六十七話 雷神との対峙
詩乃たちが機械兵遣いのハンスへと勝利を収めた時刻から、遡ること数十分。
ホテルの崩壊に巻き込まれ、隆起した地面で上層へと持ち上げられた兵馬は六聖、ビルギット・シエステンと真正面から対峙していた。
ビルギット曰く、話し合っている時間はないので兵馬を強制的に取り押さえるつもりだと。
160センチ強の身長にドレスアーマー、切り揃えられた黒髪のショートヘア。外見だけならどこかの令嬢にも見えるビルギットだが、その立ち姿は一軍を率いる立場に相応しい静かな覇気を纏っている。
紛れもなく強者だろう。だが兵馬は地形の変化で引き離されてしまった詩乃たちのところへと一刻も早く戻らなくてはならない。
主張が噛み合わない以上、対決は避けようもない状況だった。
「リュイスにあんたに、軍ってのは人の話を聞かない奴だらけなのか!?」
「眠ってもらいます。兵馬樹」
その声を皮切りに、兵馬とビルギットの戦闘が幕を開けた!
兵馬は以前、飛空艇で交戦した六聖のシャラフをビルギットの力量を測るための尺度としている。
同じ階級なら、誤差はあれど似たような力量だろう。そう考えている。
(だとしたら、嫌だな。斬られて毒を浴びせられて、まったく酷い目に遭わされた。あんなに強い奴と短期間でまた戦うことになるなんて……)
対してビルギット、彼女もまた同様にシャラフを兵馬の実力を測る目安と考えている。
(あのシャラフを相手取り、勝ちに近い引き分けを拾って生き延びてみせた。相当の腕前でしょうね)
互いの出方を窺いつつ、先に仕掛けたのは兵馬だ。
右手には銃剣付きの単発式ライフル。銃身は長く、長物の武器としても取り回せる得物だ。そして左にはごく軽量の小型盾。扱いに慣れた兵馬ならこれを握ったままでもライフルのボルトアクションを作動させることは可能で、多種多様な武器を自在に操れる彼ならでは特殊なスタイルと言えるだろう。
そのライフルの銃口をビルギットへと向けたままに前に走る。
射線で相手を牽制したままに距離を詰め、そのまま発砲はせずに先端の銃剣で横薙ぎに切りかかる!
「とりあえず追われちゃ困る。手足くらいは……損ねさせてもらうっ!」
「安易な攻めね」
ビルギットは落ち着いている。彼女が手にしているのは街中を歩く時から肌身離さず手にしていた瀟洒な傘だ。
黒地にフリルがあしらわれたゴシックな見た目をしていて、着ているゴシック調のドレスアーマーと合わせているのだろう。
その傘の先端を下に向け、順手で握ったままに手首を返し、兵馬の初撃を受けている。
「傘が武器? 変わってますね」
「そうかしら。銃剣で切りかかるのも大概だと思うけれど」
どちらともなく下がり、踏み込んで間合いを合わせる。
兵馬はバックラーを手にしたまま左手を銃身へと添える。右腕に力を込め、槍の要領で鋭く突き出す。
しかしビルギットは傘を斜めに構えて突きを受け流す。流し目に回避を確認し、そのまま動きを留めずに傘を振った。
「そのための盾さ」
兵馬は左腕の盾でその一撃に応じている。
バックラーは扱いに慣れが必要だ。普通の盾のように相手の攻撃を待ち受けるものではなく、攻撃軌道に“ぶつける”ように動かすことで攻撃を逸らすための盾なのだ。
しかし兵馬は十分に扱い慣れている。大抵の武器なら巧みに捌いてしまえるという自信を抱いていた。
が、ビルギットの傘による一打は兵馬の腕を盾越しに痺れさせる!
「ッッ! ……重い!」
「防ぐとは流石ね、シャラフと戦りあっただけのことはある」
「どうなってるんだ、その傘っ」
まるで重々しいハンマーを受けたかのような衝撃に、兵馬は相手が持つ傘の強靭さを思い知らされている。
外見こそオシャレ傘といった雰囲気だが、その実態はとてもとても、ファッションだとかゴスロリだとか、そんな生易しい代物ではない。
(多分だけど、あれは相当重たいぞ。涼しい顔して振るっちゃいるけどハンマー並だ。でなきゃ一発でここまで痺れるもんか)
「効くでしょう? もう一撃!」
(そりゃまずい!)
盾ではなくライフルを振るい、銃剣の先端で傘を叩くことで軌道をずらす。そのまま身を地へと投げて辛うじて二撃目を回避した。
本来の銃剣の使い方ではない。衝撃に先端の刃はポッキリと折れていて、しかし構わずぬかるみに背を浸したままで銃を構え直す。
銃口をビルギットへと向け、照準を合わせてすかさず発砲! しかし銃弾は防がれ、兵馬は思わず声を上げている。
「傘を開いて盾にしただって!?」
「魔素を膨大に練り込んだ特殊な流体金属よ。柔軟、故に強靭。少し重いけれど。そして……」
「傘の先端に穴? っ、仕込み銃か!」
豪快な炸裂音が二度弾けた。ビルギットは傘の柄へと仕込んだ銃のトリガーを立て続けに引いていて、兵馬はとっさに泥濘を転がることでその射撃を避けている。
弾丸もかなりの大口径、どうやらバックラーでどうこうできる相手ではないらしい。
転がりながら小型盾を手から外し、フリーになった左手を銃身へしっかりと添え直した。刹那、顔へとJの形状をした何かが迫っている。
(傘の持ち手!? 逆向きに持ち替えたのか!)
