第55話:勉強会と見えなくもない
あまりに暇なのか、アカネが結城さんの背中にへばりつきながら一緒に勉強を始めた。別にアカネが大学へ行くとか学校へ行くとかはないはずなので問題はないとは思うが……さて、何時になったら家に帰そうか。もしくは帰るなら帰る、遅くなるなら遅くなるで家に一報を入れさせた方がいいと思うので、キリが良くなったところで一度結城さんにそう促しておこう。
「結城さん、家に連絡入れなくていいの? 外もうだいぶ暗いし、そろそろ夕飯の支度してる頃なんじゃないの? 」
「そうね、友達の家で勉強させてもらってるって連絡だけ入れておいたほうがいいわね。ちょっと失礼」
結城さんが部屋から出て、メールを打ちに行く。その間にアカネと小さく小声でお話。
「アカネ、あんまり余計なことしないでくれ。特に俺の声が出そうになったり笑いそうになったりするのをこらえるのはかなり危ない」
「だってこの女の子、結城さんからは見えてないんでしょ? あまりに無反応だと面白くないじゃないの」
「だとしても、だ。俺から見て危ういような行為は慎んでいただきたい」
「わかったわよ。大人しく隅っこで体育座りしておくことにするわ」
そういうと、本当にベッドの隅っこで体育座りを初めた。ワンピース姿の女の子の体育座りは絵になるな。育ち盛りということもあるが、アカネの少女から大人へ向かおうとしているその中間あたり、といった年齢具合からもわかるが、哀愁を漂わせずに一つの作品として完成しそうなたたずまいがそこにあった。
体育座りも年季が入っているということだろうか。もしかしたら、誰にも相手にされない間アカネはずっとこうして居たのかもしれないと思うと、心にチクッととげが刺さるような、そんな気分にもさせられる。
「終わったわ。了解は取れたからもう少しだけ勉強教えてもらってもいいかしら」
「ああ、でもそれなら角煮とオーク肉、冷蔵庫で冷やしておいたほうが良さそうだな」
「その方が助かるわ。八時までには帰って来なさいとは言われてるからそれまではみっちり教えてもらえそうね」
「ということは俺の夕飯も八時か。何作ろうかな」
夕飯の食材で手持ちでサッと作れるのは味噌野菜炒めか。冷蔵庫の野菜を軽く確認して、色々あることを見定めるとレシピを簡単に頭の中で整理して、何を作るか決めた。そのままパスタと絡めて味噌パスタというのも有りだ。炊飯器のご飯は余った分を冷凍庫に入れてあるのでそれを温めてもいいし、夕飯の時間になったら決めることにしよう。
それまでは結城さんの勉強の面倒を見ることにした。勉強だけで済ませるのも集中力が切れると思ったので、業務スーパーで買っておいたサイダーのミニサイズの缶を二本冷蔵庫から取り出し、机に乗せておく。
「ありがとう。ちょうど喉が渇いてたのよね」
早速缶を開けて飲み始める結城さん。口から喉へ流し込まれていくサイダーと、喉へごくりと飲み込まれていくのを見て、ちょっとした色気が見える。俺も健康的な男子であるし、それに反応しないではない。落ち着いてこちらもサイダーを飲み始める。
「さあ、続きをしましょう。暗記科目は前日一夜漬けでなんとかなるからそれは良いわ。大事なのは公式を当てはめる勘と慣れが要求される数学と物理の方面よ」
「それなら……この辺の問題集解いてみたらどうだろう」
「やってみるわね」
口を出さずに真剣に問題を解いている結城さんをよそ目に、暗記科目を頭に入れていく。問われたら答える形で口を挟み、原則自力で解いてもらう。解いたときの「あ、これでいいのか! 」というひらめきを大事にしたいと思っているのでそこに達することができるかで勉強が楽しいものになるかどうかが決まるだろう。
さあ、結城さんはどっち側に転んでくるのかな? もうちょっと様子を見て結果を楽しみにしておこう。と……なんだか結城さんがアカネのほうを見つめているような気がする。アカネは見えないはずだから、そこに虫でもいるんだろうか。そろそろ虫よけスプレーが必要な季節か?
