第二三話「日本軍の兵器開発 艦艇編」
-悲劇の軍艦の象徴「戦艦大和」。前史ではとうとうその性能を奮う機会が得られぬまま姉妹艦の武蔵共々`戦艦終焉`の象徴のように航空戦力に屈した。それを覆すべく日本は大和型の対空戦闘力を強化していった。幸いにもどうやって沈められたのかは大和・武蔵共々分かっていたのでそれを現有技術の範囲内で改善するのが日本海軍の悲願であった。
-海軍艦政本部
「高角砲はどうする?」
「六五口径九八式一〇糎高角砲をひとまず回す。あれが今のところ一番高性能な高角砲だからな」
「お前ら、噴進砲を忘れている。十二糎二八連装噴進砲二型(試験的に試作の近接信管が搭載された改良型)も搭載するぞ」
「機銃は?」
「全面的にボフォース 40mm機関砲へ切り替えだそうだ。既に極秘裏にライセンス獲得がなされ、各地の会社と工廠、ついでに向こうさんの日本工場で急ピッチ生産が行われている」
「武装はそれでいいとして……水中防御の強化は?」
「液層防御方式を取り入れる。なりふり構ってもいられないからな」
新史の日本軍は自分たちが旧史で犯した失敗を引き合いに出して自らを戒めていた。
特に国運をかけて作ったはずの大和型が圧倒的多数とは言え、たった二時間の航空攻撃に屈した衝撃は海軍を震撼させた。よく言われるが、大和型は史実でも指摘されているが、46cm砲搭載艦としては、船体が小型軽量なことである。外国が18インチ砲搭載艦を建造すれば排水量は80000トンあまりになるだろうと後世で言われているが、日本は46cm砲搭載艦を65000トンで抑えられたのは大和型の褒められる点だが、新史での勝利のためには大和はさらなる改造が必要なのだ。因みに大和型の水中防御は米国曰く「アキレス腱」との評価であり、空層防御は大正年間の平賀譲の評価が尾を引いていて、大和も建造当初はその方式で作られた。だが強化のために液層防御方式へ改装されることになった。(これは2番艦の武蔵が「武蔵型」の別名を持つほどに改装強化されるのが決定され、工期が延長されたが、そのついでに大和に影響が及んだ)1943年2月に大和は再びドックへ改装に入り、全てに手が加えられていた。レーダーもより新型の二号電波探信儀三型と三式一号電波探信儀四型(敵味方識別装置の付属や探知距離の向上がなされた最新型。イギリスの協力で制式化に成功した)に変えられ、搭載機も時代遅れの水偵から彗星に切り替えられた。ドックでは武装をすべて外され、船体の内部構造にまで手を加えられる大和の姿があった。65000トン級から`生まれ変わる`のである。平賀譲の最後の遺産(彼は史実の自らの設計が完全に裏目にでた艦艇の大量喪失の結果の事実に多大な精神的ショックを受け、その全責任を負うと言って、1940年に完全引退を宣言した。その代わりに新史では脳溢血を発症せずに存命していた藤本喜久雄予備役造船少将が平賀を見限った部下たちを手に入れて復権し、超大和型の設計に携わっているとか)を手直しするのは嫌だが、良くも悪くも一時代を築いた人間なのは確かだ。
「しかしまあ……見事に勢力図が変わったもんだ」
「まるで豊臣から徳川に取って代わられた故事のようだよ」
艦政本部では再び勢力図が入れ替わった事を桃山時代から徳川時代へ変わったときの故事を例にとって、『平賀は未来情報という`思わぬ敵`によって`関ヶ原`に負けた』と取られるようになっていた。それを示すように各艦のリベットは溶接に変われるところは溶接へ替えられており、連合艦隊の第一線級艦船の殆どはその改装を受けている。ソ連艦隊の侵攻はそう遅くないだろうからできるだけ急がなくては。
「ところで超大和型……`新戦艦`の竣工時期は?」
「あれはどうだろう。ドックの拡充や56cm砲の試作など課題は多いからどんなに急いでも46年~47年だろうな」
「開戦後だよな」
「しょうがない。今は空母のほうが優先されるからな。大和型の3番艦は空母になるし、4番艦は工事が進んでいたから番号を繰り上げて`3番艦`として作るが……間に合うかな?」
これは空母として改装される「信濃」と空母改装の道を辿らずにコンコルド錯誤の要領で戦艦として建造されている計画名`111号艦`の事だ。この歴史では軍事予算を空軍関連の予算に取られた影響で110号の建造が111号より遅れてしまった。そのため前者は需要が拡大した空母になるが、戦艦として既に出来上がりつつある111号は「甲斐」、「越後」、「飛騨」の候補名で戦艦として完成させるという結論が出た。書類上111号は大和型3番艦と扱うという事だ。ここにも日本の苦労が忍ばれた。




