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六十一話 “風喰い”

 ホテル・マクミランとその周辺で複数の戦線が繰り広げられている、その同刻。

 戦場と化した区画からは離れた場所に位置する大ジャンクヤードでは、その管理者たちが異様な光景に首を傾げていた。

 

「大量に消えた? ゴミがか」

「ええ、おおよそ10トン近く。そんな量が持ち出された記録はないんですが……」

「10トンだと!? 馬鹿な、一山にもなる量だぞ!」

「複数の職員で確認しました。間違いということはないかと……」


 詩乃たちも訪れたジャンクヤードは都市が管理する施設だ。壊れ物とはいえ武器の類も多く放置されているため、何が持ち出されたかは全て詳細に記録されている。

 広大な敷地だが出入り口は東西南北と四ヶ所。堅牢なゲートで人の出入りが持ち出した物品が管理されていて、持ち出しが自由とは言っても軍規模での装備を持ち出すことは不可能だ。

 そんな場所で、10トンもの物が消え失せた?

 多少なら漏れや記録違いもあるだろう。だが、あまりにも量が多すぎる。職員たちは顔を見合わせ、不穏の兆候に息を飲む。

 すぐさま上へと報告が上げられるが、時既に遅し。

 恐るべき“その男”はジャンクヤードでの仕事を終え、既に次の舞台へと向かっている。

 

 

 スタタ、スタタとスキップを刻みながら、雨中をミュージカル役者めいて去っていく男がいる。

 上機嫌だ。軽やかにハミングを鳴らしている。


「嗚呼、実に良いアトリエであった!! 湧き上がる我が創作意欲を満たすだけの種々雑多な素材たち。彼らは歌い奏でていた……創造主たる、このハンス・ニールセンを讃える聖譚曲(オラトリオ)を!!」


 ハンスと自ら名乗ったその男は、ついには手にしていた黒のコウモリ傘を放り出した。

 濡れるのを厭わず両手を広げ、雨に唄えばとばかりにくるくると身を回す。

 

 そこは繁華街の只中だ。行き交う人々は奇異の目を向け、しかし視線は決して合わせようとはせず、傘で顔を隠して足早に去っていく。

 そんな周囲を気にした様子はまるで見せず、ハンスはますます上機嫌に水たまりをジャンプ! が、二歩足りず。バシャリと飛び込んだ水たまりは思いの外深く広く、磨き上げられた暗色の革靴をじっとりと濡らしてしまった。


「……実に不愉快だ。嗚呼、何故こんな場所にくだらない窪みなどが存在している? 欠陥構造だ。まったく欠陥品だよ、このベルツという街は!!」


 さっきまでの浮かれ具合はすっかり消えて失せ、嗚呼、嗚呼と苛立たしげに繰り返している。彼の口癖なのだろう。

 そこで人々はようやく勘付く。男の背後に、十、二十……いや、それ以上の人影が続いていることに。

 

 背後の人影は全員が揃いで中折れ帽とロングコートの胡乱(うろん)な出で立ち。

 マフィアファッションとでも言うべきか、そこに手袋をしてコートの襟までを立てているものだから、それぞれがどんな顔をしているかの判別はまるで付かない。

 そのうちの一人が前へと出て、あからさまに苛立っているハンスへと傘を差し出した。


「遅い! 我が作品にあるまじき遅さだ! 嗚呼、全身がずぶ濡れではないか……!」


 傘をふんだくる。

 そもそも自分で傘を投げ出したということも忘れ、ハンスは躁鬱(そううつ)めいて腹を立てている。

 そして彼は、“作品”たちへと指示を下す。

 

「少し早いが、第二幕だ。諸君、この不愉快極まる窪みを……そして視界一帯を、白のキャンバスへと帰そう」


 彼が片手をすらりと伸ばせば、背後に居並んだ人影たちは一斉にコートを剥ぐ。

 灰色、灰色、鈍色、黒鉄に重銀、シャフトにプレート、肩には歯車、突き出た鉄管は銃の砲口。振り上げた腕に唸る回転刃(チェーンソー)

 一体一体姿の異なるそれらは全て、ハンス・ニールセンの創作意欲に生み出された恐るべき機械兵(マシンゴーレム)!!


