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九十話 ロネット・フローリーの憂鬱な朝

『ロネットー』

『ロネットー?』

『おーいロネット〜』

『ロネットってば』


「アイネ、うるさい!!!」


 シャラフ隊の軍属魔術師、ロネットはそう叫んで跳ね起きた。

 がばりと布団を蹴り上げて半身を起こし、少し寝癖のついた長い黒髪を窓から差し込んだ薄い光が照らしている。

 

 シトシトと雨音が窓を濡らして薄暗い。部屋の中にアイネの姿はなく、まだ耳に残響している友人の声が夢だったということに彼女が気付くまでには30秒ほどを要した。

 それも当然、アイネは隊の任務でベルツへと出向いたまま、まだセントメリアへは帰ってきていない。

 そもそも所属する隊が違うのだから部屋も別、こんな早朝からここにいるはずがないのだ。


 ようやく夢から現実へと意識のチューニングを済ませたロネットは、不機嫌な表情で自分の髪をくしゃっと強く撫ぜた。

 喉の渇きを覚え、魔術師らしく指先へと水の魔素(マナ)を集める。そしてゆっくりと回転するスフィア状のそれをごくんと飲み下した。


「鬱陶しいっ……朝から人の夢でヘラヘラしてんじゃないわよ……」


 ベルツでの任務は何やらきな臭い事情があるようで、アイネのことが気になっていたのは事実だ。

 それでも昨日「やっと帰れるよ〜」と疲労感たっぷりの声で連絡してきたので無事ではあるらしいのだが。


「ああ、もう……」


 低血圧なロネットは重い頭を揺らしながら呻く。

 そんな声に応じて、もぞもぞといくつかのベッドが軋む。


「ちょっと、何?」

「うるさいのはアンタだって、ロネット……」


 ユーライヤ軍において、未成年の兵は階級を問わず寮生活が義務付けられる。

 ロネットが暮らしているのはシャラフ隊の女子寮で、時刻はまだ起床時間よりも前。同室の騎士たちはロネットの大声に叩き起こされた格好だ。

 アイネと同じく14歳のロネットは軍の中でも最年少で、同室の二人は18、19歳と年上。不機嫌に任せて悪態を吐くわけにもいかず、「すみません、うるさくして」と謝罪する。


 そんなロネットへと呆れ気味の視線を向けつつ、先輩の一人があくびをしながら口を開く。


「またアイネか。あなたも好きよねえ、あの天才ちゃんのこと」

「はあ? じゃなくって……いえ、別にそんなことはないです」

「またまた。寝ても覚めても気にしてるじゃない。親友なのはわかるけど」

「あれは親友とかじゃなくて、その、ライバルで!」


 と、ロネットの抗弁を遮るように高らかなファンファーレが鳴り響く。

 兵士たちを叩き起こす起床ラッパだ。教皇エフラインを賛美する唱歌のメロディが高らかに奏でられ、億劫げに起き上がった先輩たちは手をひらひらと泳がせながらロネットをあしらった。


「はいはい、準備するわよ」

「いや、違……!」




 そんな朝を経て、午前の訓練を終え、ロネットは苛立ちを拭えないままに昼食を摂っている。

 軍食堂の片端に腰を据えて、とびきりにスパイスの効いたカレーを口に運ぶ。

 軍隊叩き上げの屈強な男性兵でも泣いて逃げ出すほどの激辛カレーを平然と口に運び、トントンと苛立たしげに指先でテーブルを叩く様は未成年ながらにたっぷりの威圧感を纏っている。

 いつもは同僚なりアイネと一緒に食事をするのだが、今日の彼女はいつにも増して機嫌が悪いものだから誰も近寄ってこない。


 ので、一人で食べながら思考している。


(前言撤回。アイネのことを親友じゃないって言ったのは訂正しなきゃね。確かに親友よ、あの子は。けど……)


 まだ辛さが足りないとばかり、唐辛子粉をばらりと上にぶちまける。


(ライバルなのは事実よ! あの子が先に宮廷魔術師になったけど、軍で勲功を挙げていつか追い抜いてやるんだから!)


