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八十一話 突きつけた否定

「ご馳走を用意したよ。まずは召し上がれ」


 ドニの邸宅はテーマパーク化された町の一角、森林を模したエリアの片隅に位置している。

 森の小道には首の曲がったランプが点在していて、その道の突き当たりに素朴で温かみのある木造の家が立ち並ぶ。メルヘン調のその家並みは、ドニの保護している孤児たちの居住エリアらしい。

 その中でひときわ大きな一軒へと招き入れられ、どうやらそこがドニの私邸らしい。


 手荒な扱いは受けていない。陽気かつ紳士的な仕草のドニに先導され、しかし背後にはアントンとエーヴァら私兵たちがぴったりと張り付いている。

 緊張しながら家へと招き入れられ、部屋へ入れば豪勢な食事の用意された長テーブルが。

「さあ掛けて」と促され、詩乃たちはドニと向かい合って座り、そうして今に至っている。


 テーブルの上に並べられた料理は多種多様かつ鮮やかだ。

 七面鳥(ターキー)のローストにパイ包みのオニオングラタン、木の実が混ぜ込まれた豚レバーのパテに木のボウルに盛られたフルーツサラダ、他にも諸々。

 極め付けにテーブルの中央にはまるで誰かの誕生日かと見紛うような大型のケーキが置かれていて、それら全てを詩乃は胡散臭げに見つめている。


(なんなの、このやりすぎなおもてなし感。“ドニ様”ってこの人、要するに殺し屋たちのボスなんだよね。毒入りだったり……)


 そんな詩乃の右側では、プリムラが無警戒にむしゃむしゃと食事を口に詰め込んでいる。

 クリームパスタを巻き上げては口に運び、咀嚼もほどほどに海老のフリットを頬張って満面の笑顔。さらに次の料理へと手を伸ばす。


「うまっ。この肉を固めたみたいなやつすっごいおいしいよ、詩乃!」

「…………はあ」


 毒が入っていようと自律人形(オートマタ)には関係ない。それはそうなのだが、それにしても無警戒だ。

 詩乃は若干呆れつつ、紙ナプキンでプリムラの口元を拭った。


「汚い。落ち着いて食べなよ」

「んむ、ごめん。でもほら、これ美味しいんだって! お肉固めたやつ!」

「鴨のテリーヌだね。気に入ってもらえたかな?」

「てりーぬ? へえ〜、テリーヌ」


 ドニがにっこりと笑みながら口を挟んできた。

 興味深げに頷くプリムラの無神経っぷりが今は心から羨ましい。と、ドニの目が詩乃へと向けられた。


「ほら、君も食べるといい。お腹が減っていないのなら甘い物だけでもお食べ」

「いや、私は……」

「毒、気にしてるの? 大丈夫なんじゃないかな。ほら、兵馬も食べてるよ」

「え?」


 言われて左側を見れば、緊張していて気付かなかったが兵馬もパクパクと食事を口に運んでいる。

 毒とは言わなくとも、睡眠薬でも仕込んであればどうするつもりなのか。非難めいて目を向けた詩乃に、兵馬はローストビーフをパンに挟んで齧りながら声を返した。


「毒は大丈夫だよ、詩乃。この男はそういう性格じゃない」

「……兵馬、この人と知り合いなの?」

「不本意だけどね」


 むすっとした表情とは正反対に、兵馬の食べる手は止まらない。

 そんなに美味しいのかな。詩乃も徐々に気になってきているのだが、やはりどうしても警戒心が先に立つ。

 そもそも列車で駅弁を一つ食べていて、それほど空腹でもないのだ。

 ただ、ドニは相変わらず詩乃が食事を口に運ぶのを期待の眼差しで見つめてきている。


(食べるまで話が進まなさそう……めんどくさ)


