七十七話 対立の残滓
元六聖、執行者“クルド”を名乗っていた男、クロード・ルシエンテス。
ペイシェンとの戦線で偽名を名乗り、仮面を被り、素性を隠していた理由は二つ。
印象的な鉄仮面を恐怖の象徴とするため、そして残虐な戦運びで買った恨みからの復讐を避けるため。
復讐への対策を講じなければならないほどに、クルドの戦いは凄烈だった。
敵将を捕らえ、四肢を跳ね、生かしたままに旗印と掲げて進軍する。捕虜に術式を仕込んで解放し、時限式で毒素をぶちまける爆弾として利用する。
これは序の口、あげつらえばキリのない凶行を仮面の無表情に淡々とこなし、敵軍は震え上がって戦意を失し、結果として彼の部隊は圧倒的な戦果を挙げるに至った。
しかしそんな戦いぶりには、味方からも賛否両論が巻き起こった。
その否定派の先頭に立っていたのが、他でもないアルメルだ。
まっすぐな気性のアルメルは陰口を叩かない。敵兵の処断を粛々と進めるクルドの前に現れ、ビシリと指を突きつけながら声高に主張する。
「クルド、捕虜を不当に痛めつけるのはやめろ!」
「他隊の戦いに口を出されては困りますね」
アルメルもまたペイシェン戦役で戦果を挙げた一人だが、その隊の戦いぶりはクロードとは真逆と呼べるものだった。
指揮官のアルメルが自ら先陣に立ち、誰よりも先行して斬り込み、敵の指揮官との一騎討ちに持ち込んでは打ち勝って自軍の士気を高揚させる。
そうしてアルメルの部隊は最も激しい戦場へと常に身を置き、敵からも讃えられるほどの華々しい戦いぶり。
二つ名の“剣聖”は、アルメルに討たれた敵軍の将が死に際に彼女を賞賛して送った言葉。それほどに高潔な軍人ぶりを見せていた。
ただし、躊躇なく死地へと足を踏み入れるアルメル隊には犠牲者の数も多かった。
そんな事情を踏まえ、アルメルとクロードはお互いに視線を交わす。
「貴様は殺しすぎる、クルド!!」
「君は死なせすぎている。アルメル」
相入れないのはクロードの側でも同じ、互いの主張は平行線を辿り、そのままにエフライン13世が死没し、ペイシェンとの戦争は実りなく終わりを告げた。
そしてクロードが出奔し、久々の邂逅が今ここベルツ。
経緯が経緯だけに単純に嫌い合う二人の将は、実に険悪な表情で視線を交わしている。
「何故ここにいる、か。その質問にはもう飽きているよ、アルメル少将。偶然としか答えようがない」
「ああそうか、相変わらず得体の知れない男め! あの悪趣味な鉄仮面は外したのだな。素顔が見えると余計に腹立たしい!」
「一応、助けたのだけどね。そう感情的に食って掛られると手が滑って斬ってしまうかもしれない」
アルメルは地に腰をついている。
ヴィクトルの槍に串刺されそうになったところを、割り込んできたクロードに横蹴りで転がされて助けられた形だ。一応。
だが蹴りは全く遠慮なしに叩き込まれていて、脇腹には鈍器でフルスイングされたかのような重い痛みがズキズキと疼く。
(うぐっ、ふざけた真似を……)
間違いなく私怨がたっぷりと込められた蹴りだった。素直に礼を言う気にはとてもなれない。
ヴィクトルは突然乱入してきたクロードにどう応じるべきか思慮しているようで、槍先を下げたままに様子を窺っている。
そんな空白を見て察してか、クロードが続けて口を開く。
「弟が世話になっているようだね」
リュイスのことを指している。
六聖クルドの素性が隠されていた以上、リュイスがその弟だと言うことは広くは知られていない。
だがもちろん軍の上層部はそれを把握していて、アルメルもその一人だ。
リュイスが騎士に任じられた時、アルメルは彼を自隊に引き抜いた。
それはクロードと同じ危険性を持っているのではと危惧し、もしそうであれば手元で根性を叩き直してやろうと、そう考えたからだ。
しかしその心配は不要だった。アルメルはクロードへ向け、にやりと笑ってみせる。
「ふん、リュイスか。あれは阿呆だが真っ直ぐな気質をしている。兄とは違ってな、クロード」
「口を開くたびにその調子で突っかかられては反応に困るね。ただ、弟の面倒を見てくれていることには感謝している」
言葉を切り、少し考えて再び口を開く。
「今助けたのはその礼の分、そういうことにしておこうか」
「……いけ好かない男だ」
脇腹の痛みもようやく薄まり、アルメルは剣を手に立ち上がる。
大丈夫、どうやらまだ戦えそうだ。ただ問題は、クロードが敵なのか味方なのか。
(一応、助けられた。なら敵ではないのか? だが素直に味方と取るにはあまりに危険な男だ……どう判断すべきか)
「ああ、それと私は元帥閣下の部下だ。つまり君の敵だね、アルメル少将」
「なんだと!?」
今考えていた内容をノータイムで否定され、アルメルはとっさに十歩ほどの距離を飛び下がった。
(味方だのと考えたのが馬鹿だった! この万事において私とソリの合わない男が勢力を選んだとして、元帥側に付くのは自然!)
