七十八話 動乱の結末
場面は変わり、兵馬、ビルギット、リオ・ブラックモアが睨み合う街の一角。それぞれに銃口を突き付けたままに、膠着は未だ続いている。
そんな最中、駆けてきたベルツ兵がリオへと耳打ちで情報を伝える。
(三鬼剣、全員が討たれたとの事です)
(おっマジかよ。なんかクソ強え剣士もいるって聞いてたがな)
(そのイルハ・ユルヤナも死亡が確認されています)
(そうかい。最強なんて大層な呼ばれ方をしてたらしいが、名前負けか、それとも化けた奴がいたか……どっちにせよ元帥んとこはデカい痛手だな。となりゃ、俺の身の振り方も見えてくる)
リオにとって詩乃たちの確保は最善の形だったが、必須ではない。
今、リオの銃口は詩乃へ、部下のベルツ兵たちにはビルギットを狙わせている。さらに三勢力が睨み合うこの場所を随所から狙撃手に狙わせていて、少なくともビルギットと兵馬はそれに勘付いている様子だ。
(つまり実質的には俺が兵馬ら三人を抑えた状態だ。いざ確保となりゃ無駄に血が流れるが、ここで俺が手を引けば教皇派に恩を売れる。上々だ)
そう考え、リオが銃口を引こうとした、それよりも少しばかり早く。
チャプチャプと、水たまりを軽やかに踏みながら現れた一人の男によって、状況は一変する。
パステルカラーの傘を片手に、アンニュイな表情で笑みながら彼は現れた。
戦場にはまるで似つかわしくない白シャツ姿は異物感をたっぷりと漂わせて、緊迫したムードをまるで意に介さず口を開く。
「いやあ、全員お疲れ様! 見渡す限り怪我人だらけだ、ケンカはその辺にしておこうか」
死闘を“ケンカ”と稚拙に断ずる、その言葉を受け、詩乃たちと共に戦ったミシェルが苛立ちを露わにする。
三鬼剣のハンス・ニールセンとの戦いに命を落としかけたのだ、腹立たしいのも当然だろう。
「ちょっとちょっと、なんなんすか? 脇から出てきて偉そうに。余計な口出しは……」
「ミシェル、口を慎みなさい」
鋭く警句を発したのはビルギット。彼女は傘に仕込んだ銃を既に下ろしていて、男からの言葉通りに停戦の姿勢を示している。
一も二もなく従う上官の態度に、ミシェルは理解が追いつかずに思わず首を傾けてしまう。
「は……えっーと、隊長?」
「ミシェル」
「ひっ!? りょ、了解!」
鬼の軍人の片鱗を垣間見せたビルギットにミシェルは震え上がり、傷だらけの体にも関わらず秒の速度で背筋を正した。
そんな怯えた様子、軍人たちのやり取りを横目に見つつ、リオ・ブラックモアもまた渋面を作っている。
(いやいや、なんで今更この男が出てくんだよ。議会にすっこんでやがれ)
リオとベルツ兵、共々動きを止めて様子を伺っている。
これまでの緊迫とは違う、また別種の奇妙な降着が生まれた中で、詩乃の隣に立つプリムラがふにゃっとした声で口にした疑問が響く。
「え、誰?」
「ええと、見たことある。確か、なんか偉い議員の……」
うろ覚えの記憶を辿る詩乃とプリムラへと男がゆるりと歩み寄る。
そして華やかかつ上流な笑みを浮かべ、慣れた仕草で一輪の花を手に取り出した。
「ドミニク・エルベ。お見知りおきを、自律人形のお嬢さん」
「わあ、綺麗!」
「ドミニク……そう、一番偉い議員の人」
「一番ではないよ。アナスターシャ枢機卿や、古株の歴々もいる。ただ……」
詩乃の言葉に応えつつ、ドミニクは居並ぶ人々をぐるりと見渡して両手を広げる。
「少なくとも、この場では一番の権力者だろうね」
そもそも、このベルツでの攻防の発端はユーライヤ神聖議会におけるドミニクの発言だ。“教皇派と枢機卿派、兵馬たちを捕らえた方に自分は付く”と。
そんな経緯を思い出しながら、ビルギットは黙してドミニクの意図を推し量る。何故ここに現れたのか?
