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八十三話 少年と殺し屋と

 傷を負い、血を流しながら追われる窮地。

 幼い日の兵馬が死の恐怖に声を漏らしたその時、銃声と共に現れたのは猟銃を持った修道女(シスター)だった。


 歳は二十代の半ば頃だろうか。

 黒い修道服に身を包み、シスターベールで頭部を覆った清楚な女性。いや、しかし兵馬が知る町の修道女たちとはどこか雰囲気が違う。

 髪の全体をぴったりと頭巾に収めるのが普通のシスターだ。しかし目の前の彼女のベールからはライトブラウンの毛先が雑にはみ出していて、なんというか、着こなしが荒い。

 そんな女性へと、兵馬は失血に弱り切った声で尋ねかける。


「あなたは……?」

「君さ、悪いことして追われてるの」

「違う、僕は何もしてない。こいつらがいきなり……」

「そ。じゃあ助ける」


 軽く頷き、シスターは猟銃の照準を追っ手たちの胸元に合わせた。その仕草はやけに慣れていて、殺虫スプレーを構えるぐらいの気安さで。

 防塵マスクに顔を覆った捕獲者たちは、ゴーグル越しの目と眉、それと声色に不興を滲ませる。


「おい女、邪魔をするなら聖職者だろうが構わず……」

御託(ごたく)が長い」


 シスターの銃口が容赦なく火を噴いた。

 熊撃ち用のサボット弾が唸り、男たちの背後の木を派手にえぐる。

 上下二連の銃身には散弾がもう一発込められたまま。シスターは平然と銃身の根元を開き、手早く新たな銃弾を込めた。


「退いてくれれば弾を無駄にしなくて済むんだけど」

「こ、この女……!」

「いきなり撃ちやがった! イカれてるぞ!」

「クソッ、だが退けばノーリ博士からどんな目に遭わされるか。あのガキにご執心だってのに……女ごと取り押さえろ!」

「ノーリ……? なるほどね」


 ターシャが呟き、そこからは兵馬の目には一瞬に見えた。


 三人、一斉に飛びかかった男たちは屈強だ。人さらいらしく荒事に向いた体格をしている。

 しかし修道女は身を屈め、魚が跳ねるような伸び上がりで銃底を一人の顎に叩きつけた。

 よろめいたその男の背へと回り、ほんの一瞬の壁にして身を翻す。手には投げナイフ、それを二人目の両肩へ投じて深々と刺す。

 そして初撃で顎を割った男の後頭部を掴み、合気道めいてバランスを崩させ、ナイフを刺されて怯んでいる男へと猛烈に叩きつけてダブルノックアウト。


「あと一人」

「この……!」

「遅いよ」


 シスターは既に三人目の間合いへと踏み入っていた。

 左の掌底で肺を叩き、空気を吐かせれば隙は十分。右手の猟銃を男の鳩尾へゴリリと押し付けて、トリガーに力を込める。


「た、頼む! 殺さないでくれ!」

「尻尾巻いて帰りなよ」


 火を噴く!! 


 引き金を引く寸前、シスターは銃口を下げていた。

 弾丸は足へ。男の左足、甲から指にかけてが散弾にめちゃくちゃに噛み荒らされ、原型をまるで留めていない。

 シスターは激痛と衝撃にのたうち回る男を無感動に一瞥。ルーティンめいて淡々と、耳から防音用の耳栓を抜く。

 それを修道服の懐に収めると、這いつくばって驚きに目を見開いていた兵馬へと歩み寄り、そっけなく、けれど情を感じさせる目で手を差し伸べた。


「君、立てる?」

「……はい。あ、いや……」


 負傷が思っていたよりさらに深いのか、それとも血が抜けて冷え切ってしまったせいか、足に力が入らない。

 それを見て取ると、彼女は猟銃を腰に下げ、身を屈めて兵馬をひょいと背負って立つ。

 背丈も細さもごく一般的な女性ほどに見えるのだが、シスターの力がやたらと強いことに兵馬は驚く。


「あ、あの」

「とりあえず手当てしないと」


 そう告げ、兵馬と共に場を立ち去ろうとするシスター。その背中へ、倒れて呻く男の一人が声を掛けた。


「お前……何者だ。我々の邪魔をしてタダで済むと……」

「ターシャ。シスターターシャ。私の名前だよ。荒事が生業(なりわい)なら聞いたことぐらいあるでしょう」


 シスターが“ターシャ”と名乗った瞬間、男たちが「ヒッ」と引き攣るように息を吸ったのが兵馬にもわかった。

 彼らの怯えがどういう意味なのか兵馬にはわからなかったが、ターシャは温度のない視線で彼らを見(すく)めた。


「殺さなかったのは死体の処理が面倒だから。慈悲じゃない。私の気が変わらないうちに消えて」


 そしてきびすを返し、森の奥へ。彼らが後を追ってくることはなかった。


 一騒ぎの間に時刻が深まり、森はその気温をより下げている。

 微かに凍てついた土はターシャが踏むごとにザク、ザクと音を立て、兵馬は黙したままに彼女の背で揺られている。


(ターシャ、さん。どういう人なんだろう)


