九十一話 失踪騒ぎ
「はああああ!? どういうことですか! それ、シャレになってな、むぐ……」
「しーっ、声に出さないで……!」
「んぐむ……す、すみません」
聞かされたことのあまりの重大さに、ロネットは思わず叫び声を上げていた。そんな口をカタリナの手が慌てて覆い、カタリナは周囲に人の気配がないかを伺う。
幸い今のところは聞き耳を立てている人がいる様子もなく、はあ。と胸を撫で下ろした。
ロネットは声を上げてしまったことを謝りつつも、しかし驚いて当たり前の事態にまだ面食らっている。
大国ユーライヤの主権者、エフライン14世が姿を消した? そんなバカな。
諸々の可能性に思索を巡らせ、ロネットはまず最悪の可能性を口にする。
「まさか、誘拐……?」
「わからないの。けど、今のところは多分違うんじゃないかな、って」
このセントメリアの宮殿には敵意感知の術式が隙間なく巡らされている。
賊や悪意ある人間が立ち入れば警報が鳴り響き、警備用に配置された石像兵が動き始めて侵入者を排除するシステムだ。
その術式が反応した痕跡は一切残されておらず、だとすればエフラインに敵意ある者の犯行ではない、と、カタリナはそう判断している。
ロネットは頷きつつも、しかし懐疑的な瞳で首を傾げてみせた。
「あのシステムもザルですよ。ヴィクトルとかアナスターシャは対象から外されてるんだから」
「それは……そうなんだけど、でも今は元帥閣下はベルツからの帰路、枢機卿猊下は領地のリリエベリにいるのが確認されてるわ」
「なるほど。それで?」
促され、カタリナはエフラインが消えた状況を手短に語る。
聞けば、起床、朝食、午前の政務までは姿が確認されている。
昼食の前に設けられている30分足らずの休憩時間を経て、昼食の時刻に世話係の女官たちが呼びに行けば姿が見当たらなかったのだという。
「エフライン様の昼食は正午ちょうどからですよね。それじゃあ姿を消して、まだ2時間は経ってないと」
「そうなの。だから少しでも早く見つけて差し上げないと……」
「エフライン様の周りの人間は? ええと、あのふざけたピエロたちとか」
ロネットが口にした“ピエロ”とは宮廷道化師たちのことだ。
芸術を愛する少年教皇は、前衛芸術の一環として道化師たちを重用している。
エフラインはいつの間にやら道化師を自ら集め、気付けば宮廷の中には常に10人ほどの道化師たちがうろついている状態となっていた。
幼い少年とはいえ一応は最高権力者だ。その彼が決めたことを咎めるわけにもいかず、エフラインの権限によって宮殿内での自由行動が許された道化師たちは、神出鬼没におどけた仕草を見せている。
そんなピエロたちがどうにもロネットは気に入らないわけだが、傍らで重用されている彼らが何かしらの異変を見聞きしている可能性はある。
しかし、カタリナは首を左右に振った。
「宮廷道化師たちも何も知らないみたいなの」
「使えないですね……そもそも、宮殿から誰にも見られずに姿を消すなんてことできますか?」
エフラインもまだ子供、ふざけ半分でかくれんぼでもしているのでは。
そんな希望的観測を口にしたロネットだが、カタリナは神妙な顔のままで一つの可能性を口にした。
「教皇猊下の居住スペース、その奥の方に一箇所だけ外部に通じる扉があるわ」
「外部に? そんな扉……ああ、掃除用の」
扉、と言っても宮殿の屋根に出るためだけの通用口だ。
ロネットが言ったように、定期的に担当の者が掃除をするために通るだけの扉で、エフラインにはそこを通る鍵を持っていない。
屋根は傾斜が強く、足を踏み外して転がり落ちれば死は免れない。少年教皇の出入りを禁止しているのは、事故を防ぐための当然の処置だ。
だが、その扉が開いていたのだと。
「誰です……! 開けっ放しにした馬鹿は!」
「わからないの……ただ、一応宮殿の周りにエフライン様が転落したとかの話はないわ。だから、きっと」
「外に逃げたってこと? ははあ、エフライン様もなかなか……」
生まれて以来の籠の鳥、父王の逝去で幼くして地位に付けられたお飾りの主権者。ロネットはエフラインをそう見ている。
信心深いロネットの祖母はエフラインを見れば泣いて拝むが、信心の薄い彼女から見れば何を考えているのかわからない、生気の薄い、どこを見ているのかわからない印象の少年だと思っていた。
