「そうか、ご苦労。目的は達した、帰投するぞ」
遥はこの頃にフィンランドに配属されていた`ラバウルの貴公子`、`台南空の三羽烏`の一角、「ニューギニアは南郷でもつ」の3人の至宝と言えるエースパイロットたちを配下に従え、悠然と帰投する。日本軍が史実のこの時期にはとっくに失ったはずのかけがえの無いエースパイロット達が未だ健在であることが新史日本の兵器開発への努力が現れていた。




