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八十六話 養母(父)との再会

「あらぁ、詩乃チャンじゃない! おひさ〜!」

「は?」


 通された部屋の中、そこにいたのは元気なゲイだった。

 詩乃の保護者、フリーのジャーナリストのマルゲリータが「プリムラもおひさ〜!」とくねくねと手を振っている。


 いや、見た目はそこそこ綺麗にしていて鼻筋が通り、化粧も丁寧。顔だけを見れば少しきつめの顔の女性に見えないこともない。少なくとも小汚くヒゲが生えていたりとか、そういうタイプではない。

 だが骨格というのはどうしようもなく、兵馬よりも少し高い背丈は170台後半で、わりとガッシリとした肩幅は明確に男のそれだ。

 なのに胸だけはしっかりと付いている。詩乃曰く着脱式の偽乳らしいが、そのせいで余計に得体の知れなさを増している。

 それでいてやたらと女性的にくねんくねんと腕を振るものだから、誰の目にもあからさまにオネエなのだ。


「ううん、いかにもだ」と妙な感心をして兵馬は唸り、その隣で詩乃が訝るような目をマルゲリータへと向けている。


「ここで何してるの、マルゲリータ。もっと牢屋とかに入れられてるのかと思ったら……」

「うっふ、この子たちカワイイでしょ〜? ホルモン出ちゃう〜!」


 “この子たち”とは彼の足元にまとわりつく何人もの子供たちだ。

 年端もいかない幼児が多く、邪気のない表情でマルゲリータへと構ってほしげにはしゃいでいる。


「マルゲリータお姉さん、ボールで遊ぼうよ!」

「お姉ちゃん、一緒に本読んでー!」

「マルゲリータちゃん!」

「マルゲリータお姉ちゃん!」


「ハァァン、かわいいの塊〜! 見なさい詩乃ちゃん、この子たちはアタシのことをレディとして扱ってくれるの! 世の失礼なメンズとは大違いよねぇ〜」

「ねえマルゲリータお兄ちゃ……ふぎゃっ!?」


 マルゲリータは恍惚とした表情のまま、お兄ちゃんと言いかけた子供にデコピンをぶちかました。

 それはともかく、彼はこの環境を楽しんでいるように兵馬には見える。


 部屋は全体が明るめのパステルカラー。柔らかいクッション材で床が覆われ、星や月のモチーフが壁に天井にと飾られている。

 下には様々なおもちゃや簡易なすべり台などの遊具が散りばめられていて、まるで保育所のような雰囲気の一室だ。


 陰惨な場所に幽閉された姿を思い浮かべて心配していた詩乃からすれば、なんというか、拍子抜けとでも言うべき光景。なので首を傾げてもう一度問う。


「よくわかんないんだけど……連絡もしないで。心配してたのに」

「そうよねえ、ごめんね詩乃ちゃん。私にも色々と事情があってね」

「……生きててくれたからいいけど。でも、なんで保育士みたいなことしてるの。ほんとに」

「うぅン、どこまで話していいのかしら……?」


 子供たちへと一声をかけて遠ざけ、肩を入れて腰を曲げる。

 そして悩ましげに頬へ手を添えたマルゲリータは詩乃の肩へ、いや、その背後へと流し目を向ける。

 そこにはドニが目を光らせていて、マルゲリータからの問いに「フッフ」と弾むような笑いを返した。


「美しく聡明なマルゲリータ嬢の判断にお任せしよう」

「あらやだ、嬢だなんて。ドミニク議員はお上手ですわぁ」


 上っ面の笑顔をマルゲリータが浮かべ、詩乃は両者の間に微かな剣呑を嗅ぎ取っている。

 そしてマルゲリータの話の枕になればと、先んじて口を開く。


「マルゲリータは取材の中で何かを知りすぎたんだよね。それがドニかシャングリラにとって都合の悪いことで、話が漏れないように捕まってる。そういうこと?」

「あら、意外と事情通。そうなのよ。死ぬか、ここで子供の面倒を見るかって迫られて。それ以来、アタシは籠の中の鳥……」


 んはぁ……とやたらに艶っぽく美女めいた吐息を一つ。

 本人は蝶を気取っているのかもしれないが、どっちかといえば蛾だよなぁと兵馬は内心で考える。


 よくよく見れば、部屋の中には子供たちだけでなく大人の構成員も数人いる。

 壁際に影のように立っていて、マルゲリータが妙な言動をすれば即座に始末すると静かな殺気を放っている。

 そこでマルゲリータはふと硬い表情になり、視線を斜めに落として瞬きを早める。思考している仕草だ。どこまで話せるかのラインを脳内で測っているのだろう。

 数秒で顔を上げ、真剣な面持ちのままで決意したように口を開いた。


「ドニとシャングリラは危険よ。この国が覆るような事件を起こそうと目論んでいるわ」

