六十九話 殺人剣の血統
軍刀が大上段に振り下ろされ、鉄剣が曲線軌道に揺れ靡く。
しかしその二太刀は一本の剣、半月鍔の剣の峰にリズミカルに弾かれている。
そして三鬼剣、イルハ・ユルヤナが泳ぐように両手を動かせば、リュイスとアントンの肩口と脇腹がそれぞれ鋭利な傷を帯びた。
「クッソ!」
「なんだと……」
表情を歪め、リュイスは即座に拳銃をイルハへと撃つ。
が、イルハは柔らかい剣筋で銃弾を撫でるように落とし、続けざまにアントンが放った回し蹴りへと手の甲を添えた。
ただそれだけの動きで蹴りの軌道はずらされ、リュイスの脇腹へとアントンの蹴りが叩き込まれている。
「いっッッてえな! 畜生!」
常人ならそれだけで内臓を破裂させて絶命しかねないほどに重い蹴りだが、リュイスは頑丈さには自信がある。
すかさず肘打ちをアントンの腹に当て、「貴様、っ」と彼が呻いた瞬間にイルハの剣がぬるりと払われる。
とっさに飛び退いたリュイスとアントンの腕に、それぞれ浅くはあるがしっかりと傷が刻まれた。
剣先を雨粒が伝っている。三つ巴の斬り合いを初めて三分ほどが経過した。
たった三分。だが既に実力の序列は明確だ。
リュイスとアントンの手傷は五つと同数。剣士としてのタイプは違えど、立ち回りに大きな優劣はない。
対し、イルハの体は未だ無傷だ。“殺人剣”の異名は伊達ではなく、無造作な一斬一斬に捉えどころのない、しかし輪郭を持った殺意が描かれている。
さらにはリュイスとアントンの攻撃を誘い、流し、潰し合わせて漁夫の利を得ている。
その余裕をたっぷりと漂わせながら、イルハは二人の顔を順に眺め回す。
「二人とも悪かぁない。だがアルメル隊のリュイス、お前の剣は直情的に過ぎるね。アホの剣だ」
「ンだとコラ!!」
「シャングリラの某。バランスは良いけど今度は重みがない。雑魚を狩るための剣だよ、そいつは」
「……」
対峙する二人へと寸評を下して評論家を気取るイルハ。しかしそれが許される程度には実力の差があることを、リュイスもアントンも心中では理解している。
高い実力を持つ者たちだからこそ、互いの力量を正確に測ることも可能なのだ。
アントンは思考する。
この二人の、特にイルハ・ユルヤナの排除は組織にとって大きな益だ。
だが勝率は高くはない。相方のエーヴァがいれば勝ち筋は十分にあるが、クロードの術に位置を引き離された今は望んでも仕方のないこと。
自分が今ここで果ててしまうよりは、退いた方が正しいのではないか。
そんな考えが、リュイスからの声に遮られる。
「おい、シャングリラのお前。アントンとかいうお前!」
「……なんだ、リュイス・ルシエンテス」
「辛気臭え面してねえで力を貸しやがれ」
「何……?」
「手ぇ組んでブッ倒すぞ。このイルハとかいうクソ野郎を!」
リュイスは単純な男だ。
悪く言えば短絡的、良く言えばこだわりがない。
シャングリラは軍に仇なす大敵で、しかもリュイスの兄クロードの命を不倶戴天とばかりに狙っている。
しかしリュイスはそんな諸々を一旦忘れ、倒すべき敵の優先度を素早く測る。
(どう考えても暗殺者野郎よりも先にクソ三鬼剣を倒すべきだぜ)
そうして導き出したのはたった一つのシンプルな答え。
「共闘だ! 共闘!」
早くも息巻いているリュイス。
アントンは心の半分で呆れつつ、もう半分で素早く算盤を弾く。そして即答。
「いいだろう。乗ってやる」
「そうこなくっちゃな」
戦況は転じ、二対一へと姿を変える。
連携をするだとかそういう話ではない。お互いがイルハを攻めるのを邪魔しない。それだけの共闘だ。
とはいえ、これまでの苦戦はそれぞれの攻撃をイルハに上手く利用されてテンポを掴めずにいた点も大きい。
邪魔をしない。それだけでお互いのポテンシャルは大きく跳ね上がるだろう。
そうして肩を並べた二人を目の当たりに、イルハは仮面の下にゆららとした嘲笑を浮かべてみせる。
「ほーう? 面白いじゃないか」
「ヘラヘラ笑ってんじゃねえ。アルメル隊の連中を何人か斬っただとかほざきやがったな」
「ああ、斬ったとも。しっかりと絶命させてきた」
「ああそうかよ。だったらテメエはどんな手を使ってでも叩っ斬る。必ずだ!!」
激怒を燃やして啖呵を切ったリュイスを横目に、アントンはあくまで冷静だ。
