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七十話 真紅に染まる

「おや、マシになったじゃないか!」


 手振りを交えてリアクションを示すイルハ。そこへリュイスが力強く打ち込み、刃が触れ合い高音が響いた。


「何がマシだ、余裕ぶっこいてんじゃねえぞ」

「いやいや、まさか勝てるとでも?」


 刃が離れてそのまま三合。ガ、ギ、ギと鋭剣を打ち合わせ、そこで滑るようにリュイスとアントンが入れ替わってさらに剣戟!


“最強”を打ち倒す。


 その目的意識を共有したリュイスとアントンは、即席ながらに連携らしい攻めを組み立て始めている。

 二人それぞれに攻めるのではなく、ある程度のローテーション制を意識して立ち回り。

 短時間ながらインターバルを挟むことで呼吸を整え、故に自分の手番では惜しみなく全力を振るえるのだ。


 だがそれでも!


「残念ながら勝ち筋はないよ、君たちにはねえ!」

「――ッッ」

「畜生が……! 強え!」


 強い踏み込みからの横薙ぎ、リュイスとアントンへと同時に払いを浴びせ、二人ともの姿勢を崩してみせた。


 イルハが身に付けた藍色の服は袖口が長め、かつゆったりとした構造で、腕の筋肉の動きを相手に読み取らせない。

 達人同士の斬り合いではその些細な差が物を言う。見切りがコンマ1秒遅れれば、その刹那の差で刃は皮膚を裂き肉へと届く。


 連携のバランスが崩れれば瞬撃、イルハの剣は雨中に剣舞めいて踊る。

 斬、斬、斬斬斬斬!!

 リスクを取らず、深く踏み込まない浅い斬撃だ。それだけにカウンターのタイミングを見つけられず、リュイスたちはただ傷を増やしていくばかり。


「ッハハハ、一方的で悪いね!」

「だったら!!」


 そうして幾太刀をも浴びせられ、リュイスはようやく対応策へと思い至った。

 右手の剣でイルハの剣を受け、左手で袖先を掴む。


「捕まえたぞクソ!」

「っと、袖を掴んで……」

「どらアアッ!!!」

「へえ!?」


 イルハが驚きに声を上げている。

 リュイスは馬鹿力、利き手ではない左一本、それも指先だけの引っ掛かりで、強引にイルハを宙に投げ舞わせたのだ!

 イルハは大柄というほどの体格ではないが、鍛え抜かれた筋肉質な体はそれなりに重い。服の下には帷子(かたびら)を着込んでいて、さらに剣の重さに細々とした装備までを含めれば100キロ近く。

 それをリュイスは袖口に掛けた指先三本、人差し指、中指、薬指だけを支えに投げたのだ。

 そしてすかさず軍刀を突き放つ!


「浮かせりゃ隙も生まれるだろうが!!」


 しかし仮にも“最強”、怪力に驚きつつも、まだ動じない。

 宙で身を捻り、リュイスの突きに剣の峰を合わせて弾く。

 カウンターでうごめくのは『乱黒刃(ジーラ)』、しかし割り込んだアントンが打ち払い、蹴りを叩き込む!


「っ、おおっと……」

(剣で勝てないならば、さらにリーチを詰めるのも一つの方策だ)


 リュイスとアントンは自然にほぼ同じ手段へと辿り着いていた。

 発想の転換。剣はイルハからの攻撃を受けるための盾と考え、仕留めるのは体術でと割り切って前に出る。


 蹴りを肘で受けつつ体制を立て直したイルハへ、さらにリュイスが蹴り脚を伸ばす!


「食らえオラ!!!」

「技術もへったくれもない前蹴りか。しかしまあ受け辛さはあるねえ」

「死ね」

「かと思えばこっちは洗練された貫手か。タイプの違いがなかなか面白い」

「うっせえな、よく喋る野郎だ!!」


 イルハの仮面の下の表情は相変わらず知れない。

 侮るような口調でリュイスとアントンそれぞれの攻撃を実況めいて語るのは嘲りか、それともこの男なりのリズムの作り方なのか。


 わからない。が、確かなのは徐々に、着実にリュイスたちの攻撃が掠り始めているということ。

 そして突き出した左拳が、ついにイルハの脇腹を強く擦った!


(よっっし……! あと一押しで届く!)