 三鬼剣(オルグス)の一人、ハンス・ニールセン。

 大規模な市街破壊とそれに伴う民間人への被害に咎めを受けたのが彼だ。

 音楽、絵画、彫刻に舞台、果ては機械の組み上げにまで。あらゆる創作へと興味を抱き、意欲がままに生み出し続ける。そんな彼は人呼んで“芸術家”と呼ばれている。

 

 元帥ヴィクトルの権威を以てしても、ベルツに外部から大部隊を連れ込むのは難しい。

 ならば、街中で作ればいい。

 部隊創造の役割を与えられ、そして彼はジャンクヤードをアトリエへと変えた。

 機械を組み上げる知識に自身の魔力を併せ、指揮者めいて腕を振るえば触れることなく機械兵(マシンゴーレム)たちが組み上げられていく。直接指を触れさせることもなく。

 そうして生み出した機械兵たちを自律歩行させ、厚着で人を装わせ、ゲートの持ち出し管理を悠々と突破させたのだ。

 

 そしてハンスは昂ぶり叫ぶ!

 

「さあさあ悦楽せよ! 恍惚せよ! 蹂躙の時間だ、創造主(わたし)を満足させるだけの即興劇(インプロ)を見せてくれ給え!!!」


 鳴り響く銃声に、街中が悲鳴で染まる。




----------




「う、ぐ……どうなってるんだ!」


 瓦礫と粉塵の中、兵馬は口に入った塵をぺっと吐き出しながら呻く。


いつもトレードマークとばかりに被っているキャトルマン帽はどこかへと消えて、金髪には埃やゴミがバサバサとまとわりついている。


 ホテル・マクミランは完全に倒壊している。周囲を見回せば建物は原型を失っていて、ところどころに残された鉄筋とそれに張り付いた壁面の一部だけがその名残だ。

 代わりとばかりに屹立するのは数え切れない数の樹木。

 大小様々、不気味にうねる老人の手指のようなそれはクロードが発動させた土の魔術、『天樹牢(ジュノヘイル)』によって生み出されたもの。これがホテルの全体へと行き渡り、繁茂の勢いままに全てを倒壊させてみせたのだ。


「馬鹿な、どれだけの人が巻き込まれたと……いや、そうじゃないな」


 ほんの一瞬だけ憤りかけたが、状況を理解するとすぐに平静を取り戻した。

 驚くべきことに、無数の木々はその枝や根を籠のように編み込んで一般人たちを包み込んでいる。その保護力は盤石らしく、巨大な瓦礫に下敷きにされても潰れることなく中の人間を守っている。

 見回す限りは崩落の犠牲になった人間は見当たらない。もちろん全てを見渡せているわけではないが、あの如才ないクロードのことだ、無関係の人間は漏らすことなく保護しているのではないかと思える。


 だとすれば、なるほど好手かもしれない。

 攻めてきていた軍人たちの隊伍を崩し、シャングリラの暗殺者たちの連携も崩した。

 さらには高所の狙撃ポイントに陣取っていたスナイパーもどこかへと叩き落とされたはず。一手で状況を大幅に入れ替える辺りは流石と言えるだろう。

 

「詩乃! プリムラ! 無事か!?」


 立ち並んだ木々に視界が悪い。詩乃たちの姿が見当たらず、兵馬は声を張り上げる。

 戦闘を繰り広げていた軍人たちやシャングリラの構成員たちも態勢を立て直しつつあるのが見える。早く詩乃たちと合流しなくてはまずい!


 そんな兵馬の焦りをすかすように、「おーい」と間の抜けた調子のプリムラの声がどこかから聞こえてきた。


「兵馬ー! 私も詩乃も無事だよー!」と。


 しかし姿が見当たらず、兵馬は怪訝に眉をひそめながらもう一度周囲を見渡した。と、そこでようやく厄介な現状に気が付く。


「詩乃たちは下か! いや、違うぞ……こっちが上にいるんだ!」


 クロードの唱えた怪樹の魔術はホテルだけでなく、地形そのものを変動させていた。


 多層構造の都市ベルツは、階段のような形状で三層に分かれている。巨大な窪地という特殊な形状の土地を最大限効率よく活用するため、この得意な形状で発展してきたのだ。

 上層、中層、下層とそれぞれの都市部は巨大なプレートに下支えされて築かれている。

 それらをロープウェイやリフト、外周を取り巻く高速道アウトバーンなど様々な連絡路で繋いでいるわけだが、クロードの『天樹牢(ジュノヘイル)』は大樹の急成長でプレートの一部分を隆起させている。

 それがちょうど兵馬のいた箇所であり、ホテルは中層にあったにも関わらず、兵馬は今上層プレートの縁にいるのだ!


