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七十九話 いらっしゃい

 ドミニク・エルベ。

 

 齢はおおよそ40ほど。しかし容姿は若々しく、ウェーブのかかった長髪とどこか芝居ががった仕草はミュージカル役者を思わせる。

 エメラルドグリーンのスーツを上品に着こなす政治家であり、多くの都市圏に独自の票田を抱えている男。

 ユーライヤ神聖議会における巨頭であり、医療研究への多額の寄付や孤児の保護など、慈善事業に尽力する生ける偉人。


 そんなドミニクの鶴の一声によって、工業都市ベルツの激戦は終焉を迎えた。

 そしてベルツ動乱の渦中にいた兵馬、詩乃、プリムラ。二人と一体はドミニクとその私兵たちに連れられ、列車のボックス席に揺られている。


(…………落ち着かない)


 二人がけの席の窓側、頬杖をついて窓の外を眺めているのは詩乃だ。

 時刻は夜。窓の外は真っ暗な平原が広がっているだけで、線路からモンスターを避けるための魔素(マナ)灯が点々と灯っているのが見えるばかり。

 そんな窓には自分のむすっとした顔が写されていて、詩乃は余計に不満を募らせてため息を漏らした。


(ドミニクって人は何が目的なのかよくわからないし……政治家が私たちに何の用があるの)


 列車は一両丸ごとがドミニクによって貸切状態で、周りの席は一般客ではなく灰色のローブ姿にフードを被った彼の私兵たちに埋められている。

 そんな彼らは一様に押し黙っていて、沈黙の車内にガタタン、ガタタンとレールを踏む車輪の音だけが一定のリズムで耳を撫でる。


 経た戦いで体は酷く疲労しているのに、車内の雰囲気に気圧されて寝るに寝られない。

 気紛らわしに会話をしようと隣のプリムラを見れば、すやや、すかー、と健康的な寝息を立てている。

 気にしすぎる性格の詩乃とはまるで逆で、その性格は眉の太さと同じくらいに図太く適応力バツグン。そんな相棒、自律人形(オートマタ)少女の無神経さが羨ましくも腹立たしく、詩乃はその頬を指先でぐにりと押した。


「ぐえ……んむ? 何、詩乃……」

「なんでもない。おやすみ」

「んー……おやすみ……」


 またすぐにスヤスヤと。世に見かける自律人形(オートマタ)たちは往々にして儚げだ。

 瀟洒な衣装に身を包み、アンティークな雰囲気を漂わせ、仕込まれた行動律に沿って従順に主人へと尽くす。

 そんな印象に反して、プリムラは田舎びた民族衣装、表情はあっけらかんと、よく寝てよく食べよく眠り、ついでによく笑う。

 

(まあ、それがプリムラのいいところだよね)


 堂々たる眠りっぷりにケチを付けたくなったが、三鬼剣(オルグス)だとかいう人形師との戦いを乗り越えられたのはプリムラのおかげだ。

 体内で生成する魔素(マナ)弾も片っ端から撃ち尽くしていて、その弾は体力をいしずえに生成されているのだから疲労も一際だろう。

 眠るプリムラの頭を今度はポンと優しく撫でて、「お疲れ」と労いを一言呟いた。


 その向かい席。兵馬は列車に乗ってから今までの数時間、ずっと難しい顔で考え込んでいる。

 基本的にはへらりと掴みどころなく笑っていることが多い青年だ。秘密を抱えていて、何を考えているのかわからない。そんな部分は前からある。

 しかし今の兵馬の様子は、詩乃が行動を共にするようになってから一番深刻な様子に見える。


(なんだかな。ちょっと声かけるのは悪い感じだし……何考えてるんだろう、兵馬は)


 プリムラと兵馬がそれぞれそんな調子なものだから、詩乃はすっかり手持ち無沙汰。

 というわけで不満を募らせつつ、何が見えるわけでもない窓の外へと目を向けざるを得ないのだ。

 

 美食と名高いホテル・マクミランのビュッフェで一緒に夕食を。そんな兵馬との約束も遠い昔のよう。

 今やベルツの街灯りは遥か遠く、見えなくなってから数時間。そもそもホテルが粉々に倒壊してしまったのだからビュッフェも何もない。

 代わりの夕食はドミニクの部下から手渡されたごく凡凡な駅弁で、仕方なく膝の上にそれを広げた。


(なんか薄く色のついたご飯、ピラフかな。それに鶏肉と野菜を煮込んだの。あとはちょこちょこ酢漬けとか。ううん、悪くはないけどよくあるやつ……)


 不服げにモサモサと、添え付けのスプーンで口に運びながら物思いにふける。


 実際のところ、詩乃にとっても気になることは多い。ホテルを壊してから姿の消えたクロードはどうなったのか。あの戦いからずっと見当たらなかった神崎はどうしているのか。

 顔見知りのアルメル隊の面々も気になる。リュイスやルカ、アイネも戦いに参戦していたようだが無事だったのだろうか。

 

 プリムラが抱えていた喋る生首、フランツは目を離した隙に姿を消していた。

 まさか、手足が生えて歩き出したのだろうか?


