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六十八話 銃口の向く先

 雷が爆ぜた。

 

 天から降る御柱ではない、地を這うように迸っている。

 それは六聖(ベネデッタ)、“雷神”ビルギットの基本戦術が一、『雷血(ガルツ)』の猛威だ。

 

「上手く受けるものね」

「なんてふざけた……!」


 兵馬は大鎌を構えたまま、向き合うビルギットの脅威に応じるべく息を深く沈めている。

 

「うわっ!! 危ない!!」

「もう一撃」


 兵馬が転がり、その傍らを爆雷(ビルギット)が駆け抜けた。

 彼女が攻撃の前に発した声が、彼女自身が通過した後に兵馬へと届く。つまりその速度は音速を越えている。


 ビルギットは得意とする戦技『雷血(ガルツ)』により、その全身、四肢末端にまで駆け巡る紅血を雷へと変換している。

 目尻や口、血の赤を透かす粘膜は全て紫電を帯びている。そして踏み切れば……雷速の蹴撃!!

 

「…………ッッ!!」


 兵馬は吹き飛ばされている。

 大鎌の柄で辛うじて蹴りを受けたが、擬似的な雷速で放たれた一撃には抗うのも困難だ。

 

 勢いに押されて数十メートルを舞い、武器を通して腕へと伝わった電流の痺れに顔をしかめながらも鎌の刃をビルの壁面に立てて踏み止まる。

 長柄を足場にビルギットの方向を見れば刹那、雷光が矢のように兵馬めがけて壁面へと突き刺さった!!

 

「参ったな、デタラメな威力だ」


 壁に突き立てた刃を抜き、落ちることで間一髪で逃れている。


 そうして戦場はホテルの跡地を離れ、速度無制限高速道(アウトバーン)へと移行した。

 既に車は通っていない。ベルツの各所で頻発している大規模な戦闘は都市内の広域へと影響を広げつつあって、この高速道も危険だとして避難、封鎖が完了した状態だ。


 兵馬は背を丸めて転がるように落ち、器用に落下の衝撃を殺しつつ上を見上げる。

 相変わらず止むことのない雨、がらんどうの路面には水が浮いていて、その水面が稲光を映す。

 

「――雷柱」

「当たってたまるか!!」


 壁面を蹴り、遥か直上からストンピングに路面が砕ける。

 ビルギットの直落と同時に空が鳴った。高々から降れば、その姿はまさしく“雷神”そのもの。

 兵馬は辛うじて見切り、避けている。だが放射状に砕けた道路は礫片を舞わせ、その欠片が頬や肩口を掠めて血が滲む。


 しかし臆さず下段に横薙ぎ、“風喰い”を振るって旋渦を描く!

 

「刃に施された微細な穴が気流を乱し、相手の動きを拘束する。なるほど、面白い武器ね」

「がっは!!?」

「けれど、私には通じない」

 

 ついにビルギットの驚異的な蹴り、鋼鉄の具足が兵馬の腹を捉えた。

 雷の機動力を削ぐべく脚を狙った。それを見切られ、宙に斜めに身を躍らせたビルギットは鎌を飛び越えると同時に蹴りを放ったのだ。


 しかし本来であれば回避を許さないのが大鎌“風喰い”に仕込まれた効果。見切られようと関係ない、そんな意図で放った斬撃だった。

 そんな兵馬の目算を完全に無視してみせたのは『雷血(ガルツ)』により雷の勢いを得たビルギットの驚異的な突破力。彼女に対しては、気流拘束が一切の意味を成さない!


「ぐ、げほ……」


 雨浸しになった路面を滑り、兵馬は口から血を零している。

 蹴りを受けた下腹にぐるぐると激痛が渦を巻く。寸前に身を傾けて正面から受けることは避けたが、それでも衝撃は重く深い。


「降伏してもらえるかしら」

「いやあ……はは」


 毅然と、しかし上品に。ビルギットはそのペースを乱すことなく、背を正したままに首をわずかに傾けて問いかける。

 彼女の全身から立ち上る紫雷の魔素(マナ)は、電熱のオーラと化して空から降る雨粒を蒸発させる。

 見下ろしてくる彼女の姿は“雷神”と称されるに相応しい圧倒の威容を誇っている。


 詩乃たちを助けに行かなくてはならない。降伏という選択肢はありえない。けれど詰まる息に数秒でも休むべく、兵馬は痛みに青ざめながらへらりと笑みを浮かべてみせた。


(参ったな、この人とは相性が最悪だ)


 大鎌(風喰い)が効かない。だからといって雷剣(オートクレール)も効くとは思えない。

 元から雷を纏っているのだから、雷を撃ち込んだところで確実なダメージは見込めない。それどころか可変機構の剣は比較的脆く、ビルギットの猛烈な蹴りを受ければ壊されてしまう可能性もある。


「武器を入れ替える暇は与えません」

(そもそも、か……)

 

