七十五話 剣と盾
一刻前。ベルツの随所で同時に発生していた戦いの一つ、アルメルとヴィクトルの戦いはハイウェイで幕を開けていた。
「貴様をここで討つ。ヴィクトル!!」
「摘むまでだ。アルメル・ブロムダール」
抜き放たれた細身の剣は白銀に雨露を滑らせ、そこにアルメルの魔力を帯びて薄紅の輝きを放ち始める。
顔の前で刃を縦に、鍔に左手を添えて力を流し込む。アルメルは戦技を発動させている。
『神意撃滅』
アルメル・ブロムダールが誇る二つの戦技は攻と守、その二つともが彼女の一本気な性格を表したように極めてシンプルだ。
手にした剣は美術品かと思わせるほどに嫋やかな輝きを宿していて、それはブロムダールの家に代々伝わる魔薙ぎの宝剣。
極めて鋭く、カミソリのような斬れ味を誇っている。だが、横から叩けば容易く折れそうだ。
そんな印象の剣を振るい、あらゆる敵を斬り捨てて、それでも損なうことなく戦い続けてきているのはアルメルの技量の高さ、繊細な太刀筋の為せる技。
彼女の剣技は疾くしなやか、かつ流れるような柔の剣なのだ。
しかし反して、アルメルの神意撃滅。
桜色の魔素がオーラのように剣に纏わされ、彼女の右手には長大な光の剣が現出している。
それは超高密度の魔力の結集体、恐るべきエネルギーを凝縮した光の塊。
そこに在るだけでバキキと軋み食らうような音を響かせていて、空気に舞う塵や様々なものが触れるたびに灼いて爆ぜる。
相対するヴィクトルは、彼女の技を目の前にして悠然と構えている。
「剣に魔力を帯びさせる。ただそれだけの剣士の基礎を、ひたすらに突き詰めて昇華させた。誰でもが考え至る技だが……その練度は驚嘆に値する。見事だな、ブロムダール」
賞賛を口にした。
それは思わず褒めずにはいられなかったのか、余裕の誇示なのか。
黄金の髪に高速道の風を含ませながら、権威の証であり彼の武器でもある元帥杖を構え、一撃を待ち受けている。
……測れない。が、アルメルは構わず、眼光鋭く剣を握る手に力を込め——振り抜いた。
「消し飛べ、ヴィクトル!!」
数十キロにも及ぶ渡るベルツの都市圏、その端にいた人間までが高らかな音を聞いた。
アルメルの放った神意撃滅は拡散する剣撃波。
身を沈めて踏み込み、右手を下から跳ね上げた。ヴィクトルは杖でそれを受け、ミリの暑さの刃から杖へと衝撃が伝わり……爆ぜた!!!!
収束したエネルギーは漏斗を逆通しにしたような拡散を見せ、受けたヴィクトルを瞬時に高速道から弾き出している。
直撃した杖の一箇所には流入したアルメルの魔力、桜色の光が強く煌めき、そして爆発的に拡散する。
高速道の側壁を衝撃が貫き破る。
宙空、投げ出されたヴィクトルを中心点に、多層に重ねられた衝撃は花弁のように巻かれ、そして薄紅のエネルギーが大輪の薔薇のように咲いた。
人々は空を見上げている。
突如として現れた絶佳な紅薔薇、あれは何かのパフォーマンスなのだろうかと。
その薔薇は三秒ほどの顕現を経てはらはらと散華し、姿を見せたヴィクトルは未だ無事。彼の有する黄金に輝く魔力で全身を障壁めいて包み込んで耐えたのだ。
だが無傷ではない。
元帥杖を握っていた右手は伝った衝撃に余波を受け、無数の裂傷で鮮血に染まっている。
ヴィクトルは背を街に向けて天を仰ぐ姿勢、追撃すべく跳躍してきたアルメルと目を合わせている。
「ペイシェン戦で猛威を振るった神意撃滅か。なるほど、受けてみれば凄まじい」
「傲慢と知りつつ、敢えて口にしよう。我が剣閃は主神の意思だ!!」
アルメルとヴィクトルとの間を隔てる空は5メートルほど。
その距離を埋めないままに、アルメルは再び剣へと宿した光を大薙ぎに、撃ち落とすように振るう。
その剣が何かに触れないままに振り抜かれれば、神意撃滅は極大のレーザーめいて迸る。
剣閃の軌道に沿って、魔力の乱流が再びヴィクトルを包んだ!