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side:結城彩花
初めての他人の家の他人の部屋。正確には男の子の部屋に入る、ということに一歩を踏み出してみた。男の子独特の、汗と体臭が入り混じったような香りがする。本条君の場合鼻につくとかそういう嫌いな香りではない。むしろ、良い匂いとすら思えてくるのだから不思議。なんだか……ほわんとする。
せっかくだからもう少し香りを味わっていたいので、勉強を教えてもらうという理由を無理矢理作ってもう少しだけ一緒に居たい。わかるけどわからない所としてノートにまとめられた部分を説明してもらえるようにお願いすると、素直に教えてくれる本条君が近づき、さっきまでしっかりダンジョンで運動をしていた分、汗と体臭が更に近くに来て、もうお腹いっぱいですって気分になる。
ちょっと今の時間、幸せかも。ちゃんと勉強も教えてもらって、自分の身に付けつつ本条君の香りを充分に楽しむことにしましょ。弟とはまた違った男の子の匂いというものをしっかり味わっていたいわ。
暗記科目は暗記するだけなので置いといて、理論的に導き出すのが可能な数学や物理なんかをメインで教えてもらうことにしている。どうやら国語の感想部分や感情を読み取れという部分は本条君は苦手らしい。学年三位でも苦手な分野はあるんだ……ちょっと意外。でも、今回たまたまいい点が取れただけで前は……前の順位は知らないけど、上のほうには居なかったはず。まだまだ私も挽回できる余地があるってことね。
なんだか背筋がひんやりするこの部屋だけど、せっかくマンツーマンで教えてもらえるこのチャンスを逃すわけにはいかないわ。しっかりと教えてもらって、次のテストに活かせるように頑張らなくちゃ。
喉が渇いたのでサイダーを……あれ、私さっきサイダー飲み干したような……これ、本条君の分じゃない? 間接キスになっちゃったけどまあいいわ。後で謝ることにし……
その瞬間、ワンピースで髪も整ったかわいい子がベッドの隅っこで体育座りをしているのが目に入った。思わず飲んだサイダーを吹き出しそうになるが、堪える。男の子の部屋で炭酸飲料を吹きだす女だと思われたくないので我慢よ。
こんな子さっきまでいなかった。一体、私は何を見せられているのだろう。ふと、女の子と目が合った。女の子が軽く手を振っているが、振り返して本条君が妙なことを始めた、と気にするのも悪いし、この子は本条君には見えてないのかもしれない。
でも、私の目はその可愛い女の子にくぎ付けだ、とてもじゃないが勉強どころではない。本条君の部屋には女の子の霊が住み着いているのか、それともこれは霊じゃなくてもっと他の何かなのか。それとも、本条君にも見えてるけど、居ないことになっている妹だったりするのかな。だとしたら家庭の事情に首を突っ込むことになってしまうし、君にはあの子が見えるんだね? と厄介なことになってしまうかもしれない。どうすればいい……どうすればいいの……
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side:本条幹也
うん、これ、見えてるな。アカネのこと見えてるな。結城さんの視線が明らかにアカネのほうに固定されているし、アカネは見えてるの? と言わんばかりに手まで振っている。しかし、アカネが見えるのはどういうことなんだろう。隆介の時は家に来てから帰るまで完全に見えてなかったのに、隆介の時と違って途中から突然見えるようになった、というのが気になる。
何かきっかけがあって見えるようになった、ということだろう。きっかけ……アカネに触れることが条件なら隆介の時でも当てはまるし、それ以外の何かが理由になっているんだろう。なんだろうな……と、サイダーに手を伸ばすと、中身が空っぽになっていた。どうやら結城さんが間違えて俺の分を飲んだらしい。しょうがないな、もう一本持ってくるか。
冷蔵庫にサイダーを取りに戻って帰ってくると、結城さんは再び勉強に気を入れ始めていた。アカネが見えることに対してあれは気のせいだと気を逸らすために集中してるのか、それともやっぱり見えてなかったのかどちらかかもしれないな。
「幹也、あの子、一時的にだけど私のこと見えてたわよ。原因までは解らないけど目が合ったし手を振ったら振り返してきたし、間違いないわ」
やっぱり見えてたってことで良いらしい。しかし、見えてるからって何かがどう変わるわけでもないからな。とりあえず、何かしらの条件をクリアすることで俺以外にもアカネのことを見えるようになる、ということはわかった。実際に何が条件なのかは今後詰めていかなければならないが、アカネが見えることもある、ということだけは認識しておくべきだろう。
そのまま集中して勉強を終えて、時間が来たので結城さんを家に帰すことになった。
「もう真っ暗だけど、見送りは大丈夫? 」
「だ、大丈夫だから安心して」
少し声が引きつっている結城さん。多分アカネが見えたのがまだ引きずっているんだろう。
「そう。お肉は持ってるよね? 」
「うん、間違いなくバッグに入れた。早速持ち帰って家でお母さんに今日の儲けの一部として提供させてもらうわ」
「あ、それならラード引き取っていく? 角煮作る時に一緒に出たんだよね。多分俺が使うよりもそっちで家族で楽しんでもらった方がいいと思うからついでに消費に貢献してくれると嬉しい」
玄関で結城さんを引き留めて、タッパー容器に角煮の時に出てきたラード……でいいよね。ラードを詰めると、結城さんに渡す。
「多分これで軽く炒め物を作るだけでも美味しくなるだろうから試してみて」
「悪いわね、勉強見てもらった上にお土産までもらって」
「気にしないでいいよ。じゃあ、また」
「ええ、遅くともまた土曜日に」
駐輪場に向かっていく結城さんの後姿を眺めて、見えなくなったところで見送りを終えて部屋に戻る。
さて……なんでアカネの姿が一時的にでも見えるようになったのか、それを検証することにするか。
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