六十三話 詩乃の決断
銃声と爆発、ますます勢いを増す激戦を背に、詩乃とプリムラ、それにビルギット隊の副官ミシェルは倒壊したホテルの周辺から駆け去ろうとしている。
大混乱に上手く乗じられた。シャングリラの暗殺者たちは統制を失っていて、散発的に襲い掛かってくるばかり。詩乃とプリムラが応じるまでもなく、ミシェルは水流を纏った蹴撃でそれらを素早く打ち倒していく。
「しつこい連中っすねぇ」
「ミシェルさん、その、ありがとうございまず」
「いやいや全然! 詩乃ちゃんたちを保護するのが私らの目的なんで」
(……そう言ってるけど、ミシェルさんは背後をすごく気にしてる。気になってるんだ)
ヴィクトル隊は隊伍を素早く組み直している。それが一斉に掛かってくれば詩乃たちが捕まってしまうのも時間の問題で、ビルギット隊の残り、ミシェルの部下たちが身を呈してそれを留めている。
数だけを比べれば向こうが多い。個々の練度では決して劣らない自信をミシェルは持っているが、それでも数の差は戦場において多大なアドバンテージだ。
振り返った詩乃の目にまた一人、ビルギット隊の騎士が倒れている姿が見えた。
(私たちのせいで……)
そう考えて俯く詩乃に、ミシェルは努めて明るい声を掛ける。
「大丈夫、うちの部隊は軍人魂据わってる連中ばっかだから。素人の詩乃ちゃんに心配されるほどしょっぱくないっすよ!」
「……うん、今は逃げることに集中します。ミシェルさん、どこまで逃げればいいの?」
「ここから五キロぐらいの位置にベルツの自警部隊の詰め所があって、そこは戦闘行為が全面禁止。いくらヴィクトル隊でもベルツ丸ごと敵に回すような真似は避けるだろうから、辿り着いちゃえばこっちの勝ち!」
「わかりました!」
目的地までの距離がはっきりとすれば動かす足も軽くなる。
二人よりも少し先行しているプリムラは小脇にフランツの首を抱えたまま。敵へと小ジャンプから元気よくカンフーキックを決めていて、そしてようやく三人は街区へ!
敷石を靴底で叩き、雨に生まれた水たまりを蹴散らし、階段を駆け上がってブティック通りを横目に、がらんと人気のない街を眺めながら駆け……
「おかしいよ、詩乃! 全然人がいない! それに爆発みたいな音がするよ?」
「……ホテルの倒壊で避難してる? でも、もう離れたところまで来たのに」
「走りやすくて好都合っすよ! あ、そこの角を右に!」
ミシェルに促されて角を曲がり、そこで三人は唖然と足を止めることになる。
街が燃えている。
ガラスは割れ、建物は無残に崩れ、石畳はまるで覆されたかのように荒らされ、下部のプレートを露出させている。生じた瓦礫が現代アートめいて奇妙に積まれている。
続く道には累々と人、人、倒れた人。その多くが血を流して呻いていて、重傷に呻き、あるいは絶命したのか動かない。民間人だけでなく警備兵らしい人々も倒れていて、武装した彼らも容易く倒されてしまったのだと一目にわかる光景だ。
突如として現れた惨憺たる現場に、先頭を進んでいたプリムラは太い眉を斜めにして悲痛な声を漏らす。
「な、なんで……ひどいよ! 詩乃、これって……!」
「待ってプリムラ、先に誰かいる」
「あれは……詩乃ちゃんプリムラちゃん、そこの角に一旦戻るっすよ」
手招きをするミシェルに誘われ、二人は建物の角へと身を隠す。
ミシェルの表情はこれまで以上の真剣なものへと変わっていて、先に見えた人影が凄まじく危険な存在なのだと詩乃とプリムラもすぐに察することができた。
目を凝らせば、先の人影は詩乃たちとは逆の方向へと目を向けている。両手を広げてきびきびと振るっているのは指揮者気取りか、上体を揺らしているのは姿は怪笑を上げているのだろうか。
その先では金属で体を構成された歪な機械兵たちが暴れていて、視界の破壊はおそらく彼らが成したのだろうと窺える。
ミシェルの声色から軽快さはすっかり失せて、口元に手をあてがって静かに呻き声を漏らす。
「あれは三鬼剣のハンス・ニールセン!? なんでこんな場所で暴れて……」
「おるぐ……って、なんですか?」
「ああ、そりゃ詩乃ちゃんたちは知らないっすよね。ええと……軍の中のブッ飛んでヤバい連中ってとこかな」
「軍? 軍の人が街を壊してるんですか」
「あれはモラルとか常識とか、そういうのを持ち合わせてない……破壊や略奪、殺人、そういうの諸々を元帥の権力で保証されてるんす。でも連中、目的は私らの排除のはずなのに……」
怪訝げに首を傾げ、しかし考察をしている暇はないと思い至ったのだろう、すぐにミシェルは振り返った。
「二人とも、申し訳ないけど後の道は自分たちで行ってください」