 縁から身を乗り出せば目の眩むような高さ、その遥か下には詩乃とプリムラが小さく見えている。


 ついでを言えば、プリムラは腕にフランツの首を抱えたままでいるようだ。

 逃れようと時折もがくそれに顔を引きつらせながら、どうにか両腕で抱え込んでいる。


「とりあえず、二人とも無事で良かった!」

「うん、兵馬も」


 両手を振りながら、詩乃がこくりと頷いたのが見える。

 この状況であってもそれほど慌てた様子はなく、彼女なりのペースを貫いているようだ。

 そんな詩乃が少し頼もしくて、兵馬は落ち着きを取り戻しながら下へと声を落とす。


「そっちに降りていくには時間がかかりそうだ!! しばらく上手く逃げててくれ!!」

「りょーかーい! 詩乃のことは任せといて!」

「兵馬、やられたらダメだよ」

「もちろんさ。晩ごはんは一緒に食べる約束だから……なっ!!」


 詩乃たちから視線を切り、振り返りざまに両腕を振るう。

 背後にはシャングリラの暗殺者たちが迫っていた。気配を殺して忍び寄り、背首へとナイフを立てようとしていた。

 そこへ兵馬は一閃を放ったのだ!


「……シャングリラ。今は急いでる、お前たちに構っている暇はないんだ」


 ゆるりと流れる三日月、兵馬が手にしているのは巨大な刃に長柄の大鎌。

 振り向きながらの一斬は幅広に円弧を描き、迫っていた二人の暗殺者の胴を容赦なく寸断していた。


 詩乃たちと離れているからか、あるいは道を急いでいるせいか。兵馬の瞳は暗く冷め切っている。

 とりわけ腕利きのアントンとエーヴァの姿はない。地形の隆起には巻き込まれなかったのだろうか。

 だとすれば彼らは詩乃たちと同じく下にいるわけで、時間の猶予はまるでない。


「邪魔立てするなら撫で斬りにする。出来てるんだろ? (ドニ様)だとかに殉じる覚悟は」


「……兵馬樹、死ねえっ!!」

「ドニ様のために!」

「我らが父のために!!」


「だったら……こっちも遠慮はしない」



――ふゅる。



 禍津風まがつかぜめいて、兵馬の大鎌は不吉をたっぷりと乗せて踊った。

 巨大にして長重、先端に重量バランスの偏ったそれは容易に取り回せる代物ではない。


 暗殺者たちはその経験則から、大鎌の懐へと躊躇(ためら)いを持たずに踏み込んだ。リーチの内側には安全圏が存在する!

 彼らは死を恐れない。数人でタイミングをずらして飛び込めば、たとえ自分が死ねど誰かの刃はこの男へと届くだろうと。


 が、しかし。兵馬の鎌は軽々と二度振るわれた。果断なる一斬からすぐさま柄を返し、ほぼ同瞬と呼べるほどでの切り返し!

 連続で飛来する死刃を前に、暗殺者たちは為す術もなくそれを受け入れるしかなかった。


 飛沫。振り切られた鎌の切っ先からは赤い雫が滑り落ち、凶斬が通り過ぎた後には死体が四つ。

 柄を回し、泰然と構え直す兵馬の姿は感情を捨てたはずの暗殺者たちに畏怖を覚えさせる。

 刃を構えたままにたじろいでいる。そんな彼らの面前へ、兵馬は低く深く、風のように踏み込んだ。


「言ったろ、急いでる」


 力強く、しかし軽快に。ひゅる、ふぉる、握った大鎌は振るわれるたびに奇妙な音を立てる。

 兵馬を取り囲んでいた暗殺者たちは、一人としてそれを避けえない。

 迫られても身じろぎすることなく、鎌が自分の体を通り過ぎるのを待っているのだ。まるで悪魔に魅入られたかのように!


