11 神子姫、伝える
まずはどうぞお入りくださいと、室内に場所を変えて。
私は今、キラキラと瞳を輝かせた子どもたちに囲まれていた。
そおっと、おそるおそるといった様子で子どもたちは私の髪に触れる。
年齢が上に行くほど恐れ多さが勝るのか、近寄ってくるのは十に満たないくらいの子ばかりだ。
指先だけ触れて離れていっちゃう子。絹糸に触れるようにゆっくりと手触りを堪能する子。だんだんと手つきに遠慮がなくなっていく子。みんな違ってみんなかわいい。
ちなみに、院長さんは隅のほうで顔を真っ青にしていた。……ごめんなさい。
「神子姫さまの髪は、神さまがだいすきなお花の色なのでしょ?」
「神さまが、わらって、ってお花に言ったのでしょ?」
好奇心いっぱいな子たちは、次々と質問してくる。まるで私が神さまに会ったことがあるとでも思っているようだ。
薄紅色の花を愛でる神の話は、子ども向けの絵本でも様々な解釈と作家によるものが出ている。教会なら置いていないことはないだろう。
神に関するものは、教えについて考えさせる意味もあって、読者にゆだねるような曖昧な描き方が多い。
誰よりも神に近いはずの人に答えを教えてほしいのかもしれない。
「そうね、あなたはどう思う?」
「神子姫さまは、神さまにあいされてるから、とってもきれーなのだと思う!」
「ふふふ、ありがとう」
答えを持っていない私は、明言を避けながら会話を楽しむ。
きれいと言われれば誰だって悪い気はしない。
子どもの掛け値のない賛辞だとわかるから、余計に。
「うそつきっ!」
その声に、私もすぐには反応を返せなかった。
少し離れたところで、十歳くらいの少年が仁王立ちで私を睨みつけている。
一瞬にして周囲がざわつく。護衛たちの空気がピンと張りつめるのがわかった。
「なんてことを……!」
唐突に投げ込まれた嵐の種に、院長さんは卒倒しそうなほど青ざめている。
少年を黙らせようと動く護衛と職員を、私は視線と少しの手の動きで止めた。
「神子姫なんてうそだ! 神様なんていない!! そんなの、そんなのいるなら、ぼくがこんなとこに来るはずなかったんだ!」
あなたの言うとおり、神子姫だなんて本当に嘘ばっかりね。
そう言えたなら、どれだけよかっただろう。
微動だにせずこちらをうかがうアーロイス様が視界の端に映る。
一見無表情だけれど、きっととても心配してくれている。そうわかるくらいには彼の人となりを知っているし、知るための時間を取ってもらっていた。
そのままの貴女でいい、とアーロイス様は言う。
きっとアーロイス様自身は、神子姫ではない私を見ようとしてくれている。
それでも、この国にとっての私の価値は、やっぱり“神子姫であること”一点のみだ。
私が神子姫として望まれている以上、他の誰が否定しても私だけは否定してはならない。
アーロイス様の妃として、この国にいたいなら。
「今、私が『神様はいる』と言ったとして、あなたはそれを信じられる?」
「し、信じない!」
「そうね。あなたは『神様はいない』と信じたいのだから」
「っ……!」
少年は図星を突かれたように声を詰まらせる。
私を睨みつける眼力は変わらないけれど、その目に涙をためているのが見て取れた。
いじめたいわけじゃないのと心の中で言い訳しつつ、ちらりとワッペンで名前を確認する。
カイリ。きっと、両親が願いを込めてつけた名前。
「ねえ、カイリ。別にそれでもいいの。何を信じて、何を信じないか、その選択ができるのはあなただけ。どちらを選ぶのもあなたの自由。けれど……」
カイリとの距離を詰めていきながら、必死に考える。
私に何が言えるだろう。カイリに何を伝えられるだろう。
皆が望むような『神に愛された、慈悲深く可憐な神子姫』とは程遠い私でも。
まだ、神子姫として求められている以上は、何か彼に残せないだろうか。
「神様をあなたの行動の理由に“使う”のは、やめよう?」
「つかう……?」
「そう。あなたの行動は、あなたの気持ちで決めるの。神様の“せい”でも、神様の“ため”でもなく」