 詩乃へと襲い掛かったシャングリラの面々、アントンやエーヴァは乱戦の中にどうなったのか。

 兵馬が気に掛けていた歌姫、リオが匿ったはずのリーリヤは拐われたらしい。それもまた兵馬が難しい顔をしている理由なのかな、と。


 考え始めればキリはなく、もくもくと食べながら考えているうちに弁当箱は空になっていた。

「ごちそうさま」と誰へともなく呟き、もう一度窓の外へと目を向け……詩乃は思わず目を見張る。


「何だろう、あれ」


 カーブして伸びる線路の先、地平線の続く彼方。延々と続くように思えた夜闇が、突如として煌々の灯火に遮られている。

 夜を照らす明かりは町。詩乃が生まれ育った歓楽都市、眠らない都市“カンパネラ”と同じように人を惹きつける絢爛の明かりだ。


 ただ、今詩乃が見ているそれは誘蛾灯のような毒々しい夜街の光ではない。

 魔素(マナ)灯の強光に照らし出されているのは煌びやかな城。いや、“お城”とでも呼ぶべきメルヘンチックな形状。

 夜空には飛空船がふわふわと留まっていて、そこからは華やかな光が町を照射している。

 やたらに輝かしい町の遠景に、一際目立っているのは巨大な円形の何か。見つめているとゆっくりと、ぐるると回転しているのがわかる。


「観覧車……? 珍しい」


 魔術動力で動く巨大な遊具は他の都市にないわけではない。

 詩乃が生まれ育ったカンパネラにも同じような物はあった。

 ただ、あれほど巨大なのを見たのは初めてだ。遠方からも目立つほどのサイズで作って強度を保つには相当の費用がかかるはずで、あんなものを据え付けているあの町は一体?


 怪訝がる詩乃へ、いつの間にか顔を上げていた兵馬が語りかける。


「ネバーランド。子供たちの町……だとかいう、ふざけたコンセプトの町だよ」

「子供たちの町?」

「都市丸ごとが遊園地になっているんだ。わりと有名な観光地だけど、知らない?」

「ううん、あんまり地理とか興味なかったから」


 首を傾げつつ、詩乃の瞳は徐々に近付く町の灯を写して光る。

 

「でも、町が丸ごと遊園地って楽しそうだね」

「ドミニク・エルベの町さ。孤児院を兼ねていて、子供たちを養いつつ、大人になった孤児たちが従業員を務めている」

「へえ。立派だね」

「……それだけならね」


 含みのある言い方に詩乃は眉を下げ、「回りくどい」と文句を言いつつ兵馬の顔を覗き込んだ。

 顔を近づけて問い詰めようとしたその瞬間、詩乃の肩へと手が置かれる。振り向けば、立っていたのはドミニクだ。


「間もなく到着だよ。降りる準備をしてくれるかな」

「あ、はい……」


 にっこりと嫌味のない微笑を浮かべたドミニクへ、詩乃は人見知りっぷりを発揮して語尾を消しつつ頷きを返す。


 やがて列車はネバーランド、ドミニク・エルベの作り上げた町へと滑り込んだ。

 キラキラと装飾され、うきうきと気持ちを高揚させるマーチが微かに流れる駅だ。

 寝ぼけ眼のプリムラの手を引きつつ、詩乃と兵馬はドミニクに先導されて詩乃たちは足を踏み入れる。


「……?」


 ドアが開き、駅のホームに降りた瞬間、詩乃は目の前の光景に疑問を抱いた。

 ホームを埋めるほどにずらりと、大勢の子供たちが並んでいるのだ。まるで歓待するかのように。

 そして子供たちは、「せーの!」と息を合わせて声を上げる。


「お帰りなさい! “ドニ様”! 僕たち、私たちのパパ!」

「うんうん、ただいま。可愛い子供たち」


 ドミニクは相好を崩し、子供たちを抱きしめるように両腕を広げる。

 その後ろで、詩乃は表情を引きつらせていた。


「今、“ドニ様”って」

「え? ええっ」

「……」


 プリムラは動揺をあらわに、兵馬は無言のままに警戒を最大に。

 詩乃は思わず身を固くしていて、背後からその両肩へと手が置かれる。


「ようこそ佐倉詩乃。僕たちの」

「私たちのパパ、“ドニ様”の町へ」

「アントンと、エーヴァ……!」


 肩に手を置いたドミニクの私兵、灰色のフードを被った男女。

 アントンとエーヴァが、詩乃へと冷徹な瞳を向けている。


 思わず息を飲み、声を出せない詩乃。

 その隣で、兵馬が唸るように声を絞り出した。


「ドミニク・エルベが“ドニ様”だ。つまりここは、シャングリラの懐なのさ」

「ええ……」


 困惑たっぷりに悲嘆を漏らした詩乃へ、“ドニ様”がやんわりと笑いかけた。


「いらっしゃい」

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