七十一話 その左手が掴むもの
至極おおざっぱに分類すれば、戦士は二種類に分けられる。
魔術を扱う者とそうでない者だ。
ユーライヤ教皇国は日常生活から科学技術まで、およそ人の営みに関わる全てが魔素技術と共に発展してきた国だ。
そこで戦いに携わる人間は軍人であれ裏の人間であれ、戦闘スタイルを問わず総じて魔素を扱うことを求められる。
シャルルの祖父ゲオルグ、宮廷魔術師のアイネなど、魔術師たちはそれを体系立った学問から段階を踏んで会得していく。
インドアで知識を高め、理解を深めることで魔素をその手に収めたのが魔術師という存在だ。
そこまでの専門でなくとも、浅く学問を齧って必要な魔術だけを修める者もいる。
六聖シャラフの毒術や三鬼剣イルハの一子相伝の『乱黒刃』がその例。
では魔術を使わない者は、どうやって魔素を戦闘に取り入れているのか?
大きな括りとして、戦技と呼ばれる技術がある。
それはミシェルの水を纏った体術や、ビルギットの『雷血』。さらにアルメルの切り札もその範疇。
戦技とは魔術のような学問ではなく、個人の資質と経験値によってそれぞれが会得する魔素技術の総称だ。
戦技は誰もが使いこなせる類のものではない。
命を峰に乗せたギリギリの攻防の中で研ぎ澄まされる心技体、“越えなければ死”、そんな壁との対峙、そんなきっかけで目覚めることが多い。
アルメルやビルギットは先の戦線で踏んだ死線に力を目覚めさせた。そしてリュイスは今、その領域に大きく近付けるか否かの分水嶺を迎えている。
(ああ畜生ッ、腹が掻っ捌かれてやがる。体の構造はよくわからんが、気を抜けば多分なんか色々と内臓とか落ちてくるんじゃねえのか、これ)
よろけながら立つ。
視界は霞みながらも激情は絶えず、しっかりと敵の輪郭だけは捉え続けている。
相手からしてみれば仕留めたと思った相手が立ち上がってきた格好だ。
百戦錬磨、殺しは数を重ねて慣れている。そんなイルハだからこそ、臨死の際で立ち上がってくる相手の危険性はしっかりと認識できている。
「やれやれ、しぶとい奴だ」」
「俺の、親父と兄貴は医者だが……」
「ううん?」
「生憎、俺はそれほど賢くねえ。クソ兄貴にもよく、“お前は痛い目を見なければ覚えない”なんて言われてた……」
「確かに賢くはないなあ? 倒れたままでやり過ごせば生き延びられたかもしれないだろうに!!」
半月鍔の剣が突き出された。半死半生のリュイスにとどめを刺さんとする、イルハが盤石の殺意を込めた一撃だ。
しかし、リュイスは軍刀でそれを跳ね上げた。
失血に力感はない。だが最善の角度でぶつけられた刃は、最小の力で致死の一刺しを弾きのけている。
傍らで佇み見ていたアントンは、思わず小さく声を漏らしている。
「……完璧な受太刀だ」
「兄貴の言う通りなのはシャクだがよ……痛い目を見て、ようやくテメエの剣が理解できてきたぜ。イルハ・ユルヤナ……!」
覚悟を決めた。感覚を掴んだ。
こいつを倒すのは俺の役目だと、不退転のプライドがリュイスの背を支えている。
(良くない傾向だな)
仮面の剣士、イルハはリュイスにわずかな脅威を覚えている。
ここまでヘラヘラとした態度を保ってきた男だが、仮面の下の表情が初めて硬質なものへと変わった。
今の一戦だけの問題ではない。リュイス・ルシエンテス、この男はどうやらさらに上を目指せるだけの器を持っているらしい。
副官クラスか、あるいは六聖にまで届く器か。
(わからないが……今ここで仕留めておく必要があるようだ。花開く前にね)
三鬼剣の中でも、イルハは特異な立ち位置にいる男だ。
軍で問題を起こし、エフライン13世に疎まれ、処分されかけていたところを元帥ヴィクトルに拾い上げられた。
その経緯は他の二人と同様とされているが、実はイルハだけはそれよりも以前からヴィクトルに雇われて動いていた人間なのだ。
彼が軍内で起こした問題とは“上官殺し”。
泥沼化したペイシェン戦線に一兵卒として参加していたイルハは混乱に乗じ、先々でヴィクトルの邪魔となる軍人たちを始末して回っていた。
やがてその暗殺行が露呈し囚われの身となったが、彼がヴィクトルとの繋がりを漏らすことはなかった。
そして密約の通りにヴィクトルが裏で手を回し、処分を免れ、三鬼剣として暗躍するに至っている。
(何故ヴィクトル・セロフに肩入れするのか? そりゃシンプルに勝ち馬だからさ。ユルヤナは時代を食らう一族。勝者の傍に我らはある)
そんな経歴を持つ男だからこそ、排除すべき人間には敏感だ。
「ま、きっちりと摘ませてもらっとくかね。リュイス・ルシエンテス」
「上等だ……! かかってきやがれ!!」
仕掛けたのはイルハ。大股に前へと距離を詰める!
