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五十九話 黒箱の中に

「なっ、なんでアンタがここにいるんだよ!! 兄貴!!」


 リュイスは動揺している。あからさまに狼狽(うろた)えていて、足はガニ股気味、両手を広げて大声で問いかける。

 クロードはかつて鎧と鉄仮面に顔を隠し、“クルド”という偽名を名乗って六聖を務めていた。

 多くを凄惨に殺め、恐怖で戦場を支配する。そんな用兵を好み、莫大な戦功を上げ続けた。

 泥沼の争いとなったペイシェンとの戦線の中、倒れていく上官たちを尻目に敵を虐殺めいて殲滅(せんめつ)し、結果として多くの味方を生き残らせ、若くして六聖へ、そして中将の地位へと上り詰めていた男なのだ。

 同じように戦功を上げたアルメルやビルギットは少将。そう、二人よりも上の立場にいた。

 

 それが突如として出奔し、そのまま二年が過ぎて今に至る。

 

 叫ぶように、いや、はっきりと叫びながら問いかけたリュイスへ、クロードは小さく肩を(すく)めながら、あくまで静かに声を返す。

 

「つい最近同じことを聞かれたね。私がどこにいようと私の自由だよ」

「いや、だって、テメ……兄貴! 二年間連絡も寄越さねえでよ! 親父とお袋がどんだけ心配したと思ってんだ!」

「リュイス、昔から言って聞かせていただろう? お前の悪い癖はすぐに周りが見えなくなることだと」

「はあ? 話逸らしてんじゃ……うぐッ!?」


 向き合った弟、リュイスの腹をクロードが唐突に蹴っている!

 旅用の堅強なブーツでまるで容赦なく、前蹴りを腹筋にめり込まされれば体力馬鹿のリュイスも流石に呻かざるを得ない。

 

「け、蹴ったぁー!!?」


 プリムラがドン引き気味に叫んでいる。

 もちろん、兵馬と詩乃も突如の暴力に驚きの表情を隠せない。

 

「てっめえ、何しやが……!」

「伏せなさい」

「がはぁ!?」

 

 目を白黒とさせながら抗議の睨みを利かせたリュイス、しかしその視線はクロードの腕で床へと叩き伏せられている。

 瞬間、今し方までリュイスの頭があった場所を銃弾が通り過ぎた!


「うおっ、危ね……」

「頭に血を上らせるな。流れ弾の認識も出来ていないお前では早死にする。私以上の親不孝を働くつもりかな?」

「いや、でも!」

「口答えをするな」

「ぐへっ!」


 再度、床へと顔面を打ち付けられるリュイス。


「そもそもリュイス、お前が状況をかんがみなかった事で混乱が招かれている。それは理解できているかな」

「俺が……何したってんだよ!」

「軍の目的は兵馬樹、佐倉詩乃らの回収のはずだ」

「ああ! それがどうしたってんだ!」

「兵馬君が軍へ攻撃を仕掛けたというのはお前の勘違いだ。お前が彼と冷静に連携していたなら、詩乃君らを連れて包囲を突破することも可能だっただろう」

「な……」

「思考を止めるな。常に心に天秤を描け。短絡的な思考ではなく、優先すべきを測りなさい」


 そこまでを告げて、クロードは弟を引き立たせるとひょいと、軽々と放り投げる。

 体格の良いリュイスがふわりと簡単に浮いて、少し離れていた兵馬が「うわっ」と驚きつつそれを受け止めた。


 そしてクロードはすかさず抜刀、向かってきた凶刃を交差軌道で留める。

 鍔迫り合い、擦れ合う刃は火花を散らし、その輝きは瞳に憎悪を照らす。クロードへと斬りかかったのは暗殺者アントン!

