八十話 ネバーランドのうた
これまでの旅路で幾度となく詩乃の命を狙い続けてきたシャングリラ。
その首魁として名を耳にしていた“ドニ様”、ドミニク・エルベの柔和な笑顔が、詩乃たちの門前にある。
仕立てのよいシャツの襟元は緩められていて、いかにも自宅に帰ってきたオフモードというような表情で。
そんな彼の背後には大勢の子供たちがきらめく瞳で大好きなパパを見つめている。
詩乃たちの背後にはずらりと居並んだ私兵たち。アントンやエーヴァ、似たような引き締まった骨格の暗殺者たちが退路を塞いでいる。
「ちょっ、これ……ひ、兵馬。どうしよう」
詩乃はあまり誰かに頼る姿勢を見せない、依存心の薄いタイプなのだが、あんまりにあんまりな状況に泡を食った様子で兵馬の袖をぎゅっと掴んだ。
兵馬は静かに周囲を見回しつつ、その表情は固く強張っている。どうやら彼はドミニク・エルベ議員=“ドニ様”という事実を知っていたようなのだが、少なくとも彼らの側の人間ではないらしい。
詩乃を庇える立ち位置へと身をずらしていて、言いたいことや聞きたいことは色々とあるが、とりあえずこれまでと変わらず詩乃の味方ではあるようだ。
左手には武器を出すための赤布を握っている。仕掛けてくればいつでも応じる臨戦の姿勢だ。
しかしドミニク……“ドニ”は兵馬のそんな様子を意に介した様子もなく、背を向けると居並んだ孤児たちへとふわりと手を掲げた。
「今日はね、パパの大切なお客様を連れてきたんだ。みんなで歓迎の歌を歌ってくれるかなぁ?」
「はーい!!」
微笑ましい親子の、あるいは保育施設の先生と子供がするような素直な声の交わし合い。
だが、詩乃はその光景の薄気味の悪さに顔をひきつらせている。ドニの言葉に返事をしたのは子供たちだけでなく、その後ろにいた駅員や掃除夫、売店の店員たちまで。
もちろん大人だ。はっきり成人しているとわかる人々までが、稚気に満ちた表情で手を上げて返事をしたのだ。
そして子供たちの後ろ、駅のホームへと楽団が現れ、どこか調子外れにドンドン、パフッと楽器を鳴らし始める。
ブリキのおもちゃのように太鼓やシンバルを鳴らしながら、ドニを讃えるマーチを奏で始める。
そして子供たちが歌い出す!
「さん、はいっ」
♪ネバーランドのうた
作詞作曲:ドミニク・エルベと子供たち
ここは夢のくに
大人も子どもも
関係ないのさ
みんな目がきらきら
毎日がホリデイ
わくわくうきうき
空だってとべちゃう
おててをつなげば
夢のネバーランド
僕らのネバーランド
こんな素敵なおうち
あたえてくれたのは、だぁれ?
そー、れー、はー、
「ドニ様!」
(あっはぁ)※ドニの合いの手
パパがだいすき!
(みんながだぁいすき)
世界一のパパ!
(みんなナンバーワン!)
パパが笑えばぼくたちも笑顔
パパが泣いたらぼくたちも泣いちゃう
(みんなありがとう)
パパはドニ様ひとり!