そもそも、リュイスには既に自分から仕掛ける力は残っていない。いかに待ち構え、受け、そして返しの剣で仕留めるか。
その状態をイルハは重々理解していて、故に彼が取る戦術はヒットアンドアウェイ。
(返しの範囲には踏み込まんさ。浅い斬撃を重ねて失血死を待つ、簡単な話だよ)
一斬、二斬、リュイスの皮膚に筋が刻まれる。
いかに深く見切ったとは言え、手数を重ねられては受け漏らしも出る。
歯を食い縛るリュイスにイルハは嘲笑を浮かべ、嬲り殺しにするべく剣を引き……そこへ飛来する投げナイフ!
「何……!?」
ステップを留めて身を翻し、顔面へと迫る軌道のそれを打ち落とす。
そしてナイフの主へ、淀む怒りを視線で向ける。
「何を……おい、お前、見逃してやると言っただろう」
「口約束に価値はない。禍根を残すより、今ここで貴様を討ち取るのが最善だ」
アントンの目には再び、暗殺者らしい冷酷が宿っている。だけではなく!
「何より、“見逃してやる”という貴様の態度が気に食わん」
「おいおい……格下風情が、あまり図に乗るなよ?」
「俺を見下す、それは即ち“父”への侮辱にも等しい。貴様は斬るに値する」
そうして鉄剣を構え直したアントンへ、リュイスはくっくっと面白げに笑いを向けた。
「やっぱ結構な負けず嫌いだな、お前」
「……手助けしてやる、貴様が打ち取れ。リュイス!」
アントンが翔ぶ!
挙動の大きな飛び蹴りを仕掛け、斬り捨てるべく待ち構えるイルハと視線を交錯させる。
だが無論フェイントだ。蹴り足の動きを撒き餌に、腕は反して無駄のない挙動で数本のナイフを投じている。
同時、リュイスは残る力を振り絞ってイルハへと斬りかかる。タイミングを合わせた挟撃だ!
「『乱黒刃』を忘れたわけじゃあるまいね!」
剣だけでは防げない二人からの斬撃に、イルハは影刃を素早く蠢かせる。
竜巻のように自身の周囲を旋回させていて、範囲内に踏み込めばきっと細切れにされてしまうだろう。
だが! リュイスはそこへと踏み込んだ!
「うねうねうねうね! タコかよ! いい加減うぜえんだよ!!」
「何……だ! お前!?」
闇の魔素で織られた影、実態のない薄刃。縦横無尽にうねる魔術の最大の強みはその受けにくさだ。
リュイスとアントンはここまで、刃に魔力を帯びさせることで辛うじてそれを弾きながら戦ってきた。だが柔軟な刃は恥けど弾けど向かってくる。キリがない。
ならば、どうするか。リュイスが導き出した答えは極めてシンプルだった。
「ざまぁねえ! 掴んじまえばそこまでだ!!」
そう、掴んで止めている。剣とは逆の左手で、魔術の刃を掴んでいる!
イルハは思わず目を見張っている。馬鹿な、一体どうやって?
理解の及ばない焦燥にリュイスの全身を流し見て、素早く理解し息を飲む。
(そうか、血か! 奴め、手に付着した大量の血液に魔素を収束させて……!)
ビルギットの戦技『雷血』も同様、血は魔素との親和性が高い物質だ。
それを触媒として技や魔術を成す者も多くはないが存在している。
(そう、理屈はわかる。だが、この男の場合は……!)
「だらああああッッ!!!!」
「ッッ!?」
烈気を迸らせ、リュイスは突端を掴んだ『乱黒刃』を強引に引く。
全霊を振り絞っての力ずく、持ち前の怪力に引かれた影はビンと強く張る。
その根本はイルハの足元、彼の影に紐付いている。無理やりに引っ張れば連動して彼の足までが引かれ、そして必然バランスを崩す!
「好機!」
「侮るな!」
完全な形でバランスを崩したイルハへとアントンが斬りかかる。
目にも留まらぬ速度で二剣が躍り、そして初めてイルハへと刃が届く。肩口に一太刀を浴びせている!