だが、それが逃走したとすれば。
(へえ、なかなか人間らしいとこもあるじゃない)
と、ロネットは妙な感心を抱いている。
そこで、ふと疑問が浮かんで口にする。
「だけど、どうしてカタリナさんが探しているんです?」
エフラインの警護は本来、アルメル隊の役割だ。
正確にはエフラインを警護するための近衛部隊がアルメル隊の一端に組み込まれていて、アルメルがその指揮を取りまとめている。
しかし、今はその警備統括のアルメルがベルツのごたごたへと出向いていて不在だ。
アルメル隊副官のケイト・ロンドが代役を担っていて、それだけでは人手が足りない可能性があるので各隊が持ち回りで補充人員を出している。
本来なら補佐もどこか一隊が担うのが筋なのだが、教皇派と枢機卿派の対立の余波として両派のバランスを取るべく、各隊の持ち回りという形になっているのだ。
今日は確か、枢機卿派のダヴィデ隊の担当だったはずなのだが。
「ザシャ隊のカタリナさんが探す理由はないと思うんですが」
「ええっと、頼まれて仕方なく……あはは」
「は? 頼まれて?」
その言葉を聞いた途端、ロネットはカタリナを睨みつけ、ぐいっと一歩詰め寄る。
「失礼ながら、ありえませんよカタリナさん」
「あ、ありえない……?」
「これはダヴィデ隊が責を負わなくちゃいけないことで、あなたが安請け合いすればザシャ隊に責任が及びかねない。わかってます?」
「う、そ、それはその通りなんだけど……」
「“だけど”も“でも”もない! お人好しで通ってるらしいけど、度が過ぎると周りを苛立たせますよ!」
「ううっ……そ、そうだよね……」
ここは年上だろうと関係なし。自分に理があると判断したロネットは、語気を強めてカタリナを追求する。
手柄や地位、利に目敏いロネットはこの手の話題に敏感だ。
お人好しのカタリナ。そんな話は耳にしていたが、ロネットの感覚からすれば大いに受け入れがたい。
騎士としての勇敢さは持っているカタリナだが、弁の立つタイプではなく討論や言い合いに弱い。
23歳と14歳、9つも年下のロネットに語調鋭く迫られて、たじたじのカタリナは焦りに眉を下げながらあとずさる。
……と、そんな折にぬっと。階段下を覗き込むように人影が現れた。
(話を聞かれていた!?)
今、宮殿内は決して味方だけの空間ではない。
派閥争いがある以上は何か起きても不思議ではなく、ロネットは触媒のロッドを握りしめて身構えた。
だが、現れた人影はそんな彼女の警戒を両手を下に向けて押し留める。
「ロネット君、そこまでで。頼んだのは私たちだ。あまりカタリナ君を責めないでやってくれ……」
「……ケイト副隊長」
洒脱なハットを頭に乗せて、騎士服をオシャレな感じに着崩した男。
彼こそ、この騒動の主な責任者であるアルメル隊副官、ケイト・ロンドだ。
整った顔とファッショナブルな着こなしを見るに、若い頃はさぞモテたのだろう。
だが今は既婚者。それも尻に敷かれる恐妻家らしく、三十路男の眉間には悩ましげなシワが刻まれている。
そんな彼は「いたた……」と小声で呟きながら胃を抑えていて、エフライン失踪の責任に胃痛を催しているらしい。
そんな調子だと余計に老けて見えて、どうにも哀れを誘う格好だ。
「なるほどね……」
ロネットは納得に唸る。
他隊とはいえ、上官にあたる副隊長から頼まれればカタリナが拒みにくかったのも頷ける。
「カタリナさん、ごめんなさい。これは仕方ないわね」
「だ、だよね? はあ……」
だとして、ロネットの矛先は向きを変える!
「ケイト副隊長、ありえません!! まず第一にエフライン様を監視できてない不手際!」
「うぐうっ」
「そして他隊のカタリナさんを巻き込んで、挙句私にまで声をかける? 軍全体の責任としてうやむやにしようって腹ですか!」
「いっ、痛いところを突くな君は。そう言わないでくれ、責任をカタリナ君に被せるつもりはないんだ、もちろん君にも……」
「あなたにつもりがなくてもそう判断される可能性のある事態でしょう。もう一度言うけど、ありえません!!」
「ああっ、胃が痛い……!」
青ざめたケイトが壁にもたれかかったところで、ロネットはふと引っかかりを覚える。
ケイトは「頼んだのは私たちだ」と言っていた。それはアルメル隊の残留組の総意という意味なのだろうか?