残る距離はあと少し、ミシェルは自分の軍隊手帳を詩乃へと手渡し、道先に見えている鉄塔を指差す。そこが目指すべき安全地、ベルツ警備隊の拠点だ。
「少し遠回りになるけど、あっちの道から塔の見える方向に走ってもらえば迷わず着くはず。そこで私の軍隊手帳を提示してもらえば万事オーケーっすよ」
「うん、わかりました。けど、ミシェルさんは?」
詩乃に問われ、ミシェルは静かに先を見据えている。
ここまでの彼女が纏っていたさっぱりとした雰囲気は鳴りを潜め、その表情にはっきりとした義憤の色が宿して口を開く。
「民間人にあれだけの被害が出てる、私の立場であれを見逃すわけには行かないんです。いや、立場とか以前に……絶対に許せないんすよ、ああいうのは!」
「でもミシェルさん、あのハンスとかいう人は物凄く強そうだけど……」
「ふふん」
心配する詩乃へ、ミシェルはもう一度カラッとした表情の笑みを向けた。
「私、六聖の副官っすよ? 軍の中でも超エリート。それも雨がたっぷり降ってて、水の魔素を操る私には最高の条件! 負けるみたいに言われたんじゃ……傷付くっての!!」
その声を皮切りに、ミシェルはハンスへと向けて駆け出した。
詩乃はその背を案じつつ、プリムラへと手を引かれて逆道へと足を向ける。
三鬼剣、“芸術家”ハンス・ニールセンは水龍めいて膨大な渦を足に纏ったミシェルを見留め、歓待を示すかのように雨天を仰ぐ。
「美しい!! それでいて躍動と活力に満ち満ちている。問おう、君は我が芸術に魅せられた水精かね?」
「知るか! 寝ぼけたこと言ってんじゃねえっすよ!!!」
「君に似つかわしい表現は……そう、第9芸術だろう! このハンス・ニールセンの名に賭けて約束しよう。高潔に殉じる水精よ、その姿を死という永久に留め、最高の芸術へと昇華させてみせると!!!」
「ブッッッ飛べぇっ!!!!」
……十分ほどが過ぎただろうか。ミシェルとハンスの戦いは既に大勢を決していた。
本人が言うように、ミシェル・マルロウは極めて優秀な軍人だ。その身軽さと長い脚を活かした蹴りを中心とした体術、そこに水流操作を組み合わせ、威力、範囲を大幅に強化した戦型を用いるスタイルは万能。大抵の相手を苦にしない。
ただし、三鬼剣は六聖にも匹敵するとまで言われる強者。それも対人、同僚殺しに躊躇いを持たない精神性を有している。
そしてハンスは既にジャンクヤードの潤沢な材料を存分に使って手勢を組み上げ終えている。重く強く堅牢、そんな機械兵たちが30体。うち12を損壊させ……ミシェルは片腕をへし折られ、体を強打されての血反吐にまみれ、鋼鉄の腕に組み敷かれている。
「……っか、は……くそ、っ」
「いけないね、水精。あがくものだからせっかくの蒼美が血に汚れてしまった。だが案ずることはないよ、君の麗姿は我が眼に確と刻まれている……羽衣めいて水を纏った、美しい君の姿を……!!」
(なんなんすかね、こいつ。自己満足でダラダラと……一番嫌いなタイプかもしんない。はぁ、こんなのに殺されておしまいか……)
割れた路肩に抑えつけられ、平らな機械腕で胸元を圧されている。
ミシ、ミシと軋む胸骨。独り語りにテンションを高調させていくハンスとは対照的に、彼の機械兵は無感情に、淡々とミシェルを潰し壊していく。
まるで工場のプレス機だ。肺に圧力を掛けられて、息を吸うことも、痛みに悲鳴を上げることすらままならない。となれば、助けを呼びようもない。
実家で待つ母の顔を思い出す。今回の任務を終えたら顔を出すと伝えてあった。きっとまた、かぼちゃのポタージュを作ってミシェルを待っているのだろう。
(あれ結構、飽きたんだけどなあ……)
自分と同じく軍人、ペイシェン戦で失った父の顔が脳裏に過る。巻き込まれかけた民間人を守っての戦士だった。喪失の悲しみと共に、父の生き方に強い誇りを抱いていた。
だからこそ、詩乃たちを行かせてでもハンスへと立ち向かわずにはいられなかった。死力を尽くして戦い、ハンスと機械兵たちの蹂躙から何人もの人々を逃がすことができた。
壊されていく自分の体をどこか俯瞰的に長めながら、激戦に火照ったままの顔に降り注ぐ雨をただ受けている。
(父さん……私、父さんに恥じない生き方ができたかな)
「さあ!! 嗚呼ぁぁぁっ……終幕だ!!!」
「うっさい」
「くおうっ!!?」
ズドンと響いた砲音。空気が揺れて、最高潮とばかりに打ち震えていたハンスが横に倒れている。
ミシェルを潰そうとしていた機械兵は主人がダメージを受けたことに意識を奪われ、腕の圧に緩みが生まれる。その隙に乗じ、ミシェルは死地から辛うじて這い出した。
発砲音はレトロクラシカルなショットガン。有効射程で腰溜めに構え、引き金を引いたのは詩乃。慢心していたハンスの脇腹へ、見事に散弾を叩き込んでいる!