みんなを包み込む
素敵な世界 こどもだけの世界
みんな家族だよ
……シャラランとツリーチャイムを滑らせる音がドップラー効果めいて消えて行き、そうして曲は締められた。
ドニも子供たちも、そして子供のような大人たちも。ゆらゆらと体を揺らしながら混じり気のない笑顔で歌ってのけ、一様にやりきった表情を浮かべている。詩乃たちへと反応を求める視線を向けている。
(気持ち悪い)
虫の薄翅が口の中に張り付いたような、そんな生理的な嫌悪感を詩乃は覚えている。
いい歳をした大人たちまでが心底楽しげに歌っていたのは前述の通り。それ以上に詩乃に強烈な違和感を抱かせたのは後ろから聞こえていた歌声だ。
灰色のフードを被ったドミニクの私兵たちが、詩乃を幾度もなく狙ってきたシャングリラの暗殺者たちが、童心に目を輝かせながら幼稚な歌詞を朗々と歌い上げていたのだ。
顔を見知ったアントンとエーヴァも、無論のこと例外ではなく。
プリムラはすっかり困惑しきっていて、兵馬は相変わらず警戒を解いていない。
(なんなのこいつら。なんなの、シャングリラって。目をキラキラさせて、本気で頭おかしいんじゃ……)
「拍手をしろ、佐倉詩乃」
アントンが鋭く、低い声を詩乃の耳に刺す。
「それが貴様に課せられた責務だ」
「まだ死にたくはないでしょう? 私たちのパパを悲しませないで」
エーヴァがすぐさま同調した。
彼らのパパはふわりと跳ねるように歩き、詩乃たちの少し手前で立ち止まる。
そして前かがみに、伺うような瞳で詩乃の目を覗き込んできた。
「どうかな、僕らの歓迎の歌は。楽しんでいただけたかな?」
「……そ、それなりに」
深奥まで潜ってくるようなドニの目から視線を逸らせず、詩乃は頬を緊張させながら苦手な愛想笑いを浮かべる。
ただひたすらに気持ち悪さを抱くばかりだったが、後ろの左右からアントンとエーヴァがステレオめいて威圧してきているのだからそう答えざるを得ない。
「なんか、すごかった……?」
プリムラが首を傾げながら呟いている。細かいことを気にしないタイプのプリムラは一応、歓迎の歌という言葉をそのままに受け取ったらしい。
すっかり反応に困っていた詩乃は助け舟とばかり、プリムラへと(もっと感想言って!)と目配せを送る。
パチパチと、まばたきでのアイコンタクトを受けたプリムラは意を得たりと頷く。そして口を開く。
「でも大人が歌うのは変じゃないかなぁ。ちょっと気持ち悪いよ」
「ば、バカ!!」
どうやらプリムラは詩乃からのサインに(遠慮せずに言っちゃえ)と凄まじい曲解をしたようで、今の状況で考えられるおよそ最悪の言葉を口走った。
いや、確かに詩乃も思っていた通りの、言ってしまいたかったことではあるのだが……詩乃はもう一度呻く。
「馬鹿……」
「へ、なんで? あ、あと歓迎感薄いよね。自画自賛っていうか……ひとりよがり!」
途端、背後の暗殺者たちが殺気走った。
元々“パパ”のためなら死地へと踏み込むことを厭わない狂戦士たちだ、ドニへの批判を一切許さないだろうことは想像に容易い。
案の定というべきか、アントンとエーヴァら暗殺者たちは凄まじい殺気を滲ませている。
「許すまじ」と吐き捨てながら、アントンが腰の剣へと指を掛け……ドニが笑った。
「あっはぁ! いやぁ、確かにそうかもしれない。ネバーランドの楽しさを伝えようって気持ちが先立ってしまってたかもしれない……忌憚のない意見、それもまた愛だね!」
「あ、言ってもいいの? じゃああとね、アントンの歌が下手すぎ。一番大声だったから余計にうるさかったな」
「き、貴様……!」
ふふんと鼻を上に向け、指先をピンと立てて批評を口にするプリムラ。ひたすらに図太い。
その指摘を受けてアントンは額に青筋を立てているが、ドニはそんなアントンへと「スマイルスマイル」とにこやかな声を向けて矛を収めさせた。
ともかく、今ここで殺されることはないらしい。詩乃は微かに息を漏らし、薄い胸を上下させた。
ただ、状況には何の変わりもない。兵馬はドニたちの頓狂なパフォーマンスにも表情を一切変えず、氷のような目をしたままで詩乃の前に立っている。そのまま、兵馬とドニの目が向かい合った。
(兵馬、この人と知り合いみたいだったけど……)
他の車両からも駅へと旅客たちが降りている。
子供たちが並んで歌う光景は彼らの目にも異様なはずだが、都市全体をテーマパーク化したネバーランドという町ならではのパフォーマンスだと捉えられているようだ。
歌が終わった今、それを意に留めている者は誰もいない。ホームに残っている旅客は詩乃たちだけ。
やがてドニは、そよ風のような所作で詩乃たちをホームの出口へと誘う。
「さあっ、私の邸宅へとご案内だ。お話をしよう。君の気になっていることを。何故狙われるのか、シャングリラとは何なのか、ドニとは何者なのか。それと……」
言葉を少し溜め、ドニはもう一言を言い添える。
「兵馬樹の過去についてもね」