「墜ちろ!!!」
そうして打ち落としたのは地面、立ち並ぶビル群の只中。
アルメルがハイウェイ途上での開戦を選んだのは、その片脇に放棄区画となった街並みがあったためだ。
解体費用が工面できず放置されたままの廃ビル群、崩落の危険に立ち入りは禁止、完璧な封鎖が施されていて、不良や浮浪者の類が入り込んでいる心配もない。
初太刀、二撃目でヴィクトルをそこへ叩き込んだのは狙い通り。この場所こそアルメルが存分に戦うための最高のフィールドなのだ。
二撃目を受けたヴィクトルは体へと傷を増やしていて、魔力で強化された体で着地しながらもわずかにたたらを踏む。
遅れること三秒、十歩圏に着地したアルメルは確実な手応えを掴んでいる。
「…………やはり、凄まじいな」
(効いている。このまま押し切ってみせる!)
間髪入れず、三撃目の剣閃がヴィクトルを襲った。
横に放つ剣撃はヴィクトルごと街を薙ぎ払う。地上で払えばその光は波濤めいて、アスファルトに標識、ガードレールとビル壁、そして鉄骨までを消し飛ばして圧倒!!
猛烈な一撃は彼女の前方百メートル近くを更地へと変えている。
その視界の先にはヴィクトルが立ったままで耐えていて、飛ぶように距離を詰めるアルメル。
「まだだ!!」
アルメルの姿はいつもの鎧ではなく、リオと面会した時の私服のまま。
堅固さはないが身軽ではある。身から放たれる覇気は鋭く周囲を廻り、足元の塵は桜色に旋円を描いている。
怒涛の如く、連続して放ち続ける神意撃滅は一帯を濛々の粉塵と魔力の残滓による煌めきで包んでいる。
視界は最悪、しかしヴィクトルの影は辛うじて視認し続けている。
(そう、まだだ。これだけではあの男は倒れない。そう甘い男ではない。全霊を賭して畳み込み、一気に仕留める!!)
風に長髪を靡かせ、弓を絞るように引かれた腕からさらにもう一撃を……いや、アルメルの手がわずかに止まる。
「……っぐ、ぜは……っ!」
そのつもりはなかったのだが、大きく息を吸い込んでしまった。
人の身で生み出すこれだけの大破壊、いかに六聖のアルメルであっても体に大きな無理を強いている。
使役した魔力の量は尋常ではなく、それをほぼインターバルなしで放ち続けるという行為は無呼吸のままに100メートルプールを全速で往復し続ける苦しみに等しい。
人間の体内、大気中の魔素を取り込み魔力へと変換する器官は心臓のそばにある。
その器官がずきりと痛み、不覚にも動きを止めてしまったのだ。
(しまった……!)
「動きを止めたな」
無論、英雄ヴィクトル・セロフはそれを見逃さない。
「“千々舞う光葉、紅奔る乱瀑。亜天、高啼きの刃に架橋を描け”」
紡がれた詠唱、元帥杖から空へと投射される魔力。
雨天一面に広がった雲は圧倒的な輝きに染められ、塗り潰され、そして降るのは雨粒ではなく。
『赫亜槍』
「ま、ずいっ……!!」
幾百、ヴィクトルの魔力によって固体化した光は先端を鋭く、質量を有して重く、そして巨大な槍となってアルメルへと降り注ぐ。穿つべく殺到する!!!
無策に待てば死は免れない状況に、アルメルは右手の神意撃滅を解除。そして素早く魔力を左手へと移行させる。
アルメルという女性は徹頭徹尾、騎士だ。
曲がった事を好まず、少し融通が利かず、想像力が豊かなタイプではないが、ただひたすらに主君を、国を、家族を、部下を、愛すべき人たちを守りたいと願い続けている。
そんな彼女が貧困な想像力の翼を両手に広げたとして、右手が剣なら左手に現れる力は最初から決まっている。
「隔てよ、『万遮神盾』!!!」
空へと掲げられた左掌を中心点に魔力が回転を描き、拡がり、そして輝ける円盾がアルメルへと降る槍を受け弾く。
全てを斬り払う剣と万象を遮る盾、二つの力を身に宿すからこそ、人々は彼女を“剣聖”と称する。
そしてアルメルは高らかに叫ぶ!
「ヴィクトル・セロフ、そして枢機卿アナスターシャ。私は、私たちの誇りに賭けて! 貴様らの邪智には決して屈さない!!」
「では、次だ」
視線に矛先を交わし、ヴィクトルが次撃の準備へと移行する。