 

「クロード・ルシエンテス……!」

「おや、私が憎いのかな。初対面のはずだが」

「殺す。貴様だけは必ず」


 アントンは軽やかに、奇異なテンポでの三連撃を繰り出す。

 突き、薙ぎ、払いと繋ぐ変拍子、並の剣士であれば受けのタイミングをずらされて致命撃を負わされる幻惑斬。

 しかしクロードは元六聖(ベネデッタ)の名に相応しい反応を見せ、その全てを斜めに流して受け払う。

 

 さらに踏み込み、弧月の軌道でアントンを切り捨てようとする。

 が、そこへ炎弾が飛来する!


「焼け死になさい、クロード! 『焔の射手(エスピス)』!」

「やれ、エーヴァ」

「もう一人、相方か」


 クロードとリュイスが喋っている間、アントンが仕掛けてこなかったのは上階にいたエーヴァが降りてくるのを待っていたため。

 殺意の中にも踏み留まり、まず戦うべき陣容を整えるのは暗殺者が故の冷静さだろう。

 アントンが前衛で剣を振るい、エーヴァが後ろから鞭をしならせて魔術を放つ。二人揃ってのコンビネーションこそがアントンとエーヴァ最大の強み!

 

 二対一、応じるクロードもその目を一層冷えさせて防ぐ、避ける、刃を返す。

 猛然と繰り広げられる攻防に、詩乃とプリムラは援護射撃の間を見出だせずにいる。

 そしてそれは兵馬、リュイスも同様だ。ついさっきまで相争っていた二人はクロードの登場にすっかり毒気を抜かれ、肩を並べて戦闘の凄絶に固唾(かたず)を飲んでいる。


 ふと、兵馬が尋ねる。

  

「クロードさん。君の兄は、どうして軍を抜けたんだ」

「……兄貴は……」

「ペイシェン戦で大量に殺したんだろ? それが今は旅医者をやってる。実際、詩乃を助けられたんだ。贖罪(しょくざい)、ってことか?」

「贖罪? そうだ、いや、違う。兄貴は」


 リュイスの表情が苦々しく歪む。受け入れがたい記憶を呼び起こされて、無意識に唇を噛み締めている。


「親父とお袋、それにほんの数人の親しい人間にはそう言ってたさ、贖罪だってな。だが、俺にだけ……俺は、聞かれたんだ」



『リュイス、聞きたいんだが。要は……同じ数だけ助ければいいんだろう?』



「……兄貴は俺にそう聞いたんだ、いつもの涼しい顔で。良心の呵責(かしゃく)なんて欠片もねえ……ただ数字だけを見て、殺した数を助けてバランスを取ろうとしてる。マジでそれだけなんだ、あの人は」

「数字で、バランスを」


 オウム返しに呟きながら、兵馬はクロードが叩き伏せたリュイスへと説いていた言葉を思い出す。“常に心に天秤を描け”と。

 クロード・ルシエンテスという男は、ただそれだけを判断の基準として生きている人間なのかもしれない。


 だとすれば、彼は天秤さえ傾けばどんな善事も悪事をも躊躇(ためら)うことなく成してみせるのだろう。

 サノワ村の夜からベルツへの道のり、そして到着から今までの数日を共に過ごした医師の精神性を垣間見て、兵馬は彼に向ける目により警戒心を高めている。

 

 その視線の先、クロードへとアントンが叫ぶ!!

 

「フランツ。フランツ・ハイネマンを斬ったな」

「患者を殺そうとされたんだ。斬らない理由はないだろう」 

「ふざけるな……貴様、フランツを返せ」

「返せとは奇妙なことを言うね。既に死んだ者は帰らないよ」


 両手持ちの刀を跳ね上げる逆風の太刀、アントンは鍛え上げられた動体視力でそれを見切る。

 エーヴァが鞭でクロードの足を狙い、避けたところへアントンの長い脚が蹴り伸ばされる。浅く一撃、クロードは初めてわずかにのけぞっている。

 そして再度、アントンが口を開く。


「“返せ”と言っているんだ」

「……」



 ――ゴパ、と破裂音。



 突如、上方から聞こえたその音に兵馬やリュイスは驚きの目を向ける。

 気配なく潜んでいた存在に、彼らの立ち位置からはそれに気付く術がなかったのだ。

 破裂音? 否、それは発砲音。あまりにも大仰な、あまりにも大口径の。

 