「ッちぃ……!」
「……っ」
しかしアントンもまた脇腹に傷を負い、無言のままで苦痛にたたらを踏んでいる。
入れ違い、リュイスが前へと踏み込む!
「その仮面もいい加減見飽きたんだよ!!」
「雑魚どもが、最強に傷を付けようなどと!!」
イルハは片手に魔素を凝縮、練ることもせずにシンプルな魔弾として射出した。
直撃すれば小規模な炸裂が起きる、怯んだところで首を刎ねる算段だ。
だが、リュイスの左手はその魔弾をも掴み止める!
「テメエが……食らえっ!!!」
「っぐ、しまっ……!?」
━━傍ら、アントンの目に決着は見えた。
投げ返した魔弾が弾け、生じた隙にリュイスが振り下ろす軍刀はイルハの胸首を袈裟に割る軌道、鎖帷子をも易々と裂いて絶命させるだろう。
対し、イルハも苦し紛れに剣を振り上げている。崩れた姿勢で力は篭っていないが、それでも半月鍔の名剣はリュイスの心臓を貫くはずだ。
つまり彼が当初に描いた形、騎士と三鬼剣を相討たせるという理想形に持ち込めたわけだ。
研ぎ澄まされた感覚は結末までの秒瞬をアントンの瞳にスローで映し、そして彼は眼を閉じ……暗殺者は一つ、切り札の戦技を隠し持っていた。
(『斬伐眼!!』)
アントンの眼が見開かれると同時、イルハの右腕が断たれて宙を舞った。
「……!?」
「だぁラアッッッ!!!!」
直後、振り抜かれるリュイスの剛剣!!!
アントンの見立てた通り、その刃は見事にイルハの胴を断ち割っている。
そして斬られたイルハの腕は、リュイスの胸を貫くことなく地に落ちた。
刹那、雨足が強さを増し……声もなく、三鬼剣の一角、裏の“最強”、イルハ・ユルヤナは絶命した。
どさりと崩れ落ちた死体と共に、リュイス、そしてアントンもまた地に崩れ落ちている。
朦朧とする意識をどうにか保ちながら、リュイスがアントンへと声を掛ける。
「……助けてくれたのかよ」
「…………」
「アントン!!!」
雨中、女性の声が響く。
鮮血の滲んだ水溜りを踏み、駆け寄ってきたのはシャングリラの刺客、アントンの相方のエーヴァだ。
エーヴァはリュイスに一瞥を向けつつ、傷だらけで崩れ落ちているアントンを抱き上げた。
手早く全身の傷を確かめ、致命傷を負ってはいないことに安堵しつつ、アントンの眼を見た彼女は呻くように声を漏らした。
「アントン、あなた、眼を使ったの?」
「……ああ、使わずには勝てなかった」
「……忘れては駄目よ、アントン。その技は本当に大切な時のためのもの。次に使えば、あなたの視力は……」
優しく、しかし戒めるように告げ、エーヴァはアントンの頬を撫で、そして肩を貸して立ち上がらせた。
細身の女性ながらに暗殺者、男一人を支える程度は造作もない。鍛えてある。
そんなアントンの姿を目に、リュイスは思わず息を飲んでいる。
「お前、目から血が……」
閉じられた瞼からは、大量の鮮血が溢れ出ている。
技の理屈はリュイスにはよくわからない。ただひどくリスクのある技だということ、そして、その技に助けられたということ。二つだけは理解できた。
だがアントンは瞳を閉じたままに数歩を歩き、イルハの遺した半月鍔の剣を拾い上げる。
そうして鞘までを回収し、リュイスへと声を掛ける。
「貴様を助けたわけじゃない。奴の度重なる愚弄に一矢を報いた、それだけだ」
「ああ。それでも一応、サンキューな」
「……行こう、エーヴァ」
そうして、アントンとエーヴァは雨霧の中に姿を消した。
エーヴァが深手を負ったリュイスにとどめを刺さなかったのは、アントンの意を無言のうちに汲んでのことだろう。
まともに会話をしたわけではない。意気投合というには余りに短い時間。
しかし共に死線を潜ったという関係は、二人の剣士に奇妙な絆めいたものを生じさせたのかもしれない。
ベルツの兵が駆け寄ってくる声がする。衛生兵だといいんだが。
それにしても、畜生。ルカ、アイネ、メルツァーのおっさん、助けには行けなさそうだ。すまねえ。
そんなことを考えながら、全身の力を今度こそ抜いて、リュイスの意識はそこでようやく闇に落ちた。