 仕方なしに、細長い銀皿に並べられたココアクッキーを一枚つまむ。齧ればさくりと、バターの豊富に練りこまれた生地は舌の上でほぐれ、口いっぱいに上質な甘みが広がった。


「美味しい」


 自然とそう口に出した詩乃を見て、ドニは満足げに頷き、同じクッキーを自らの口へと運んだ。


「美味しい食事は心をほぐす。同じ物を食べてこそ正しく向き合える。さて、話をする準備ができたね」

「何の話を」

「君たちがここから生きて帰れるか否か。まずはその話からかな」


 詩乃はぐっと息を飲む。

 掴み所のない印象のドニの瞳が一瞬にして凄みを帯びる。メルヘン趣味なテーマパーク兼孤児院のオーナー、それだけの男ではないのだ。

 しかし一触即発の空気はほんのわずか。すぐにドニの顔には微笑が戻り、詩乃ら二人と一体を眺め回して口を開く。


「君たちをここから無事に帰すための条件はただ一つ。今からする話の全てを一切他言しない。それだけだよ」

「……それは内容によるから、即答できません」

「勿論、話が終わるまでに判断してくれればいいんだよ」


 ミルクたっぷりのカフェラテを口に含み、ドニは掌で詩乃に発言を促す。


「まず、聞きたいことは?」

「マルゲリータ。私と一緒に旅をしてたマルゲリータを知ってますか」


 気になることはいくつもある。けれど迷いなく、まず詩乃が尋ねたのは行方知れずの保護者について。

 “マルゲリータ”とは源氏名の、ゲイかつフリーのジャーナリスト。そんな彼……いや、彼女? が置き手紙を残して行方をくらました直後から、詩乃はシャングリラに襲われるようになったのだ。


(たぶん、シャングリラについて調べてたんだ)


 記憶喪失の詩乃を保護してくれたオカマたちの一人で、詩乃にとっては命の恩人であり育ての親のようなもの。

 その安否を確かめることは、詩乃にとって万事に優先する事柄だ。


 質問を受けて、ドニは真意の知れない微笑を静かに浮かべた。

 

「フフ、ジャーナリストのマルゲリータ。よく知っているよ。勇敢で優秀な記者だね。そして少し、優秀すぎた」

「……マルゲリータは生きてますか」

「生きているとも」

「生きて……! どこに、マルゲリータはどこにいるの?」

「この町に」


 ぐっと息を飲んだ詩乃へ、ドニはぺしんと両手を打ち鳴らした。


「この質問はここまでだね。さあ、次の質問に移ろうか」


 マルゲリータがこの町にいる? どんな状態で? 生きているというのは、元気な状態で?

 混乱に俯く詩乃の肩に、プリムラがとんと手を置いて声を掛ける。


「慌てちゃだめだよ、詩乃。質問を続けよ」

「……そうだね」


 促され、次の問いを。


「シャングリラ。シャングリラって、何が目的なんですか」

「人々を幸せにするための組織さ」


ドニは語る。宗教組織シャングリラ、暗殺組織シャングリラ。名を同じくする二つの組織は裏表。

しかしそのどちらもがユーライヤ(この国)を、ひいては全人類を幸せに導くことを目的としている、と。


「意味がわからない」


 詩乃は呟く。静かに、しかし軽蔑を持って吐き捨てるような口ぶりで。

 表ではドミニク・エルベとして孤児の保護など慈善事業に精を出しつつ、裏で“ドニ様”としてやっていることは暗殺、それに麻薬の製造と流通。

 何よりも詩乃の心に痛切な印象を残しているのは、シャングリラに身を置くフランツ・ハイネマンらの悪行がエルタの町とサノワ村で大勢を殺めたという確固とした事実だ。


「二つの土地で、たぶん他にも色々な場所で多くの人が死んだ。それは部下の暴走? それともあなたの指示?」

「私の指示だね。アントンとエーヴァ、フランツ、フロスティ。それにピスカも、可愛い子供たちはみんなみんな、私からの指示で動いているよ」


 にこやかにそう言ってのけ、「メリルは言うことを聞いてくれない子だったけれどね」と静かに言い添える。

 彼の落ち着きは殺しを自らの一部として飲み込んでいて、一切の悔悟や疑問を抱いていない。


「全ては必要なことなんだよ」

「……あなたとは、絶対にわかりあえないと思う」


 別にモラリストでもなければ正義を気取るわけでもないが、詩乃はシンプルに彼から迷惑を被りすぎている。

 なにより、このドニという男が凶行に相応しい悪意を纏っていないのが許しがたい。

 まるで自分は世の人々よりも上位にいるとでも考えているかのようなその姿勢に腹が立つ!


 面前のドニにも背後の暗殺者たちにも臆すことなく、詩乃は静かに、まっすぐにドニを睨みつけた。


「あなたみたいな人間が、きっと世界を歪めてるんだと思う」

「……なるほど。よくわかったよ、兵馬が君を気にかけている理由がね」


 ドニは詩乃が突きつけた否定をやんわりとやり過ごし、そして兵馬へと目を向ける。


「似ているね、彼女に。顔立ちだけでなく、心の形も」

「……」


 兵馬は答えない。ただドニを見つめている。

 居心地の悪い沈黙に、プリムラがゴクリとコップの水を嚥下した。

 そして、ドニが言葉を続ける。


「少し、昔話をしようか。兵馬樹はかつて、孤児だった」

「……」


 兵馬は否定も肯定もしない。

 そのまま流れるように語られていく彼の過去に、詩乃は黙して耳を傾ける。

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