「ごめん、ミシェルさん。戻ってくるまで時間かかっちゃった」
「なっ、んで、戻ってきたんすか……!! 詩乃ちゃんたちだけで、なんとかなる相手じゃ……」
「うん。だと思ったから、連れてきた」
ずらりと、詩乃の背後に現れたのはベルツの自警部隊。
ユーライヤ正規軍にも劣らぬ重武装に身を固め、街区を壊し、住民たちに被害を出したハンスへと向けた憤怒はフルフェイスのメット越しでも明らかなほど!
詩乃はミシェルと別れてすぐさま、脇目も振らずに全力で駆け出した。
言われた通りに警備隊の拠点へと走り、立ち塞がる敵を抜き撃ちに打倒し、息を切らして拠点へ飛び込むやいなや自警部隊へと戦況の説明を。
手渡されたコップ一杯の水だけを飲み干して、そして彼らを先導して戦場へと舞い戻ってきた。
そう、詩乃は彼女に出来る限りの最善を尽くしたのだ。
(息苦し……頭もくらくらする。病み上がりだからかな? でも、間に合ってよかった)
その隣、「ひい、疲れた……」と小さくボヤくプリムラの片手は生首の髪を無造作に掴んでいる。
落武者めいてぶら下げられたフランツは、諦観めいて黙していたのが突如として口を開く。
「愚かだよ、愚かだなぁ佐倉詩乃! そのまま逃げていれば助かっていたのに。あの三鬼剣は死んじゃあいない。僕らシャングリラが手を下すまでもなく、君は今ここで死ぬのさ!!」
「詩乃ぉぉぉ! こいつ首の傷口がうじょうじょしてて気持ち悪いよぉぉぉ!」
(フランツの首が再生を始めてる。首から下が丸ごとないから時間はかかるかもしれないけど、戦いが長引けば体が生えてきちゃうかも。うわ、想像したら気持ち悪っ)
「くっぅふぅううう……! 無粋。なんという無粋な! 表現者たる我が絶頂へ凶弾を浴びせるなど卑劣極まりなし……!」
(あのハンス、だっけ。下に防弾服を着てたか。衝撃は与えてるはずだけど、貫通はしてないから立ってくるよね。なんか怒ってるし……めんどくさ)
口数のそれほど多くない詩乃だが、黙しながらも色々と思考を巡らせているのはいつものこと。
ベルツの自警部隊がハンスの機械兵たちに敢然と挑みかかっていくのを見ながら、しかし決して楽観視できる状況ではないと理解している。
六聖の副官、つまりはユーライヤ軍の中でもトップクラスの戦闘力を誇るミシェルを相手取って
「詩乃ちゃん、助かったっす。本当に」
「ミシェルさん、無事で……ん、無事じゃなさそうだけど、でも生きててよかった」
「い、ったたた……大見得切ったのにダサいっすねえ、我ながら……」
「ダサい……とは思わないけど、挽回のチャンスはあるよ。ミシェルさん、まだ戦える?」
ミシェルは既にグロッキーだ。右腕は折られて胸骨はひしゃげかけて、内臓が形を保っているのはギリギリで。
しかし詩乃の言葉に真剣味を感じ取り、呼吸を整えて頷く。
「策があるなら」
「……多分」
頷きを返し、詩乃はプリムラへと目を向ける。いや、プリムラにではない。その手、首だけで嘲笑を浮かべているフランツへとだ。
そしてショットガンを片手に握り、銃口をフランツの額へと突き付けた。
「協力して」




