七十三話 身に纏いしは異形の焔
方言で吠えたてた勢いそのまま、アイネは触媒の大鎌の刃を激しく赤熱させている。
熟達の極みに達した老練な魔術師がそうあるように、今の彼女は低級術に詠唱を要さない。
アイネが操る火術の中ではかなり低級な、かつそれなりの威力がある『灼々星』をイメージする。
そのまま鎌の刃で満月を描けば、軌道に沿って大量の火弾が生成。アイネの周囲を衛生めいて廻っている。
極めて高レベルの技術で生成された無数の火を見上げ、ジェラルドは憎々しげに歯茎を剥いた。
「イラつきで腹が煮えたぎるぜ。炎を専門とする宮廷魔術師だと? クソガキ、その席は本来俺のためにあったもんだ」
ジェラルドの言葉は嘘ではない。彼もまた炎使いの、それも火力特化型の魔術師であり、術師としてのタイプはアイネと近似している。
そんなジェラルドはペイシェン戦線で華々しい軍功を挙げていた。
彼の炎は粘性、溶岩の性質を有している。温度だけを見れば純粋な炎には劣るが、破壊力はそれでも十二分。
長く場に残るという点を活かして相手の進軍経路を潰してみせたりと工兵の役割も兼ね、軍事的な利用価値はむしろ通常の炎よりも高いものだったのだ。
恵まれたフィジカルで重火器を担いで弾丸をばら撒き、合間に火術を織り交ぜて大破壊を為す。
最前線をこじ開け、敵部隊を蜂の巣にし、敵将を焼き焦がして討ってみせ、八面六臂の活躍と言っても過言ではなかった。
当時の上官や上層部からも褒めそやされ、戦後の昇進と宮廷魔術師の座の口約束までを受けていた。
だが多くを殺め続けるにつれ、ジェラルドの精神性は加速度的に狂っていった。
命は数に過ぎず、敵兵の命に撃破スコア以上の価値はなし。やがて敵国民全ての命は無価値、と。
そしていつしか、彼は友軍であれ自国民であれ、あらゆる者への殺戮行為を楽しむようになっていた。
仲間に恐れられ、上に疎まれ、教皇に唾棄すべき存在と断じられ、あるいは六聖にも名を連ねていたかもしれない男は三鬼剣へと立場を変えた。
ジェラルドは嘘を言っていない。
アイネが異例の若さで宮廷魔術師の試験に受かることができたのは実力だけでなく、既にジェラルドがなるものとして進められていた諸々の準備にすっぽりと当てはまる存在だったという幸運も大きく働いてのことだったのだ。
「しかし全て台無しになったんだよ、エフライン13世のクソ野郎のせいでな!!」
そんな恨み節を、憎悪をたっぷりと込めた口調で語り終えたジェラルド。
獣のような眼光で睨みつけられ、しかしアイネにしてみれば知ったことではない!
「そげなことをダラダラとウダウダと、おっきな体のくせに女々しか!!! 『灼火群星』!!!」
解き放つ。炎が描く軌跡は星のように煌めき、その炎弾を30発。
数と密度を猛烈に高めた応用術は、アイネの怒りに応じて流星群のように粛々と、そして大花火のように華々しく降り注ぐ。
美しく煌びやかな火勢だ。しかしジェラルドもまた宮廷魔術師級の腕前、大口を開き、「オオオッ!!!」と吼えればそれだけで炎の魔素が炸裂し、降る炎星たちを受けてみせる!
(やっぱ強か……! なんでその力でみんなを守ろうとせんの!)
抗議の声は心中で唱え、間髪入れずに次の火術を解き放つ。
次を、次を、次を次を次を次を!! 続々と絶え間なく、二人の魔術師は凄まじい勢いで魔術をぶつけ合っていく。
しかし若干、若干ではあるが、それでも明確に、火勢の分はジェラルドに傾いている。
「どうした!! 威勢がよかったのは最初だけか!! おあつらえ向きだ、お前をボロカスに殺せば上の連中が間違ってたと証明される!!」
俗物だ。宮廷魔術師という名誉に強い執着を持っていた。
彼の異名の元はひとえにその火力。火術だけでなくガトリング砲による猛撃も織り交ぜてくる。
弾丸の雨と、巨砲の一撃にも似る大魔術での殺戮。故に人呼んで“重戦車”。
アイネの不利はその重火器の分の火力差と、加えて巻き込まれてしまった一般人たちを魔素のバリアで包み込んで余計なリソースを割いているという点にある。
彼らを見捨てれば巻き返せるだろう。だが、それをできる性格ではない。
(時間が、少し時間があれば……詠唱付きの大魔術を浴びせられるのに!)
