八十八話 絶たれた望み
「面白いな……」
風雲急を告げる状況に、口元で小さく呟いたのはクロードだ。
誰かに聞かせる声ではなく、惹かれた興味を思わず漏らしただけ。そしてその興味の向く先は言うまでもなく乱入者リオ・ブラックモア。
リーリヤ誘拐の主犯。
工業都市ベルツを実質的に治めているブラックモア家の御曹司にして放蕩息子。
飛空士であり、決して戦闘のプロではない男。
そのリオが手勢を擁するでもなく、銃を片手に単騎で元帥ヴィクトルの飛空艇へと突入してきた。
(ここは死地だ。君に勝算はあるのか、それとも蛮勇か)
そんなクロードからの興味の視線を受けつつ、リオはヴィクトルと睨み合っている。
高空の風に煽られたのか前髪がオールバックのように後ろへと流れていて、銃を持たない方の手でそれをガシガシと解しながら即座のトリガー。炸裂音!!
50口径、大粒の弾丸がヴィクトルの眉間をめがけて迷いなく放たれた。
当たればザクロのように頭部が弾ける威力を有した銃弾は殺意を露わに、しかしヴィクトルは元帥杖で容易にそれを弾いてのけた。
「撃て」
「ッチ、簡単に弾きやがって」
ヴィクトルの声でブリッジにいた兵士たちが襲撃者へと銃撃をつるべ打ちに浴びせ、リオはたまらず機材の陰へと滑り込んで難を逃れている。
放たれる射撃は雨霰と絶え間なく、辛うじて隠れているリオにはもう反撃に出る隙など残されていないように見える。
リオは手鏡を片手に、射線に身を晒さず敵方の様子を伺って舌打ちをする。ヴィクトルは一瞬たりとその表情を崩していない。
元六聖のクロードと傭兵ロメオ、二人の手練れを動かすことすらなく応じ、片手を上げる。
それを合図に銃撃が一度留まり、ヴィクトルは金眼に厳かな威圧を宿してリオへと重く語りかける。
「愚かしいな、ブラックモア。あの街に留まっていれば永らえられていたものを」
「調子に乗ってんじゃねえぞ、クソヒゲ野郎」
「リオ・ブラックモア。貴様は既に詰んでいる。命が惜しくばベルツ諸共、我が軍門へと降れ」
「うっせえぞ、従うわけねえだろ勧誘オヤジが!!」
リオは手鏡越し、止んだ銃撃の狭間に一つの気付きを得ている。
勢い任せに乗り込んだ直後は気付かなかったが、床に倒れたリーリヤの頬が赤く腫れ上がっている。目からは涙の筋が跡を残していて、ヴィクトルの傍らには拷問器具が並べられている。
リオはヴィクトルにではなく、リーリヤへと声を掛ける。
「……おい、殴られたのか」
「…………殴られた」
「誰にだ?」
目に怯えを残したまま、リーリヤはヴィクトルへと目を向ける。
リオはその仕草に意を汲んで頷き一つ、ヴィクトルへと怒気を向けた。
「フェミニストを気取る気はねえが……つくづくクソ野郎だな、ヴィクトル」
「全ては大義のためだ」
「クーデターを狙ってる男が大義だ? 笑わせるぜ。まあどうでもいい、ぶっ飛ばす。それだけだ」
そして大きく息を吸い込み、リオは声を張り上げる!
「リーリヤ!! 約束してやる、お前は俺が必ず助ける!!」
「……リオ……」
「だからお前は生き延びることだけ考えてろ!! 流れ弾に当たらねえようにな!!」
「っ、わかった……!」
もはや会話に価値はなし。ヴィクトルは自陣に引き入れられない人間には淡々と冷酷だ。
挙げていた片手を無感動に下ろし、それを合図に怒涛の発砲が再開された。
細かな機器の多い操縦室とあって、魔術や手榴弾などで燻り出す戦術が取られていないのはリオにとって幸いだ。
しかし兵士たちは徐々に方位の輪を狭めていて、リオが射線に晒されるまではあと少し。
(ただの蛮勇だったか)と、クロードが興味を失いかけ……
その時、リオが懐で何かしらのボタンを押した。
(今だ、来い!!)
ズンと衝撃、船が揺れる!!!
「何事だ」
「左舷後方に衝撃!! 何か大きな、これは……モンスター!? 巨大な鳥が10、12……船へと続々と突っ込んできます!!」
操縦士が不測の事態に悲鳴めいて大声を張り、その最中にも船は絶え間なく揺れ続けている。
ブリッジも激しく左右、さらには上下動に震動していて、銃を構えた兵士たちとヴィクトルの気が逸れている。
瞬間、リオが物陰から躍り出た。
右手の大型銃はそのままに、左手へと連射の効くマシンピストルを握る。
ただ一人、仕掛けた側のリオだけは衝撃が来る方向を把握している。熟達の兵士たちに初動で勝る。
パパパと小気味好く刻まれる三点バーストが横に滑り、銃を構えた兵士たちを的確に射ち倒した。
「ざまぁ見やがれ!!」
リオは馬鹿ではない。元帥の戦艦へと殴り込むのは自らを死へと晒すことだと理解していて、故に部下を連れずに一人で来た。
そしてそれは自殺行為に等しいと理解していて、ならばと策を用意してきた、
「馬鹿みたいに費用のかかる虎の子だ。役に立ってもらわなきゃ困るぜ……!」
先のセントメリアでの式典、会場へと巨大なハイドラを呼び込んだ器具を使ったのだ。
怪鳥のモンスターたちの脳波に直接干渉し、船へと突撃させた。
ユーライヤで製造されている飛空艇は基本的に、外部に鳥類が嫌う波長の魔素を流し続けている。
そのため基本的に鳥との衝突事故は想定されておらず、飛空士であるリオはそれを知った上で利用した。
人為で行動をコントロールしている今、鳥避け程度は意味を成さない。
リーリヤを視界の端に留め、ヴィクトルへと大口径の引き金を続けざまに引く。
ヴィクトルは不安定な足場に少しばかり姿勢を崩しながらも、手元に顕現させた高密度の光の魔素で弾丸を蒸発させた。
それでも構わずにリオは前へ、リーリヤの方へと駆け、そこへ傭兵ロメオが滑るように間を詰める。
「ここに踏み込んだ以上、貴様は死ななくてはならない」
「監視カメラで見たぜ、お前が企業連に忍び込んでリーリヤを拐いやがった野郎だな」
ロメオは大ぶりのナイフを片手に、リオの脾臓へと向けて切っ先を躍らせた。
が、リオは一切の迷いなく左腕でそのナイフを受ける。
左の前腕から鮮血が溢れたのと同時、ズドとロメオの胸元でマズルフラッシュが弾けた。
「……!」
「往生しやがれ!」
撃ち尽くした大型銃を後ろ腰に下げていたショットガンへと持ち替えていて、その散弾がロメオの胸部を突き破ったのだ。
弾の勢いに吹き飛んだロメオへとリオは目さえ向けず、ブリッジの壁を巨鳥が突き破って強風が吹き込む。
リオは背に落下傘を背負っていて、リーリヤを抱きかかえれば飛び降りて目的は完遂。そしてリーリヤまであと数歩!
