第30話 貴方の寝顔は最高のおやつ
帝国植物研究所を訪問してから、数日が経過した。
ここ最近、フェン様とは出掛けられていない。
お忙しいようだ。
侍女から聞いた話によると、書類仕事が溜まっているのだとか。
わたしの帝都案内と護衛を、皇帝陛下から一任されているフェン様。
だが、それだけをしていればいいというわけではない。
本来の仕事は、内政面での陛下のサポートらしい。
長期に渡ってヴァルハラント王国に潜入していたせいで、滞っていた案件も多いのだとか。
というわけで3日間ほど、フェン様のお顔を見れていない。
執務室に、籠りっきりだ。
お出掛け時には、ポチが付いてきてくれる。
女性帝国近衛騎士も、フェン様が手配し付けてくれている。
安全面に不安はない。
しかし、いまいち気分が晴れないのだ。
帝都の華やかなお店を見て回っても。
有名なレストランで、美味しい料理を食べても。
緑豊かな公園を、ポチと共にのんびり散策しても。
宮殿の自室で、ボーッとしているわたし。
そこに声を掛けてくれたのは、侍女3姉妹長女だ。
「オリビア様。ご気分が優れないようですね」
「あっ、心配しないで下さい。体調が悪いわけではないので。ただ何となく、外出したりする気にはならないかな……と」
「フェン様と、ご一緒ではないからですね」
ティーカップを握っていた指が、プルプルと震えてしまった。
「な……な……何を?」
「あら? ワタクシの勘違いですか? フェン様に会えなくて寂しいから、何もする気が起こらないのかと。『オリビア様が、会いたがっておられます』と、お伝えしましょうか?」
帝国の侍女3姉妹達は、遠慮がない。
決して慣れ慣れし過ぎるというわけではないのだが、こういう話題となるとやけにグイグイ来るのだ。
「……ダメですよ。フェン様はお忙しい身。わたしが我儘を言って、困らせるわけにはいきません」
「あらあらあら、まあまあまあ。『会いたい』という部分は、お認めになるのですね」
「ならば自分の気持ちに、素直になるべきよ! オリビアちゃん!」
最後の台詞は、侍女のものではない。
突然部屋の外から、澄んだ声が聞こえた。
この声は――
勢いよく扉が開き、小柄な人物が現れる。
銀髪を靡かせながら、スタスタと入室してきたのはアルベルティーナ皇后陛下だ。
「アルベルティーナ様。廊下で立ち聞きしていましたね? また侍女長から、『皇后陛下ともあろうお方が、はしたない!』って怒られますよ?」
プリプリ怒る侍女に、アルベルティーナ様は涼しい顔だ。
「侍女が黙っていれば、問題ないわ。……さて、オリビアちゃん。フェンに会いたいのよね?」
アルベルティーナ様は身を乗り出して、わたしの瞳を覗き込んでくる。
綺麗なグレーの双眸に、何だか気圧されてしまう。
「……会いたいです。フェン様は、大切な恩人であり、友人ですもの」
なぜか自分の言葉に、違和感を覚える。
本当に恩人というだけ?
友人というだけ?
それが会いたい理由なのか?
「ふむ……。『恩人』で『友人』ね。まあ良いでしょう。オリビアちゃんは、フェンの仕事を邪魔してはいけないと思っているのよね?」
「はい。その通りです」
「でもね、仕事には休憩というものが必要だと思うの。あの子は書類仕事やり出すと、休憩無しでガリガリ続けちゃうところがあるわ」
「それは……。お体が、心配ですね」
「だからオリビアちゃんに、お願いがあるのだけど……」
アルベルティーナ様のお願いを、わたしは快く引き受けた。
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ティーカートを押しながら、宮殿の廊下を歩く。
わたしはちょっと、ワクワクしていた。
アルベルティーナ様からのお願いとは、フェン様にお茶を差し入れてくれというもの。
ティータイムに誘い、無理矢理にでも彼を休ませろと言われている。
一緒にお茶を楽しめるのかと思うと、心が踊るのだ。
フェン様の執務室前に来ると、警備をしていた帝国近衛騎士達がサッと左右に退く。
ドアをノックするが……。
返事がない。
左右に居たインペリアルガード達に目配せすると、彼らは優しい表情で頷いた。
入室しても、構わないということだろう。
そっと扉を開け、ティーカートを押しながら中に入る。
返事がなかった理由が分かった。
執務室の主フェン様は、机に突っ伏して寝ていたのだ。
これは……どうしたものか?
確かにフェン様を休ませるために、わたしは派遣された。
しかし寝過ごして仕事が間に合わなくなっては、それはそれで困るのではないだろうか?
現に寝ているフェン様の周囲には、そこそこ書類の束が積み上がっている。
手伝いたいところだが、部外者のわたしが帝国の内政に関する書類を見てしまうのは不味いだろう。
判断に迷っていると、背後から視線を感じた。
振り返ると、文官がいた。
扉の隙間から、そっと中の様子を伺っている。
彼はわたしに向けて、紙を掲げた。
大きな文字で、指示が書かれている。
『そのまま寝かせておいてください。仕事の方は、もう大丈夫です』
わたしが軽く頷くと、文官は親指を立ててから退散した。
確か帝国では、「いいね」というサインだ。
「お茶は冷めてしまうかもしれないけど……。結果オーライね。フェン様を、休ませることができそう」
わたしはティーカートを部屋の脇に押しやり、フェン様の正面に回り込んだ。
椅子も持ってきて座る。
机に肘を突き、彼の寝顔を覗き込んだ。
少々お行儀が悪いが、構わないだろう。
誰も見てなどいないのだ。
「うふふ……。可愛い……」
いつもは女神の如き美しさで、周囲をひれ伏させるフェン様の美貌。
だが寝顔は、無垢であどけない。
4歳も年上の殿方を、「可愛い」などと言っては怒られるだろうか?
だが、本当に可愛いのだ。
母性本能をくすぐられる。
わたしは時が経つのを忘れて、フェン様の寝顔を見守り続けた。




