第33話 ね? だから言ったでしょう? きっとそのうち、現れるって
ダンスの曲が変わった。
今度はゆったりとした、ムーディな曲だ。
曲調が変わっても、やはり踊りやすい。
これほど身長差があるというのに。
わたしが踊りやすいよう、フェン様は膝や腰を緩めてくれている。
心地よいスローなステップの中で、フェン様との距離が近づく。
密着とも言っていい状態なのに、ちっとも嫌じゃない。
お顔を見上げると、紅玉の双眸と視線がぶつかった。
そのまま瞳と瞳が、近づいていく。
吐息がかかるほどの距離まで来た時、フェン様の唇が動いた。
周囲には聞こえない声で、そっとわたしに囁いてくる。
「オリビア姫。私は生涯、貴女の護衛騎士でいたい」
この人は、何を言っているのだろう?
わたしはヴァルハラント王家から、見捨てられた身。
もう王女ではないというのに。
「私と結婚してください」
……え?
フェン様は、今何と?
耳はちゃんと言葉を聞き取ったのに、頭が追いつかない。
理解するのに、数秒の間を要した。
ダンスのステップが止まらなかったのは、訓練の賜物だろう。
「本気……ですか? わたしはヴァルハラント王家から、見放された女ですよ? いわば平民と同じ。ご自分が帝国の第1皇子であることを、お忘れですか?」
「問題ありません。帝国は血統より、実力や実績を重視する傾向にありますので。農業革命を巻き起こした【豊穣の聖女】を迎え入れることに、反対する者などおりません」
「そんな……。わたしに、皇后になれと? 無理です。とても、そんな器では……」
「ご心配なく。私は皇帝には、なりませんので。皇位は弟が継ぎます」
結婚できない理由を挙げても、ことごとく退けられていく。
「……わたしなどの、どこが良いのですか?」
「全部です」
「それでは納得できません」
「敢えて挙げるとするならば、『心』と『魂』でしょうか」
それを聞いた瞬間、頭の中に母シルビア最期の言葉が蘇った。
(ねえ、オリビア。きっとそのうち現れるわ。貴女の緑色の髪と瞳を、好きって言ってくれる人が。ううん。見た目なんて気にしないで、心を、魂を愛してくれる人が)
本当に現れた?
フェン様が、そうなのか?
「貴女は他人の痛みを理解し、寄り添える優しい女性だ。国の為に、民の為に尽くそうとする、気高き王族の魂を持った王女だ」
「わたしは災厄と争いを呼び寄せる、【緑の魔女】……」
「そんなの関係ない。【緑の魔女】だろうが【豊穣の聖女】だろうが、私には関係ないのです。オリビア・レイ・ヴァルハルを、愛している」
ひそひそとした囁きなのに、その言葉は力強く、そして熱い。
トクトクと、心臓が高鳴る。
全身が火照り、どうにかなってしまいそうだ。
どうしよう?
返事を――
返事をしなければ。
だけどわたしの口はハクハクと動くばかりで、言葉が出てこない。
いつの間にか、曲が終わっていた。
ダンスを止めたフェン様は、優しい笑顔で微笑みかけてくる。
「すぐに返事は求めません。貴女が迷うのなら、迷わない男になれるよう研鑽します。これからも、口説き続けることをお許しください」
「あ……」
返事をするタイミングを、逃してしまった。
何だかひどく、ガッカリした気分になる。
わたしは一体、何と答えるつもりだったのだろうか?
「か……甲板に出て、頭を冷やして来ます! 少し、1人にしてください」
フェン様のお顔を、まともに見ることもできない。
火傷しそうなほどに熱くなってしまった、心と体。
それらを夜風で冷ますために、わたしは飛空艇の甲板へと向かった。
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「はふぅ~。……びっくりしちゃった」
甲板上に出たわたしは、星空に向かって呟く。
船体には強力な風除けの魔法がかかっているらしく、風は軽く髪を靡かせる程度だ。
手摺に肘を乗せて地上を見下ろせば、街の灯りが見えた。
帝都オケアノスを彩る、無数の魔法灯。
おびただしい数だ。
あのひとつひとつに、人々の生活がある。
ヨルムンガルド帝国の巨大さを、あらためて実感する。
「そんな国の皇子様と、結婚だなんて……」
いまのわたしはもう、ヴァルハラントの王女ではないのだ。
結婚したとしても、両国の国益になるとは思えない。
フェン様にご迷惑をかけるのではないか?
そうなったら嫌だ。
もうひとつ。
あの場でプロポーズを受け入れられなかった、理由がある。
「ガウニィ……。無事でいて……」
ヴァルハラント王国に残してきた、ガウニィ・スキピシーヌの安否が気になるのだ。
結婚するのなら、近くで彼女に祝福してもらいたい。
そこでわたしは、気付いてしまった。
心の奥底では、フェン様と結婚したいと思っているのだ。
彼に惹かれている。
いつだってわたしを見守ってくれた、護衛騎士リルに。
居場所をくれた、フェン・ルナ・ヨルムンガルド皇子に。
自らの恋心を認識すると、途端に恥ずかしくなった。
両肩を抱き、身悶えしてしまう。
不審者のような動きだが、幸い周囲に人はいない。
「……考えてみれば、良くない態度だったわね。いきなりパーティ会場を、飛び出してきちゃったりして」
プロポーズを拒絶したと、誤解させてしまったかもしれない。
今の段階ではまだ、受け入れることはできない。
だが、嫌ではなかったことは伝えておかなければ。
わたしはそう決意して、甲板上を歩き始めた。
――その時だ。
甲板の後部から、ヒソヒソと人の声が聞こえたのだ。
間違いない。
これはフェン様の声だ。
誰かとお話中だろうか?
わたしは声のした方向へと近づく。
フェン様が話している相手は、男性のようだった。
低く押し殺した声から、何やら重苦しい雰囲気を感じる。
盗み聞きなどするつもりはなかったのだが、耳のいいわたしには会話がハッキリと聞こえてしまった。
「……では、ガウニィ・スキピシーヌ伯爵令嬢は……」
これはフェン様の声だ。
いつもより、声色が硬い。
ガウニィが、どうかしたのだろうか?
「申し訳ありません。オットー、ユイコウ、ナマッコらと共に、王国軍の手に落ちました。明後日の昼、ヴァルハラント宮殿前広場にて公開処刑が行われるようです。王女殺害犯という、濡れ衣を着せられて」




