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六十話 フランツ・ハイネマンの悪夢

「うっぎゃああああああああ!!!!」

「げ、えぇぇぇ……!!」


 プリムラが奇天烈(きてれつ)な悲鳴を上げた。

 その横では詩乃が顔を青ざめさせ、心底からドン引いている。

 

 生首! サノワ村の宿でクロードが切断し、緑色の体液を散らしながら床に転がっていたフランツの生首!

 それをいつの間にかクロードが箱詰めにして持ち歩いていて、それだけでも怖気の立つ話だと言うのに生首が目を開いた。口を開いて声を出した。生きている!?

 片耳を下にして床にあるフランツの首は、生前と変わらない……いや、今も死んではいないようだが、とにかく生首になる前と同じ声で恐怖の声を上げている。 

 

「もっ、もう嫌だ! その箱には戻りたくない! 助けて!」


「待っていろフランツ、すぐに取り返す」

「なんていたわしい……クロード、お前だけは許せないわ」


 アントンとエーヴァはこの状況を予測していたようで、フランツの状態にも驚くことなく戦意を保っている。

 怒りを向けられて、クロードはなお素知らぬ顔。周りから驚愕と怒りを向けられつつも涼風めいて、隙を見せない姿勢のまま刀の柄へと手を掛けている。


「プリムラ君、“それ”を拾ってもらえるかな。そして手放さないようお願いするよ。人類にとっての宝なんだ」

「ひいいいいいっ、もぞもぞ動いてるよぉぉぉ……!」


 さて、ますます異常性を増した状況にいよいよ表情を引き攣らせているのはリュイスだ。

 失踪し、二年間音信不通だった兄が戦場へふらりと現れ、そして喋る生首を箱詰めにして持ち歩いていた。

 すっかり混乱を深めてしまい、鼻梁に深くシワを寄せながらクロードへと詰問の声を投げる!


「アンタ、一体何を考えてんだよ……! クロード!!」




 クロードが何を考えているのか。

 それを語るにはサノワの夜へと遡る必要がある。

 

 あの日、刀閃で容赦なく首を切り落とされたフランツ。しかし彼は意識を失わずにいた。

 斬られても撃たれても即座に傷を修復してみせる再生能力。後天的に手に入れたそれは、彼が生首だけになってもその生命を維持させていた!

 と言っても、これはフランツにとっても予想外。首を切り落とされるような状況はもちろん初めてで、まさかこの状態でも自分が生きているとはと驚いている。


(僕の体がここまでバケモノになっていたなんてね……)


 しかしラッキーだ。近寄って見下ろしてくるクロード、その視線の恐怖に耐えながら目を閉じたままでやり過ごす。

 再生の確認をするためにクロードが体の方を斬っていたが、もちろんそっちの感覚とは切り離されているので問題ない。

 

(大部分を失ったせいで再生が始まるまでには時間がかかる。けど僕の再生能力はこっちがベース。やり過ごせばいずれ体も復活する!)


 そして詩乃とクロードが部屋から去り……

 フランツは内心に快哉(かいさい)を上げた!!


(は、はは……! っっはははは!!! あっははははは!!! 馬鹿め! あいつ、僕が死んだと思って去っていった! 死んでないんだよ!)


(思考は正常、声、声は……出せそうだ。体はないけど、再生力を応用すれば擬似的な発声器を先に作ることはできる。村の構成員たちが助けにくれば、時間をかければ元通りだ!)


(いや、それどころじゃない! 苦しくない、胸が苦しくないぞ……! 生まれてからずっと苦しめられてきた肺病が、体をまるごと切除されたせいで綺麗さっぱりなくなったんだ!)


 床に転がったままで現状を把握し、決して悪くない。いや、むしろ大きなメリットを得たことを理解し、フランツは無意識に片目から涙の筋を垂らしていた。

 ずっと、ずっと苦しかった。寝ても覚めても息をするだけで死痛に苛まれる。

“ドニ様”に拾われ、痛みを和らげるための薬物を与えられ、施設を管理しながら薬の常用でごまかしながら死んだように永らえる日々。

 それが今終わったのだ。生まれて初めて、何の枷もなく空気を味わうことができている……! 体はないが。

 そして形成を終えた擬似的な発声器官を動かし、喉を震わせながら声を漏らす。

 

「なんて、なんて良い気分なんだ……はは、あんた名医だぁ、クロード・ルシエンテス。忘れないよ、この恩と借りは、あんたをいつか殺してやることで……」

「いや、それには及ばないよ」

「なっ!!?」

 

 首筋の筋肉でバランスを傾け、フランツは顔の向きを器用にぐるりと変えた。

 そこにいたのは去ったはずのクロード、一体何故戻ってきた! いやそれより、頭を潰されれば今度こそ終わりかもしれない!