 内心で吠えてスプーンを手に、真っ赤に染まった最後のひとすくいを口に運ぶ。と、流石に唐辛子をかけすぎたのか「辛っ」と漏らして目をぎゅっと閉じた。


 14歳とまだ幼いロネットだが、その気質は向上心に満ちた野心家だ。

 魔術学院にいた時代から、何事も如才なくこなすロネットは秀才と誉れ高い存在だった。

 だが、常にその上を行っていたのがアイネだ。

 あらゆる属性の魔術を操れるロネットは器用さだけでは優っているが、アイネは火術しか使えないにも関わらず、その膨大な魔力量と才覚で史上最年少の宮廷魔術師へと上り詰めてしまった。

 そんなアイネが同年代にいれば当然、ロネットは彼女を強く意識するようになる。


 同じ年にロネットも器用さを買われて軍へと引き抜かれ、以来ずっと友達付き合いをしながら全てにおいて張り合い続けてきているのだ。


(負けないわよ。あの子より高名な魔術師になってみせるし、金持ちになってみせる。それに彼氏だって絶対あの子より上のを捕まえてみせるんだから!)


 恋愛に憧れを抱く年頃だ。

 以前に式典の会場でアイネへと「モテる男こそが最高の物件」と雑な恋愛観を語った彼女だが、誰かと付き合った経験があるわけではない。

 だが恋愛自体に興味の薄そうなアイネよりは一歩リードしているという妙な自信を持っていて、賢しらに恋愛指南をすることも多い。


「アイネ、あなた顔は悪くないけどポケっとしてるから男には気を付けなさいよ」

「へ、なんで?」

「いかにも騙せそうだからよ。田舎娘丸出しって感じ。言い寄ってくる男がいたら相談しなさい。アリかナシか判断してあげるから!」

「わあ、ありがとう!」


 学院時代にこんな会話を経て、アイネはこれまで何度かラブレターを貰った際にロネットへと相談してきた。

 そしてその都度「小物ね」だとか、「将来性ゼロ」だとか、「チャラすぎ」などとロネットが却下をしていて、そういう経緯でアイネにも未だ彼氏がいない。


 別に、アイネの足を引っ張ろうとしているわけではない。親友だと思っているのは本当だ。

 彼女なりに親身になってフェアな判断をしているだけで、弾きまくっているのはナチュラルに理想の高すぎるタイプなだけ。


 そんな事情を知るかつての学友や同室の兵士たちから見れば、二人の関係性はまるでロネットがアイネを独占しようとしているようにも映る。

 となれば必然、彼女に対する一つの疑惑が囁かれていて……


 そんなことはいざ知らず、昼食を終えたロネットは返却口へと器を下げ、昼からの仕事に移るかと背を伸ばす。

 と、その肩が遠慮がちに叩かれた。

 

「あの、ロネットちゃん」

「……? なんですか、カタリナさん」


 そこに立っていたのはカタリナ・トルーマン。アイネがよく一緒に任務をしているリュイスの幼馴染であり恋人未満の関係にある女性で、魔術兵を中心に構成されたザシャ隊に所属している騎士だ。

 さっぱりとしたショートヘアの前髪をピンで留めていて、穏やかで心優しい、そんな雰囲気の人。


 一応の顔見知りではあるが、他隊なのでそれほど喋ったことはない。

 そんなカタリナから声を掛けられて、ロネットは振り向いた姿勢のままに疑問を浮かべた。


 カタリナは「ええと……」と困ったように眉を下げ、周囲へと目を配りながら手招きをする。


「ちょっと。ちょっとついて来てくれないかな……」

「あの、仕事があるので。できれば手短に済ませてもらえると助かるんですけど……」

「ごめんね。でもここでは……まずいの」


 カタリナは説明することをはばかっている。

 人格に少しばかり問題のあるロネットだが、頭はとても良い少女だ。カタリナの表情と仕草から何か重要な話だと理解して、招かれるままに彼女についていく。


 人があまり通らない階段下のスペースへと場を移し、それでも警戒を解かないままに声を潜めたカタリナの言葉はロネットを驚愕させた。


「エフライン様が……消えた!?」


 少年教皇エフライン14世の失踪に、聖都セントメリアが静かに揺れ始める。


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