 彼は上階に潜んでいた。

 ジャンクヤードで雨に濡れていた雪色の髪の青年は、シャングリラの暗殺者としての本分を忠実に果たすべく、幕を開けた戦闘にも身じろぎすることなくひたすらに気配を隠し続けていた。

 どこに? 最上階から縦長の吹き抜けへと吊るされた巨大なシャンデリア、その不安定な背に乗っていた!

 

 彼の名はフロスティ。戦車装甲をも穿つ、大仰な対物(アンチマテリアル)ライフルを抱えた狙撃手だ。

 その標的はただ一人、佐倉詩乃ではなくクロード・ルシエンテス。当たれば人体は形を留めない!

 角度が付いて狙いにくい位置だが隠れるには最適。アントンとエーヴァとの戦いにクロードが吹き抜けの縁へと姿を晒すのを待ち、そして絶好の瞬間を窺い続けていた。

 

(フランツの痛みを知れ)

 

 そしてアントンの蹴りにクロードがのけぞった一瞬を見計らい、引き金を引いた!!!

 当たれば人体を微塵に損壊する13mm弾が盤石の狙いでクロードへと迫り……!


「いや、当たらない」

「避けただと!!」


 間一髪で飛び下がったクロード、アントンは驚きに思わず声を荒げている。

 狙撃をしたフロスティは人材の揃ったシャングリラの中でも特級の腕を誇るスナイパーだ。その彼が盤石を期して放った銃弾を、かわした!?


「何故だ……」

「私への憎悪が仇になったね。そちらの彼女、エーヴァの視線がわずかに上へ動いた。私を殺せるという期待に気が急いたのかな。それを見れば狙撃手の存在は明白だ」

「……抜かったわね。けれど!」


 ほんの微かな隙を突かれたエーヴァだが、しかし即座に意識を切り替えている。

 ここまでの立ち回り、クロードはある一点を背に回して庇うように戦っていた。

 そこにあるのはクロードが部屋を出る時に持ち出し、壁際に置いていた黒箱。兵馬が中身を気にしていた岡持ちのような形状の黒い箱だ。

 

 クロードが飛び下がって銃弾を躱したことで黒箱への道が開いた。

 エーヴァはすかさず、黒箱へと鞭の先を伸ばしている!

 

「これだけは貰うわ!」

「いいや、渡せないな」


 抜き打ち、伸びた鞭の中ほどをクロードの刃が叩いた。

 強靭な繊維を多重に編み込んだエーヴァの鞭は、利剣の斬撃にも切断されることはない。だがエーヴァが想定した軌道を微かに逸らしていて、鞭に絡められて跳ね上げられた箱は明後日の向きへと宙を泳いだ。

 

 その先は偶然に……

 

「へ?」


 すぽんと、箱はプリムラの腕へと収まっている。

 戦闘に介入できず、クロードの言葉では「兵馬、詩乃“ら”」と“ら”で済まされ、すっかりやる気を削がれていたプリムラの腕へだ。

 そして衝撃に、ガタリと前フタが開き……ごろりと、重さのある球体が黒箱から転げ出た。

 

 青白い髪はぱさついて、蒼白の顔色はさらに血色を失っていて。

 黒箱から転げ出たのは……フランツ・ハイネマンの生首だ。


 

「ひえ……!」


 

 動揺と恐怖に声を漏らしかけるプリムラ。が、その感情はさらなる驚愕に塗り潰される。

 

 カッと見開く目!!

 

 

「アントンッ!!! エーヴァァァっ!!! たっ、助けてくれ、こいつはヤバい!!! 狂ってる!!!」

 

 

 フランツの生首が叫んだのだ!!

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