「ありえない! 何故、何故体が動かなかったんだ……!」


 腰から肩へ、逆袈裟の軌道に体を裂かれた男は絶命の際にそう呟いた。

 不可解な言葉はシャングリラの暗殺者たちに一層の恐慌を呼び、統制が乱れれば兵馬の攻勢はさらに勢いを増す。


「強すぎる!」

「怪物め……!」


「十五人」


 断殺した人数を淡々と数え上げ、返り血さえ浴びることなく、大刃を下弦に垂らしている。

 銃を手にすれば撃つ前に潰され、魔術を唱えれば詠唱が終わる前に首を飛ばされる。

 そして避けることができない斬断。それは何も兵馬が悪魔であるだとか、オカルトめいた力を持っているというわけではない。握っている鎌、それ自体に仕込みがある。


 兵馬が手にした鎌の刃には、一目にはわからない微細な穴が大量に開いている。

 刃を振ればその穴が風を呼び込み、刃の周囲の空気を掻き乱して乱気流を生み出す。

 そうして生じた気流は鎌の周囲にいる人間の動きを阻害し、敵は回避を許されず、訳もわからぬままに死を迎えるのだ。


 雷剣“オートクレール”と同様、この鎌は兵馬にとっての秘蔵品。

 そして示威的に、その鎌の銘を口にする。


「“風喰い”」


 残りを半数以下に減らしてしまった暗殺者たちは、ついに兵馬の前に立ち塞がることを止めて大きく距離を開け始めた。

 それを視認し、走るには邪魔な“風喰い”を赤布へとしまい込む。代わりにレバーアクション式のライフルを右手に掴み、先端に取り付けてある銃剣を暗殺者たちへと向けて睨みつける。


「追ってくれば殺す」


 それを聞き、動く者はいない。

 恐怖を包み隠した狂信のヴェールを剥ぎ取るほどの惨殺劇を演じてみせ、雨に水濡れた髪をかきあげる。そして赤布をもう一度翻すと、左手にいつもの帽子が現れた。

 スペアだ。兵馬はやたら馴染むこの帽子を気に入っていて、赤布の中にあと20個ほどストックしている。気に入った物は延々と使い続けるタイプなのだ。


 さておき、暗殺者たちが動かないならここでするべきことはもうない。

 全滅させて後顧の憂いを断っておくのも考えたが、しかし詩乃たちとの合流を優先するべきだろう。

 下へと最短で降りる道を探すべく視線を巡らせ……そんな兵馬の目は、戦場の中に一つの異質を見捉える。


 華麗に。雨中を散歩に興じる令嬢とばかり、洒落っ気のある傘が近付いてくる。

 しかし、その歩調は確固と疾く、左右に一切のブレを見せない傘のシャフトは持ち主の優れた体幹を雄弁に物語っている。鍛え上げられている。


 そして兵馬の五歩手前で立ち止まった傘の人影、整った顔立ちの女性は毅然(きぜん)とした口調で名乗る。


「六聖、ビルギット・シエステンよ」

「ビルギット……ああ、さっきのミシェルとかいう人の隊の」

「ミシェルに会っているのね。なら事情は把握しているでしょう」


 前髪を揃えた、前下がりのショートヘア……要はおしゃれなおかっぱだが、そこから覗くビルギットの視線は鋭利だ。

 兵馬からの質問は許さないと語調に示し、続けて口を開く。


「今ここで大人しく投降しなさい。そうすれば悪いようにはしない」

「待ってくれ、まずは詩乃たちを助けたい。協力するから、敵を退けるのを手伝ってくれないか」

「いいえ、貴方は我々の保護下で大人しくしていてもらうわ」

「保護下だって? 冗談じゃない、今すぐにでも下に降りなきゃいけないんだ」


 兵馬の意識はビルギットとの会話の最中にも、ずっと下への経路を模索し続けている。

 ホテル倒壊の影響で、層を移動できるリフトなどは停止している。それなら高速道を辿って、どうにか下に向かうしかないか?


 しかし、そんな思考は全身への怖気に断ち切られる。

 目の前の女性、ビルギットから漂ってくるのは痺れるような闘気。傘を畳み、丸みのある瞳には有無を言わせぬ意思が湛えられている。

 

「普段なら対話も試みる。譲歩も考える。けれど、今は大切な部下たちが命を賭して戦い続けているわ。貴方の言い分を聞いてあげられる余裕がないの」

「……こっちこそ、今は軍とやりあってる暇はないんだ」

「そう」


 まるで聞く耳を持たず、彼女は背筋を伸ばしたままに臨戦へと移行する。その異名は“雷神”ビルギット。

 兵馬は息を飲む。右手に銃剣を構えたまま、左手には布から盾を取り出した。

 

「リュイスにあんたに、軍ってのは人の話を聞かない奴だらけなのか!?」

「眠ってもらいます。兵馬樹」


 ベルツ上層、その最西端。雨中に蒼雷が迸った!

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