「……国が覆る」

「貴様……!!」


 詩乃が飲み込むために復唱したのと同時、壁際にいた戦闘員たちが殺気を露わにした。

 しかしドニは笑みを湛えたままに彼らを制し、「続けて構わないよ」とゆっくり頷く。


「どういうこと、マルゲリータ」

「ごめんね、それを教えればアタシも、詩乃ちゃんたちも無事では済まないわ。でもそれはもうすぐよ。先の話じゃない」

「……どうすれば」

「詩乃ちゃん、あなたのすることは変わらないわ。国が騒ぎになった時に一番安全なところ、ファルセルの街に向かいなさい」


 マルゲリータは詩乃の両肩に手をかけている。

 女性にしては少々たくましすぎる手で詩乃の細身をしっかりと掴み、保護者の眼差しを浮かべ、心底から詩乃を案じて言い含める。


「アタシの知り合いのローズ将軍に保護してもらって。コーネリアス・ローズ将軍よ。紹介状もまだ持ってるわね?」

「うん、大丈夫」

「そしてこのことは誰にも口外しちゃダメ。もし軍に通報したとしても、もう止められる段階じゃない。そして、絶対に……」


 息を吸い、最も重要な言葉を詩乃へと伝える。


「セントメリアに近付いちゃ駄目」


 そこまでを一息に語り終え、マルゲリータはふうと息を吐いてドニを見た。


「ここまでなら喋ってもセーフよね?」

「流石だね、マルゲリータ嬢。あと一歩踏み込んで語れば君たちの首は飛んでいた」


 そしてドニは詩乃たちへと目を向け、相変わらずの芝居掛かった調子で語りかける。


「お聞きの通りだよ。シャングリラは人類を一つ上のステージへと導こうとしている。多少強硬な手を使ってでもね」

「何をするつもりなの」

「それを教えてしまえば君を殺さなくてはいけなくなるよ。親の愛は素直に受けなさい」


 暗殺組織のボスのはずなのに、本人は殺意の類をほぼ見せない。

 ただ淡々と、かくあるべしとばかりに部下たちに標的を始末させる。その揺るぎなき精神こそがドニという男の異常性であり恐ろしさなのかもしれない。


「……わかった。私もあなたやシャングリラとはこれ以上関わりたくないから」

「そうそう、それがいい。それが賢いよ。ウフフ」


 芯のない拍手で詩乃の判断を讃え、ドニは背を翻した。


「今日はもう列車の最終便が終わっている。君たちは明日発つとして、部屋を用意するから、一晩水入らずで過ごすといい」


「もちろん盗聴器は付けてあるけれどね」と言い添えて、ドニは部屋から去っていった。迂闊に口を滑らせることはできないというわけだ。

 と……詩乃がマルゲリータへと抱きついた。

 淡白な性格の少女だが、まだ16歳。突然放り出された旅路に死線をくぐり抜け、ようやく会えた保護者を目の前にして気持ちの栓が緩んだらしい。


「詩乃ちゃん……ごめんなさいね、何も伝えられずにいなくなって」

「…………大変だった。でも、本当によかった。無事で」


 詩乃の帽子を外し、柔らかい質感の茶髪をさらさらと撫でる。

 マルゲリータはプリムラへも目を向け、気心の知れた笑みを交わしあった。


「プリムラちゃんもお疲れ様。大変な役目をさせちゃったわねぇ……」

「ううん、詩乃を守るのが私の役目だもん。それに楽しいよ、詩乃と兵馬との旅!」


 その言葉でようやく、マルゲリータは兵馬へと目を向けた。

 兵馬は久しぶりによそ行きの会釈を浮かべ、仲間の親へと挨拶するべく口を開こうとする。が、その口から漏れたのは悲鳴だった。


「うぎゃあっ!!? な、何を!」

「あらぁ、股にタッチしたくらいで怯えなくたっていいじゃない。メンズへの挨拶よぉ〜」

「い、嫌に決まってるだろ! ええと、兵馬樹。詩乃たちの護衛をやってる。尻に手を回さないでくれ!」

「アラ引き締まったお尻。顔も悪くないわねぇ。詩乃チャン、いい物件見つけたじゃない!」

「……」


 この調子の会話に慣れているのか、詩乃は無言でスルーする。

 そこに乗っかったのはプリムラだ。


「兵馬は強いんだけどお金を全然稼いでこないんだよ。下手くそな大道芸人なの」

「あらぁ、甲斐性なし? 駄目よぉ、男の評価基準は結局お金。アタシの可愛い詩乃ちゃんが迷惑かけられる前に根性入れてあげなくちゃ」

「い、痛い! 股間を掴むなよ! そもそも僕はただの護衛だ! そういうのじゃない!」

「オラッ、根性入れなさい!」

「あああっ……!!」


 凄まじい鷲掴みに兵馬の切ない悲鳴が響き、ネバーランドの夜が更けていく。

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