共闘はする。邪魔はしないが、イルハとリュイスが共倒れになるのが彼にとっての最善であることに変わりはない。
だとすれば、この短気なリュイスを如何にして囮にするかが重要だ。
算段を走らせるアントンの内心を読んだか、イルハはもう一度笑みを浮かべた。
「そう、勝つためには手段を選んではならない。それこそお前たち弱者が取るべき戦術だよ」
「……イルハ・ユルヤナ。貴様は弱者ではない、と」
「無論さ。俺がユルヤナの血統である限り」
そしてイルハは、三鬼剣最強の男は、高速で詠唱を口ずさむ。
「“紫淵の羽衣、歪曲と希死。結跏の聖譚に断章を穿て”。『乱黒刃』」
止める間もなく紡がれた言葉は彼の足元、雨空に曖昧な影をくっきりと浮き上がらせる。
黒く細く、形状を変化させたイルハの影はさながら悪魔の尻尾のように躍る。
しならせて瓦礫を打てば、バターナイフを思わせる滑らかさでコンクリート片が切り捌かれる。
尾に似た彼の影、闇の魔素に織られた乱黒刃は自在の刃だ。
瓦礫をサイコロステーキじみた細かさに刻んでみせて、そうしてイルハは頷いた。
「さあご両人、第二ラウンドと行こうか?」
戦いは加速する。
リュイスが地を踏み砕き、振るった剣は剥き出しになった鉄骨を噛むように抉り裂く。
アントンは後続に徹し、促すまでもなく先んじて仕掛けていくリュイスの隙を埋めるように斬撃を浴びせる。
銃撃で、仕込みナイフで、二人それぞれに遠隔攻撃も織り交ぜている。
だがイルハは強い。あまりにも強い!
相も変わらず独特に躍る剣は受けを盤石に成し、そこに加わった影の刃はぐねうねとのたうって受けにくく、リュイスとアントンへと傷を刻んでいく。
左、二の腕へと無視できない深さの創傷を受けたところでリュイスが苛立ちを全開に叫ぶ!
「強すぎんだよ!! ふざけんじゃねぇぞテメエ!!!」
「強さを非難されてもねえ、めちゃくちゃだ。情けない言い分だと自分で思わないか」
「知るか! クソ!」
アルメル隊に所属しているリュイスは、広大なユーライヤで最高峰の剣士と称される“剣聖”アルメルと訓練で幾度となく剣を交えている。
勝てたことはまだ一度もないが、彼女の実力はそれなりに把握している。
その上で、リュイスは考える。
(このイルハとかいう野郎、アルメル隊長と同じぐらい強いんじゃねえか?)
そんなリュイスの思考を察したのか、傍らのアントンが潜めた声で喋りかけてきた。
「ユルヤナ。ユルヤナの一族を知っているか、リュイス・ルシエンテス」
「はあ? あのクソ野郎の名字だよな。奴の家族のことなんか知るかよ。あとそのフルネーム呼びウゼエからやめろ」
「表の人間は知らなくても無理はない。だが裏の業界では稀に聞く名だ。殺人剣のユルヤナと」
アントンは手短に語る。
一子相伝、凄絶な殺人剣を誇りながらも気紛れにしか姿を現さない暗殺者一族。
シャングリラに属する暗殺者であるアントンは、同業者から幾度かその名を耳にしたことがある。
「裏における最強、その剣力は埒外。出会ったら迷わず逃げろ、と。俺も今思い出したのだがな」
「……最強、かよ」
「さあどうする。左右に逃げれば、あるいはどちらかは逃げ切れるかもしれないな」
静かに提案するアントン。
だが、リュイスは怯まない。それどころかその言葉を受けて、むしろニヤリと笑ってみせた。
「っクク、上等じゃねえか。ああ上等だ!」
「……気でも触れたか」
「最強? 燃えるじゃねえか。そういう肩書きがあるならモチベーションってもんがまるで変わってくるぜ」
数々の負傷と失血にもまるで構わず、リュイスは力強く軍刀を握り直す。テンションで戦闘力の上下するタイプだ。
精神状態に力量が左右されるのは誰でもがそうだが、リュイスは特別その気が強い。
そしてアントンへと尋ねかける。
「暗殺者だか知らねえが、テメエだって剣士なら最強ってもんに勝ってみたいだろうが。違うかよ、アントン!」
「……」
アントンは押し黙り、向けられた視線の熱にも表情は変えず。
しかし、鉄剣を握るその手には再び力感が宿っている。
「……三分だ。あと三分、貴様の酔狂に付き合ってやる」
「ハッ、クールな面して目は燃えてやがる。少なくともウチの兄貴よりはわかりやすいぜ!」
左右、二人の剣士が“最強”へと襲いかかる!