まともに受ければ鼻が陥没しかねない一撃だ。のけぞり、紙一重でそれを回避!
だが躱したはいいが、ビルギットは抜け目なくフック状の持ち手をライフルの銃身へと引っ掛けると、強く引くことでそれを宙に跳ね上げた。兵馬から武器を奪い取っている!
しかし。
「……やっぱり厄介だな、六聖ってのは」
「なるほど。それが報告にあった赤い布ね」
武器を失えど兵馬は動じない。回避ざまに赤布をはためかせて、両手にそれぞれ短銃とナイフを握り直している。
そんな兵馬へとわずかに興味深げな視線を向けて、しかしその表情はすぐに消す。
まるで鉄仮面でも被っているかのようなビルギットの様子を目にし、兵馬は呆れ気味に声を掛けてみる。
「戦ってみてわかったと思うけど、一応これでも腕には自信のある方なんだ。どうかな、共闘して敵を倒してみるっていうのは……」
「却下ね。悪いけれど、味方に不確定要素は持ち込みたくないの」
「…………」
にべもなく断られ、兵馬は継ぐ言葉を見つけられずに溜息を一つ漏らす。
ビルギット・シエステンは迷わない。
彼女は下級貴族の子女だ。
常識を外れたほどには裕福すぎず、しかし幸福な環境で不自由なく育てられ、昔はころころとよく笑う少女だった。
そんな彼女は年齢が上がるにつれて武才に恵まれ、軍人の道を志してユーライヤ軍へと籍を置いた。
そして数年が経って軍の環境にも慣れた頃、隣国ペイシェンとの大規模な戦線に投入され……そこで彼女は地獄を見る。
血潮の香り、熱を持った戦塵、硝煙と死臭、ボロクズのように倒れていく仲間たち。
無能な上官からの命令に疑問を持ちつつ前へと出れば、袋小路で一斉射を浴びて危うく死にかけた。そんな経験が両手の指では足りないほどに。
やがて彼女は学んだ。生き残るためには迷いは敵だと。
たとえ誤った作戦だろうと、状況に疑問を抱けば迷いを生む。迷いを抱けば動きが遅れ、動きが遅れれば死に直結する。
一切の迷いを抱かず自分だけを信じていれば、どんな戦況であれ打開するだけの力が湧き上がる。
「私は死にたくないわ。長生きしたい」
軍で知り合い、親友となったアルメルへとビルギットは幾度となくこの言葉を語っている。
臆病風に吹かれての言葉ではない。それが軍人としての最善だと知って言っている。
ビルギットは迷わない。一度決めれば、それを押し通すまでは決して迷わない。
交戦を初めて数分、兵馬はビルギットの持つそんな頑なさを感じ取って眉を顰める。
(なんていうか……この人、本気で聞く耳なしって感じだな。あのリュイスよりよっぽど)
ナイフを投げ上げ、視線を上に誘導してから足元へと拳銃を乱射する。弾が尽きれば装填はせず、新たな銃を取り出して二丁での乱射。
二丁拳銃とは装填を度外視し、銃を使い捨てるのに適したスタイルだ。大量の武器を扱える兵馬とこれほど相性の良い戦い方もない。ドパパパと一定のリズムを刻みながら、怒涛の連射がビルギットへと襲いかかる!
だがビルギットは揺るがない。
こけおどしのナイフには目もくれず、ただ落ち着いて兵馬を凝視し射線を見極めている。
彼女の具足より上、膝の近辺を撃ち抜こうと目論む兵馬。その狙いを完璧に見抜き、見事な回避軌道から傘を払って兵馬の拳銃を叩き落とした。
そしてビルギットはコマのように身を回し、もう一撃を兵馬の側頭部へと叩きつける!!
……その二撃目を、三日月状の大刃が確と受け止めた。
雷剣“オートクレール”と同じく一点物、少し前にシャングリラの暗殺者たちを撫で斬りにしてみせた凶刃。
「随分と派手な鎌」
「銘は“風喰い”。悪いけど本気で急いでる。軍人相手に無茶はしないつもりだったけど、これ以上邪魔をするなら無理にでも押し通る」
「リーチは長大、刃に細かな穴があるのは仕込みかしら。傘だけで渡り合うには少し厄介ね」
ビルギットは変わらず背筋を伸ばしたまま、その全身へと急速に魔素を集め始める。
妨害の余地はない。ビルギットが戦技を発動させるために要するのはただ一言。
『雷血』
「ああ、くそっ、厄介そうだ……」
それは彼女が“雷神”と呼ばれるただ一つの所以。兵馬は威容に思わず息を飲んでいる。
目と口からは可視化された魔素が漏れ、全身からは電弧が毛細血管のように青紫を広げていて……ビルギットが兵馬へと迫る!!!