 窮地を脱した安堵と、寒さと、疲労と、失血と。子供の体には大きすぎる負担に兵馬は意識を微睡ませている。

 警戒心の強い少年だが、表情が薄く声を荒げないターシャの態度には不思議な安心感を抱いていた。


(そういえば、初めてかもしれない。人に背負ってもらうなんて……)


「少年。ねえ、君」

「はっ! す、すみません!」


 声を掛けられて慌てて意識を戻せば、肌に感じる空気が暖かい。

 窮地に置かれた小動物のように視線を巡らせ、兵馬は素早く状況を見て回す。


 屋根の下、寒暖差に曇った窓、ちらちらと揺れるオレンジの明かりは暖炉。

 冷え切っていた体はすっかり温もりを取り戻していて、気付けば着たきりの枯草色のコートではなく女性物の白いパジャマに身を包まれている。

 嗅ぎ慣れない石鹸の匂いに目を白黒とさせながら、兵馬は急いで立ち上がろうとする。が、傍らから顔を覗き込んでいたターシャの指が少年の額を痛烈に弾いた。


「うっぐあ!?」

「声掛けただけだから。勝手に立とうとしないで」

「ご、ごめんなさい……」


 角材で殴られたかと思うぐらいの衝撃だっだが、ただデコピンをされただけらしい。

 涙目になりながら大人しく寝そべり、そこで兵馬は腕になにやら管が繋がれていることに気が付いた。


「輸血してるから動いちゃ駄目だよ」

「ええと……」

「ラッキーだったね、私と同じ血液型だったから輸血パックがあった」

「いつの間に?」

「君、もう三時間以上寝てたんだよ」


 言われて初めて時計を目にし、朝方に差し掛かっていることに気が付いた。

 時間の経過を示すかのように、結露した窓の外には白雪が舞っている。さっきまでは降っていなかったはずだ。


 寒空を思い、ぶるると身を震わせた兵馬へとターシャは湯気を立てるマグカップを差し出した。


「スープ、飲んでいいよ。お湯にコンソメ溶いただけだけど」

「ありがとうございます……」


 横の曲面に手を沿わせ、陶器越しの温度を感じながら喉にスープを落とし込む。

 ほうと一息を吐き、キャベツやベーコンの切れ端を前歯で噛んでいるとターシャがまた口を開く。


「町の孤児?」

「……はい」

「はあ。キリがないから関わらない、そう決めてたんだけど……」


 ターシャはひらりと手を揺らす。


「関わっちゃった以上は助けるよ。けど、あなたの仲間までは助けられない。それでいい?」

「仲間……仲間はいないよ。一人で生きてきたから」

「一人で? ……珍しいね。孤児って大体身を寄せ合って生きてるものだと思ってたけど」


 そっけない調子のターシャの瞳が、暖炉の火を写して微かに揺れた。

 睡眠と血と、少しの栄養とを得て落ち着いてきた兵馬は再度、部屋の中を見回している。

 壁際やテーブルの上、兵馬が背を預けているベッドの脇にも大小様々、たくさんの銃器が部屋には転がっている。

 他にも大ぶりなナイフや、何に使うのかよくわからない尖った器具や。武器に溢れた光景は、とても聖職者(シスター)の部屋には見えない。


「一匹狼か。一緒だね、私と」


 ターシャは初めて微笑み、兵馬へと手を差し伸べた。


「私はターシャ。家に迷惑がかからないように苗字は捨てた。ここにいてもいいよ、君が望むならだけど」

「……ありがとう、ございます……」


 少年は俯き、彼女の暖かな手を握り返した。

 人との接点を持たずに生きてきたから、どんな表情をすればいいのかわからない。

 ただ、初めての温もりに、少年の瞳からは自然と涙が溢れていた。




 兵馬とターシャの共同生活が始まった。

 孤児の少年は文字を書けず、読みも不十分。その他の知識も浅く狭い。

 そんな兵馬へとターシャは教育を与え、衣食住を与えた。

 そして何より、少年に初めての愛情を与えた。


 愛情と言っても、おはよう、おやすみと言葉を交わし、好き嫌いをすれば叱り、家事を手伝えば偉いと撫でる。

