七十六話 蛇蝎の如く
右手に光剣を、左手に光盾を。
アルメルの二つの技は、ただシンプルにそれを生じさせるだけだ。しかしその完成度が極地へと至っている。
右、神意撃滅の破壊力は既に発揮された通り。魔術師が集中を高めて長い詠唱を経て、ようやく引き出せる大魔術ほどの威力の攻撃をノータイムで幾撃も重ねてみせる。
そして左手、万遮神盾の輝きは神々しく清廉。
桜色、翼か花弁かという形状の光が六枚織られて重ねられ、緩やかな凸状の円盾が形成されている。
アルメルの意図に応じ、その大きさをバックラーほどから身を覆い隠す大盾まで自在に拡大、縮小させることが可能な技だ。
そしてアルメルはヴィクトルが天から降らせた光柱へと応じ、その手を空へと翳し上げ、自らの頭上へと降った全ての光槍を受けて、弾いて凌ぐ!
(流石はアルメル、六聖最強とも称される傑物だ)
元帥ヴィクトルは、その光景を目にしながら心中に素直な賞賛を抱いている。
彼の放った赫亜槍は、殲滅のために用いる魔術だ。空から広範囲に降り注ぐ光柱、浴びれば常人ならば蒸発し、達人でも身を削られ、怪物であれ穿たれる。
一軍をも半壊させられるほどに高威力かつ広範囲を誇る魔術、それを贅沢にもアルメル一人に使用したのは、彼がアルメルの実力を高く買っているからに他ならない。
(本来であれば手駒に欲しい札だ。それは六聖の全員に言えることだが、アルメルはその中でも頭一つ抜けている)
純粋な性格で、政治力は欠けている。しかしその欠点を補って余りあるほどにひたすら強い。
繰り返しになるが、魔力で盾を作るという発想それ自体は凡庸だ。
だがアルメルはその凡庸な技を愚直にまっすぐに、戦場の弾幕と刃、死線の中に鍛え上げてきた。
そうして完成された戦技万遮神盾は、ヴィクトルが記憶する限り、泥沼のペイシェン戦線でもその後の戦いでとただの一度も破られたことはない不可侵の盾!
「素晴らしい」
ヴィクトルははっきりと賛辞を口にした。
今こそ真っ向から対立してこそいるが、これまではアルメルは部下の立場にあった。だからこそ彼女の戦闘力が惜しい。
あの議員の兄、テオドールを始末すれば、あるいは人質に取れば味方へと引き込めないか。あるいはエフラインを利用して引き込めないか。
そんな算段を立てるほどの余裕を持ちながら、ヴィクトルは次の魔術の詠唱を迅速に終えている。
彼の足元から蜘蛛の巣のように魔力が根を張り、一キロ四方に渡って地面から輝光が漏れ出している。
初撃が天なら次は地から、アルメルは血相を変えて息を飲む。
「くっ、それはまずい……!」
「悪滅の輝きに屈せよ。『滅鬼光芒陣』」
一帯に地底から光が競り上がり、空から見ればベルツの一角に輝く巨大な六方形が見えただろう。
ヴィクトルが敵と認識した全てを浄化圧殺する光の陣だ。アルメルの左手の盾は上からの攻撃を受けたばかりで下への防御が間に合わない。
強度は至高であれ盾は盾、一度に多方向を防ぐことはできないとヴィクトルは知っている。
そして——衝撃!!!!
「ッぐ……この程度で私が折れると思うな、ヴィクトル……!」
「ほう、逃れたか」
空間から輝きが失せ、魔力の高啼きの残響だけが残る中にアルメルはふらつきながらも立っている。
下から光の波動が噴き出そうとした瞬間、右手に神意撃滅を発生させて地を叩いた。力に力をぶつけ、エネルギーを相殺したのだ。
しかしビル群を消し飛ばすほどの剣閃を足元で弾けさせれば、その余波は飛沫のように自分の身へと降りかかった。
(く、う……余波だけでこれか、馬鹿げた威力をしているな、我ながら……!)
鎧を着ていない分だけダメージも重い。随所に切り傷を負い、内臓は反動に軋んでいる。
だが、アルメルはすかさず前へと駆けている!