 ビルギットの戦いは全身の血を雷化させて速度、威力を底上げするという点以外は極めてシンプル。

 具足による蹴りが主体で、そこに傘の殴打と仕込み銃の発砲を織り交ぜる程度。そのシンプルさはつまり、極端に隙が少ないということだ。


 実力者同士の戦いでは、戦闘スタイルの相性は勝敗を分ける大きなファクターとなる。

 例えば飛空艇で戦ったシャラフ。ビルギットと同格に位置付けられる六聖シャラフは、毒術や暗器の仕込みを駆使して搦手(からめて)で戦うタイプだった。

 そのため兵馬には赤布を用いて武器を切り替える隙があって、上手く退けることに成功した。比較的相性の良い相手だったと言えるだろう。

 

 仮にビルギットとシャラフが戦ったとすれば、相性の利はシャラフにある。

 血液を雷化させての直線的な戦い、謂わば圧倒的なゴリ押しを主体とするビルギットは、その突撃の軌道上にシャラフが毒霧や罠を仕掛けたとすれば応対に苦慮するはずだ。

 

 そして兵馬とビルギットの間の相性相関は、前述の通りに完全なる兵馬の不利。


(どうする。どう挽回すればいい?)


 五秒、六秒。ビルギットがあと何秒降伏を待ってくれるかはわからない。

 それもただ待っているわけではなく、兵馬が赤布を取り出す動きを見せれば即座に手を踏み砕く。そんな様子で佇んでいる。

 呼吸を整えてダメージに体を慣らしつつ、兵馬は必死にビルギットの付け入る隙を見出そうと頭を回す。

 

 体に雷を纏わせている。音速を越える速度での突撃はまるで本物の雷だ。


(だけど、本当に雷速なわけじゃない)

 

 仮に雷の速度で蹴られたとすれば、一発で兵馬の体が微塵に粉砕されているだろう。それ以上にビルギット自身の体も負荷に耐えられないはずだ。

 ビルギットは具足による蹴りが相手に触れる直前、手にした傘を広げてブレーキを掛けている。避けられての方向転換にも傘での速度制御を用いている。

 蹴りが直撃する直前にはあくまで常識的な速度にまで勢いが緩められていて、故に兵馬はまだ生きている。


(つまり、トップスピードに乗った状態では細かな制動が効かないんだ。そこに付け入る点がある……と、いいんだけどな)


 俯いたままに呼吸を沈め、痛みを堪えつつ苦笑いを浮かべる。

 確証はない。詩乃と出会う前の長い旅路にも数々の戦いを経てきたが、六聖というのは全く厄介な相手だ。


「さあ、答えを」

「答えは……」

 

 逃げるが勝ちさ。

 

 その言葉を口に出すことはなく、兵馬は小さく身を揺する。ゴロリと、黒いベストの懐から球体が転げ出た。

 

「手投げ弾……!」

「吹っ飛べってね」


 爆発!! 思わぬ攻撃に、ビルギットは巻き込まれないよう後方へ飛び退くことを強いられた。

 兵馬は決して赤布だけに頼っているわけではない。衣服にも少しばかりの武器を隠していて、これはその一つ。

 服の隙間に仕込めるサイズのものだけあって、そこまで大きな威力ではない。それでもとっさに背を翻した兵馬を爆風は捕らえていて、下がって無傷のビルギット、背に爆塵の破片を受けた兵馬という構図だ。

 

「自滅……?」

「ッ……いや、これでいい」


 爆風に煽られて路面を滑り、兵馬は高速道の壁際まで転がっている。

 そこには避難した誰かが乗り捨てたバイクが横倒しになっていて、よろけながら立ち上がった兵馬はすぐさまバイクを立て直す。

 よほど慌てて逃げたのだろう、エンジンは掛かったままになっているのは僥倖(ぎょうこう)。飛ぶように跨り、全開にアクセルを吹かす!!


「別にあなたに勝つ必要はない!!」


 今の兵馬は詩乃の護衛だ。護衛は負けないことが肝要だが、必ず勝利を求められるという仕事でもない。

 何より優先すべきは詩乃。不要な戦いからは逃げるに限る。

 

 飛ぶように駆けるバイク。サイドミラーに映ったビルギットの藍色の傘が、見る間に遠ざかっていく。


 魔素(マナ)燃料式のバイクはユーライヤ全土にはまだ行き渡っていない珍しい乗り物で、まともに乗れるのは燃料供給と道路整備のされたこの都市だけだろう。

 200キロを大きく上回る猛烈な速度が出る。乗るためには免許が必要な代物なのだが、しかし兵馬は問題なく乗りこなしている。

 

「バイクに乗るのも随分久しぶりだけど……それにしても速いなこれ!」


 この高速道へと飛ばされたのもまた幸運だった。

 ベルツの外縁部をぐるりと取り囲んだ高速道は詩乃たちのいる中層へと下るために経路の一つで、このままバイクを走らせれば中層に辿り着くはず。

 そこに至るまでの問題は……!