宗教の自由はあっても、物心ついた頃から神様を信じてきたような人が多い国だ。
こんな考え方こそ、もしかしたら神子姫失格かもしれない。
それでもいい。どうせ最初から失格なんだから、今さら怖くはない。
「今はまだ、あなたを守ってくれる人がいて、決まりがある。けれどいずれ、自分の行動に責任を持たなければいけなくなる」
孤児院は彼を守るゆりかごになるだろう。
でも、それは絶対の保証があるわけじゃない。自立はどうしたって必要になる。
そのとき、彼を守れるのは彼のみだ。
どんなに祈っても、どんなに罵倒しても、神様は彼を守ってはくれない。
「神様を信じていてもいなくても、自分の責任を押しつけることだけは、してはいけないのよ」
少年の目の前で膝を折って、怯えさせないようゆっくりとした動きで肩に手を乗せる。
目と目をしっかりと合わせて、私の言葉で、真剣にカイリと向き合う。
どうせわからない、と侮ればその気持ちは子どもに伝わるから。
子どもは子どもなりに考えて、悩んで、選び取っている。その意思を無視してはいけない。
今は一度では理解できなくても、何度も教えていけば自然と身についていく。
子どもの学ぶ力、覚える力というのは、大人とは比べものにならない。真綿のようにどんどん吸い取っていく。
「むずかしい……」
「今は、わからなくてもいいの。いつかカイリが私の言葉を思い出すことがあったら、そのときに考えてみて」
「……ん」
迷子のように心細げな顔で、カイリは小さくうなずく。
いつか思い出してくれることがあるだろうか。
私はちゃんと、彼にとって大事なことを伝えられただろうか。
少しも自信はないけれど、今の私にはこれが精一杯だった。
そしてもうひとつだけ、忘れてはならないことがあったと口を開く。
「こんなとこ、って言ったよね」
「……言った」
「本当にそう思っていたのかな? こんなとこ、来たくなかった?」
「だって……」
カイリの顔がへにゃりと情けなく歪む。
目の端にたまっていた涙が、こらえきれなくなったのか幾筋も流れ落ちていく。
透明なその滴を、私はとてもきれいだと思った。
「ぼくがおいしいもの食べても、きれいなもの見ても、楽しく遊んでても、ママもパパもいないんだ。一緒に食べたかった。一緒に見たかった。一緒に遊びたかった。なんでぼくだけなんだろうって。ぼくだけ、ごめんなさいって」
涙混じりの声で、切々と胸のうちを語る。
この孤児院には事故や病気で両親を失った子どもが多いと聞いている。きっと、カイリもその一人。
どんなにいいことがあっても、失った両親の影がちらついて、素直に受け入れられない。
おいしいものも、きれいなものも、楽しいことも。
カイリは両親への愛と罪悪感によって、すべてを拒絶しようとしていたんだろう。
「ママとパパに、ごめんなさいって思ってたのね。カイリは優しいね」
「……んん」
返事にもなっていない嗚咽みたいな声をもらして、カイリはぷるぷると首を横に振る。
カイリにとっては最初から他の選択がなかったんだろう。
両親が、彼の世界のすべてだったから。
「それだけお父さんとお母さんが好きなんだね。大事なんだね」
カイリの前に膝を折って、そっとその頭を撫でる。
子どもらしいくりっとした瞳は、涙をまとってキラキラと宝石のように輝いていた。
過去形にはしない。彼にとってはまだ、生々しくて過去にはできない記憶だろうから。
「優しいカイリならわかるよね。カイリにとってお父さんお母さんが大事なように、この場所を大事に思っている人もいるの。『こんなとこ』って言われたら、その人たちはどう思うかな?」
「……かなしい」
「そうだね。じゃあ、言わないといけないことがあるよね」
優しく促すと、カイリはぐっと涙を我慢するように口を引き結んで。
それから、院長さんたちに向かって、ゆっくりと頭を下げた。
「ごめん、なさい……」
震える声で、けれどしっかりとカイリは謝った。
きっとたくさん勇気がいることだっただろう。
私よりもずっと優しくて強い少年に、よくできましたと微笑みかけた。