「今度こそ、魔術を使う間は与えない!!」
「良かろう、技を交わす時は終わりだ。貴様の剣を捩じ伏せる」
走る勢いで剣を突き出す。それを元帥杖が受けて横へと逸らした。
ヴィクトルは杖へと魔力を注ぎ、まっすぐなシャフトの先に光の穂先が形成される。杖は黄金の魔素で彩られた槍へと姿を変えている。
魔術を高度に扱うヴィクトルだが、生粋の魔術師たちとは違い体も頑強だ。
若かりし頃は武器だけを手に、前線で躍動していた槍使いだった。
ひゅんと廻し、その切っ先がアルメルの腹へと伸びる。だがアルメルは「当たるか!」と一声発し、剣の柄でその突きを打ち退けた。
そして互いの一撃を凌いだところで、近接戦は加速度的に勢いを増していく。
アルメルが踏み込み、剣先で素早く円を描いて槍の位置をずらす。さらにもう一歩の踏み込みから放たれる深斬を、ヴィクトルは石突きで合わせて防ぐ。そして上から叩きつける光刃。
下がってやり過ごし、すぐさま再び前へと歩を飛ばす。剣は気迫を乗せて、槍は矜持を有して打ち合わさって散る火花!
(この男、槍の扱いが以前よりもさらに熟達している。まさか私の剣と互角にやりあってくるとは……!)
アルメルは魔術を使えない。その分野では元帥の足元にも及ばない。
ならば近接ではと考えていたのだが、しかし剣と槍で打ち合って対等。全軍を統べる強者、“金獅子”と称される英雄、その脅威をアルメルは改めて思い知らされている。
さらにガガと数合、高速の剣と槍はお互いに技の発動機会を与えない。
まばたきと息継ぎ、そんな間すら惜しまれる打ち合いの中で、ヴィクトルは長駆からアルメルを見下して告げる。
「なるほど、かつてと比べれば差が詰まってはいる。だが貴様は愚かではない。理解できるだろう、未だ埋まらぬ実力の溝を」
「黙れ……! だからと引く私ではない、見誤るな!」
「殺めるには惜しい。貴様が我が手勢へと加わるならば、エフライン14世の安全、そして兄テオドールの躍進を約束しよう」
「戯言を!!」
甘言に揺るがない。
エフライン14世の地位の安泰ではなく、ただ安全だけを約束しようなどとふざけた言葉だ。
教皇の座を奪うという意思を再度示し直したようなものであり、それだけでもアルメルを烈火の如く怒らせるには十分すぎる。
さらには兄を、テオドールを出世させるだと?
兄の姿をふと思い浮かべ、アルメルは苦境に表情を和らげた。
「兄の何を知っている。あなたのような奸賊の庇護など受けずとも、あの人は上へと昇ることができる人だ」
「では、何を求める。貴様を我が軍門へと下すにはどうすれば良い?」
興味深げに尋ねたヴィクトルへ、アルメルは鋭剣の先端を向けて笑った。
「ならば、お前の命を置いていけ」
「交渉の余地はない、か。残念だ。アルメル・ブロムダール」
ヴィクトルの指先から光が走った。その光は不意打ちめいて、アルメルの瞳を狙い撃っている。
それはレーザーポインターのような単なる強光だ。貫くことも穿つこともせず、強く一点を照らすだけ。
しかしアルメルは目をくらまされ、狼狽に「しまった!」と呻いている。
蓄積された疲労、さらに会話で注意を逸らされ、小技への警戒が抜け落ちていた。達人同士が向き合う中で視界を数秒奪われる、それが示すところは。
「ここで沈め、アルメル・ブロムダール」
「…………!!」
迫るヴィクトルの気配、アルメルは成す術もなくただ剣を強く握り……!
「うっ、ぐはあっ!!!?」
横ざま、脇腹を猛烈な勢いで蹴り飛ばされた。
意図せぬ一撃を受けてジンジンと痛む肋骨と内臓、受け身も取れずに地を転げて全身がズタボロになっている。
ただ、それはヴィクトルからの一撃でない。方向が違った。現に槍がアルメルの体を穿つことはなく、痛いは痛いがまだ生きている。
ようやくまばゆさの取れた目をゆっくりと開けると、そこに立っていたのは長身に長髪、こげ茶色のロングコートを羽織り、刀を腰に帯びた涼やかな男。
「久しぶりですね。元帥閣下、それにアルメル少将」
その飄々とした姿を目にした途端、アルメルは目の脇を引きつらせ、今までとは別種の怒りを湧き上がらせる。
それはフラグだとか気になる気持ちの裏返しだとかではなく、まったく正しく言葉通りの意味合いで、アルメルが昔から蛇蝎の如く、この世で最も忌み嫌う男の姿!
「き、貴様……! 何故ここにいる! クロード・ルシエンテス!!」