「嫌だ、死にたくない……せっかく苦しさが消えて……! お願いだ! 助けてくれ! 殺さないで!」


 心底からの懇願だ。悲痛な叫びはフランツの口から自然に漏れていた。

 それを受けて、クロードは微笑のままにしゃがみ込む。

 

「殺す? そんなことをする理由がない。自覚しなさい。意識も記憶もあるのなら、君は今、人類にとっての宝なんだ」

「は、宝? ま、待て、ちょっと待て! 僕を掴んで、どうするつもりだ!」

「放っておけば再生するんだろう? なら閉所に入れて、物理的に再生を不可能にしておかなくてはね」

「待て、待っ!!!」


 どこから調達したのか、首だけがちょうどすっぽりと収まるサイズの黒箱をクロードは持っていた。

 その中へと詰め込まれ、そしてフランツは運ばれていく。

 真っ暗で息苦しい閉所。どこに運ばれるのかもわからないまま、首だけでも窒息しそうなほどに窮屈なスペースで体を再生できるはずもない。

 魔術で防音処理がしてあるのか、怒りに叫べど恐怖に叫べど外からの反応はない。


 かと思えば、突如開けられる箱のフタ。

 メスを片手にしたクロードが立っていて、フランツの顔を傷付けながら問いかけてくる。


「ジョフロワ熱。君が作り変えた病毒のレシピ、それを教えてはもらえないかな?」

「やめろ! メスで顔を刻まないでくれ!」

「教えてくれれば今すぐにでもやめよう」

「お、教え……教えるわけがない! あれはシャングリラの、ドニ様にとっての切り札になる……僕だけが知っていればそれでいい!」

「なら、喋りたくなるまでの付き合いだ。気長に行こうか。喉が乾いてはいないかな?」

「むぐ、ごぽ……!?」


 そう言って口に水を流し込んでくるのは拷問の一貫なのか、あるいはズレた親切心なのか。

 どちらかはわからないが、唯一確かなのはメスに開けられた頬の傷口から水がダダ漏れていく感覚だけ。

 

(ああああ!! 狂いそうだ!!)


 たった数日。しかし永遠にも思える恐怖の中で、フランツの心は早くも壊れかけていた。

 恐怖を終わらせるために、全てをクロードへと語ってしまおうかとも揺らいでいた。


 そんな経緯を経て……偶発的にフタが開き、投げ出されたフランツの首が床に転がり、今に至っている。




 そんな経緯をクロードは語らない。

 弟リュイスからの問いかけに口元を浅く笑ませ、「色々考えているんだよ」とだけ返した。


「こいつはヤバい」

 そう叫んだフランツの声が、兵馬の中でリフレインしている。


(確かにヤバい。僕から見ても、かなりイってる男だ……)


 心底からドン引きしている。ただ、兵馬は旅の生活が長い。

 それ故に他の面々よりは少しばかりの冷静さがあって、クロードがフランツの首を持ち歩いた理由をそれとなくは理解できている。

 フランツが作り変えたジョフロワ熱、村人たちを亡者へと変貌させたあの病は、史上でも稀に見る強毒性の菌だ。

 その菌を優秀な医師が手にし、然るべき機関で解析したなら様々な用途が見込めるだろう。他の病にも転用できる薬を作れるきっかけになるかもしれない。

 

 ともかく、今はそればかりに気を取られていてはまずい状況だ。

 アントンとエーヴァの目はフランツの首と傍らのプリムラに向けられていて、さらにその隣には詩乃もいる。

 

(そっちに向かわれるとまずい、回り込む!)

 

 駆け出す兵馬、アントンとエーヴァもまた前へ出る。

 リュイスはまだ気持ちを戻せずにいて、軍人たちの戦いはさらに激しさを増し、上階でも誰かが戦っているようで地獄めいた炎が猛っている。

 もちろん戦場と化したホテルの中、シャングリラではない一般客も巻き込まれている。

 その全てを俯瞰(ふかん)し、クロードは静かに呟く。

 

「一度、状況を混ぜ返そうか」

 

 刀は右に携えたまま、左手をホテルの壁へと軽くあてがう。

 呼吸から取り込んだ魔素(マナ)を自身の魔力へと変換し、その力は根のように、蟻の巣のようにホテルの壁へ、その深部にまで浸透して広がっていく。

 

「“喝破六道、祠堂に麗英。静思連なり翠王の御手を成せ”」

「待てよ兄貴!」

「リュイス、自分の役割を果たすんだ。『天樹牢(ジュノヘイル)』」


 壁に地を走り、膨大な魔力は大樹へと姿を変える。

 現れたその樹嵐はさながら降魔。うねる幹は幾百の怪腕の如く、ホテル・マクミランを破壊の狂乱へ、そして大崩落へと導いた。




----------




 轟音を響かせながら崩れていくホテル、その全景を目視できるハイウェイ。

 三層に分かれたベルツの高層に位置するその道路は、速度制限の設けられていないアウトバーンだ。


 弾丸めいた速度で行き過ぎていく車たち、その只中に二人の人影が立っている。

 クラクションを鳴らされながら、車速の風に身じろぎもせず、暴力的なまでの烈気を漲らせるのは元帥。金獅子ことヴィクトル・セロフ。

 手には白輝たる英雄の魔力。向き合った相手を威圧的な眼光で見下ろしている。

 

 

「ここで果てるがいい」

 

 

 応じ、抜剣。

 すらりと水平に伸べられた白の麗剣は、降りしきる雨露を静かに裂いて路面へと落とす。

 靡く桜がかった金髪。六聖(ベネデッタ)は、君主の敵へと凛然の眼差しを向けている。



「神誅を下そう、教皇猊下(げいか)のために。そして……」



 兄からの信頼に応えるために。自らの誇りに恥じないために!!

 ユーライヤ教皇国、最高峰の戦いが幕を開ける。

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