「届く。そう思ってるなら悪いんだがね。あまり調子に乗られると……鬱陶しいね!」

「雰囲気が変わった……! 退け、リュイス!」


 アントンからの警句はわずかに間に合わなかった。

 結論から言えば、イルハ・ユルヤナはまだ手を抜いていた。そして餌を撒いていたのだ。


 彼の操る闇の魔術『乱黒刃(ジーラ)』は一本の帯のような形状で地を這い、切っ先をのたうたせ……

 それまで見えていたのとは別の切っ先が、地面から突き上がってリュイスの腹へと刺さっている。


「ぐ、はっ……!?」

「まあシンプルな話さ。枝分かれするんだよ、この『乱黒刃』は」


 そう告げつつ、イルハは掌を持ち上げる。

 すると魔術で織られた黒影の帯は鎌首をもたげ、全貌を現してみれば木の根のように六又、七又と細かく分かれている。

 その一つの突端がリュイスの腹からずるりと抜け、大量の血液が地を赤く染めた。


 アントンは黙してそれを見つめている。

 シャングリラの暗殺者として多くを殺めてきた彼から見て、リュイスの負った傷は死に至るだけの深さだ。

 仮初めの共闘関係、むしろ本来は殺すべき相手であるリュイスが倒れたとして、彼にとっては悲しみや怒りの原因には成り得ない。

 ただ一歩、二歩と下がりつつ、静かにイルハの『乱黒刃』へと観察の目を向けている。


(特異な魔術だ。鋭利な切れ味を保ったままにあれだけの複雑な挙動を……)


「我々ユルヤナの一族が至高の殺人者と呼ばれ続ける種はこの術さ。枝分かれさせ、地中から突き上げる。それだけで十分だ」


(シンプル、故に完成されている)


「ユルヤナの一族がほいほいと姿を現さないのは、一子相伝のこの魔術を有名にしないため。初見殺しを徹底するからこそ最強なんだよ」


 そこまでを語り、イルハはアントンへと目を向ける。


「さて、シャングリラのアントン君。君は殺害対象じゃあない。無駄に時間を食ってしまったし、今すぐ去るなら見逃してやっても構わない」

「……その魔術のネタを知った俺を、逃して構わないと?」

「君は愚かではないだろ?そして組織の益を考えている男だ。術のネタが広まれば君が広めたと判断し、我らユルヤナはシャングリラを殲滅する」

「……」

「フッフ、そう怖い顔をするなよ。黙っていればいい。それだけだ。それだけで不干渉を約束しよう。悪くはない話だろ?」


 アントンは返事をしない。黙したまま、提案に手を揺らすイルハを見据えている。


 ……そんな会話を意識の遠くに聞きながら、地に倒れたリュイスは朦朧と、しかしはっきりと激情を燻らせている。

 痛いじゃ済まない傷を負い、失血に力は抜けて、間違いなく臓器を深々と貫かれた。


 そんな臨死の際でなお、リュイスは逆転の手を掴むべく瞳の奥に赫火を保っている。


(“最強”、“最強”か。なるほど、俺より随分強え。ああクソ……俺より強い奴が多すぎる)


 六聖(ベネデッタ)には敵わず、シャングリラの巨人ピスカには叩きのめされ、さらに言えばあのいけすかない兵馬も自分よりおそらく実力は上だと理解している。

 兄のクロードには現状、百戦やったとして百敗してしまうだろう。そして今、三鬼剣(オルグス)を前に屈しようとしている。


(情けねえッッ……!!)


 そんな現状にリュイスは、心底から燃えるような悔しさを抱いている。

 アルメルからの信頼に応えられず、この男に討たれた同僚の仇を討つこともできず、親友のルカとアイネを助けに行くこともできない。

 そして何より、ここで倒れればカタリナに二度と会えない。


(ふざけんじゃねえぞ、リュイス・ルシエンテス!!)


 そんな諸々の悔悟をひっくるめて、リュイスの手は地を掴む。

 抜けた力を再び宿し、失った血を精神力で補う。


 そして見据えるのは“先”。

 今のままでは勝てない。壁を突き破る何かが必要だ、何かが……!


「…………俺は負けてねえぞ……まだ!!」

「ほぉう……?」


 左手で腹の傷を抑え、その掌を真紅に染めて。

 幽火めいて立ち上がったリュイスへと、イルハはその視線を細めて嗤う。

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