 眠れない夜は横で本を読んでくれて、熱を出せば手を握っていてくれる。そんなありふれた愛情。

 それでも与えられた愛は、兵馬を無感動に日々をやり過ごすだけの存在から喜怒哀楽のある人間へと変えていった。


「ターシャ、どうして僕を拾ってくれたの」

「気まぐれかな」


 そっけなくそう言うターシャも孤児だったと聞いたのは、数年後のことだった。

 誰ともつるまず一人で生きていた。そんなターシャが似た境遇の兵馬を拾ったのは、偶然の成り行きとはいえ運命だったのかもしれない。


 

 幼い兵馬もそれとなく察してはいたが、ターシャは殺し屋だった。

 人気のない森の奥、ひっそりと佇む古びた礼拝堂。かつては別の神父が営んでいた祈り場を、ターシャが引き継いで管理しているらしい。


「ここの神父が子供に手を出す異常者でね。頼まれて殺したはいいけど、礼拝堂を放置したら神様からバチが当たりそうでしょ。だから私がシスターをやってるの」


 仕方なくね、と言ってターシャは浅く笑う。

 信仰心はそれなりにある方らしく、礼拝堂の掃除と朝晩の祈りは欠かさない女性だった。

 訪れる人は近郊の町から来る古馴染みの老人が数人と、注文した食料や雑貨を届けに来る宅配人。

 それと、表情に影を宿した依頼人たち。


「話は聞くよ。でも、受けるかどうかは気分次第」


 そううそぶくターシャだが、受けるかの基準は幼い兵馬にもすぐわかるようになった。

 裁かれない社会悪を裁く。あるいは、いたたまれない犯罪に巻き込まれた者の復讐を代行する。そんな殺し屋。

 ターシャは依頼の場に兵馬が居合わせることを許さなかったが、幾度か漏れ聞こえてきた会話は彼女の腕前が殺し屋としての最高峰にあることを兵馬に教えた。


「ターシャは正義の殺し屋なんだね」

「……これだから子供は。そういうの恥ずかしいからやめて」

「でも、悪い人しか殺してないよ」

「善か悪かは私の勝手な判断。裏は取るようにしてるけど、もしかしたら冤罪の人がいたかもしれない。無償でやってるわけでもない。私もただの悪人だよ」


 二人での生活は数年続いた。

 ターシャの誕生日に兵馬が焼いたケーキ、その上に立てられたロウソクが30本へと届いて彼女が表情をしかめた頃、兵馬の背丈がターシャを越した。


 ターシャは兵馬に勉学と家事だけでなく、体術や銃の扱い、さらにはあらゆる状況に則した戦い方を教え込んだ。

 礼拝堂の裏で銃を手にしたままでの組手を交わしながら、ターシャは兵馬へと諭すように声を掛ける。

 

「殺し屋にはなっちゃ駄目だよ。だけど君は戦い方(これ)を学んでおいた方がいい」

「どうして? 楽しいからいいんだけどさ。ターシャは教え方が上手いし」

「理由は……まあ、嫌でもわかるよ。そのうちに」


 ターシャの凄烈な足払いに兵馬の視界がぐるりと回り、晴天を仰いだところで会話は打ち切られた。




 そうして迎えた幾度目かの冬、礼拝堂の扉を黒服の男たちがノックした。

 出迎えた兵馬へ、鷲鼻の老人が頬を歪めて名刺を差し出す。


「エルモ・ノーリ。科学者だ。立派に育ったものだね、地下水道の少年よ」

「ノーリ……博士、っ!!」


 忘れるはずもない。ターシャと出会ったあの夜、兵馬へと強烈な執着を向けてきた恐るべき博士。

 青年へと成長した兵馬だが、蘇る恐怖の記憶に思わず後ずさり……その肩を、ターシャの手がしっかりと掴み止めた。

 彼女のもう片方の手には狩猟用のクロスボウが握られ、科学者の眉間へと揺るぎなく照準を合わせている。


「話は聞くよ。気に入らなければ射つけどね」

「これはこれは……」


 ターシャとノーリは静かに睨み合い、両者ともが一歩も退かず。


 狂乱の科学者、その来訪が兵馬とターシャの運命を流転させる。

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