「詠唱の時間は与えねえぞガキ!! 詠唱なんてのは後ろでコソコソ逃げ回る年寄りと女子供のお遊戯だ!! そのまま……くたばれ!!!」
最前線で叩き上げられた魔術師だけあって、ジェラルドは詠唱付きの魔術を一切使わない。
ジェラルドの拳が炎を纏い、アイネが陣取っている建物の壁を打った。
瞬間、その壁から屋根までが真っ赤に焼けた溶岩へと姿を変えていく。
「ああもうっ!! 危なか!!」
アイネは宙に跳んだ。自分の直下に爆炎を巻き起こし、爆風と上昇気流で空に浮いている。
地上は相変わらずジェラルドの魔力で灼けたマグマに覆われたままだ。降りるわけにはいかない。
苦肉の策で宙を舞うアイネは無防備で、ジェラルドはついに捉えたとその姿を睨み付ける。
「死ぬ時が来たなァ!!!」
「貴様がな!」
矢が鋭く空を割いた。機を見計らっていたメルツァーが、アイネの危機に合金の弓を引いたのだ。
背後から放たれたしなやかな矢は風の魔素に制動され、後ろ首と心臓、脾臓の位置を背から貫こうとしている。
しかしジェラルドは頑強なガトリングを振り回し、その三矢を見事に打ち払った。
「邪魔すんじゃねえええッッ!!!!」
「ルカ、行くぞ!」
「はい」
ベテランの騎士、メルツァーはジェラルドの悪辣な行動にも冷静を保っている。
いや、内心では怒りを燃やしているのだが、まだ幼いアイネのように精神状態を左右されることはない。
アイネが応じていた間に自分とルカの靴へ風の魔術付与を施し、溶岩と化した地面に接さずに飛び歩けるよう細工をしていた。器用な男なのだ。
そしてメルツァーはメイスを、ルカは軍刀を握り、ジェラルドへの距離を一足飛びに詰めていく!
(アイネ、今のうちに大魔術の準備を)
(ルカ! うん、わかった!)
アイコンタクトで互いに意図を汲み、それを遮るかのようにジェラルドの弾丸が襲いかかる!
「くたばれゴミめ!!!」
「品のない男だ……!」
メルツァーは練っていた魔素で気流の盾を形成し、弾丸を逸らしながら懐に入り込むまでの数メートルを確保する。
騎士は魔素で身体能力を高めている。とはいえ、あのガトリング砲の斉射を受ければ生きていられる道理はない。
耳元を弾丸が過ぎる決死の距離を潜り抜け、二人の騎士は手を伸ばせば届く位置へと三鬼剣を捉えている。
「鬱陶しいんだよ!! イヌ共が!!」
「そうやっていちいち叫ぶ奴はリュイスだけで十分……っ」
憎悪を滾らせ、ジェラルドは溶岩の熱を纏った拳をルカめがけて振り抜いた。
しかしルカは身も軽く躱す。跳ね、拳の上へと身を滑らせている。
まるでスタントマンが車に轢かれる瞬間、ボンネットの上を転がって衝撃を殺す時のように。
そして転がった勢いのまま、斬線をジェラルドの右腕へと刻み込んだ!!
「なんだと……!」
「次、お願いします。メルツァーさん」
「ああっ、よくやったルカ! そして!」
メルツァーのメイスが横ざまに、払い抜けるようにジェラルドの脇腹を叩いた。
先端に重量の集められた鈍器は確かな手応えと鈍い音を残し、ジェラルドの肋骨と内臓を損ねている。
それでもメルツァーは苦い顔でほぞを噛まずにはいられない。
(この男、なんという硬さだ……!)
今の一打で腹部を抉り飛ばし、決着撃とするつもりだった。しかし“重戦車”の異名、前線を生き延びてきた身体強化は伊達ではない。高い威力を誇るメルツァーの鈍打を食らい、それでもまだ致命傷に至っていない!
しかし、手番は足りた。
アイネは既に、大魔術のための集中を終えている。
そっと瞳を閉じ、そして紡がれる詠唱。
「“祝詞響くは樫の聖壇、屠竜語りしは幽世の民。紅蓮紅蓮、躍れよ焔影。忌避すべき全てを彼の地へと刻め”」
「なんだと!!」
初めて、ジェラルドの顔に強い狼狽が浮かんでいる。
曲がりなりにも同じく火術師、詠唱文を聞けば術の概要は理解できる。
アイネの唱えている“それ”は、魔術に生涯を捧げた人間が老いの淵に、命の最果てにようやく辿り着けるかという魔の深淵。
「こんなガキが……っ」
少女の愛らしい瞳は大きく見開かれ、その瞳孔は異形めいて縦に伸びている。
それは焔を操る者が目指すべき一つの極致、紅蓮の化身の力を身に宿しての超魔撃。
熱気はさながら翼のように、怪物的に、少女の背へと渦を巻き……ジェラルドは叫んでいる!!
「竜術だと!!?」
ーー『竜淵の焔』
静謐に、アイネはその全力を解き放った。