ギリと歯噛みし、アルメルは剣を握る手に力を込める。
ヴィクトル一人を相手取るだけでもギリギリの戦いだったのが、ここに来て元六聖、おそらくは自分と同格の力量のクロードが敵に回る?
「これはまずい……!」
強気なアルメルが、思わずそう口にしてしまうほどの苦境だ。なるほど、ヴィクトルが動かない余裕を見せたのは援軍だったかららしい。
逃走までを含めたあらゆるパターンを即座に想定するが、易々と逃してくれる二人では決してない。
だからと言って、二対一でやりあって勝てる相手でもないだろう。絶体絶命の状況に、臆しはせずとも唇を噛みしめる。
しかし、クロードの次の言葉は意外なものだった。
「さて、勝敗は決した。去るといい、アルメル少将」
「なに……?」
突然の言葉に首を傾げたのはアルメルだけではない。
味方であるはずのヴィクトルもクロードの言動に怪訝の色を示し、彼の登場から初めてその口を開く。
「クロード・ルシエンテス。誰の許可を得て物を言っている」
「元帥閣下、状況が変わりました。私はその報告に」
「ほう」
迂闊に動けずにいるアルメルの前で、クロードはヴィクトルへと耳打ちをする。
その報告を受け、ヴィクトルは苦々しげに表情をしかめて頷いた。
「……奴が現れたか。去れ、ブロムダール。戦いは終わりだ」
「…………次は討つ。必ずだ、ヴィクトル」
隙は見せないままに踵を返したアルメルは、去り際にもう一言を言い添える。
「貴様もだ、クロード。エフライン様の敵として立ち塞がるなら、この剣で斬り捨てる」
「肝に命じておこう」
受け流すようなクロードの物言いにフンと鼻を鳴らし、アルメルは場から立ち去っていった。
その背を見送り、ヴィクトルは静かに口を開く。
「肉薄していた。あと二撃、神意撃滅を重ねられていれば彼奴の勝ちだった」
「彼女は剣だけが取り柄だ。それぐらいはやれて当然でしょう」
相槌を返したクロードへとヴィクトルは静かに首を縦に降り、問いを重ねる。
「三鬼剣はどうなった」
「三人ともが討たれたそうですよ」
「……ほう、ユルヤナも討たれただと?」
「ええ。どこの誰がやったのかは知りませんが」
そう口にしたクロードだが、弟のリュイスが三鬼剣最強の男を討ち取った事は把握している。
名前を伏せたのは彼を巻き込まないための心遣いなのか、あるいは些事と切り捨てたか。
イルハが討たれたのは少し意外だったのか、ヴィクトルは眉をしかめて微かに唸る。が、すぐに表情を元に戻した。
「構わん。あの三人は替えが利く」
「捨て駒だった、と?」
「……いや、優秀な札ではあった。相応の場面で使い終えた、それだけのことだ」
ヴィクトルはわずかに数秒、悼むように目を閉じ、そして歩み始める。
「既に、我々の目的は達せられた」
アルメルとの死闘に瓦礫と化した放棄区画を歩きながら、彼は威厳の中に確かな満足を掴んでいる。
彼らの目的……兵馬、詩乃、プリムラの三人を確保したのだろうか?
いや、そうではない。それは副次的に発生した標的に他ならず、ヴィクトルは戦いの中に並行して“本命”への手を打っていた。
それを知るクロードは、元帥の背を曖昧な表情で見つめている。
その目は敬意か、あるいは静かな敵意のようにも見える光。追って、クロードも歩き始め……そこへ、ヴィクトルが振り向かずに声を発した。
「“奴”が来たことで状況は変化した。それは事実だ。だが、それは貴様がアルメルを庇った理由とは成り得ない」
「……」
「貴様は実に使える男だ。しかし、決して信には値しない男でもある。クロード・ルシエンテス」
「信頼で売るタイプではないのでね」
低い叱責を柳のように受け流し、クロードは軽く肩をすくめる。
そしてヴィクトルと共に、雨中へと姿を消した。