「ずらかるぞ!! 掴め!!」
刺されて血に濡れたリオの左手を、リーリヤは潤んだ視界で見つめている。
リオの初見の印象は最悪だった。いや、初見どころか今の今まで最悪だった。
それでもこうして死地に現れ、命を張って血にまみれ、自分を救い出そうとしてくれている。
リーリヤは喉の奥からこみ上げるような嬉しさに嗚咽を漏らし、彼の名を呼ぶ!
「っ、リオ……!!」
「リーリヤ!!」
が、割り込む影、閃いた白刃。
「っ、な……!」
「残念だったね」
「……あぁ……っ」
呻いたのはリオ、悲嘆の息を漏らしたのはリーリヤ。
踏み込んだのはクロードで、彼が抜き打ちに振り上げた刃はリオが伸ばした左手を無惨に斬り飛ばしていた。
飛んだ血がリーリヤの頬に赤く垂れ、さらにリオが脇腹を抑えてたたらを踏んだ。
そこには血が赤く点を滲ませ、深く穿たれた孔は内臓を貫いて逆の脇腹まで抜けている。
「言ったはずだ。貴様は死ななくてはならないと」
ショットガンで死んだはずの傭兵ロメオが無傷で立ち、断定的な口調でリオを見つめている。
彼の人差し指がリオの脇腹をまっすぐに示している。ただそれだけで、体に風穴が開いたのだ。
傷は既に致死。リオはそれでも一、二歩とリーリヤへ歩み……
残り三歩、辿り着けずに歩みを止める。
「クソが、止まんじゃねえよ、俺……!」
「アンタ、血が、血が……っ! ごめん、私のせいで、私が……!」
ボロボロと涙をこぼしながらリーリヤが手を伸ばす。しかし、それを遮るようにクロードが間を遮った。
無情にも血は溢れ、リオはそれでも瞳の火を絶やさずにリーリヤを睨む。
「泣くんじゃねえ……! いいか、俺に二言はねえ。助ける、絶対にだ。だから……諦めるな……性悪女!」
「……っ……!」
臨死の際にも不敵な態度を保つリオ。
しかしヴィクトルはその姿にも無感動に、抑揚も薄く言い捨てる。
「所詮は二世、ブラックモア家の息子は犬死にする無能だった。ただそれだけの、面白みのない結末だ」
「馬鹿にしないで!!! こいつは、私を! あなたみたいな酷い人よりよっぽど……!!」
ヴィクトルの言葉へ、リーリヤは反論の声を張り上げる。
だが、その声はリオの断末魔に遮られた。
「……か、は……っ……」
「果断と根性論だけで生き抜ける世界ではない。今の君ではここまでだよ」
クロードが刀を振るった。
袈裟に、逆袈裟に、胴体へと交差軌道で深く斬線を刻み、肺や心臓を壊し、さらに喉へと一突きを立てる。
ロングコートが靡いた一瞬、元帥から死角になる位置でリオの体へと注射器を突き立て、そして痛烈な蹴りを浴びせればリオの体は宙に浮く。
ふわりと、彼の右手が空を掴み——
ブリッジに開いた大穴から、リオ・ブラックモアは遥か地上へと落下していった。
「さよならだ。リオ・ブラックモア」
「あ、ぁ…………」
高空の強風に巻かれ、リオの姿はすぐに見えなくなった。
リーリヤは絶望に目を見開き、そしてそのまま意識を失う。
クロードはかつての二つ名、“執行者”の冷酷そのままに侵入者を処断し、残心に刃の血を払って鞘へと納めた。
そんな彼へ、ヴィクトルが低く問う。
「何故蹴落とした。死体にも利用価値はあったはずだ」
「死兵である以上、自爆を試みる可能性があった。不慮の事故を防ぐためです」
「……」
納得をしたのか、ヴィクトルがそれ以上クロードへと問うことはなかった。
副官の女性を呼び、気を失ったリーリヤを部屋へと引き上げさせる。
戦いの場には操縦士や機関士たちの喧騒だけが残され……大穴へと目を向け、クロードは心中に呟いている。
(面白い男だったが、さて……どう転ぶか)
依然として瞳は冷たく、しかし奥底には微かな興味の残火が灯る。
そして瞬き一つ。彼が身を翻し、騒動は終結した。