その疑問への答えは、ドミニクの口から直接語られた。
「さて、兵馬樹、佐倉詩乃、プリムラ。この三人は一旦、私のところで引き取らせていただくよ」
「え、そうなの?」
「……」
頭の付いて行っていないプリムラはただクエスチョンを浮かべ、詩乃は警戒を抱きながらドミニクの横顔を見つめている。
そんな状況に、我慢ならないとばかり声を上げたのはリオだ。
「いやいやいや、待ちやがれ。俺の街でこれだけ大規模に戦わせておいて、最後にフラッと出てきて漁夫の利だァ? 冗談じゃねえぞ、コラ」
「おやおや、人の顔に銃を向けてはいけないよ」
「うるせえ。勘違いすんじゃねえぞ、議員だろうがなんだろうが、この街では俺の方が上だ」
「やれやれ、剣呑な子だね」
リオはショットガンの銃口をドミニクに向けたまま、左手を高く掲げて合図を出す。
それは各所に忍ばせていた狙撃手たちに発砲を促す合図。
ただし、指は閉じて拳を上げている。ハンドサインはごくごくシンプル、パーなら射殺、グーなら威嚇射撃の合図だ。
(議員野郎の足元を撃っちまえ。調子に乗るなと脅してやる)
そう目論み、即応して銃声。路面に激しく穴が穿たれ、しかし顔を青ざめさせたのはドミニクではなくリオだった。
「……な、んだと? どうして弾が俺の足元に……」
「私も権力者である以上、それなりの備えはしてあるんだよ。狙撃ポイントは全て抑えさせてもらったからね」
「てめえ……!」
「睨まない睨まない。スマイル」
あくまで柔らかな口調でそう告げて、「ああ、君の狙撃手たちは殺していないよ」と言い添える余裕まで見せて。
そんなドミニクの背後には、雨に紛れて灰色のフードを被った人影が控えている。どうやら彼の抱える私兵らしい。
上手だ。軟弱な政治屋ではない。明らかに役者で上を行くドミニクに、リオは忌々しげに息を吐いて銃口を下げた。
「……わかったよ。俺も馬鹿じゃねえ」
彼の足元に炸裂した銃弾はおそらく対物ライフル、路面を派手に抉っている。
とてもじゃないが、抗って利のある状況ではない。
矛を収めたリオを確認し、ビルギットはドミニクへと静かに頷いた。
「我々は引き渡しに依存はありません。代わりに、議会の件はご考慮下さい」
「うん、善処を約束しよう。この場で即答はできないけれど」
「結構」
ビルギットは最低限の言質を取ると、背筋を伸ばしながらも不服げなミシェルを伴って後ろへ下がる。
リオもまた下がらざるを得ず、詩乃とプリムラはドミニクに手招きされる。
そこで、ここまで沈黙していた兵馬が口を開いた。
「……お前は何を考えているんだ、ドミニク」
「君にもいずれ分かるよ、兵馬」
その口調は明らかに既知。
詩乃は兵馬へ「知り合い?」と尋ねるが、返ってきた答えは「……一応ね」と浅いものだった。
そして兵馬は表情を強張らせたまま、ドミニクに誘われるままに進み、詩乃とプリムラも仕方なしにその後を追って歩き始める。
後ろで、リオが「リーリヤが消えただと!?」と狼狽の大声を上げたのが聞こえた。
消えた? いや、リオは声を抑えることも忘れて大声を響かせていて、おおよその状況は伝わってくる。
盤石な警備を誇る企業連のビル、その最上層の窓ガラスが音もなく破られ、おそらくリーリヤはそこから連れ出されたのだろうと。
一体誰が? 状況を鑑みれば、おそらくは元帥ヴィクトルの手の者か。
だとすれば、未だ趨勢は決さない。枢機卿派は大きなカードを手にした事になる。
「畜生が!!!」
リオは悔しげに吠え、足元の水を踏み散らす。
彼にリーリヤを託した兵馬は微かに反応を示す。だが、今彼にできることは何もない。
空を見上げれば雲間に陽光、雨足は止まり……ベルツの長い戦いが終わりを告げた。