「逃がすとでも?」

「追いついてくるとは思ったけど、怖いな! くそっ!」


 猛進するバイク、その横にビルギットがぴったりと並走してきている。その脚で駆けて!

 加速、加速、加速! しかし“雷神”は離れない! 引き離せない! 

 

 彼女のトップスピードが音速を越えている以上、来ることは当然予測していた。応じるべく、片手には鎌を下げたままでいる。

 路面を削り上げ、柄を短く持っての円軌道で真横を薙いだ。


 刃を具足の脛が受け、高速のチェイスに火花が輝く。

 片足を止めたことでわずかに距離が開き、しかしその距離をビルギットは一足飛びに埋める。まさしく雷と化した飛び蹴りの一撃! 

 ハンドルを大きく傾け、兵馬は間一髪にそれを避けている。

 ビルギットが傘を広げる。流体金属が疾風を孕んでいっぱいに膨張し、彼女の雷速にブレーキを掛ける。振り向き、次撃を放つべく下腿に雷力を漲らせ……!


「逃げても無駄よ」

「いや、ここが目的地さ!」


 兵馬はバイクに急ブレーキを掛け、急速に回頭させる。響き啼く摩擦、高速からの静止に視線が鋭く矛先を交わす。

 “風喰い”、今度はそのリーチを目一杯に伸ばし、兵馬の鎌が道路の壁面ごと脇のパイプを裂いた。そこから噴出したのは大量の水! 雨水管を狙ったのだ!


「水? 視界が……」


 鉄砲水のように溢れたのは毒などではなく単なる水だ。それをまともに浴びつつ、ビルギットは表情をしかめている。

 彼女の全身を彩る紫電の戦技、『雷血(ガルツ)』は強烈な電熱を周囲に放っている。そこに水が掛かれば大量の水が蒸発、高速道は一瞬にして白煙に覆われた。


 ただ視界を覆っただけだ。だが、それで十分!

 

「確かに速度は凄まじいさ、だけどカウンターを合わせられたら致命傷。そして加速の制御は難しい。だったら、視界が覆われた状態では安易に動けないはずだ!」

「……っ」


 濃霧に乗じ……兵馬の鎌が振るわれる!!

 横薙ぎ、ビルギットの胴を払う軌道。しかし六聖は極度に集中を高めていた。死線は幾度も潜ってきた。この状況は未だ恐れるに足らず。

 身を屈めて鎌の一閃を潜り、そして真っ直ぐに蹴りを突き出した!

 

「甘い!!」


 盤石の一撃だった。どんな怪物でも沈めてみせるような猛蹴が鎌の方向へと放たれ、その勢いに場を覆った霧は払われた。


 が、そこに兵馬はいない。

 ビルギットは気付く。鎌は振るわれたのではなく無造作に投げられただけ。その一薙ぎはダミーだと。

 そして決めにかかった蹴りの直後、ビルギットには初めての隙が生まれている。突き出された蹴り脚の横を滑り抜け、懐へと兵馬は滑り込み……


 「はあっ!!」と気勢、痛烈な掌底がビルギットの腹部を捉えた!!!


「ッッ……ぐ、う!!」

「完璧に入った。もう動けないはずです」


 兵馬は基本的に武器を扱って戦うが、しかし素手での体技も修めている。

 重心を前に傾けた独特のフォームから放たれた両手での掌底、その衝撃はビルギットのドレスに付随した鎧部の奥へと浸透し、彼女の細身の体へと重いダメージを刻み付けている。

 濡れた髪を前に垂らし、ビルギットは初めてわずかに表情を緩めた。苦笑を浮かべている。


「強いのね。とても面白い」

「それはどうも。それじゃ、僕はもう行くけど」

「シャラフに勝ったというのも頷ける。それだけに、六聖が同じ相手に連敗というのも笑えない話」

「ああ、もう、素直に行かせてくれよ……」


 ビルギットは退かず、兵馬は迎え撃ち、そして再びの爆雷!!!

 壮絶な交撃が高速道を砕き――戦いは直下へと迅雷、詩乃たちとリオ・ブラックモアが睨み合う場へと落ちている。

 


「いつも六聖(ベネデッタ)と戦ってんな、お前」

「自分でも運が悪いと思ってるよ」



 呆れ気味に口を開いたリオへ、兵馬は思い切り顔をしかめて声を返した。

 

「さあて、全員動くなよ」

「あんたも動かないでもらおう、リオ・ブラックモア」

「兵馬樹、動けば撃ち抜きます」

 

 兵馬たち、ビルギット隊、リオ率いるベルツの部隊。三つの勢力が牽制し合う状態だ。リオの銃口は詩乃へと向けられていて、兵馬は短銃でリオに狙いをつけている。

 さらにはビルギットの傘の仕込み銃は兵馬に突きつけられて、ベルツ兵はビルギットにも銃口を向けている。状況は完全な膠着へと陥り……


 一方、離れた場所では剣戟の音が響いている。騎士リュイス、暗殺者アントン、三鬼剣(オルグス)イルハの戦いは激化の一途を辿っている。

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