いや、そういう言い方ではなかった。だとすれば他にも……
「いやあ全く、本当に困ったもんだ」
ロネットにその気配を悟らせることなく、背後に男が立っていた。
狼狽に振り向けば、六聖の一角、“不死”の通り名で呼ばれる40代の中年男、ダヴィデ・バルディーニがそこにいた。
「ダヴィデ隊長……!」
ロネットは息を飲む。
このダヴィデ、六聖の中では唯一、枢機卿派としての立場を明確にしている人物だ。
さらに踏み込んで言うならば、元帥派と言う方が正しいかもしれない。
ヴィクトル・セロフの副官として長く働き今の立場へと昇格してきた男で、枢機卿派に付いているのもヴィクトルの存在が大きい。
だとして、油断ならない。
権力闘争に敏感なロネットは自らの上官であるシャラフが密かに教皇派と結んだことに勘付いていて、だとすれば枢機卿派に属しているこの男は決して純粋な味方とは言えないのだ。
しかしダヴィデはそんなロネットの警戒心を意にも介さず、腰をトントンと叩きながら黒味の強い茶髪、オールバックに固めた頭部を整えるように片手で撫で付けた。
「参ったねえホント。まさかエフライン様にこうもイケイケな面があったとは、いやあ思いもしなかった」
「イケイケって……」
「いやぁ、わからんでもないのよ。オジサンも若い頃は街でブイブイ言わせてたタイプだから。街ブラしたい時だってあるだろうなあ」
「……」
伊達男、そんな言葉が似合う風貌をしている。
長年の従軍で鍛えられた体は中年らしからぬ締まったスタイルを保っている。
それでいて軍人らしく肩幅が広く、軍服の上着を肩掛けに羽織った着こなしは中年モデルと言われても違和感のない雰囲気だ。
壁に肩をもたれさせる姿すら、ファッション誌の表紙かと思うほどにサマになっている。
彼の階級は大将と元帥の一つ下。六聖の中では最も高位であり、純粋な権力では六聖の最右翼。実力も申し分なく伴っている。
だが、そんなダヴィデには致命的な点が一つ。
「む。しかし、ダヴィデ隊長は枢機卿派でしたね。エフライン様がこのまま消えてくれた方が都合がいいのでは?」
「おいおいケイト君、冗談はよしこちゃんだぜ!」
「……」
ロネットは無言のまま、イライラを募らせながらケイトとダヴィデの会話を聞いている。
(……言い回しがオヤジ臭い!!!)
それはさておき、ロネットは上官たちの会話に果敢に口を挟んでいく。
「ダヴィデ隊長、どうして他隊のカタリナさんに迷惑のかかるような真似を」
「ああ、少しでも人手が欲しいけど話が漏れても困るだろう。その点カタリナちゃんは口が堅そうだし、信用できるかなぁ〜っとね」
「オヤジ二人が人の良いカタリナさんに頼り、挙句14歳の私に頼ると……失礼ながら情けない……」
「まま、そう言わないでよロネットちゃん。いざとなれば責任はオジサンが取るからさ、ホント。上官に恩を売ると思って一つ!」
「私からも頼む、ロネット君。この通りだ!」
ダヴィデとケイトと、いい歳をした既婚者の大の男がロネットへと頭を下げている。
そんな光景に、ロネットは呆れたように溜息を吐いた。
横から、カタリナが一言を言い添える。
「ごめんね、ロネットちゃん。今日は雨だから、ロネットちゃんの魔術が感知に一番向いてると思って」
「確かに、いい感じに降ってますよね。辛気臭いけど……」
どうにも気乗りしないが、大将のダヴィデと中佐のケイト、それにカタリナにまで頼まれて断るわけにもいかない。
まあ六聖が責任を取ると言うのなら、カタリナやロネットが多少協力をしたとしても余計な責を問われる事態にはならないだろう。
ただし、ロネットはダヴィデをまるで信用していない。ので、ロッドに魔力を込めていた。
「『音呑み』。今の言葉、きっちり言質を取らせてもらってますから」
重ね重ね、ロネットは野心家だ。
しばらく身を置いている自隊、シャラフ隊には愛着があるが、今回は隊から離れて個人の手柄を挙げられるめったにない機会。
少しでも早くの立身出世を狙う彼女にとっては、降って湧いた千載一遇のチャンスとも言える。
(ダヴィデ隊長は別派閥だけど、同じ教皇派のケイト副隊長も絡んでる。その辺でややこしいことになる可能性はなさそうだし……)
ロネットは三人を伴い、屋内から屋根のない場所へと移動した。
いかにも魔女らしい三角帽の下で瞳を澄まし、雨に湿った空気を肺へといっぱいに取り込む。
それと同時、杖先へと魔素を結集させて集中、詠唱を。
「“宙廻る雲盤、褥を濡らす天涙よ。無識を手繰れ、我が五指を為せ、紫陽花の雫に軛を施せ”」
コンと、杖の末端で床を叩けば床に水色に光る方陣が描き出され、降りしきる雨粒を伝って輝きが空へと伝播していく。
そして細かな紋語が外縁に綴られた魔法陣が、天へと描き出された。
『水曜陣・村雨』
そう諳んじたロネットの瞳は、光陣と同じ水色に煌めいている。
「ほーう見事だ」とダヴィデが唸り、カタリナが相槌を打つ。
「ロネットちゃんは陣術を得意としている子です。結界の生成や時間差で起動する罠、それに広範囲での感知術に長けているから」
「捜索にはおあつらえ向きの能力ってなわけか。助かっちゃうねえ」
陣の真下にいる人間にしかその輝きは見えないが、探索のための術式が発動しているのを万が一にも他の人間に見られれば面倒だ。
雨粒の一滴一滴がロネットの目となっている。その感知は雨の降るセントメリアの全域へと及び、流れ込んでくる膨大な視覚情報に頭痛を覚えながら集中を高め……叫ぶ!
「……見つけた!」
「おお、いたか!」
「けど、え? これって……」
ロネットは目を閉じて陣の展開を打ち切った。脳に負荷の掛かる大魔法だ、長くは維持できない。
そして当惑に眉をひそめ、期待の目を向けてくる三人へと疑問符付きの声を発した。
「…………エフライン様が、二人いたんですけど」




